きりぎりす

       太宰 治

1

おわかれいたします。あなたは、うそばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。私も、もう二十四です。このとしになっては、どこがいけないと言われても、私には、もう直す事が出来ません。いちど死んで、キリスト様のように復活ふっかつでもしない事には、なおりません。自分から死ぬという事は、一ばんの罪悪ざいあくのような気もいたしますから、私は、あなたと、おわかれして私の正しいと思う生きかたで、しばらく生きて努めてみたいと思います。私には、あなたが、こわいのです。きっと、この世では、あなたの生きかたのほうが正しいのかも知れません。けれども、私には、それでは、とても生きて行けそうもありません。私が、あなたのところへ参りましてから、もう五年になります。十九の春に見合いをして、それからすぐに、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。今だから申しますが、父も、母も、この結婚には、ひどく反対だったのでございます。弟も、あれは、大学へはいったばかりのころでありましたが、姉さん、大丈夫かい? 等と、ませた事を言って、不機嫌ふきげんな様子を見せていました。あなたが、いやがるだろうと思いましたから、きょうまでだまってりましたが、あの頃、私には他に二つ、縁談えんだんがございました。もう記憶きおくうすれている程なのですが、おひとりは、何でも、帝大の法科を出たばかりの、お坊ちゃんで外交官志望とやら聞きました。お写真も拝見はいけんしました。楽天家らしい晴やかな顔をしていました。これは、池袋の大姉さんの御推薦ごすいせんでした。もうひとりのお方は、父の会社につとめて居られる、三十歳ちかくの技師でした。五年も前の事ですから、記憶もはっきり致しませんが、なんでも、大きい家の総領そうりょうで、人物も、しっかりしているとやら聞きました。父のお気に入りらしく、父も母も、それは熱心に、支持していました。お写真は、拝見しなかった、と思います。こんな事はどうでもいいのですが、また、あなたに、ふふんと笑われますと、つらいので、記憶しているだけの事を、はっきり申し上げました。いま、こんな事を申し上げるのは、決して、あなたへのいやがらせのつもりでも何でもございません。それは、お信じ下さい。私は、困ります。他のいいところへおよめに行けばよかった等と、そんな不貞ふていな、ばかな事は、みじんも考えて居りませんのですから。あなた以外の人は、私には考えられません。いつもの調子で、お笑いになると、私は困ってしまいます。私は本気で、申し上げているのです。おしまいまでお聞き下さい。あの頃も、いまも、私は、あなた以外の人と結婚する気は、少しもありません。それは、はっきりしています。私は子供の時から、愚図々々ぐずぐずが何より、きらいでした。あの頃、父に、母に、また池袋の大姉さんにも、いろいろ言われ、とにかく見合いだけでも等と、すすめられましたが、私にとっては、見合いもお祝言しゅうげんも同じものの様な気がしていましたから、かるがると返事は出来ませんでした。そんなおかたと結婚する気は、まるっきり無かったのです。みんなの言う様に、そんな、申しぶんの無いおかただったら、殊更ことさらに私でなくても、他にいおよめさんが、いくらでも見つかる事でしょうし、なんだか張り合いの無いことだと思っていました。この世界中に(などと言うと、あなたは、すぐお笑いになります)私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたいものだと、私はぼんやり考えて居りました。丁度ちょうどその時に、あなたのほうからの、あのお話があったのでした。ずいぶん乱暴な話だったので、父も母も、はじめから不機嫌ふきげんでした。だって、あの骨董屋こっとうや但馬たじまさんが、父の会社へ画を売りに来て、れいのおしゃべりを、さんざんした揚句あげくの果に、この画の作者は、いまにきっと、ものになります。どうです、おじょうさんを等と不謹慎ふきんしん冗談じょうだんを言い出して、父は、いい加減かげんに聞き流し、とにかく画だけは買って会社の応接室の壁に掛けて置いたら、二、三日して、また但馬さんがやって来て、こんどは本気に申し込んだというじゃありませんか。乱暴だわ。お使者の但馬さんも但馬さんなら、その但馬さんにそんな事を頼む男も男だ、と父も母もあきれていました。でも、あとで、あなたにおうかがいして、それは、あなたの全然ご存じなかった事で、すべては但馬さんの忠義ちゅうぎな一存からだったという事が、わかりました。但馬さんには、ずいぶんお世話になりました。いまの、あなたの御出世も、但馬さんのお陰よ。本当に、あなたには、商売を離れて尽して下さった。あなたを見込んだというわけね。これからも、但馬さんを忘れては、いけません。あの時、私は但馬さんの無鉄砲むてっぽうな申し込みの話を聞いて、少し驚きながらも、ふっと、あなたにおいしてみたくなりました。なんだか、とてもうれしかったの。私は、る日こっそり父の会社に、あなたの画を見に行きました。その時のことを、あなたにお話し申したかしら。私は父に用事のある振りをして応接室にはいり、ひとりで、つくづくあなたの画を見ました。あの日は、とても寒かった。火の気の無い、広い応接室のすみに、ぶるぶる震えながら立って、あなたの画を見ていました。あれは、小さい庭と、日当りのいい縁側えんがわの画でした。縁側には、だれすわっていないで、白い座蒲団ざぶとんだけが一つ、置かれていました。青と黄色と、白だけの画でした。見ているうちに、私は、もっとひどく、立って居られないくらいにふるえて来ました。この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。真面目まじめに申し上げているのですから、お笑いになっては、いけません。私は、あの画を見てから、二、三日、夜も昼も、からだが震えてなりませんでした。どうしても、あなたのとこへ、お嫁に行かなければ、と思いました。蓮葉はすはな事で、からだが燃えるようにずかしく思いましたが、私は母にお願いしました。母は、とても、いやな顔をしました。私はけれども、それは覚悟かくごしていた事でしたので、あきらめずに、こんどは直接、但馬さんに御返事いたしました。但馬さんは大声で、えらい! とおっしゃって立ち上り、椅子いすつまずいて転びましたが、あの時は、私も但馬さんも、ちっとも笑いませんでした。それからの事は、あなたも、よく御承知ごしょうちはずでございます。私の家では、あなたの評判ひょうばんは、日がつにつれて、いよいよ悪くなる一方でした。あなたが、瀬戸内海の故郷から、親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論もちろん親戚しんせきの人ことごとくが、あなたに愛想あいそうづかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会てんらんかいに、いちども出品していない事、左翼さよくらしいという事、美術学校を卒業しているかどうかあやしいという事、その他たくさん、どこで調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に言い聞かせてしかりました。けれども、但馬さんの熱心なとりなしで、どうやら見合いまでにはぎつけました。千疋屋せんびきやの二階に、私は母と一緒にまいりました。あなたは、私の思っていたとおりの、おかたでした。ワイシャツの袖口そでぐち清潔せいけつなのに、感心いたしました。私が紅茶の皿を持ち上げた時、意地悪くからだがふるえて、スプ─ンが皿の上でかちゃかちゃ鳴って、ひどく困りました。家へ帰ってから、母は、あなたの悪口を、一そう強く言っていました。あなたが煙草たばこばかり吸って、母には、ろくに話をして上げなかったのが、何より、いけなかったようでした。人相が悪い、という事も、しきりに言っていました。見込みがないというのです。けれども私は、あなたのところへ行く事に、きめていました。ひとつき、すねて、とうとう私が勝ちました。但馬さんとも相談して、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。淀橋よどばしのアパ─トで暮した二箇年ほど、私にとって楽しい月日つきひは、ありませんでした。毎日毎日、あすの計画で胸が一ぱいでした。あなたは、展覧会にも、大家たいかの名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり描いていました。貧乏びんぼうになればなるほど、私はぞくぞく、へんにうれしくて、質屋にも、古本屋にも、遠い思い出の故郷のようななつかしさを感じました。お金が本当に何も無くなった時には、自分のありったけの力を、ためす事が出来て、とても張り合いがありました。だって、お金の無い時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。つぎつぎに私は、いいお料理を、発明したでしょう? いまは、だめ。なんでも欲しいものを買えると思えば、何の空想もいて来ません。市場へ出掛けてみても私は、虚無きょむです。よその叔母さんたちの買うものを、私も同じ様に買って帰るだけです。あなたが急におえらくなって、あの淀橋のアパ─トを引き上げ、この三鷹町の家に住むようになってからは、楽しい事が、なんにもなくなってしまいました。私の、腕の振いどころが無くなりました。あなたは、急にお口もお上手じょうずになって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困って居りました。私は、あなたを、この世で立身りっしんなさるおかたとは思わなかったのです。死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描いて、世の中の人みんなに嘲笑ちょうしょうせられて、けれども平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間にけがされずに過して行くお方だとばかり思って居りました。私は、ばかだったのでしょうか。でも、ひとりくらいは、この世に、そんな美しい人がいるはずだ、と私は、あの頃も、いまもなお信じて居ります。その人のひたい月桂樹げっけいじゅの冠は、他の誰にも見えないので、きっと馬鹿扱いを受けるでしょうし、だれもおよめに行ってあげてお世話しようともしないでしょうから、私が行って一生おつかえしようと思っていました。私は、あなたこそ、その天使だと思っていました。私でなければ、わからないのだと思っていました。それが、まあ、どうでしょう。急に、何だか、おえらくなってしまって。私は、どういうわけだか、恥ずかしくてたまりません。

2

私は、あなたの御出世をにくんでいるのではございません。あなたの、不思議なほどにかなしい画が、日一日と多くの人に愛されているのを知って、私は神様に毎夜お礼を言いました。泣くほどうれしく思いました。あなたが淀橋よどばしのアパ─トで二年間、気のむくままに、お好きなアパ─トの裏庭を描いたり、深夜の新宿の街を描いて、お金がまるっきり無くなった頃には但馬さんが来て、二、三枚の画と交換に十分のお金を置いて行くのでしたが、あの頃は、あなたは、但馬さんに画を持って行かれる事が、ひどくさびしい御様子で、お金の事になど、てんで無関心でありました。但馬さんは、来る度毎に私を、こっそり廊下ろうかへ呼び出して、どうぞ、よろしく、ときまったように真面目に言ってお辞儀じぎをし、白い角封筒かくぶうとうを、私の帯の間につっ込んで下さるのでした。あなたは、いつでも知らん顔をして居りますし、私だって、すぐその角封筒の中味なかみを調べるようないやしい事はいたしませんでした。無ければ無いで、やって行こうと思っていたのですもの。いくらいただいた等、あなたに報告した事も、ありません。あなたを汚したくなかったのです。本当に、私は一度だって、あなたに、お金が欲しいの、有名になって下さいの、とお願いした事はございませんでした。あなたのような、口下手な、乱暴なおかたは、(ごめんなさい)お金持にもならないし、有名になど決してなれるものでないと私は、思っていました。けれども、それは、見せかけだったのね。どうして、どうして。

3

但馬さんが個展の相談を持って来られた時から、あなたは、何だか、おしゃれになりました。まず、歯医者へ通いはじめました。あなたは虫歯が多くて、お笑いになると、まるでおじいさんのように見えましたが、けれどもあなたは、ちっとも気になさらず、私が、歯医者へおいでになるようにおすすめしても、いいよ、歯がみんな無くなれあ総入歯にするんだ、金歯を光らせて女の子に好かれたって仕様しようが無い、等と冗談ばかりおっしゃって、一向に歯のお手入れをなさらなかったのに、どういう風の吹き回しか、お仕事の合間、合間に、ちょいちょいと出かけて行っては、一本二本と、金歯を光らせてお帰りになるようになりました。こら、笑ってみろ、と私が言ったら、あなたは、ひげもじゃの顔を赤くして、但馬の奴が、うるさく言うんだ、と珍しく気弱い口調で弁解べんかいなさいました。個展は、私が淀橋へまいりましてから二年目の秋に、ひらかれました。私は、うれしゅうございました。あなたの画が、一人でも多くの人に愛されるのに、なんで、うれしくない事がありましょう。私には、先見せんけんめいがあったのですものね。でも、新聞でもあんなに、ひどくほめられるし、出品の画が、全部売り切れたそうですし、有名な大家たいかからも手紙が来ますし、あんまり、よすぎて、私は恐しい気が致しました。会場へ、見に来いと、あなたにも、但馬さんにも、あれほど強く言われましたけれど、私は、全身ふるえながら、お部屋で編物あみものばかりしていました。あなたの、あの画が、二十枚も、三十枚も、ずらりと並んで、それを大勢おおぜいの人たちが、ながめている有様を、想像してさえ、私は泣きそうになってしまいます。こんなに、いい事が、こんなに早く来すぎては、きっと、何か悪い事が起るのだとさえ、考えました。私は、毎夜、神様に、おびを申しました。どうか、もう、幸福は、これだけでたくさんでございますから、これから後、あの人が病気などなさらぬよう、悪い事の起らぬよう、お守り下さい、と念じていました。あなたは毎夜、但馬さんに誘われて、ほうぼうの大家のところへ挨拶あいさつに参ります。翌朝お帰りの事も、ございましたが、私は別に何とも思っていないのに、あなたは、それはくわしく前夜の事を私に語って下さって、何先生は、どうだとか、あれは愚物ぐぶつだとか、無口なあなたらしくもなく、ずいぶんつまらぬおしゃべりをはじめます。私は、それまで二年、あなたと暮して、あなたが人の陰口をたたいたのをうかがった事が一度もありませんでした。何先生は、どうだって、あなたは唯我独尊ゆいがどくそんのお態度で、てんで無関心の御様子だったではありませんか。それに、そんなおしゃべりをして、前夜は、あなたに何のうしろ暗いところも無かったという事を、私に納得なっとくさせようと、お努めになって居られるようなのですが、そんな気弱な遠回しの弁解をなさらずとも、私だって、まさか、これまで何も知らずに育って来たわけでもございませんし、はっきりおっしゃって下さったほうが、一日くらい苦しくても、あとは私はかえって楽になります。所詮しょせん生涯しょうがいの、女房なのですから。私は、そのほうの事では、男の人を、あまり信用して居りませんし、また、滅茶めちゃに疑っても居りません。そのほうの事でしたら、私は、ちっとも心配して居りませぬし、また、笑ってこらえる事も出来るのですけれど、他に、もっと、つらい事がございます。

4

私たちは、急にお金持になりました。あなたも、ひどくおいそがしくなりました。二科会から迎えられて、会員になりました。そうして、あなたは、アパ─トの小さい部屋を、恥ずかしがるようになりました。但馬さんもしきりに引越すようにすすめて、こんなアパ─トに居るのでは、世の中の信用も如何いかがと思われるし、だいいち画の値段が、いつまでも上りません、一つ奮発ふんぱつして大きい家を、お借りなさい、と、いやな秘策ひさくをさずけ、あなたまで、それあそうだ、こんなアパ─トに居ると、人が馬鹿にしやがる、等と下品なことを、意気込んで言うので、私は何だか、ぎょっとして、ひどくさびしくなりました。但馬さんは自転車に乗ってほうぼう走り回り、この三鷹町の家を見つけて下さいました。としの暮に私たちは、ほんのわずかなお道具を持って、この、いやに大きいお家へ引越して参りました。あなたは、私の知らぬ間にデパ─トヘ行って何やらかやら立派なお道具を、本当にたくさん買い込んで、その荷物が、次々とデパ─トから配達はいたつされて来るので、私は胸がつまって、それから悲しくなりました。これではまるで、そこらにたくさんある当り前の成金なりきんと少しも違っていないのですもの。けれども私は、あなたに悪くて、つとめてうれしそうに、はしゃいでいました。いつの間にか私は、あの、いやな「奥様」みたいな形になっていました。あなたは、女中を置こうとさえ言い出しましたけれど、それだけは、私は、何としても、いやで、反対いたしました。私には、人を、使うことが出来ません。引越ひっこして来て、すぐにあなたは、年賀状を、移転通知をねて三百枚もらせました。三百枚。いつのまに、そんなにお知合いが出来たのでしょう。私には、あなたが、たいへんな危い綱渡つなわたりをはじめているような気がして、恐しくてなりませんでした。いまに、きっと、悪い事が起る。あなたは、そんな俗な交際などなさって、それで成功なさるようなお方では、ありません。そう思って、私は、ただはらはらして、不安な一日一日を送っていたのでございますが、あなたはつまずかぬばかりか、次々と、いい事ばかりが起るのでした。私が間違っているのでしょうか。私の母も、ちょいちょい、この家へ訪ねて来るようになって、その度毎たびごとに、私の着物やら貯金帳やらを持って来て下さって、とても機嫌きげんがいいのです。父も、会社の応接間の画を、はじめは、いやがって会社の物置にしまわせていたのだそうですが、こんどは、それを家へ持って来て、額縁がくぶちも、いいのに変えて、父の書斎しょさいに掛けているのだそうです。池袋の大姉さんも、しっかりおやり等と、お手紙を下さるようになりました。お客様も、ずいぶん多くなりました。応接間が、お客様で一ぱいになる事もありました。そんな時、あなたの陽気な笑い声が、お台所まで聞えて来ました。あなたは、ほんとに、おしゃべりになりました。以前あなたは、あんなに無口だったので、私は、ああ、このおかたは、何もかもわかっていながら、何でも皆つまらないから、こんなに、いつでもだまって居られるのだ、とばかり思い込んで居りましたが、そうでもないらしいのね。あなたは、お客様の前で、とてもつまらない事を、おっしゃって居られます。前の日に、お客様から伺ったばかりの画の論を、そっくりそのまま御自分の意見のように鹿爪しかつめらしく述べていたり、また、私が小説を読んで感じた事をあなたに、ちょっと申し上げると、あなたはその翌日、すましてお客様に、モオパスサンだって、やはり信仰しんこうには、おびえていたんだね、なんて私の愚論ぐろんをそのままお聞かせしているものですから、私はお茶を持って応接間にはいりかけて、あまり恥ずかしくて立ちすくんでしまう事もありました。あなたは、以前は、なんにも知らなかったのね。ごめんなさい。私だって、なんにも、ものを知りませんけれども、自分の言葉だけは、持っているつもりなのに、あなたは、全然、無口か、でもないと、人の言った事ばかりを口真似くちまねしているだけなんですもの。それなのに、あなたは不思議に成功なさいました。そのとしの二科にかの画は、新聞社から賞さえもらって、その新聞には、何だか恥ずかしくて言えないような最大級の讃辞さんじが並べられて居りました。孤高ここう清貧せいひん思索しさく憂愁ゆうしゅう、祈り、シャヴァンヌ、その他いろいろございました。あなたは、あとでお客様とその新聞の記事にいてお話なされ、割合わりあい、当っていたようだね、等と平気でおっしゃって居られましたが、まあ何という事を、おっしゃるのでしょう。私たちは清貧せいひんではございません。貯金帳を、ごらんにいれましょうか。あなたは、この家に引越して来てからは、まるで人が変ったように、お金の事を口になさるようになりました。お客様に画をたのまれると、あなたは、必ずお値段の事を悪びれもせずに、言い出します。はっきりさせて置いたほうが、後でいざこざが起らなくて、お互に気持がいいからね、などと、あなたはお客様におっしゃって居られますが、私はそれを小耳にはさんで、やはり、いやな気がいたしました。なんでそんなに、お金にこだわることがあるのでしょう。いい画さえ描いて居れば、暮しのほうは、自然に、どうにかなって行くものと私には思われます。いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏びんぼうで、つつましく暮して行く事ほど、楽しいものはありません。私は、お金も何も欲しくありません。心の中で、遠い大きいプライドを持って、こっそり生きていたいと思います。あなたは私の、財布さいふの中まで、おしらべになるようになりました。お金がはいると、あなたは、あなたの大きい財布と、それから、私の小さい財布とに、お金をわけて、おいれになります。あなたの財布には、大きいお紙幣さつを五枚ばかり、私の財布には、大きいお紙幣一枚を、四つにたたんでおれになります。あとのお金は、郵便局と銀行へ、おあずけになります。私は、いつでも、それを、ただそばながめています。いつか私が、貯金帳をいれてある書棚しょだなの引き出しのかぎを、かけるのを忘れていたら、あなたは、それを見つけて、困るね、と、しんから不機嫌ふきげんに、私におこごとを言うので、私は、げっそり致しました。画廊がろうへ、お金を受取りにおいでになれば、三日目くらいにお帰りになりますが、そんな時でも、深夜、酔ってがらがらと玄関の戸をあけて、おはいりになるや否や、おい、三百円あまして来たぞ、調べて見なさい、等と悲しい事を、おっしゃいます。あなたのお金ですもの、いくらお使いになったって平気ではないでしょうか。たまには気晴きばらしに、うんとお金を使いたくなる事もあるだろうと思います。みんな使うと、私が、がっかりするとでも思って居られるのでしょうか。私だって、お金の有難さは存じていますが、でも、その事ばかり考えて生きているのでは、ございません。三百円だけ残して、そうして得意顔でお帰りになるあなたのお気持が、私にはさびしくてなりません。私は、ちっともお金を欲しく思っていません。何を買いたい、何を食べたい、何を観たいとも思いません。家の道具も、たいてい廃物利用はいぶつりようで間に合わせて居りますし、着物だってめ直し、い直しますから一枚も買わずにすみます。どうにでも、私は、やって行きます。手拭てぬぐい掛け一つだって、私は新しく買うのは、いやです。むだな事ですもの。あなたは時々、私を市内へ連れ出して、高い支那しな料理などを、ごちそうして下さいましたが、私にはちっともおいしいとは思われませんでした。何だか落ちつかなくて、おっかなびっくりの気持で、本当に、勿体もったいなくて、むだな事だと思いました。三百円よりも、支那料理よりも、私には、あなたが、この家のお庭に、へちまのたなを作って下さったほうが、どんなにうれしいかわかりません。八畳間の縁側には、あんなに西日が強く当るのですから、へちまの棚をお作りになると、きっと工合ぐあいがいいと思います。あなたは、私があれほどお願いしても、植木屋を呼んだらいいとか、おっしゃって、ご自分で作っては、くださいません。植木屋を呼ぶなんて、そんなお金持の真似まねは、私は、いやです。あなたに、作っていただきたいのに、あなたは、よし、よし、来年は、等とおっしゃるばかりで、とうとう今日まで、作っては下さいません。あなたは、御自分の事では、ひどく、むだ使いをなさるのに、人の事には、いつでも知らん顔をなさって居ります。いつでしたかしら、お友達の雨宮さんが、奥さんの御病気で困って、御相談にいらした時、あなたは、わざわざ私を応接間にお呼びになって、家にいま、お金があるかい? と真面目な顔をして、お聞きになるので、私は、可笑おかしいやら、ばからしいやらで、困ってしまいました。私が顔を赤くして、もじもじしていると、隠すなよ、そこらをき回したら、二十円くらいは出て来るだろう、と私に、からかうようにおっしゃるので、私は、びっくりしてしまいました。たった二十円。私は、あなたの顔を見直しました。あなたは、私の視線を、片手で、払いのけるようにして、いいから僕に貸しておくれ、けちけちするなよ、とおっしゃって、それから雨宮さんのほうに向って、お互、こんな時には、貧乏びんぼうは、つらいね、と笑っておっしゃるのでした。私は、あきれて、何も申し上げたくなくなりました。あなたは清貧でも何でも、ありません。憂愁ゆうしゅうだなんて、いまの、あなたのどこに、そんな美しい影があるのでしょう。あなたは、その反対の、わがままな楽天家です。毎朝、洗面所で、おいとこそうだよ、なんて大声で歌って居られるでは、ありませんか。私は御近所に恥ずかしくてなりません。祈り、シャヴァンヌ、もったいないと思います。孤高ここうだなんて、あなたは、お取巻きのかたのお追従ついしょうの中でだけ生きているのにお気がかれないのですか。あなたは、家へおいでになるお客様たちに先生と呼ばれて、誰かれの画を、片端かたはしからやっつけて、いかにも自分と同じ道を歩むものは誰も無いような事をおっしゃいますが、もし本当にそうお思いなら、そんなに矢鱈やたらに、ひとの悪口をおっしゃってお客様たちの同意を得る事など、らないと思います。あなたは、お客様たちから、その場かぎりの御賛成でも得たいのです。なんで孤高な事がありましょう。そんなに来る人、来る人に感服かんぷくさせなくても、いいじゃありませんか。あなたは、とてもうそつきです。昨年、二科から脱退して、新浪漫派しんろうまんはとやらいう団体を、お作りになる時だって、私は、ひとりで、どんなにみじめな思いをしていた事でしょう。だって、あなたは、かげであんなに笑って、ばかにしていたおかた達ばかりを集めて、あの団体を、お作りになったのでございますもの。あなたには、まるで御定見ごていけんが、ございません。この世では、やはり、あなたのような生きかたが、正しいのでしょうか。葛西かさいさんがいらした時には、お二人で、雨宮さんの悪口をおっしゃって、憤慨ふんがいしたり、嘲笑ちょうしょうしたりして居られますし、雨宮さんがおいでの時は、雨宮さんに、とても優しくしてあげて、やっぱり友人は君だけだ等と、うそとは、とても思えないほど感激的におっしゃって、そうして、こんどは葛西さんの御態度にいて非難を、おはじめになるのです。世の中の成功者とは、みんな、あなたのような事をして暮しているものなのでしょうか。よくそれで、つまずかずに生きて行けるものだと、私は、そら恐しくも、不思議にも思います。きっと、悪い事が起る。起ればいい。あなたのおためにも、神の実証のためにも、何か一つ悪い事が起るように、私の胸のどこかで祈っているほどになってしまいました。けれども、悪い事は起りませんでした。一つも起りません。相変らず、いい事ばかりが続きます。あなたの団体の、第一回の展覧会てんらんかいは、非常な評判のようでございました。あなたの、菊の花の絵は、いよいよ心境がみ、高潔こうけつな愛情が馥郁ふくいくにおっているとか、お客様たちから、おうわさうけたまわりました。どうして、そういう事になるのでしょう。私は、不思議でたまりません。ことしのお正月には、あなたは、あなたの画の最も熱心な支持者だという、あの有名な、岡井先生のところへ、御年始に、はじめて私を連れてまいりました。先生は、あんなに有名な大家たいかなのに、それでも、私たちの家よりも、お小さいくらいのお家に住まわれて居られました。あれで、本当だと思います。でっぷり太って居られて、てこでも動かない感じで、あぐらをかいて、そうして眼鏡越めがねごしに、じろりと私を見る、あの大きい服も、本当に孤高ここうなお方の眼でございました。私は、あなたの画を、はじめて父の会社の寒い応接室で見た時と同じ様に、こまかく、からだがふるえてなりませんでした。先生は、実に単純な事ばかり、ちっともこだわらずに、おっしゃいます。私を見て、おう、いい奥さんだ、お武家ぶけそだちらしいぞ、と冗談をおっしゃったら、あなたは真面目に、はあ、これの母が士族でして、などといかにもほこらしげに申しますので、私は冷汗ひやあせを流しました。母が、なんで士族なものですか。父も、母も、ねっからの平民でございます。そのうちに、あなたは、人におだてられて、これの母は華族でして、等とおっしゃるようになるのではないでしょうか。そら恐しい事でございます。先生ほどのおかたでも、あなたの全部のいんちきを見破る事が出来ないとは、不思議であります。世の中は、みんな、そんなものなのでしょうか。先生は、あなたのの頃のお仕事を、さぞ苦しいだろうと言って、しきりにいたわっておいでになりましたが、私は、あなたの毎朝の、おいとこそうだよ、という歌を歌っておいでになるお姿を思い出し、何がなんだか判らなくなり、しきりに可笑おかしく、き出しそうにさえなりました。先生のお家から出て、一町も歩かないうちに、あなたは砂利じゃりって、ちえっ! 女には、甘くていやがら、とおっしゃいましたので、私はびっくりいたしました。あなたは、卑劣ひれつです。たったいままで、あの御立派な先生の前で、ぺこぺこしていらしたくせに、もうすぐ、そんな陰口をたたくなんて、あなたは、気違いです。あの時から、私は、あなたと、おわかれしようと思いました。この上、こらえて居る事が出来ませんでした。あなたは、きっと、間違って居ります。わざわいが、起ってくれたらいい、と思います。けれども、やっぱり、悪い事は起りませんでした。あなたは但馬さんの、昔の御恩をさえ忘れた様子で、但馬のばかが、また来やがった、等とお友達におっしゃって、但馬さんも、それを、いつのまにか、ご存じになったようで、ご自分から、但馬のばかが、また来ましたよ、なんて言って笑いながら、のこのこ勝手口から、おあがりになります。もう、あなた達の事は、私には、さっぱり判りません。人間の誇りが、一体、どこへ行ったのでしょう。おわかれいたします。あなた達みんな、ぐるになって、私をからかって居られるような気さえ致します。先日あなたは、新浪漫派しんろうまんは時局的意義じきょくてきいぎとやらにいて、ラジオ放送をなさいました。私が茶の間で夕刊を読んでいたら、不意にあなたのお名前が放送せられ、つづいてあなたのお声が。私には、他人の声のような気が致しました。なんという不潔ふけつにごった声でしょう。いやな、お人だと思いました。はっきり、あなたという男を、遠くから批判ひはん出来ました。あなたは、ただのお人です。これからも、ずんずん、うまく、出世をなさるでしょう。くだらない。「私の、こんにちるは、」というお言葉を聞いて、私は、スイッチを切りました。一体、何になったおつもりなのでしょう。恥じて下さい。「こんにち在るは、」なんて恐しい無知むちな言葉は、二度と、ふたたび、おっしゃらないで下さい。ああ、あなたは早くつまずいたら、いいのだ。私は、あの夜、早く休みました。電気を消して、ひとりで仰向あおむけに寝ていると、背筋せすじの下で、こおろぎが懸命けんめいに鳴いていました。縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。この小さい、かすかな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。




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太宰治全作品集 1
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