駈込かけこうった

       太宰 治

1

申し上げます。申し上げます。旦那だんなさま。あの人は、ひどい。酷い。はい。いやな奴です。悪い人です。ああ。我慢がまんならない。生かして置けねえ。

2

はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中のかたきです。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所いどころを知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。あの人は、私のです。主です。けれども私と同じ年です。三十四であります。私は、あの人よりたった二月ふたつきおそく生れただけなのです。たいした違いが無いはずだ。人と人との間に、そんなにひどい差別は無い筈だ。それなのに私はきょうまであの人に、どれほど意地悪くこき使われて来たことか。どんなに嘲弄ちょうろうされて来たことか。ああ、もう、いやだ。えられるところ迄は、堪えて来たのだ。怒る時に怒らなければ、人間の甲斐かいがありません。私は今まであの人を、どんなにこっそりかばってあげたか。誰も、ご存じ無いのです。あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。いや、あの人は知っているのだ。ちゃんと知っています。知っているからこそ、尚更なおさらあの人は私を意地悪く軽蔑けいべつするのだ。あの人は傲慢ごうまんだ。私から大きに世話を受けているので、それがご自身に口惜くやしいのだ。あの人は、阿呆あほうなくらいに自惚うぬぼれ屋だ。私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい引目ひけめででもあるかのように思い込んでいなさるのです。あの人は、なんでもご自身で出来るかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。世の中はそんなものじゃ無いんだ。この世に暮して行くからには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして歩一歩、苦労して人をおさえてゆくより他に仕様がないのだ。あの人に一体、何が出来ましょう。なんにも出来やしないのです。私から見れば青二才だ。私がもし居らなかったらあの人は、もう、とうの昔、あの無能でとんまの弟子たちと、どこかの野原でのたれじにしていたに違いない。「きつねには穴あり、鳥にはねぐら、されども人の子にはまくらするところ無し。」それ、それ、それだ。ちゃんと白状はくじょうしていやがるのだ。ペテロに何が出来ますか。ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、トマス、こけの集り、ぞろぞろあの人について歩いて、背筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞せじを申し、天国だなんて馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂ねっきょうし、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣、左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿なやつらだ。その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんなえ死してしまうだけじゃないのか。私はあの人に説教させ、群集からこっそり賓銭さいせんを巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎しゅくしゃの世話から日常衣食の購求こうきゅうまで、はんをいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんなかくれた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢ぜいたくを言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題なんだいを言いつけなさって、私はかげで実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調えることが出来るのです。言わば、私はあの人の奇跡きせきの手伝いを、危い手品の助手を、これまで幾度いくどとなくつとめて来たのだ。私はこう見えても、決して吝嗇りんしょくの男じゃ無い。それどころか私は、よっぽど高い趣味しゅみ家なのです。私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のようによくが無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせとめたっても、すぐにそれを一厘いちりん残さず、むだな事に使わせてしまって。けれども私は、それをうらみに思いません。あの人は美しい人なのだ。私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精神家というものを理解していると思っています。だから、あの人が、私の辛苦しんくして貯めて置いた粒々つぶつぶの小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、やさしい言葉の一つ位はけてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえのさびしさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌ふきげんな顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容おももちをするのは、それは偽善者ぎぜんしゃのすることなのだ。寂しさを人にわかってもらおうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。まことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗きれいに洗い、頭にあぶらを塗り、微笑んでいなさるがよい。わからないかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ。」そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかっていただかなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとはくらべものにならないほどに愛しています。誰よりも愛しています。ペテロやヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。けれども、私だけは知っています。あなたについて歩いたって、なんのとくするところも無いということを知っています。それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。どうしたのでしょう。あなたがの世にいなくなったら、私もすぐに死にます。生きていることが出来ません。私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもおしになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります。私の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。年老いた父も母も居ります。ずいぶん広い桃畑ももばたけもあります。春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。一生、安楽にお暮しできます。私がいつでもお傍について、御奉公ごほうこう申し上げたく思います。よい奥さまをおもらいなさいまし。そう私が言ったら、あの人は、うすくお笑いになり、「ペテロやシモンは漁人すなどりだ。美しい桃の畑も無い。ヤコブもヨハネも赤貧せきひんの漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ。」と低く独りごとのようにつぶやいて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ちけて下さったことが無かった。私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手わたすくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。父を捨て、母を捨て、生れた土地を捨てて、私はきょうまで、あの人について歩いて来たのだ。私は天国を信じない。神も信じない。あの人の復活も信じない。なんであの人が、イスラエルの王なものか。馬鹿な弟子どもは、あの人を神の御子みこだと信じていて、そうして神の国の福音ふくいんとかいうものを、あの人から伝え聞いては、浅間あさましくも、欣喜雀躍きんきじゃくやくしている。今にがっかりするのが、私にはわかっています。おのれを高うする者はひくうせられ、おのれをひくうする者は高うせられると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。あの人はうそつきだ。言うこと言うこと、一から十まで出鱈目でたらめだ。私はてんで信じていない。けれども私は、あの人の美しさだけは信じている、あんな美しい人はこの世に無い。私はあの人の美しさを、純粋じゅんすいに愛している。それだけだ。私は、なんの報酬ほうしゅうも考えていない。あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱれ右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿をながめて居ればそれでよいのだ。そうして、出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。あああ、そうなったら! 私はどんなに仕合せだろう。私は今の、の、現世の喜びだけを信じる。次の世の審判しんぱんなど、私は少しもおそれていない。あの人は、私の無報酬むほうしゅうの、純粋じゅんすいの愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。ああ、あの人を殺して下さい。旦那だんなさま。私はあの人の居所いどころを知って居ります。御案内申し上げます。あの人は私をいやしめ、憎悪ぞうおして居ります。私は、きらわれて居ります。私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日日の飢渇きかつから救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑けいべつするのでしょう。お聞き下さい。六日まえのことでした。あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタの妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たして在る石膏せっこうつぼをかかえて饗宴きょうえんの室にこっそり這入はいって来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足までらしてしまって、それでも、その失礼をびるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいにぬぐってあげて、香油のにおいが室に立ちこもり、まことに異様な風景でありましたので、私は、なんだか無性むしょうに腹が立って来て、失礼なことをするな! と、その妹娘に怒鳴どなってやりました。これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それに、こんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ。これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリもうけて、その金をば貧乏人びんぼうにんほどこしてやったら、どんなに貧乏人が喜ぶか知れない。無駄むだなことをしては困るね、と私は、さんざしかってやりました。すると、あの人は、私のほうをっと見て、「この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金をほどこすのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられるところには、必ず、この女の今日の仕草も記念として語り伝えられるであろう。」そう言い結んだ時に、あの人の青白いほお幾分いくぶん、上気して赤くなっていました。私は、あの人の言葉を信じません。れいにって大袈裟おおげさなお芝居しばいであると思い、平気で聞き流すことが出来ましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人のひとみの色に、いままでつて無かったほどの異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑しゅんじとまどいして、更にあの人のかすかに赤らんだ頬と、うすく涙にうるんでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極むねんしごくのことであります。あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか? あの人ともあろうものが。あんな無知むちな百姓女ふぜいに、そよとでも特殊とくしゅな愛を感じたとあれば、それは、なんという失態しったい。取りかえしの出来ぬ大醜聞だいしゅうぶん。私は、ひとの恥辱ちじょくとなるような感情をぎわけるのが、生れつきたくみな男であります。自分でもそれを下品な嗅覚きゅうかくだと思い、いやでありますが、ちらと一目ひとめ見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏えいびんの才能を持って居ります。あの人が、たとえ微弱びじゃくにでも、あの無学の百姓女に、特別の感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。私の眼には狂いが無い筈だ。たしかにそうだ。ああ、我慢がまんならない。堪忍かんにんならない。私は、あの人も、こんなていたらくでは、もはや駄目だと思いました。醜態しゅうたいきわみだと思いました。あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらしが無え。あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人より二月ふたつきおそく生れているのだ。若さに変りは無いはずだ。それでも私はえている。あの人ひとりに心をささげ、これまでどんな女にも心を動かしたことは無いのだ。マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組頑丈ほねぐみがんじょうで牛のように大きく、気性きしょうも荒く、どたばた立ち働くのだけが取柄とりえで、なんの見どころも無い百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚ひふきとおる程の青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深くんだ大きい眼が、いつも夢みるように、うっとり遠くをながめていて、あの村では皆、不思議がっているほどの気高い娘でありました。私だって思っていたのだ。町へ出たとき、何か白絹しろぎぬでも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。ああ、もう、わからなくなりました。私は何を言っているのだ。そうだ、私は口惜くやしいのです。なんのわけだか、わからない。地団駄じだんだ踏むほど無念なのです。あの人が若いなら、私だって若い。私は才能ある、家も畑もある立派な青年です。それでも私は、あの人のために私の特権全部を捨てて来たのです。だまされた。あの人は、うそつきだ。旦那だんなさま。あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目でたらめだ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。ついつい根も葉も無いことを申しました。そんな浅墓あさはかな事実なぞ、みじんも無いのです。みにくいことを口走りました。だけれども、私は、口惜くやしいのです。胸をきむしりたいほど、口惜しかったのです。なんのわけだか、わかりませぬ。ああ、ジェラシイというのは、なんてやりきれない悪徳だ。私がこんなに、命を捨てるほどの思いであの人をしたい、きょうまでつきしたがって来たのに、私には一つの優しい言葉も下さらず、かえってあんないやしい百姓女の身の上を、御ほおめてまでかばっておやりなさった。ああ、やっぱり、あの人はだらしない。ヤキがまわった。もう、あの人には見込みがない。凡夫ぼんぷだ。ただの人だ。死んだって惜しくはない。そう思ったら私は、ふいと恐ろしいことを考えるようになりました。悪魔にこまれたのかも知れませぬ。そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ。旦那さま、泣いたりしておずかしゅう思います。はい、もう泣きませぬ。はい、はい。落ちついて申し上げます。そのあくる日、私たちは愈愈いよいよあこがれのエルサレムに向い、出発いたしました。大群集、老いも若きも、あの人のあとにつき従い、やがて、エルサレムの宮が間近になったころ、あの人は、一匹の老いぼれた驢馬ろばを道ばたで見つけて、微笑してそれに打ち乗り、これこそは、「シオンの娘よ、おそるな、よ、なんじの王は驢馬の子に乗りて来りたまう。」と予言されてある通りの形なのだと、弟子たちに晴れがましい顔をして教えましたが、私ひとりは、なんだか浮かぬ気持でありました。なんという、あわれな姿であったでしょう。待ちに待った過越すぎこしの祭、エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子みこの姿であったのか。あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬にまたがり、とぼとぼ進むあわれな景観けいかんであったのか。私には、もはや、憐憫れんびん以外のものは感じられなくなりました。実に悲惨ひさんな、おろかしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目おちめだ。一日生きびれば、生き延びただけ、あさはかな醜態しゅうたいをさらすだけだ。花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、らなければならぬ。あの人を、一ばん愛しているのは私だ。どのように人からにくまれてもいい。一日も早くあの人を殺してあげなければならぬと、私は、いよいよのつらい決心を固めるだけでありました。群集は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に、赤、青、黄、色とりどりの彼等の着物をほうり投げ、あるいは棕櫚しゅろの枝をって、その行く道にきつめてあげて、歓呼かんこにどよめきむかえるのでした。かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大波おおなみごとく、驢馬ろばとあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、むべきかな、主の御名によりて来る者、いと高きところにて、ホサナ。」と熱狂して口々に歌うのでした。ペテロやヨハネやバルトロマイ、そのほか全部の弟子共は、ばかなやつ、すでに天国を目のまえに見たかのように、まるで凱旋がいせんの将軍につき従っているかのように、有頂天うちょうてん歓喜かんきたがいにき合い、涙にれた接吻せっぷんを交わし、一徹者いってつもののペテロなど、ヨハネを抱きかかえたまま、わあわあ大声でうれし泣きに泣き崩れていました。その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒に艱難かんなんを冒して布教に歩いて来た、その忍苦困窮にんくこんきゅうの日々を思い出し、不覚にも、目がしらが熱くなって来ました。かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、なわひろこれを振りまわし、宮の境内けいだいの、両替りょうがえする者の台やら、はと売る者の腰掛こしかけやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄のむちでもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢の商人たちに向い、「おまえたち、みな出てせろ、私の父の家を、商いの家にしてはならぬ。」と甲高かんだかい声で怒鳴どなるのでした。あの優しいお方が、こんなっぱらいのような、つまらぬ乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思われませんでした。傍の人もみな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人にたずねると、あの人の息せき切って答えるには、「おまえたち、この宮をこわしてしまえ、私は三日の間に、また建て直してあげるから。」ということだったので、さすが愚直ぐちょくの弟子たちも、あまりに無鉄砲むてっぽうなその言葉には、信じかねて、ぽかんとしてしまいました。けれども私は知っていました。所詮しょせんはあの人の、幼い強がりにちがいない。あの人の信仰しんこうとやらでもって、万事成らざるは無しという気概きがいのほどを、人々に見せたかったのに違いないのです。それにしても、縄のむちを振りあげて、無力な商人を追い回したりなんかして、なんて、まあ、けちな強がりなんでしょう。あなたに出来る精一ぱいの反抗はんこうは、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散けちらすだけのことなのですか、と私は憫笑びんしょうしておたずねしてみたいとさえ思いました。もはやこの人は駄目だめなのです。破れかぶれなのです。自重自愛を忘れてしまった。自分の力では、この上もう何も出来ぬということを此の頃そろそろ知り始めた様子ゆえ、あまりボロの出ぬうちに、わざと祭司長さいしちょうに捕えられ、この世からおさらばしたくなって来たのでありましょう。私は、それを思った時、はっきりあの人をあきらめることが出来ました。そうして、あんな気取り屋のぼっちゃんを、これまで一途いちずに愛して来た私自身のおろかさをも、容易に笑うことが出来ました。やがてあの人は宮に集る大群の民を前にして、これまでべた言葉のうちで一ばんひどい、無礼傲慢ぶれいごうまん暴言ぼうげんを、滅茶苦茶めちゃくちゃに、わめき散らしてしまったのです。左様、たしかに、やけくそです。私はその姿を薄汚うすぎたなくさえ思いました。殺されたがって、うずうずしていやがる。「禍害わざわいなるかな、偽善ぎぜんなる学者、パリサイびとよ、汝らは酒杯さかずきと皿との外をきよくす、れども内は貪欲どんよく放縦ほうじゅうとにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、なんじらは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまのけがれとに満つ。かくのごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて満つるなり。へびよ、まむしすえよ、なんじらいかで、ゲヘナの刑罰けいばつを避け得んや。ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、つかわされたる人々を石にてつ者よ、牝鶏めんどりのそのひなを翼の下に集むるごとく、我なんじの子らを集めんとしこと幾度いくどぞや、れど、汝らは好まざりき。」馬鹿なことです。噴飯ふんぱんものだ。口真似くちまねするのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。まだそのほかに、飢饉ききんがあるの、地震が起るの、星は空よりち、月は光を放たず、地に満つ人の死骸しがいのまわりに、それをついばむわしが集るの、人はそのとき哀哭なげき切歯はがみすることがあろうだの、実に、とんでも無い暴言を口から出まかせに言い放ったのです。なんという思慮しりょのないことを、言うのでしょう。思い上りもはなはだしい。ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架じゅうじか。それにきまった。

3

祭司長さいしちょうや民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集って、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。もし群集の目前であの人をとらえたならば、あるいは群集が暴動を起すかも知れないから、あの人と弟子たちとだけの居るところを見つけて役所に知らせてくれた者には銀三十を与えるということをも、耳にしました。もはや猶予ゆうよの時ではない。あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役したやくたちに引き渡すよりは、私が、それをそう。きょうまで私の、あの人にささげた一すじなる愛情の、これが最後の挨拶あいさつだ。私の義務ぎむです。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋じゅんすいの愛だ。人に理解してもらうための愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪欲どんよくのまえには、どんな刑罰けいばつも、どんな地獄じごく業火ごうかも問題でない。私は私の生き方を生き抜く。身震みぶるいするほどに固く決意しました。私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。いよいよ、お祭りの当日になりました。私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗うすぐらい二階座敷ざしきを借りてお祭りの宴会えんかいを開くことにいたしました。みんな食卓に着いて、いざお祭りの夕餐ゆうげを始めようとしたとき、あの人は、つと立ち上り、だまって上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだろうと不審に思って見ているうちに、あの人は卓の上の水甕みずがめを手にとり、その水甕の水を、部屋のすみに在った小さいたらいに注ぎ入れ、それから純白の手巾しゅきんをご自身のこしにまとい、盥の水で弟子たちの足を順々に洗って下さったのであります。弟子たちには、その理由がわからず、度を失って、うろうろするばかりでありましたけれど、私には何やら、あの人のめた思いがわかるような気持でありました。あの人は、さびしいのだ。極度に気が弱って、いまは、無知むち頑迷がんめいの弟子たちにさえすがりつきたい気持になっているのにちがいない。可哀想かわいそうに。あの人は自分ののががたい運命を知っていたのだ。その有様を見ているうちに、私は、突然、強力な鳴咽おえつのどにつき上げて来るのを覚えた。矢庭やにわにあの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。おう可哀想に、あなたを罪してなるものか。あなたは、いつでも優しかった。あなたは、いつでも正しかった。あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。あなたは、まさしく神の御子だ。私はそれを知っています。おゆるし下さい。私はあなたを売ろうとして此の二、三日、機会をねらっていたのです。もう今はいやだ。あなたを売るなんて、なんという私は無法なことを考えていたのでしょう。御安心なさいまし。もう今からは、五百の役人、千の兵隊が来たとても、あなたのおからだに指一本ふれさせることは無い。あなたは、いま、つけねらわれているのです。危い。いますぐ、ここから逃げましょう。ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。われらの優しい主をまもり、一生永く暮して行こう、と心の底からの愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸にきかえって居りました。きょうまで感じたことの無かった一種崇高すうこう霊感れいかんに打たれ、熱いおびの涙が気持よくほおを伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静かに、ていねいに洗って下され、腰にまとって在った手巾でやわらかくいて、ああ、そのときの感触かんしょくは。そうだ、私はあのとき、天国を見たのかも知れない。私の次には、ピリポの足を、その次にはアンデレの足を、そうして、次に、ペテロの足を洗って下さる順番になったのですが、ペテロは、あのように愚かな正直者でありますから、不審の気持を隠して置くことが出来ず、主よ、あなたはどうして私の足などお洗いになるのです、と多少不満げに口をとがらしてたずねました。あの人は、「ああ、私のすることは、おまえには、わかるまい。あとで、思い当ることもあるだろう。」とおだやかに言いさとし、ペテロの足もとにしゃがんだのだが、ペテロはなお頑強がんきょうにそれをこばんで、いいえ、いけません。永遠に私の足などお洗いになってはなりませぬ。もったいない、とその足をひっこめて言い張りました。すると、あの人は少し声を張り上げて、「私がもし、おまえの足を洗わないなら、おまえと私とは、もう何の関係も無いことになるのだ。」と随分ずいぶん、思い切った強いことを言いましたので、ペテロは大あわてにあわて、ああ、ごめんなさい、それならば、私の足だけでなく、手も頭も思う存分に洗って下さい、と平身低頭して頼みいりましたので、私は思わずき出してしまい、ほかの弟子たちも、そっと微笑み、なんだか部屋が明るくなったようでした。あの人も少し笑いながら、「ペテロよ、足だけ洗えば、もうそれで、おまえの全身はきよいのだ、ああ、おまえだけでなく、ヤコブも、ヨハネも、みんなよごれの無い、きよいからだになったのだ。けれども、」と言いかけてすっと腰を伸ばし、瞬時、苦痛に耐えかねるような、とても悲しい眼つきをなされ、すぐにその眼をぎゅっと固くつぶり、つぶったままで言いました。「みんなが潔ければいいのだが。」はッと思った。やられた! 私のことを言っているのだ。私があの人を売ろうとたくらんでいた寸刻すんこく以前までの暗い気持を見抜いていたのだ。けれども、その時は、ちがっていたのだ。断然、私は、ちがっていたのだ! 私は潔くなっていたのだ。私の心は変っていたのだ。ああ、あの人はそれを知らない。それを知らない。ちがう! ちがいます、とのどまで出かかった絶叫ぜっきょうを、私の弱い卑屈ひくつな心が、つばを呑みこむように、呑みくだしてしまった。言えない。何も言えない。あの人からそう言われてみれば、私はやはり潔くなっていないのかも知れないと気弱く肯定こうていするひがんだ気持が頭をもたげ、とみるみるその卑屈の反省が、みにくく、黒くふくれあがり、私の五臓六腑ごぞうろっぷけめぐって、逆にむらむら憤怒ふんぬの念が炎を挙げて噴出ふんしゅつしたのだ。ええっ、だめだ。私は、だめだ。あの人に心の底から、きらわれている。売ろう。売ろう。あの人を、殺そう。そうして私も共に死ぬのだ、と前からの決意に再び目覚め、私はいまは完全に、復讐ふくしゅうの鬼になりました。あの人は、私の内心の、ふたたび三たび、どんでん返して変化した大動乱には、お気づきなさることの無かった様子で、やがて上衣をまとい服装ふくそうを正し、ゆったりと席にすわり、実にあおざめた顔をして、「私がおまえたちの足を洗ってやったわけを知っているか。おまえたちは私を主とたたえ、またたたえているようだが、それは間違いないことだ。私はおまえたちの主、または師なのに、それでもなお、おまえたちの足を洗ってやったのだから、おまえたちもこれからは互いに仲好く足を洗い合ってやるように心がけなければなるまい。私は、おまえたちと、いつまでも一緒にいることが出来ないかも知れぬから、いま、この機会に、おまえたちに模範もはんを示してやったのだ。私のやったとおりに、おまえたちも行うように心がけなければならぬ。師は必ず弟子より優れたものなのだから、よく私の言うことを聞いて忘れぬようになさい。」ひどく物憂ものうそうな口調で言って、音無しく食事を始め、ふっと、「おまえたちのうちの、一人が、私を売る。」と顔を伏せ、うめくような、歔欷きょきなさるような苦しげの声で言い出したので、弟子たちすべて、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席をって立ち、あの人のまわりに集っておのおの、主よ、私のことですか、主よ、それは私のことですかと、ののしり騒ぎ、あの人は死ぬる人のようにかすかに首を振り、「私がいま、その人に一つまみのパンを与えます。その人は、ずいぶん不仕合せな男なのです。ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった。」と意外にはっきりした語調で言って、一つまみのパンをとり腕をのばし、あやまたず私の口にひたと押し当てました。私も、もうすでに度胸どきょうがついていたのだ。じるよりはにくんだ。あの人の今更いまさらながらの意地悪さを憎んだ。このように弟子たち皆の前で公然と私をはずかしめるのが、あの人のこれまでの仕来りなのだ。火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在るのだ。犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。ははん。ばかなやつだ。旦那だんなさま、あいつは私に、おまえのすことをすみやかに為せと言いました。私はすぐに料亭りょうていから走り出て、夕闇の道をひた走りに走り、ただいまここに参りました。そうして急ぎ、このとおりうったえ申し上げました。さあ、あの人をばっして下さい。どうとも勝手に、罰して下さい。とらえて、棒でなぐって素裸すはだかにして殺すがよい。もう、もう私は我慢がまんならない。あれは、いやな奴です。ひどい人だ。私を今まで、あんなにいじめた。はははは、ちきしょうめ。あの人はいま、ケデロンの小川の彼方、ゲッセマネのそのにいます。もうはや、あの二階座敷ざしきタ餐ゆうさんもすみ、弟子たちと共にゲッセマネの園に行き、いまごろは、きっと天へおいのりをささげている時刻です。弟子たちのほかにはだれも居りません。今なら難なくあの人を捕えることが出来ます。ああ、小鳥がいて、うるさい。今夜はどうしてこんなに夜鳥の声が耳につくのでしょう。私がここへ途中とちゅうの森でも、小鳥がピイチクいて居りました。夜にさえずる小鳥は、めずらしい。私は子供のような好奇心こうきしんでもって、その小鳥の正体を一目見たいと思いました。立ちどまって首をかしげ、樹々のこずえをすかして見ました。ああ、私はつまらないことを言っています。ごめん下さい。旦那さま、お仕度は出来ましたか。ああ楽しい。いい気持。今夜は私にとっても最後の夜だ。旦那さま、旦那さま、今夜これから私とあの人と立派に肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見て置いて下さいまし。私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。あの人をおそれることは無いんだ。卑下ひげすることは無いんだ。私はあの人と同じ年だ。同じ、すぐれた若いものだ。ああ、小鳥の声が、うるさい。耳についてうるさい。どうして、こんなに小鳥が騒ぎまわっているのだろう。ピイチクピイチク、何を騒いでいるのでしょう。おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。なるほど、はははは。いや、お断り申しましょう。なぐられぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。金がしくてうったえ出たのでは無いんだ。ひっこめろ! いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。そうだ、私は商人だったのだ。金銭きんせんゆえに、私は優美なあの人から、いつも軽蔑けいべつされて来たのだっけ。いただきましょう。私は所詮しょせん、商人だ。いやしめられている金銭で、あの人に見事、復讐ふくしゅうしてやるのだ。これが私に、一ばんふさわしい復讐の手段だ。ざまあみろ! 銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私にもうけさせてくれないと今夜見極みきわめがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難ありがとう存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。




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変更終了:平成14年2月