一燈いっとう

       太宰 治

1

芸術家げいじゅつかというものは、つくづく困った種族である。鳥籠とりかご一つを、必死にかかえて、うろうろしている。その鳥籠を取りあげられたら、彼は舌を噛んで死ぬだろう。なるべくなら、取りあげないで、ほしいのである。

2

だれだって、それは、考えている。何とかして、明るく生きたいと精一ぱいに努めている。昔から、芸術の一等品というものは、つねに世の人に希望を与え、こらえて生きて行く力を貸してくれるものに、きまっていた。私たちの、すべての努力は、その一等品をつくる事にのみ向けられていたはずだ。至難しなんの事業である。けれども、何とかして、そこに、到達とうたつしたい。右往うおう左往さおうも出来ない窮極きゅうきょくの場所にすわって、私たちは、その事に努めていたはずである。それを続けて行くより他は無い。持物は、神からもらった鳥籠一つだけである。つねに、それだけである。

3

大君のにこそ、とは日本のひと全部の、ひそかな祈願きがんの筈である。さして行く笠置かさぎの山、とおおせられては、藤原季房ふじわらすえふさならずとも、泣きすにきまっている。あまりの事に、はにかんで、言えないだけなのである。わかり切った事である。鳴かぬほたるは、何とかと言うではないか。これだけ言ってさえも、なんだか、ひどく残念な気がするのである。

4

けれども、いまは、はにかんでばかりも居られない。だまって、まごついて、それゆえに、非国民などと言われては、これ以上に残念の事は無い。たまったものでない。私は、私の流儀りゅうぎで、この機会に貧者ひんじゃ一灯を、さらにはっきり、ともして置きます。

5

八年前の話である。神田の宿の薄暗うすぐらい一室で、私は兄に、ひどくしかられていた。昭和八年十二月二十三日の夕暮の事である。私は、その翌年の春、大学を卒業するはずになっていたのだが、試験には一つも出席せず、卒業論文そつぎょうろんぶんも提出せず、てんで卒業の見込みの無い事が、田舎いなかの長兄に見破られ、神田の、兄の定宿に呼びつけられて、それこそ目の玉が飛び出るほどはげしく叱られていたのである。癇癖かんぺきの強い兄である。こんな場合は、目前の、間抜けた弟の一挙手一投足、ことごとくが気にいらなくなってしまうのである。私が両膝りょうひざをそろえて、きちんとすわり、火鉢ひばちから余程よほどはなれてふるえていると、 「なんだ。おまえは、大臣の前にでも座っているつもりなのか。」と言って、機嫌きげんが悪い。

6

あまり卑下ひげしていても、いけないのである。それでは、と膝を崩して、やや顔を上げ、少し笑って見せると、こんどは、横着おうちゃくな奴だと言って叱られる。これはならぬと、あわてて膝を固くして、うなだれると、意気地が無いと言って叱られる。どんなにしても、だめであった。私は、私自身を持て余した。兄の怒りは、つのる一方である。

7

かすかに、表の街路がいろのほうから、人のざわめきが聞えて来る。しばらくして、宿の廊下ろうかが、急にどたばた騒がしくなり、女中さんたちのささやき、低い笑声も聞える。私は、兄の叱咤しったの言よりも、そのほうに、そっと耳をすましていた。ふっと一言、聴取ちょうしゅ出来た。私は、敢然かんぜんと顔を挙げ、 「提灯ちょうちん行列です。」と兄に報告ほうこくした。

8

兄は一瞬いっしゅん、へんな顔をした。とたんに、群集のバンザイが、部屋の障子しょうじが破れるばかりに強くひびいた。

9

皇太子殿下、昭和八年十二月二十三日御誕生。その、国を挙げてのよろこびの日に、私ひとりは、先刻せんこくから兄にしかられ、私は二重に悲しく、やりきれなくていたのである。兄は、落ちつきはらって、卓上電話を取り上げ、帳場ちょうばに、自動車を言いつけた。私は、しめた、と思った。

10

兄は、けれども少しも笑わずに顔をそむけ、立ち上ってドテラを脱ぎ、ひとりで外出の仕度をはじめた。 「街へ出て見よう。」 「はあ。」ずるい弟は、しんからうれしかった。

11

街は、暮れかけていた。兄は、自動車のまどから、街の奉祝ほうしゅくの有様を、むさぼるようにながめていた。国旗こっき洪水こうずいである。おさえにおさえて、どっと爆発した歓喜かんきの情が、よくわかるのである。バンザイ以外に、表現が無い。しばらくして兄は、 「よかった!」と一言、小さい声でつぶやいて、深く肩で息をした。それから、そっと眼鏡めがねをはずした。

12

私は、危くき出しそうになった。大正十四年、私が中学校三年の時、照宮さまがお生まれになった。そのころは、私も学校の成績が悪くなかったので、この兄の一ばんのお気に入りであった。父に早く死なれたので、兄と私の関係は、父子のようなものであった。私は冬季休暇で、生家に帰り、あによめと、つい先日の御誕生のことを話し合い、どういうものだか涙が出て困ったという述懐じゅっかいおい一致いっちした。あの時、私は床屋とこやにいて散髪さんぱつの最中であったのだが、知らせの花火の音を聞いているうちに我慢がまん出来なくなり、非常に困ったのである。嫂も、あの時、針仕事をしていたのだそうであるが、花火の音を聞いたら、針仕事を続けることが出来なくなって、困ってしまったそうである。兄は、私たちの述懐じゅっかいを傍で聞いていて、 「おれは、泣かなかった。」と強がったのである。 「そうでしょうか。」 「そうかなあ。」嫂も、私も、てんで信用しなかった。 「泣きませんでした。」兄は、笑いながら主張した。

13

その兄が、いま、そっと眼鏡めがねをはずしたのである。私は噴き出しそうなのをこらえて、顔をそむけ、見ない振りをした。

14

兄は、京橋の手前で、自動車から降りた。

15

銀座は、たいへんな人出であった。う人、会う人、みんなにこにこ笑っている。 「よかった。日本は、もう、これでいいのだよ。よかった。」と兄は、ほとんど一歩ごとつぶやいて、ひとり首肯うなずき、先刻せんこくの怒りは、残りなく失念してしまっている様子であった。ずるい弟は、全く蘇生そせいの思いで、その兄の後を、足が地につかぬ感じで、ぴょんぴょん付いて歩いた。

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A新聞社の前では、大勢の人が立ちどまり、ちらちら光って走る電光ニュウスの片仮名を一字一字、小さい声をたてて読んでいる。兄も、私も、その人ごみのうしろに永いこと立ちどまり、り返し繰り返しつづられる同じ文章を、何度でもきずに読むのである。

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とうとう兄は、銀座裏の、おでんやに入った。兄は私にも酒を、すすめた。 「よかった。これで、もう、いいのだ。」兄は、そう言ってハンケチで顔のあせを、やたらにいた。

18

おでんやでも、大騒ぎであった。モオニングの紳士しんしが、ひどくいい機嫌きげんではいって来て、 「やあ、諸君、おめでとう!」と言った。

19

兄も笑顔で、その紳士を迎えた。その紳士は、御誕生のことを聞くや、すぐさまモオニングを着て、近所にお礼まわりに歩いたというのである。 「お礼まわりは、へんですね。」と私は、兄に小声で言ったら、兄は酒をき出した。

20

日本全国、どんな山奥の村でも、いまごろは国旗を建て皆にこにこしながら提灯ちょうちん行列をして、バンザイをさけんでいるのだろうと思ったら、私は、その有様が目に見えるようで、その遠い小さい美しさに、うっとりした。 「皇室典範こうしつてんぱんれば、――」と、れいの紳士しんしが大声で言いはじめた。 「皇室典範とは、また、大きく出たじゃないか。」こんどは兄が、私に小声で言って、心の底からうれしそうに笑いむせんだ。

21

そのおでんやを出て、また、別のところへ行き、私たちは、その夜おそくまで、奉祝ほうしゅくの上機嫌な市民の中を、もまれて歩いた。提灯行列の火の波が、幾組いくくみも幾組も、私たちの目の前を、ゆらゆら通過した。兄は、ついに、群集と共にバンザイを叫んだ。あんなに浮かれた兄を、見た事が無い。

22

あのように純一な、こだわらず、蒼穹そうきゅうにもとどく程の全国民の歓喜かんき感謝かんしゃの声を聞く事は、これからは、なかなかむずかしいだろうと思われる。願わくは、いま一度。誰に言われずとも、しばらくは、辛抱しんぼうせずばなるまい。




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