新郎

       太宰 治

1

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思いわずらうな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい、青空もこのごろは、ばかに綺麗きれいだ。舟を浮べたいくらい綺麗だ。山茶花さざんかの花びらは、桜貝さくらがい。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめておどろいている。何もかも、なつかしいのだ。煙草たばこ一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない。思わず微笑びしょうしているという程の意味である。

2

家の者達にも、めっきり優しくなっている。隣室りんしつで子供が泣いても、知らぬりをしていたものだが、このごろは、立って隣室へ行き不器用にき上げて軽くゆすぶったりなどする事がある。子供の寝顔ねがおを、忘れないように、こっそり見つめている夜もある。見納みおさめ、まさか、でも、それに似た気持もあるようだ。この子供は、かならず、丈夫に育つ。私は、それを信じている。なぜだか、そんな気がして、私には心残こころのこりが無い。外へ出ても、なるべく早く帰って、晩ごはんは家でたべる事にしている。食卓の上には、何も無い。私には、それが楽しみだ。何も無いのが、楽しみなのだ。しみじみするのだ。家の者は、面目めんぼくないような顔をしている。すみません、とおわびを言う。けれども私は、矢鱈やたらにおかずをめるのだ。おいしい、と言うのだ。家の者は、さびしそうに笑っている。 「つくだ。わるくないね。海老えびのつくだ煮じゃないか。よく手にはいったね。」 「しなびてしまって。」家の者には自信が無い。 「しなびてしまっても海老は海老だ。ぼくの大好物なんだ。海老のひげには、カルシウムがふくまれているんだ。」出鱈目でたらめである。

3

食卓には、つくだ煮と、白菜はくさいのおしんこと、烏賊いか煮付につけと、それだけである。私はただ矢鱈に褒めるのだ。 「おしんこ、おいしいねえ。ちょうど食べごろだ。僕は小さい時から、白菜のおしんこが一ばん好きだった。白菜のおしんこさえあれば、他におかずは欲しくなかった。サクサクして、このざわりが、こたえられねえや。」 「お塩もこのごろお店に無いので、」家の者には、やっぱり自信が無い。かぬかおをしている。「おしんこを作るのにも思いきり塩を使う事が出来なくなりました。もっと塩をきかせると、おいしくなるんでしょうけど。」 「いや、これくらいが、ちょうどいい。塩からいのは、ぼくは、いやなんだ。」頑固がんこに言い張るのだ。まずしいものを褒めるのは、いい気持だ。

4

けれども時々、失敗する事がある。 「今夜は? そうか、何も無いか。こういう夜もまた一興いっきょうだ。工夫しよう。そうだ、海苔茶漬のりちゃづけにしよう。いきなものなんだ。海苔を出してくれ。」最も簡略かんりゃくのおかずのつもりで海苔を所望しょもうしたのだが、しくじった。 「無いのよ。」家の者は、間の悪そうな顔をしている。「このごろ海苔は、どこの店にも無いのです。へんですねえ。私は買物は、下手へたなほうではなかったのですけど、このごろは、肉もおさかなも、なんにも買えませんので、市場で買物かごさげて立ったまま泣きべそをく事があります。」したたかに、しょげている。

5

私は自分の頓馬とんまじた。海苔が無いとは知らなかった。おそるおそる、 「梅干があるかい?」 「ございます。」

6

二人とも、ほっとした。 「我慢がまんするんだ。なんでもないじゃないか。米と野菜さえあれば、人間は結構生きていけるものだ。日本は、これからよくなるんだ。どんどんよくなるんだ。いま、僕たちがじっと我慢してりさえすれば、日本は必ず成功するのだ。僕は信じているのだ。新聞に出ている大臣たちの言葉を、そのまま全部、そっくり信じているのだ。思う存分にやってもらおうじゃないか。いまが大事な時なんだそうだ。我慢するんだ。」梅干を頬張ほおばりながら、まじめにそんなわかり切った事を言い聞かせていると、なぜだか、ひどく痛快なのである。

7

或る夜、よそで晩ごはんを食べて、山海の珍味ちんみがたくさんあったのでおどろいた。不思議ふしぎな気がした。はじをしのんで、女中さんにこっそりたのんで、ビフテキを一つ包んでもらった。ここでおあがりになるのなら、かまわないのですが、お持ちになるのは違法いほうなんですよ、と女中さんは当惑とうわくそうな顔をしていた。ビフテキの、ほの温い包みを持って家へ帰る。この楽しさも、ことしはじめて知らされた。私はいままで、家に手土産てみやげをぶらさげて帰るなど、絶無ぜつむであった。実に不潔な、だらしない事だと思っていた。 「女中さんに三べんもお辞儀じぎをした。苦心さんたんして持って来たんだぜ。久し振りだろう。牛の肉だ。」私は無邪気むじゃきほこった。 「くすりか何かのような気がして、」家の者は、おずおずとはしをつけた。「ちっとも食欲が起らないわ。」 「まあ、食べてみなさい。おいしいだろう? みんな食べなさい。ぼくは、たくさん食べて来たのだ。」 「お顔にかかわりますよ。」家の者は、意外な事を小声で言った。「私はそんなに食べたくもないのですから、女中さんに頭をさげたりなど、これからは、なさらないで下さい。」

8

そう言われて私は、ちょっと具合がわるかったけれど、でも、安心の思いのほうが大きかった。たいへん安心したのである。大丈夫だ。もう家の食べものなど、全く心配しない事にしよう。「牛の肉だぞ」なんて、卑猥ひわいじゃないか。食べものに限らず、家の者の将来にいても、全く安心していよう。これは、子供と一緒いっしょにかならず丈夫に育つ。ありがたいと思った。

9

家の者達に就いては、いまは少しも心配していないので、毎日、私は気軽である。青空をながめて楽しみ、煙草たばこを吸い、それから努めて世の中の人たちにも優しくしている。

10

三鷹みたかの私の家には、大学生がたくさんあそびに来る。頭のいいのもあれば、頭のわるいのもある。けれども一様いちよう正義派せいぎはである。いまだかつて私に、金を貸せ、などと云った学生は一人も無い。かえって私に、金を貸そうとする素振そぶりさえ見せる学生もある。一つの打算ださんも無く、ただ私とだんじ合いたいばかりに、遊びに来るのだ。私はいまだいちども、の年少の友人たちに対して、面会を拒絶きょぜつした事が無い。どんなに仕事のいそがしい時でも、あがりたまえ、と言う。けれども、いままでの「あがりたまえ」は、多分に消極しょうきょく的な「あがりたまえ」であったという事も、否定できない。つまり、気の弱さから、仕方なく「あがりたまえ。僕の仕事なんか、どうだっていいさ。」とさびしく笑って言っていた事も、たしかにあったのである。私の仕事は、訪問客ほうもんきゃく断固だんことしてかえし得るほどの立派なものではない。その訪問客の苦悩くのうと、私の苦悩と、どっちが深いか、それはわからぬ。私のほうが、まだしも楽なのかも知れない。「なんだい、あれは。趣味しゅみでキリストごっこ・・・なんかに、ふけっていやがって、鼻持ちならない深刻ぶったくさい言葉ばかり並べて、そうして本当は、ただちょっと気取ったエゴイストじゃないか。」などと言われる事のずかしさに、私は、どんなに切迫せっぱくした自分の仕事があっても、立って学生たちをむかえるような傾向けいこうが無いわけでもなかったらしい。そんなに誠意のあるウエルカムではなかったようだ。卑劣ひれつな自己防衛ぼうえいである。なんの責任感せきにんかんも無かった。学生たちをおこらせなければ、それでよかった。私は学生たちの話を聞きながら、他の事ばかり考えていた。あたりさわりの無い短い返事へんじをして、あいまいに笑っていた。私の立場ばかりを計算けいさんしていたのである。学生たちは私を、はにかみの深い、おひとよしだと思っていたかも知れない。けれども、このごろは、めっきり私も優しくなって、思う事をそのままきびしく言うようになってしまった。普通ふつうの優しさとは少しちがうのである。私の優しさは、私の全貌ぜんぼう加減かげんせずに学生たちに見せてやる事なのだ。私は、いまは責任を感じている。私のところへ来る人を、ひとりでも堕落だらくさせてはならぬと念じている。私が最後の審判しんぱんの台に立たされた時、たった一つ、「けれども私は、私と付き合った人をひとりも堕落させませんでした。」と言い切る事が出来たら、どんなにうれしいだろう。私はこのごろ学生たちには、思い切り苦言くげんていする事にしている。怒鳴どなる事もある。それが私の優しさなのだ。そんな時には私は、この学生にころされたっていいと思っている。殺す学生は永遠の馬鹿ばかである。

11

―─はなはだ、ぼくは、失礼なのだが、用談は、三十分くらいにして、くれないか。今月、すこし、まじめな仕事があるのだ。ゆるせ。大宰治。―─

12

玄関げんかん障子しょうじに、そんな貼紙はりがみをした事もある。いい加減かげんなごまかしの親切でってやるのは、悪い事だと思ったからだ。自分の仕事も、だいじにしたいと思いはじめて来たからだ。自分のために。学生たちのために。一日の生活は、大事だ。

13

学生たちは、だんだん私の家へ来なくなった。そのほうがよいと思っている。学生たちは、私からはなれて、まじめに努力しているだろう。

14

一日一日の時間がしい。私はきょう一日を、出来るだけたっぷり生きたい。私は学生たちばかりでなく、世の中の人たち皆に、せい一ぱいの正直さで付き合いはじめた。

15

往復葉書はがきで、こんな便たよりが来た。

16

―─女の決闘けっとうかけ込みうったえ。結局、先生の作品は変った小説だとしか私には消化出来ない。何か先生より啓示けいじを得たいと思う。一つ説明を願いたい。端的たんてきに。ダダイズムとは結局、何を意味するか。お願いします。草田舎くさいなかの国民学校訓導くんどうより。―─

17

私は返事へんじを出した。

18

―─拝復はいふく貴翰きかん拝読はいどくいたしました。ひとにものをたずねる時には、も少していねいな文章を書く事に致しましょう。小国民の教育をなさっている人が、これでは、いけないと思いました。

19

御質問に、まじめにお答え致します。私はいままで、ダダイズムを自称じしょうした事は一度もありませんでした。私は自分を、下手へたな作家だと思っています。なんとかして自分の胸の思いをわかってもらいたくて、さまざまのスタイルを試みているのですが、成功しているとも思えません。不器用な努力です。私は、ふざけていません。不一ふいつ。―─

20

その国民学校の先生が、私の家へ怒鳴どなり込んで来てもいいと覚悟かくごして書いたのであるが、四五日ってから、次のような、やや長い手紙が来た。

21

―─十一月二十八日。昨夜の疲労ひろうで今朝は七時の時報じほうを聞いても仲々起きられなかった。範画はんが教材としてえがいたささ墨絵すみえを見ながら、入営にゅうえい(×月×日)のこと、文学のこと、花籠はなかごのこと等、漠然ばくぜんと考えはじめた。××県地図けんちずと笹の絵が、白い宿直室しゅくちょくしつかべに、何かさむざむとへばりついているのが、自分を暗示しているような気がしてならない。こんな気分の時には、きまって何か失敗が起るのだ。師範しはん寄宿舎きしゅくしゃ焚火たきびをしてしかられた時の事が、ふいと思い出されて、顔をしかめてスリッパをはいて、背戸せど井戸端いどばたに出た。だるい。頭が重い。私は首筋を平手で叩いてみた。屋外は、すごいどしゃ降りだ。菅笠すげがさをかぶって洗面器をとりに風呂場へ行った。 「先生お早うす。」

22

学校に近い部落の児が二人、井戸端いどばたで足を洗っていた。

23

二時間目の授業を終えて、職員室しょくいんしつで湯をんで、ふと窓の外を見たら、ひどいあらし・・・の中を黒合羽くろがっぱ着た郵便配達ゆうびんはいたつが自転車でよろよろ難儀なんぎしながらやって来るのが見えた。私は、すぐに受け取りに出た。私の受け取ったものは、思いがけない人からの返書へんしょでした。先生、その時、私は、随分ずいぶん月並な言葉だけれど、(中略)

24

本当に、ありがとうございました。私は常に後悔こうかいしています。理由なき不遜ふそんの態度。私はいつでもこれあるがために、第一印象が悪いのです。いけないことだ。知りつつも、ついうっかりして再び繰返くりかえします。

25

校長にも、お葉書はがきを見せました。校長は言いました。「ほんとうにこれは、君の三思三省さんしさんせいすべきところだ。」私も、そう思いました。 (中略)

26

私は先生にお願いします。

27

私が慚愧ざんきしている事を信じて下さい。私は悪い男ではありません。 (中略)

28

私はいまペンを置いて「その火絶やすな」という歌を、この学校に一つしかない小さいオルガンで歌いたいと思います。敬具けいぐ―─

29

ところどころ私が勝手かってに省略したけれど、以上が、その国民学校訓導くんどうの手紙の内容である。うれしかった。こんどは私のほうから、お礼状を書いた。入営なさるも、せぬも、一日一日の義務に努力していて下さい、とも書きえた。

30

本当にもう、このごろは、一日の義務は、そのまま生涯しょうがいの義務だと思って厳粛げんしゅくに努めなければならぬ。ごまかしては、いけないのだ。好きな人には、一刻も早くいつわらぬ思いをかざらず打ちあけて置くがよい。きたない打算ださんは、やめるがよい。率直な行動には、いが無い。あとは天意におまかせするばかりなのだ。

31

つい先日も私は、叔母おばから長い手紙をもらって、それに対して、次のような返事へんじを出した。その文面は、そのまんま或る新聞の文芸欄ぶんげいらんに発表せられた。

32

―─叔母さん。けさほどは、長いお手紙をいただきました。私の健康状態けんこうじょうたいやら、また、将来の暮しにいて、いろいろ心配して下さってありがとうございます。けれども、私はこのごろ、私の将来の生活に就いて、少しも計画しなくなりました。虚無きょむではありません。あきらめでも、ありません。へたな見透みとおしなどをつけて、右すべきか左すべきか、はかりにかけて慎重しんちょうに調べていたんでは、かえって悲惨ひさんつまずきをするでしょう。

33

明日の事を思うな、とあの人も言ってられます。朝めざめて、きょう一日を、十分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛こころがけて居ります。私は、うそを言わなくなりました。虚栄きょえい打算ださんで無い勉強が、少しずつ出来るようになりました。明日をたのんで、その場をごまかして置くような事も今は、なくなりました。一日一日だけが、とても大切になりました。

34

決して虚無では、ありません。いまの私にとって、一日一日の努力が、全生涯しょうがいの努力であります。戦地せんちの人々も、おそらくは同じ気持ちだと思います。叔母おばさんも、これからは買いだめなどは、およしなさい。疑って失敗する事ほどみにくい生きかたは、ありません。私たちは、信じているのです。一寸の虫にも五分の赤心せきしんがありました。苦笑なさっては、いけません。無邪気むじゃきに信じている者だけが、のんきであります。私は文学を、やめません。私は信じて成功するのです。安心下さい。

35

このごろ私は、毎朝かならずひげる。歯も綺麗きれいみがく。足のつめも、手の爪も、ちゃんと切っている。毎日、風呂へはいって、かみを洗い、耳の中も、よく掃除そうじして置く。鼻毛なんかは、一分も伸ばさぬ。眼の少し疲れた時には、眼薬を一滴いってき、眼の中に落して、うるおいを持たせる。

36

純白のさらし木綿もめん一反いったん、腹から胸にかけてきりりと巻いている。いつでも、純白である。パンツも純白のキャラコである。これも、いつでも純白である。そうして夜は、ひとり、純白のシイツにねむる。

37

書斎しょさいには、いつでも季節の花が、活き活きと咲いている。けさは水仙すいせんを床の間のつぼに投げ入れた。ああ、日本は、い国だ。パンが無くなっても、酒が足りなくなっても、花だけは、花だけは、どこの花屋さんの店頭を見ても、いっぱい、いっぱい、紅、黄、白、紫の色を競い咲きおごっているではないか。この美事さを、日本よ、世界にほこれ!

38

私はこのごろ、やぶれたドテラなんか着ていない。朝起きた時から、よごれの無い、縞目しまめのあざやかな着物を着て、きっちり角帯かくおびをしめている。ちょっと近所の友人の家をおとずれる時にも、かならず第一の正装せいそうをするのだ。ふところには、洗ったばかりのハンケチが、きちんと四つに畳まれてはいっている。

39

私は、このごろ、どうしてだか、紋服もんぷくを着て歩きたくて仕様がない。

40

けさ、花を買って帰る途中、三鷹みたか駅前の広場に、古風な馬車が客を待っているのを見た。明治、鹿鳴館ろくめいかんのにおいがあった。私は、あまりのなつかしさに、馭者ぎょしゃたずねた。 「この馬車は、どこへ行くのですか。」 「さあ、どこへでも。」老いた馭者は、あいそよく答えた。「タキシイだよ。」 「銀座へ行ってくれますか。」 「銀座は遠いよ。」笑い出した。「電車で行けよ。」

41

私はの馬車に乗って銀座八丁をりあるいてみたかったのだ。鶴の丸(私の家のもんは、鶴の丸だ)の紋服を着て、仙台平せんだいひらはかまをはいて、白足袋しろたび、そんな姿でこの馬車にゆったり乗って銀座八丁目を練りあるきたい。ああ、このごろ私は毎日、新郎はなむこの心で生きている。 (昭和十六年十二月八日これを記せり。この朝、英米と戦端せんたんをひらくの報を聞けり。)




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