女の決闘

       太宰 治


第 一

1

一回十五枚ずつで、六回だけ、私がやってみることにします。こんなのは、どうだろうかと思っている。たとえば、ここに、鴎外おうがいの全集があります。勿論もちろん、よそから借りて来たものである。私には、蔵書ぞうしょなんて、ありやしない。私は、世の学問というものを軽蔑けいべつして居ります。たいてい、たかが知れている。ことに可笑おかしいのは、全く無学文盲もんもうに限って、この世の学問にあこがれ、「あの、鴎外先生のおっしゃいますることには、」などと、おちょぼ口して、いつ鴎外から弟子でしのゆるしを得たのか、先生、先生を連発し、「勉強いたして居ります。」と殊勝しゅしょうらしく、目をせて、おそろしく自己を高尚こうしょうよそおい切ったと信じ込んで、ましている風景のなかなかに多く見受けられることである。あさましく、かえって鴎外のほうでまごついて、赤面するにちがいない。勉強いたして居ります。というのは商人の使う言葉である。安く売る、という意味で、商人がもっぱらこの言葉を使用しているようである。なお、いまでは、役者も使うようになっている。曾我廼家そがのや五郎とか、また何とかいう映画女優などが、よくそんな言葉を使っている。どんなことをするのか見当もつかないけれども、とにかく、「勉強いたして居ります。」とさかんに神妙しんみょうがっている様子である。彼等には、それでよいのかも知れない。すべて、生活の便法べんぽうである。非難ひなんすべきではない。けれども、いやしくも作家たるものが、鴎外を読んだからと言って、急に、なんだか真面目くさくなって、「勉強いたして居ります。」などと、澄まし込まなくてもよさそうに思われる。それでは一体、いままで何を読んでいたのだろう。はなはだ心細い話である。ここに鴎外の全集があります。私が、よそから借りて来たものであります。これを、これから一緒に読んでみます。きっと諸君は、「面白い、面白い、」とおっしゃるにちがいない。鴎外は、ちっとも、むずかしいことは無い。いつでも、やさしく書いて在る。かえって、漱石そうせきのほうが退屈である。鴎外を難解なんかいな、深遠しんえんのものとして、衆俗しゅうぞくのむやみに触れるべからずと、いかめしい禁札を張り出したのは、れいの「勉強いたして居ります。」女史たち、あるいは、大学の時の何々教授きょうじゅ講義こうぎノオトを、学校を卒業して十年のちまで後生大事にかくし持って、機会在る毎にそれをひっぱり出し、ええと、美はしゅうならず、醜は美ならず、などと他愛ない事をつぶやき、やたらに外国人の名前ばかり多く出て、はてしなく長々しい論文をしたため、なむ学問なくては、かなうまい、としたり顔して落ちついている言わば、あの、研究科の生徒たち。そんな人たちは、窮極きゅうきょくいて、あさましい無学者にきまっているのであるが、世の中は彼等を、「知恵ある人」として、畏敬いけいするのであるから、奇妙である。

2

鴎外だって、あざけっている。鴎外が芝居しばいを見に行ったら、ちょうど舞台では、色のあくまでも白いさむらいが、部屋の中央に端座たんざし、「どれ、書見しょけんなと、いたそうか。」と言ったので、鴎外も、これには驚き閉口へいこうしたと笑って書いて在った。

3

諸君は、いま私と一緒に、鴎外全集を読むのであるが、ちっとも固くなる必要は無い。だいいち私が、諸君よりもなお数段おとる無学者である。書見など、いたしたことの無い男である。いつも寝ころんで読み散らしている、はなはだ態度が悪い。だから、諸君もそのまま、寝ころんだままで、私と一緒に読むがよい。端座たんざされては困るのである。

4

ここに、鴎外の全集があります。これが、よそから借りて来たものであるということは、まえに言いました。鄭重ていちょうに取り扱いましょう。感激したからと言って、文章の傍に赤線ひっぱったりなんかは、しないことにしましょう。借りて来た本ですから、大事にしなければなりません。翻訳編ほんやくへん、第十六巻を、ひらいてみましょう。いい短編小説が、たくさん在ります。目次を見ましょう。 「玉をいだいて罪あり」HOFFMANN 「悪因縁」KLEIST 「地震」KLEIST

5

それにつづいて、四十編くらい、みんな面白そうな題の短編小説ばかり、ずらりと並んでいます。巻末の解説を読むと、これは、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの巻であることがわかります。いちども名前を聞いたことの無いような原作者が、ずいぶん多いですね。けれども、そんなことに頓着とんじゃくせず、めくらめっぽう読んで行っても、みんなそれぞれ面白いのです。みんな、書き出しが、うまい。書き出しの巧いというのは、その作者の「親切」であります。また、そんな親切な作者の作品ばかり選んで翻訳したのは、訳者、鴎外の親切であります。鴎外自身の小説だって、みんな書き出しが巧いですものね。すらすら読みいいように書いて在ります。ずいぶん読者に親切で、愛情持っていた人だと思います。二つ、三つ、この第十六巻から、うまい書き出しを拾ってみましょう。みんな巧いので、選出するのに困難です。四十余編、全部の書き出しを、いま、ここに並べてみたいほどです。けれども、それよりは、諸君が鴎外全集を買うなり、または私のように、よそから借りるなりして親しくお読みになれば、それは、ちゃんとお判りになることなのですから、わざとこらえて、七つ、いや、八つだけ、おめにかけます。 「うもれ木」OSSIP SCHUBIN 「アルフォンス・ド・ステルニイ氏は十一月にブルクセルに来て、自ら新曲悪魔の合奏を指揮しきすべし」と白耳義ベルギー独立新聞の紙上に出でしとき、府民は目をそばだてたり。 「父」WILHELM SCHAEFER

6

私のほかにはこの話は誰も知らぬ。それを知って居た男は関係者自身で去年の秋死んでしまった。 「黄金杯」JACOB WASSERMANN

7

千七百三十二年の暮に近い頃であった。英国はジョージ第二世の政府をいただいて居た。ある晩夜回りが倫敦ロンドンの町を回って居ると、テンプルバアに近い所で、若い娘がみちに倒れているのを見付けた。 「一人者の死」SCHNITZLER

8

戸をたたいた。そっとである。 「いつの日か君帰ります」ANNA CROISSANT-RUST

9

一群の鴎が丁度ちょうど足許あしもとから立って、鋭い、むさぼるような声で鳴きながら、忙しく湖水を超えて、よろめくように飛んで行った。 「玉をいただいて罪あり」AMADEUS HOFFMANN

10

路易ルイ第十四世の寵愛ちょうあいが、メントノン公爵夫人の一身にあつまって世人の目を驚かした頃、宮中に出入をする年寄った女学士にマドレエヌ・ド・スキュデリイと云う人があった。 「労働」KARL SCHOENHERR

11

二人共若くて丈夫である。男はカスパル、女はレジイと云う。愛し合っている。

12

以上、でたらめに本をひらいて、行きあたりばったり、その書き出しの一行だけを、順序不同に並べてみましたが、どうです。うまいものでしょう。あとが読みたくなるでしょう。物話をつくるなら、せめて、これくらいの書き出しから説き起してみたいものですね。最後に、ひとつ、これは中でも傑出けっしゅつしています。 「地震」KLEIST

13

チリー王国の首府サンチャゴに、千六百四十七年の大地震まさに起らんとするおり、囹圄れいぎょの柱にりて立てる一少年あり。名をゼロニモ・ルジエラと云いて、西班牙スペインの産なるが、今や此世にのぞみを絶ちて自らくびれなんとす。

14

いかがです。この裂帛れっぱく気迫きはく如何いかん。いかさまクライストは大天才ですね。その第一行から、すでに天にもとどく作者の太い火柱の情熱が、私たち凡俗ぼんぞくのものにも、あきらかに感取できるように思われます。訳者やくしゃ、鴎外も、ここでは大童おおわらわで、その訳文、弓のつるのように、ピンと張って見事であります。そうして、訳文の末に訳者としての解説かいせつを付して在りますが、いわく、「地震の一編いっぺん尺幅せきふくの間に無限の煙波えんぱを収めたる千古の傑作なり。」

15

けれども、私は、いま、他に語りたいものを持っているのです。この第十六巻一冊でも、以上のような、さまざまの傑作あり、宝石箱のようなものであって、まだ読まぬ人は、大急ぎで本屋にけつけ買うがよい、一度読んだ人は、二度読むがよい、二度読んだ人は、三度読むがよい、買うのがいやなら、借りるがよい、その第十六巻の中の、「女の決闘けっとう」という、わずか十三ぺージの小品について、私は、これから語ろうと思っているのです。

16

これは、いかにも不思議な作品であります。作者は、HERBERT EULENBERG.もちろん無学の私は、その作者を存じて居りません。巻末の解説にも、その作者にいては、何も記されて在りません。もっとも解説者は小島政二郎氏であって、小島氏は、小説家としては私たちの先輩であり、その人の「新居」という短編集を、私が中学時代に愛読いたしました。誠実にこの鴎外全集を編纂へんさんなされて居られるようですが、如何いかにせんドイツ語ばかりは苦手の御様子で、その点では、失礼ながら私と五十歩百歩の無学者のようであります。なんにも解説して居りません。これがまた小島氏の謙遜けんそんの御態度であることは明らかで、へんに「書見いたそうか」式の学者の態度をおとりにならないところに、この編纂者のよさもあるのですが、やはり、ちょっと字典でも調べて原作者の人となりを伝えて下さったほうが、私のような不勉強家には、何かと便利なように思われます。とにかく、そんなに名高くない作者にちがいない。十九世紀、ドイツの作家。それだけ、覚えて置けばいいのでしょう。友人で、ドイツ文学の教授きょうじゅがありますけれど、この人に尋ねたら、知らんという。ALBERT EULENBERGではないか、あるいは、ALBRECHT EULENBERGの間違いではないかという。いや、たしかにHERBERTだ、そんなに有名な作家でもないようだから、ちょっと人名字典か何かで調べてみてれ、と重ねてたのみました。手紙で返事を寄こして、僕、寡聞かぶんにして、ヘルベルト・オイレンベルクを知りませず、恥じている。マイヤーの大字典だいじてんにも出て居りませぬし、有名な作家ではないようだ。文学字典から次の事を知りました、と親切に、その人の著作年表をくわしく書いて送って下さったが、どうも、たいしたことは無い。いっこうに聞いたことも無いような作品ばかり書いている。つまり、こういうことになります。「女の決闘」の作者、HERBERT EULENBERGは、十九世紀後半のドイツの作家、あまり有名でない。日本のドイツ文学の教授も、字典を引かなければ、その名を知るあたわず、むかし森鴎外が、かれの不思議の才能を愛して、その短編、「塔の上のとり」および「女の決闘」を訳述やくじゅつせり。

17

作者にいては、それくらいの知識でたくさんでしょう。もっとくわしく書いたって、すぐ忘れてしまうのでは、なんにもなりませんから。この作品は、鴎外にって訳され、それから、なんという雑誌に発表されたかは、一切不明であるという。のち「かえる」という単行本に、ひょいと顔を出して来たのである。鴎外全集の編纂へんさん者も、ずいぶん尋ねまわられた様子であるが、「どうしても分らない。御垂教ごすいきょうを得れば幸甚こうじんである。」と巻末に付記して在る。私が、それを知っていると面白いのであるが、知るはずがない。君だって知るまい。笑っちゃいけない。

18

不思議なのは、そんなことに在るのでは無い。不思議は、作品の中に在るのである。私は、これから六回、このわずか十三ページの小品をめぐって、さまざまの試みをしてみるつもりもなのであるが、これが若しHOFFMANNやKLEISTほどの大家なら、その作品に対して、どんな注釈ちゅうしゃくもゆるされまい。日本にも、それら大家への熱愛者が五万といるのであるから、私が、その作品を下手にいじくりまわしたならば、たちまちなぐたおされてしまうであろう。めったなことは言われぬ。それがHERBERTさんだったら、かえって私が、埋もれた天才を掘り出したなどと、ほめられるかも知れないのだから、ヘルベルトさんも気の毒である。この作家だって、当時本国にいては、大いに流行した人にちがいない。こちらが無学で、それを知らないだけの話である。

19

事実、作品にれば、その描写びょうしゃ的確てきかく、心理の微妙びみょう、神への強烈な凝視ぎょうし、すべて、まさしく一流中の一流である。ただ少し、構成の投げやりな点が、かれを第二のシェクスピアにさせなかった。とにかく、これから、諸君と一緒に読んでみましょう。


女の決闘

20

古来例の無い、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛いきがかりがある。

21

ロシヤの医科大学の女学生が、ある晩の事、何の学科やらの、高尚こうしょうな講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名あてなも何も書いて無い。「あなたの御関係なすってお出でになる男の事を、或る偶然ぐうぜんの機会で承知しました。その手続はどうでも好いことだから、申しません。わたくしはその男の妻だと、只今ただいままで思っていた女です。わたくしはあなたの人柄ひとがら推察すいさつして、こう思います。あなたは決して自分のなすった事の成行なりゆきがどうなろうと、その成行のために、前になすった事のせめを負わない方ではありますまい。又あなたは御自分に対して侮辱ぶじょくを加えた事の無い第三者を侮辱して置きながら、その責を逃れようとなさる方でも決してありますまい。わたくしはあなたが、たびたび拳銃けんじゅう射撃しゃげきをなさる事をうけたまわっています。わたくしはこれまで武器と云うものを手にした事がありませんから、あなたのお腕前がどれだけあろうとも、拳銃射撃は、わたくしよりあなたの方がお上手だと信じます。

22

だから、わたくしはあなたに要求します。それは明日午前十時に、下に書き記してある停車場へ拳銃御持参ごじさんで、お出で下されたいと申す事です。この要求をいたしますのに、わたくしの方で対等以上の利益りえきを有しているとは申されません。わたくしも立会人を連れて参りませんから、あなたもお連れにならないように希望いたします。ついでながら申しますが、この事件にいて、前もって問題の男に打明ける必要は無いと信じます。その男にはわたくしが好い加減な事を申して、今明日の間、遠方に参っていさせるように致しました。」

23

この文句の次に、出会うはずの場所が明細に書いてある。名前はコンスタンチェとして、その下に書いた苗字みょうじを読める位に消してある。


第 二

24

前回は、「その下に書いた苗字を読める位に消してある。」というところまででした。その一句に、におわせて在る心理の微妙びみょうを、私は、くどくどと説明したくないのですが、読者は各々勝手に味わい楽しむがよかろう。なかなか、ここは、いいところなのであります。また、劈頭へきとうの手紙の全文から立ちのぼる女の「なま」な憎悪ぞうお感にいては、原作者の芸術的手腕に感服させるよりは、直接に現実のなまぐさい迫力を感じさせるように出来ています。このような趣向しゅこうが、果して芸術の正道であるか邪道じゃどうであるか、それについてはおのずから種々の論議ろんぎの発生すべきところでありますが、いまはそれに触れず、この不思議な作品の、もう少しさきまで読んでみることに致しましょう。どうしても、この原作者が、目前に遂行すいこうされつつある怪事実を、新聞記者みたいな冷い心でそのまま書き写しているとしか思われなくなって来るのであります。すぐつづけて、 『この手紙を書いた女は、手紙を出してしまうと、直ぐに町へ行って、じゅうを売る店を尋ねた。そして笑談じょうだんのように、軽い、好い拳銃を買いたいと云った。それから段々話し込んで、うそ尾鰭おひれを付けて、かけをしているのだから、拳銃の打方を教えてくれと頼んだ。そして店の主人と一しょに、裏の陰気な中庭へ出た。そのとき女は、背後から拳銃を持って付いて来る主人と同じように、笑談らしく笑っているように努力した。

25

中庭のそばには活版所かっぱんじょがある。それで中庭にこもっている空気はなまりにおいがする。この辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子ガラスの背後にも、物珍らしげに、好い気味だと云うような顔をして、のぞいている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園に続いていて、そこに大きく開いた黒目のような、まとが立ててある。それを見たとき女の顔は火のように赤くなったり、灰のように白くなったりした。店の主人は子供に物を言って聞かせるように、引金や、弾丸だんがんを込める所や、筒や、照尺しょうしゃくをいちいち見せて、射撃しゃげき為方しかたを教えた。弾丸を込める所は、一度射撃するたびに、おもちゃのように、くるりと回るのである。それから女に拳銃を渡して、始めての射撃をさせた。

26

女は主人に教えられた通りに、引金を引こうとしたが、動かない。一本の指で引けと教えられたのに、内内二本の指を掛けて、力一ぱいに引いて見た。そのとき耳が、がんと云った。弾丸は三歩ほど前の地面にあたって、はじかれて、今度は一つの窓に中った。窓が、がらがらと鳴って壊れたが、その音は女の耳には聞えなかった。どこか屋根の上に隠れて止まっていた一群のはとが、驚いて飛び立って、たださえ暗い中庭を、一刹那せつなの間、一層いっそう暗くした。

27

つんぼになったように平気で、女はそれから一時間程の間、矢張り二本の指を引金にけて引きながら射撃の稽古けいこをした。一度打つたびにくさい煙が出て、胸が悪くなりそうなのをえて、そのくせその匂いを好きな匂いででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐあとの六発の弾丸を込めて渡した。

28

夕方であったが、夜になって、的の黒白の輪が一つの灰色に見えるようになった時、女はようよう稽古を止めた。今まで会った事も無いこの男が、女のためには古い親友のように思われた。 「この位稽古しましたら、そろそろ人間のりょうをしに出掛けられますでしょうね。」と笑談のようにこの男に言ったらこの場合に適当ではないかしら、と女は考えたが、手よりは声の方が余計にふるえそうなのでそんな事を言うのは止しにした。そこで金を払って、礼を云って店を出た。

29

例の出来事を発明してからは、まだ少しも眠らなかったので、女はこれで安心して寝ようと思って、六連発の拳銃を抱いて、床の中へ這入はいった。』

30

ここらで私たちも一休みしましょう。どうです。少しでも小説を読みれている人ならば、すでに、ここまで読んだだけでこの小説の描写びょうしゃの、どこかしら異様なものに、気づいたことと思います。一口で言えば、「冷淡れいたんさ」であります。失敬しっけいなくらいの、「そっけなさ」であります。何に対して失敬なのであるか、と言えば、それは、「目前の事実」に対してであります。目前の事実に対して、あまりにも的確てきかくの描写は、読むものにとっては、かえって、いやなものであります。殺人、あるいはもっとけがらわしい犯罪が起り、の現場の見取図が新聞に出ることがありますけれど、奥の六畳間のまんなかに、その殺された婦人の形が、てるてる坊主の姿で小さくえがかれて在ることがあります。ご存じでしょう? あれは、実にいやなものであります。やめてもらいたい、と言いたくなるほどであります。あのような赤裸々せきららが、この小説の描写の、どこかに感じられませんか。この小説の描写は、はッと思うくらいに的確であります。もう、いちど読みかえして下さい。中庭の側には活版所があるのです。私の貧しい作家のかんもってすれば、この活版所は、たしかに、そこに在ったのです。この原作者の空想でもなんでもないのです。そうして、たしかに、その辺の家の窓は、ごみで茶色にまっているのであります。抜きさしならぬ現実であります。そうして一群のはとが、驚いて飛び立って、たださえ暗い中庭を、一刹那せつなの間、一層いっそう暗くしたというのも、まさに、そのとおりで、原作者は、女のうしろに立ってちゃんと見ていたのであります。なんだか、薄気味うすきみ悪いことになりました。その小説の描写が、しからぬくらいに直截ちょくせつである場合、人は感服かんぷくと共に、一種不快な疑惑ぎわくいだくものであります。うま過ぎる。淫する。神をおかす。いろいろの言葉があります。描写に対する疑惑は、やがて、その的確すぎる描写をした作者の人柄ひとがらに対する疑惑に移行いたします。そろそろ、この辺から私(DAZAI)の小説になりかけて居りますから、読者も用心していて下さい。

31

私は、この「女の決闘」という、ほんの十ページばかりの小品をここまで読み、その、生きてびくびく動いているほどの生臭い、抜きさしならぬ描写に接し、大いに驚くと共に、なんだか我慢がまんできぬ不愉快ふゆかいさを覚えた。描写に対する不愉快さは、やがて、直接に、その原作者に対する不愉快となった。この小品の原作者は、この作品を書く時、特別に悪い心境に在ったのでは無いかと、すこぶる失礼な疑惑をさえ感じたのであります。悪い心境ということについては二つの仮説を設けることが出来ます。一つは原作者がこの小説を書くとき、たいへん疲れて居られたのではないかという臆測おくそくであります。人間は肉体の疲れたときには、人生に対して、また現実生活に対して、非常に不機嫌ふきげんに、ぶあいそになるものであります。この「女の決闘」という小説の書き出しはどんなであったでしょうか。私はここでそれを繰返くりかえすことは致しませんが、前回の分をお読みになった読者はすぐに思い出すことが出来るだろうと思います。いわば、ぶんなぐる口調で書いてあります。ふところ手をして、おめえに知らせてあげようか、とでもいうようなたいへん思いあがった書き出しでありました。だいいち、この事件の起ったとき、すなわち年号、(外国の作家はどんなささやかな事件を叙述じょじゅつするにあたっても必ず年号をいれる傾向けいこうがあるように思われます。)それから、場所、それについても何も語っていなかったではありませんか。「ロシヤの医科大学の女学生が、ある晩の事、何の学科やらの、」というような頗る不親切な記述があったばかりで、他はどの頁をひっくり返してみても、地理的なことはなんにも書かれてありません。実にぶっきらぼうな態度であります。作者が肉体的に疲労しているときの描写は必ず人をしかりつけるような、場合によっては、怒鳴どなりつけるようなおもむきをていするものでありますが、それと同時に実に辛辣しんらつ無残の形相をも、ふいと表白してしまうものであります。人間の本性というものは或いはもともと冷酷れいこく無残のものなのかも知れません。肉体が疲れて意志を失ってしまったときには、鎧袖一触がいしゅういっしょく修辞しゅうじも何もぬきにして、袈裟けさがけに人を抜打ちにしてしまう場合が多いように思われます。悲しいことですね。この「女の決闘」という小品の描写に、時々はッと思うほどの、憎々にくにくしいくらいの容赦ようしゃなき箇所かしょの在ることは、慧眼けいがんの読者は、すでにお気づきのことと思います。作者は疲れて、人生に対して、また現実のつつましい営みに対して、たしかに乱暴の感情表示をなして居るという事は、あながち私の過言でもないと思います。

32

もう一つ、これは甚だロマンチックの仮説でありますけれども、この小説の描写にいて見受けられる作者の異常な憎悪ぞうお感は、(的確とは、憎悪の一変形でありますから、)直接に、この作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発しているのではないか。すなわち、この小説は、徹底的に事実そのままの資料にったもので、しかも原作者はその事実発生したスキャンダルに決して他人ではなかった、という興味ある仮説を引き出すことが出来るのであります。さらに明確にぶちまけるならば、この小品の原作者HERBERT EULENBERGさん御自身こそ、作中の女房コンスタンチェさんの御亭主ていしゅであったという恐るべき秘密のにおいをぎ出すことが出来るのであります。すれば、この作品の描写に於ける、(ことにもその女主人公のわななきの有様を描写するに当っての、)冷酷れいこくきわまる、それゆえにまざまざ的確てきかくの、作者のいやな眼の説明が残りなく出来ると私は思います。

33

もとよりこれはうそであります。ヘルベルト・オイレンベルグさんは、そんなおろかしい家庭のトラブルなどき起したお方では無いのであります。この小品の不思議なほどに的確な描写の拠って来るところは、恐らくは第一の仮説に尽くされてあるのではないかと思います。それは間違いないのでありますが、けれども、ことさらに第二の嘘の仮説を設けたわけは、私は今のこの場合、しかつめらしい名作鑑賞かんしょうを行おうとしているのではなく、ヘルベルトさんには失礼ながら目をつぶって貰って、この「女の決闘」という小品を土台にして私が、全く別な物語を試みようとしているからであります。ヘルベルトさんには全く失礼な態度であるということは判っていながら、つまり「尊敬しているからこそ甘えて失礼もするのだ。」という昔から世に行われているあのくすぐったい作法のゆえに、許していただきたいと思うのであります。

34

さて、それでは今回は原作をもう少し先まで読んでみて、それから原作に足りないところを私が、傲慢ごうまんのようでありますが、たしかに傲慢のわざなのでありますが、少し補筆ほひつしてゆき、いささか興味あるロマンスに組立ててみたいと思っています。この原作においてはこれからさき少しお読みになれば判ることでありますが、女房コンスタンチェひとり、その人についての描写に終始して居り、その亭主ならびに、その亭主の浮気の相手のロシヤ医科大学の女学生については、ほとんど言及げんきゅうして在りません。私は、その亭主を、(乱暴な企てでありますが、)仮にこの小品の作者御自身と無理矢理きめてしまって、いわば女房コンスタンチェの私は唯一の味方になり、原作者が女房コンスタンチェを、このように無残に冷たく描写している、その復讐ふくしゅうとして、若輩ちから及ばぬながら、次回よりあたう限り意地わるい描写を、やってみるつもりなのであります。それでは今回は次に一頁ほど原作者の記述をコピイして、それからまた私の、亭主と女学生についての描写をもせいぜい細かくお目にけることに致しましょう。女房コンスタンチェが決闘の前夜、冷たいピストルを抱いて寝て、さてその翌朝、いよいよ前代未聞の女の決闘が開始されるのでありますが、それについて原作者EULENBERGが、れいの心憎いまでの怜悧れいり無情の心で次のように述べてあります。これを少し読者に読んでいただき、次回から私(DAZAI)のばかな空想も聞いていただきたく思います。女房は、六連発の拳銃を抱いて、床の中へ這入はいりました。さて、その翌朝、原作は次のようになって居ります。

35

『翌朝約束の停車場で、汽車から出て来たのは、二人の女の外には、百姓二人だけであった。停車場はさびしく、平地に立てられている。定木じょうぎで引いた線のような軌道がずっと遠くまで光って走っていて、その先の地平線のあたりで、一つになって見える。左の方の、黄いろみかった畑をへだてて村が見える。停車場には、その村の名が付いているのである。右の方には砂地すなちに草の生えた原が、眠そうに広がっている。

36

二人の百姓は、町へ出て物を売った帰りと見えて、停車場ていしゃばに附属している料理店にすわり込んで祝杯しゅくはいを挙げている。

37

そこで女二人だけだまって並んで歩き出した。女房の方が道案内をする。その道筋は軌道きどうを越して野原の方へ這入はいり込む。この道は暗緑色の草がほとんど土をかくす程しげっていて、その上に荷車の通った輪のあとが二本走っている。

38

薄ら寒い夏の朝である。空は灰色に見えている。道で見た二三本の立木は、大きく、不細工に、この陰気いんきな平地にそびえている。丁度森が歩哨ほしょうを出して、それを引っ込めるのを忘れたように見える。そこここに、低い、片羽のような、病気らしい灌木かんぼくが、伸びようとして伸びずにいる。

39

二人の女は黙って並んで歩いている。まるきり言語の通ぜぬ外国人同士のようである。いつも女房の方が一足先に立って行く。多分そのせいで、女学生の方が、何か言ったり、問うて見たりしたいのをこらえているかと思われる。

40

遠くに見えている白樺しらかばの白けた森が、次第にゆるゆると近づいて来る。手入をせられた事の無い、銀鼠色ぎんねずいろの小さい木のみきが、勝手に曲りくねって、髪の乱れた頭のような枝葉をいただいて、一塊ひとかたまりになっている。そして小さい葉に風を受けて、互にささやき合っている。』


第 三

41

女学生は一こと言ってみたかった。「私はあの人を愛していない。あなたはほんとに愛しているの。」それだけ言ってみたかった。腹がたってたまらなかった。ゆうべ学校から疲れて帰り、さあ、けさ冷しておいたミルクでも飲みましょう、と汗ばんだ上衣うわぎいでたくのうえに置いた、そのとき、あの無知むちな馬鹿らしい手紙が、その卓のうえに白くひっそりっているのを見つけたのだ。私の室に無断で入って来たのに違いない。ああ、この奥さんは狂っている。手紙を読み終えて、私はあまりの馬鹿らしさに笑い出した。まったく黙殺もくさつときめてしまって、手紙を二つにき、四つに裂き、八つに裂いて紙屑かみくず入れに、ひらひら落した。そのとき、あの人が異様にあおざめて、いきなり部屋に入って来たのだ。 「どうしたの。」 「見つかった、感づかれた。」あの人は無理に笑ってみせようと努めたようだが、ひくひく右のほおがひきつって、あの人の特徴とくちょうある犬歯がにゅっと出ただけのことである。

42

私はあさましく思い、「あなたよりは、あなたの奥さんの方が、きっぱりして居るようです。私に決闘けっとうを申込んで来ました。」あの人は、「そうか、やっぱりそうか。」と落ちつきなく部屋をうろつき、「あいつはそんな無茶なことをやらかして、おれの声名に傷つけ、心からの復讐ふくしゅうをしようとしている。変だと思っていたのだ。ゆうべ、おれに、いつにないやさしい口調で、あなたも今月はずいぶん、お仕事をなさいましたし、気休めにどこか田舎いなかへ遊びにいらっしゃい。お金も今月はどっさり余分にございます。あなたのお疲れのお顔を見ると、私までなんだか苦しくなります。この頃、私にも少しずつ、芸術家の辛苦しんくというものが、わかりかけてまいりました。と、そんなことをぬかすので、おれも、ははあ、これは何かあるな、と感づき、何食わぬ顔して、それに同意し、今朝、旅行に出たふりしてまた引返し、家の中庭のすみにしゃがんで看視かんししていたのだ。夕方あいつは家を出て、何時何処いつどこで、誰から聞いて知っていたのか、お前のこの下宿へ真直にやって来て、おかみと何やら話していたが、やがて出て来て、こんどは下町へ出かけ、ある店のかざまどの前に、ひたと吸いついて動かなんだ。その飾り窓には、野鴨のがも剥製はくせいやら、鹿の角やら、いたちの毛皮などあり、私は遠くから見ていたのであるが、はじめは何の店やら判断がつかなかった。そのうちに、あいつはすっと店の中へ入ってしまったので、私も安心して、その店に近づいて見ることが出来たのだが、なんと驚いた、いや驚いたというのはうそで、ああそうか、というような合点の気持だったのかな? 野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮に飾られて、十数ちょう猟銃りょうじゅうが黒い銃身じゅうしんにぶく光らせて、飾り窓の下に沈んで横になっていた。拳銃もある。私には皆わかるのだ。人生が、このような黒い銃身の光と、じかに結びつくなどは、ふだんはとても考えられぬことであるが、その時の私のうつろな絶望の胸には、とてもリリカルにしみて来たのだ。銃身の黒い光は、これは、いのちの最後の詩だと思った。パアンと店の裏で拳銃の音がする。つづいて、又一発。私は危く涙を落しそうになった。そっと店の扉を開け、内をうかがっても、店はがらんとして誰もいない。私は入った。相続く銃声をたよりに、ずんずん奥へすすんだ。みると薄暮はくぼの中庭で、女房と店の主人が並んで立って、今しも女房が主人に教えられ、最初の一発をまとに向ってぶっ放すところであった。女房の拳銃は火を放った。けれども弾丸だんがんは、三歩程前の地面に当り、はじかれて、窓に当った。窓ガラスはがらがらと鳴ってこわれ、どこか屋根の上に隠れて止っていた一群のはとが驚いて飛立って、たださえ暗い中庭を、さっと一層暗くした。私は再び涙ぐむのを覚えた。あの涙は何だろう。憎悪ぞうおの涙か、恐怖きょうふの涙か。いやいや、ひょっとしたら女房への不憫ふびんさの涙であったかも知れないね。とにかくこれでわかった。あれはそんな女だ。いつでも冷たく忍従にんじゅうして、そのくせ、やるとなったら、世間を顧慮こりょせずやりのける。ああ、おれはそれを頼もしい性格と思ったことさえある! いも煮付につけが上手でね。今は危い。お前さんが殺される。おれの生れてはじめての恋人が殺される。もうこれが、私の生涯しょうがい唯一ゆいいつの女になるだろう、その大事な人を、その人をあれがいま殺そうとしている。おれは、そこまで見届けて、いま、お前さんのとこへ駈込かけこんで来た。お前は――」「それは御苦労さまでした。生れてはじめての恋人だの、唯一の宝だの、それは一体なんのことです。所詮しょせんは、あなた芸術家としてのひとり合点、ひとりでほくほく享楽きょうらくしているだけのことではないの。気障きざだねえ。お止しなさい。私はあなたを愛していない。あなたはどだい美しくないもの。私が少しでも、あなたに関心を持っているとしたら、それはあなたの特異とくいな職業に対してであります。市民をあざけって芸術を売って、そうして、市民と同じ生活をしているというのは、なんだか私には、不思議な生物のように思われ、私はそれを探求たんきゅうしてみたかったという、まあ、理屈りくつを言えばそうなるのですが、でも結局なんにもならなかった。なんにも無いのね。めちゃめちゃだけが在るのね。私は科学者ですから、不可解なもの、わからないものにはかれるの。それを知り極めないと死んでしまうような心細さを覚えます。だから私はあなたに惹かれた。私には芸術がわからない。私には芸術家がわからない。何かあると思っていたの。あなたを愛していたんじゃないわ。私は今こそ芸術家というものを知りました。芸術家というものは弱い、てんでなっちゃいない大きな低能児ね。それだけのもの、つまり知能ちのうの未発育な、いくら年とっても、それ以上は発育しない不具者ふぐしゃなのね。純粋じゅんすいとは白痴はくちのことなの? 無垢むくとは泣虫のことなの? あああ、何をまた、そんなあおい顔をして、私を見つめるの。いやだ。帰って下さい。あなたは頼りにならないお人だ。いまそれがわかった。驚いて度を失い、ただうろうろして見せるだけで、それが芸術家の純粋な、所以ゆえんなのですか。おそれいりました。」と、私は自分ながら、あまり、筋の通ったこととも思えないような罵言ばげんをわめきらして、あの人をむりやり、扉の外へ押し出し、ばたんととびらをしめてじょうをおろした。

43

粗末そまつな夕食の支度したくにとりかかりながら、私はしきりに味気なかった。男というものの、のほほん顔が、腹の底からしゃくにさわった。一体なんだというのだろう。私は、たまには、あの人からお金をもらった。冬の手袋も買ってもらった。もっと恥ずかしい内輪うちわのものをさえ買ってもらった。けれどもそれが一体どうしたというのだ。私は貧しい医学生だ。私の研究を助けてもらうために、ひとりのパトロンを見つけたというのは、これはどうしていけないことなのか。私には父も無い、母も無い。けれども、血筋は貴族きぞくの血だ。いまに叔母が死ねば遺産いさんも貰える。私には私のほこりがあるのだ。私はあの人を愛していない。愛するとは、もっと別な、母の気持も含まれた、血のつながりを感じさせるような、特殊とくしゅの感情なのではなかろうか。私は、あの人を愛していない。科学者としての私の道を、はじめからひとりで歩いていたつもりなのに、どうしてこう突然に、失敬しっけいな、いまわしい決闘けっとう申込状もうしこみじょうやら、また四十を越した立派な男子が、泣きべそをかいて私の部屋にとびこんで来たり、まるで、私ひとりがひどい罪人であるかのように扱われている。私にはわからない。

44

ひとりで貧しい食事をしたため、葡萄ぶどう酒を二杯飲んだ。食後の倦怠けんたいは、人を、「どうとも勝手に」という、ふてぶてしい思いに落ちこませるものである。決闘ということが、何だか、食後の運動くらいの軽い動作のように思われて来た。やってみようかなあ。私は殺されるはずがない。あの男の話によれば、先方の女は、今日はじめて、拳銃けんじゅう稽古けいこをしていたというではないか。私は学生倶楽部クラブで、何時でも射撃の最優勝者ではなかったか。馬に乗りながらでも十発九中。殺してやろう、私は侮辱ぶじょくを受けたのだ。この町では決闘は、し、それが正当のものであったなら、役人から受ける刑罰けいばつもごく軽く、別に名誉めいよそんずるほどのことにならぬと聞いていた。私の歩いている道に、少しでも、うるさい毛虫がい寄ったら、私はそれをつえでちょいと除去じょきょするのが当然の事だ。私は若くて美しい。いや美しくはないけれど、でも、ひとりで生き抜こうとしている若い女性は、あんな下らない芸術家に恋々れんれんとぶら下り、私に半狂乱の決闘状など突きつける女よりは、きっと美しいに相違ない。そうだ、それはひとみの問題だ。いやもう、これはなかなか大変なおごりの気持になったものだ。どれ、公園を散歩さんぽして来ましょう。私の下宿のすぐ裏が、小さい公園で、亀の子に似た怪獣が、天に向って一筋高く水を吹上げ、その噴水のまわりは池で、東洋の金魚も泳いでいる。ペエトル一世が、王女アンの結婚をいわう意味で、全国の町々に、このような小さい公園を下賜かしせられた。この東洋の金魚も、王女アンのとうと玩具がんぐであったそうな。私はこの小さい公園が好きだ。瓦斯灯ガスとうに大きいがひとつ、ピンで留められたようについている。ふと見ると、ベンチにあの人がいる。私の散歩のくせを知っているから、ここで待ち伏せていたのであろう。私は、いまは気楽に近寄り、「さきほどは御免ごめんなさい。大きな白痴はくち。」お馬鹿さんなどという愛称は、私には使えない。「あした決闘けっとうを見においで。私が奥さんを殺してあげる。いやなら、あなたのお家にじっとひそんで、奥さんのお帰りを待っていなさい。見に来なければ、奥さんを無事に帰してあげるわよ。」そう言ったとき、あの人はなんと答えたか。世にもいやしい笑いを満面にたたえ、ふいとその笑いをひっこめ、しらじらしい顔して、「え、なんだって? わけの分らんことをお前さんは言ったね。」そう言い捨てて、立ち去ったのである。私にはわかっている。あの人は、私に、自分の女房を殺してもらいたいのだ。けれども、それを、すこしも口に出して言いたくなし、また私の口からも聞いたことがないというようにして置きたかった。それは、あとあとまで、あの人の名誉めいよを守るよすがともなろう。女二人に争われて、自分は全く知らぬ間に、女房は殺され、情婦じょうふは生きた。ああ、そのことは、どんなに芸術家の白痴の虚栄きょえいを満足させる事件であろう。あの人は、生き残った私に、そうして罪人の私に、こんどは憐憫れんびんをもって、いたわりの手をさしのべるという形にしたいのだ。見えいている。あんな意気地無しの卑屈ひくつな怠けものには、そのような醜聞しゅうぶんが何よりの御自慢ごじまんなのだ。そうして顔をしかめ、髪をかきむしって、友人の前に告白のポオズ。ああ、おれは苦しい、と。あの人の夜霧よぎりに没するせたうしろ姿を見送り、私は両肩をしゃくって、くるりと回れ右して、下宿に帰って来た。なにがなしに悲しい。女性とは、所詮しょせん、ある窮極点きゅうきょくてんに立てば、女性同士で抱きあって泣きたくなるものなのか。私は自身を不憫ふびんなものとは思わない。けれども、あの人の女房が急に不憫になって来た。いたわり合わなければならぬ間柄あいだがらではなかろうか。まだ見ぬ相手の女房への共感やら、憐憫れんびんやら、同情やら、何やらが、ばたばた、大きい鳥のつばさのように、私の胸をたたくのだ。私は窓を開け放ち、星空をながめながら、五杯も六杯も葡萄ぶどう酒を飲んだ。ぐるぐる目が回って、ああ、星が降るようだ。そうだ。あの人はきっと決闘を見に来る。私達のうしろについて来る。見に来たらば、女房を殺してあげると私は先刻言ったのだから。あの人はみきかくれて見ているに違いない。そうして私に、ここで見ているという知らせのつもりで軽くせきばらいなどするかも知れない。いきなり、その幹のかげの男に向って発砲はっぽうしよう。愚劣ぐれつな男は死ぬがよい。それにきまった。私はどさんと、ぶっ倒れるようにベッドに寝ころがった。おやすみなさい、コンスタンチェ。(コンスタンチェとは女房の名である。)

45

あくる日、二人の女は、陰鬱いんうつな灰色の空の下に小さく寄りって歩いている。黙って並んで歩いている。女学生はさっきから、一言聞いてみたかった。あなたはあの人を愛しているの? ほんとうに愛しているの? けれども、相手の女は、まるで一匹のたくましい雌馬めすうまのように、鼻孔びこうをひろげて、荒い息をき吐き、せっせと歩いて、それに追いすがる女学生を振払ふりはらうように、ただ急ぎに急ぐのである。女学生は、女房のスカアトのすそから露出ろしゅつする骨張ったあしを見ながら、次第にむかむか嫌悪けんおが生じる。「あさましい。理性を失った女性の姿は、どうしてこんなに動物の臭いがするのだろう。汚い。下等だ。毛虫だ。助けまい。あの男を撃つより先に、やはりこの女と、私はにくしみをもって勝敗を決しよう。あの男が此所ここへ来ているか、どうか、私は知らない。見えないようだ。どうでもよい。いまは目前の、このあさはかな、取乱した下等な雌馬だけが問題だ。」二人の女は黙ってせっせと歩いている。女学生がどんなに急いで歩いても、いつも女房の方が一足先に立って行く。遠くに見えている白樺しらかばの森が次第にゆるゆると近づいて来る。あの森が、約束の地点だ。(以上DAZAI)

46

すぐつづけて原作は、 『この森の直ぐ背後で、女房は突然立ち留まった。その様子が今まで人に追いけられていて、この時決心して自分を追い掛けて来た人に向き合うように見えた。 「お互に六発ずつ打つ事にしましょうね。あなたがお先へお打ちなさい。」 「ようございます。」

47

二人の交えた会話はこれだけであった。

48

女学生ははっきりした声で数を読みながら、十二歩歩いた。そして女房のするように、一番はずれの白樺の幹に並んで、相手と向き合って立った。

49

周囲の草原はひっそりと眠っている。停車場からすずの音が、ぴんぱんぴんぱんと云うように聞える。丁度時計のセコンドのようである。セコンドや時間がどうなろうと、そんな事は、もうこの二人には用が無いのである。女学生の立っている右手の方に浅い水溜みずたまりがあって、それに空が白く映っている。それが草原の中に牛乳をこぼしたように見える。白樺の木どもは、これから起って来る、珍らしい出来事を見ようと思うらしく、互にり寄って、首を長くして、声を立てずに見ている。』見ているのは、白樺の木だけではなかった。二人の女の影のように、いつのまにか、自樺の幹のかげにうずくまっている、れいの下等の芸術家。

50

ここで一休みしましょう。最後の一行は、私が付け加えました。

51

おそろしく不器用で、赤面しながら、とにかく私が、女学生と亭主ていしゅの側からも、少し書いてみました。はなは概念がいねん的で、また甘ったるく、原作者オイレンベルク氏の緊密きんみつなる写実を汚すこと、おびただしいものであることは私も承知しょうちして居ります。けれども、原作は前回の結尾からすぐに、『この森の直ぐ背後で、女房は突然立ち留まった。云々。』となっているのでありますが、その間に私の下手へた蛇足だそく挿入そうにゅうすると、またこの「女の決闘」という小説も、全く別な二十世紀の生々しさが出るのではないかと思い、実に大まかな通俗つうぞくの言葉ばかり大胆だいたん採用さいようして、書いてみたわけであります。二十世紀の写実とは、あるいは概念がいねんの肉化にあるのかも知れませんし、一概いちがいに、甘い大げさな形容詞を排斥はいせきするのも当るまいと思います。人は世俗せぞくの借金で自殺することもあれば、また概念の無形の恐怖きょうふから自殺することだってあるのです。決闘の次第は次回で述べます。


第 四

52

決闘の勝敗の次第をお知らせする前に、この女ふたりが拳銃けんじゅうを構えて対峙たいじした可憐陰惨かれんいんさん、また奇妙きみょうでもある光景を、白樺しらかばみきかげにうずくまって見ている、れいの下等の芸術家の心懐しんかいいて考えてみたいと思います。私はいま仮にこの男の事を下等の芸術家と呼んでいるのでありますが、それは何も、この男ひとりを限って、下等と呼んでいるのでは無くして、芸術家全般ぜんぱんがもとより下等のものであるから、この男も何やら著述ちょじゅつをしているらしいそのばつで、下等の仲間に無理矢理、参加させられてしまったというわけなのであります。この男は、芸術家のうちではむしろ高貴こうきなほうかも知れません。第一に、このひとは紳士しんしであります。服装ふくそう正しく、挨拶あいさつ尋常じんじょうで、気弱い笑顔は魅力みりょく的であります。散髪さんぱつおこたらず、学問ありげな、れいの虚無きょむ的なるぶらりぶらりの歩き方をも体得して居たはずでありますし、それに何よりも泥酔でいすいする程に酒を飲まぬのが、決定的にこの男を上品な紳士の部類に編入へんにゅうさせているのであります。けれども、悲しいかな、この男もまた著述をなして居るとすれば、その外面の上品さのみを見て、油断することは出来ません。何となれば、芸術家には、ほとんど例外なく、二つの哀れな悪徳あくとくそなわって在るものだからであります。その一つは、好色の念であります。この男は、よわい既に不惑ふわくを越え、文名やや高く、可憐無邪気むじゃきの恋物語をも創り、市井しせい婦女子ふじょしをうっとりさせて、汚れない清潔せいけつの性格のように思われている様子でありますが、内心はなかなか、そんなものではなかったのです。初老に近い男の、好色の念の熾烈しれつさにいて諸君は考えてみたことがおありでしょうか。或る程度の地位も得た、名声さえも得たようだ、得てみたら、つまらない、なんでもないものだ、日々の暮しに困らぬほど財産ざいさんもできた、自分のちからの限度もわかって来た、まあ、こんなところかな? この上むりして努めてみたって、たいしたことにもなるまい、こうして段々老いてゆくのだ、と気がついたときは、人は、せめて今いちどの冒険ぼうけんに、あこがれるようにならぬものであろうか。ファウストは、この人情の機微きびいて、わななきつつ書斎しょさいで独語しているようであります。ことにも、それが芸術家の場合、黒煙濛々もうもう地団駄じだんだむばかりの焦躁しょうそうでなければなりません。芸術家というものは、例外なしに生れつきの好色人であるのでありますから、その渇望かつぼうも極度のものがあるのではないかと、笑いごとでは無しに考えられるのであります。ことにも、この男は紅毛人こうもうじんであります。紅毛人のI love youには、日本人の想像にも及ばぬ或る種の直接的な感情が含まれている様子で、「愛します」という言葉は、日本にいてこそ綺麗きれいな精神的なものと思われているようですが、紅毛人に於いては、もっと、せっぱつまった意味で用いられているようであります。よろずに奔放ほんぽう熾烈しれつであります。いいとしをして思慮分別しりょふんべつも在りげな男が、内実は、中学生みたいな甘い咏嘆えいたんにひたっていることもあるのだし、たかが女学生の生意気なのにかれて、家も地位も投げ出し、狂乱の姿態したいを示すことだってあるのです。それは、日本でも、西欧せいおうでも同じことであるのですが、ことにも紅毛人にいては、それがはなはだしいように思われます。このあわれな、なんだか共感をさそう弱点にって、いまこの男は、二人の女のうしろについてやって来て、そうして、白樺しらかばみきの陰に身をかくし、息を殺して、二人の女の決闘のなりゆきを見つめていなければならなくなった。もう一つ、この男の、芸術家の通弊つうへいとしてけられぬ弱点、すなわち好奇心こうきしん、言葉をえて言えば、誰も知らぬものを知ろうという虚栄きょえい、その珍らしいものを見事に表現してやろうという功名心こうみょうしん、そんなものが、この男を、ふらふら決闘けっとうの現場まで引きずり込んで来たものと思われます。どうしても一匹、死なない虫がある。自身、愛欲に狂乱していながら、その狂乱の様をさえ描写びょうしゃしようと努めているのが、これら芸術家の宿命であります。本能であります。諸君は、藤十郎とうじゅうろうの恋、というお話をご存じでしょうか。あれは、坂田藤十郎が、芸の工夫のため、いつわって人妻に恋を仕掛しかけた、ということになっていますが、はたして全部がいつわりの口説くぜつであったかどうか、それは、わかったものじゃ無いと私は思って居ります。本当の恋をささやいている間に自身の芸術家の虫が、そろそろ頭をもたげて来て、次第しだいにその虫の喜びのほうが増大ぞうだいして、満場の喝采かっさいが目のまえにちらつき、はては、愛欲も興覚きょうざめた、という解釈かいしゃくも成立し得ると思います。まことに芸術家の、表現に対する貪婪どんらん、虚栄、喝采への渇望かつぼうは、始末に困って、あわれなものであります。今、この白樺の幹の陰に、すずめねらう黒い猫みたいに全身緊張きんちょうさせて構えている男の心境も、所詮しょせんは、初老の甘ったるい割り切れない「恋情」と、身中の虫、芸術家としての「虚栄」との葛藤かっとうである、と私には考えられるのであります。

53

ああ、決闘やめろ。拳銃からりと投げ出して二人で笑え。したら、なんでも無いことだ。ささやかなトラブルの思い出として残るだけのことだ。誰にも知られずにすむのだ。私は二人を愛している。おんなじように愛している。可愛い。怪我けがしては、いけない。やめて欲しい、とも思うのだが、さて、この男には幹の陰から身をおどらせて二人の間に飛び込むほどの決断もつかぬのです。もう少し、なりゆきを見たいのです。男は更に考える。

54

発砲したからといっても、必ず、どちらかが死ぬるとはきまっていない。死ぬるどころか、双方かすりきず一つ受けないことだって在り得る。たいてい、そんなところだろう。死ぬるなんて、並たいていの事ではない。どうして私は、事態の最悪の場合ばかり考えたがるのだろう。ああ、けさは女房も美しい。ふびんな奴だ。あいつは、私を信じすぎていたのだ。私も悪い。女房を、だましすぎていた。だますより他はなかったのだ。家庭の幸福なんて、お互いうその上ででも無けれあ成り立たない。いままで私は、それを信じていた。女房なんて、言わば、家の道具だと信じていた。いちいち真実を吐露とろし合っていたんじゃ、やり切れない。私は、いつもだましていた。それだから女房は、いつも私を好いてくれた。真実は、家庭の敵。嘘こそ家庭の幸福の花だ、と私は信じていた。この確信に間違い無いか。私は、なんだか、ひどい思いちがいしていたのでは無いか。このとしになるまで、知らずにいた厳粛げんしゅくな事実が在ったのでは無いか。女房は、あれは、道具にちがいないけれど、でも、女房にとって、私は道具でなかったのかも知れぬ。もっと、いじらしい、懸命けんめいな思いで私の傍にいてくれたのかも知れない。女房は私を、だましていなかった。私は悪い。けれども、それだけの話だ。私は女房に、どんな応答をしたらいいのか。私はおまえを愛していない。けれども、それは素知らぬ振りして、一生おまえとは離れまい決心だった。平和に一緒に暮して行ける確信が私に在ったのだが、もう、今は、だめかも知れない。決闘なんて、なんという無知むちなことを考えたものだ! やめろ! と男は、白樺の陰から一歩み出し、あやうく声を出しかけて、見ると、今しも二人の女が、拳銃持つ手を徐々に挙げて、発砲一瞬いっしゅんまえの姿勢に移りつつあったので、はっと声をんでしまいました。もとより、この男もただものでない。当時流行の作家であります。言わば、目から鼻に抜けるほどの才知さいちを持った男であります。普通、好人物のごとみにくく動転、とり乱すようなことはいたしません。やるなら、やれ、と糞度胸くそどきょうえ、また白樺しらかばの陰にひたと身をかくして、事のなりゆきを凝視ぎょうししました。

55

やるならやれ。私の知った事でない。もうこうなれば、どっちが死んだって同じ事だ。二人死んだら尚更なおさらいい。ああ、あの子は殺される。私の、可愛い不思議な生きもの。私はおまえを、女房の千倍も愛している。たのむ、女房を殺せ! あいつは邪魔じゃまだ! 賢夫人けんふじんだ。賢夫人のままで死なせてやれ。ああ、もうどうでもいい。私の知ったことか。せいぜいはなやかにやるがいい、と今は全く道義を越えて、目前の異様な戦慄せんりつの光景をむさぼるように見つめていました。だれも見た事の無いものを私はいま見ている、このプライド。やがてこれを如実にょじつ描写びょうしゃできる、この仕合せ。ああ、この男は、恐怖よりも歓喜を、五体しびれる程の強烈な歓喜を感じている様子であります。神を恐れぬこの傲慢ごうまん痴夢ちむ我執がしゅう、人間侮辱ぶじょく。芸術とは、そんなに狂気じみた冷酷れいこくを必要とするものであったでしょうか。男は、冷静な写真師になりました。芸術家は、やっぱり人ではありません。その胸に、奇妙きみょうな、臭い一匹の虫がいます。その虫を、サタン、と人は呼んでいます。

56

発砲せられた。いまは、あさましい芸術家の下等な眼だけが動く。男の眼は、その決闘のすえ始終を見とどけました。そうして後日、高いほこりを以て、わが見たところをあやまたず描写しました。以下は、その原文であります。流石さすがに、古今の名描写であります。背後の男の、貪婪どんらんな観察の眼をお忘れなさらぬようにして、ゆっくり読んでみて下さい。

57

女学生が最初に打った。自分の技量ぎりょうに信用を置いて相談に乗ったのだと云う風で、落ち着いてゆっくり発射した。弾丸たまは女房の立っているそばの白樺の幹をかすって力が無くなって地に落ちて、どこか草の間に隠れた。

58

その次に女房が打ったが、矢張りあたらなかった。

59

それから二人で交る代る、熱心に打ち合った。じゅうの音は木精こだまのように続いて鳴り渡った。そのうち女学生の方が先にのぼせて来た。そして弾丸だんがんが始終高い所ばかりを飛ぶようになった。

60

女房も矢張り気がぼうっとして来て、なんでももう百発も打ったような気がしている。その目には遠方に女学生の白いカラが見える。それをきのう的を狙ったように狙って打っている。その白いカラのほかには、なんにも目に見えない。消えてしまったようである。自分のんでいる足下の土地さえ、あるか無いか覚えない。

61

突然、今自分は打ったか打たぬか知らぬのに、前に目に見えた白いカラが地に落ちた。そして外国語で何か二言云うのが聞えた。

62

その刹那せつなに周囲のものがみな一塊ひとかたまりになって見えて来た。灰色の、じっとして動かぬ大空の下の暗い草原、それから白い水潦みずたまり、それから側のひょろひょろした白樺の木などである。白樺の木の葉は、この出来事をこわがっているように、風を受けてささやき始めた。

63

女房は夢のめたように、かたい拳銃を地に投げて、着物のすそをまくって、その場を逃げ出した。

64

女房は人げの無い草原を、夢中になってけている。ただ自分の殺した女学生のいる場所からなるたけ遠く逃げようとしているのである。あとには草原の中には赤い泉がき出したように、血を流して、女学生の体がよこたわっている。

65

女房は走れるだけ走って、草臥くたびれ切って草原のはずれの草の上にたおれた。余りけたので、体中のみゃくがびんびん打っている。そして耳には異様いような囁きが聞える。「今血が出てしまって死ぬるのだ」と云うようである。

66

こんな事を考えている内に、女房は段段に、しかも余程よほど手間取って、落ち着いて来た。それと同時に草原を物狂わしく走っていた間感じていた、うま復讐ふくしゅう為遂しとげたと云うよろこびも、次第につまらぬものになって来た。丁度ちょうど向うで女学生の首のきずから血が流れて出るように、胸に満ちていた喜が逃げてしまうのである。「これでかたきった」と思って、物に追われて途方とほうに暮れたけもののように、夢中で草原をけた時の喜は、いつか消えてしまって、自分の上をいて通る、これまで覚えた事のない、冷たい風がそれに代ったのである。なんだか女学生が、今死んでいるあたりから、冷たい息が通って来て、自分をこごえさせるようである。たった今まで、草原の中をよろめきながら飛んでいる野の蜜蜂みつばちが止まったら、羽をこがしてしまっただろうと思われる程、赤く燃えていた女房の顳顱こめかみが、大理石のように冷たくなった。大きい為事しごとをして、ほてっていた小さい手からも、血が皆どこかへ逃げて行ってしまった。 「復讐と云うものはこんなににがい味のものか知ら」と、女房は土の上にたおれていながら考えた。そして無意識にくちびるを動かして、何かしぶいいものを味わったように頬をすぼめた。しかこの場を立ち上がって、あの倒れている女学生の所へ行って見るとか、それを介抱かいほうしてるとか云う事は、どうしてもりたくない。女房はこの出来事に体をしばり付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡れいたんな心持をして時の立つのを待っていた。そして此間このかんに相手の女学生の体からは血が流れて出てしまうはずだと思っていた。

67

夕方になって女房は草原で起き上がった。体の節節ふしぶしが狂っていて、骨と骨とがうまく食い合わないような気がする。草臥くたびれ切った頭の中では、まだ絶えず拳銃けんじゅうを打つ音がする。頭のせまい中で、決闘が又しても繰返くりかえされているようである。此辺の景物けいぶつが低い草から高い木までみな黒くまっているように見える。そう思って見ている内に、突然自分の影が自分の体を離れて、飛んで出たように、目の前を歩いて行く女が見えて来た。黒い着物を着て、茶色な髪をして白く光る顔をして歩いている。女房はその自分の姿を見て、丁度ちょうど他人を気の毒に思うように、その自分の影を気の毒に思って、声を立てて泣き出した。

68

きょうまで暮して来た自分の生涯しょうがいは、ばったり断ち切られてしまって、もう自分となんの関係も無い、白木の板のようになって自分の背後から浮いて流れて来る。そしてその上に乗る事も、それをひろい上げる事も出来ぬのである。そしてこれから先き生きているなら、どんなにして生きていられるだろうかと想像して見ると、その生活状態の目の前に建設けんせつせられて来たのが、如何いかにもこれまでとは違った形をしているので、女房はそれを見ておののき恐れた。たとえば移住民いじゅうみんが船に乗って故郷こきょうの港を出る時、急に他郷がこわくなって、これから知らぬ新しい境へ引きられて行くよりは、むしろ此海の沈黙ちんもくの中へ身を投げようかと思うようなものである。

69

そこで女房は死のうと決心して、起ち上がって元気好く、うなじそらせて一番近い村をさして歩き出した。女房は真っ直に村役場に這入はいって行ってこう云った。「あの、どうぞわたくしをしばって下さいまし、わたくしは決闘をいたしまして、人を一人殺しました。」


第 五

70

決闘の次第しだいは、前回にいてつくしました。けれども物語は、それで終っているのではありません。火事は一夜で燃え尽しても、火事場のさわぎは、一夜で終るどころか、人と人との間の疑心ぎしん悪罵あくば奔走ほんそう駈引かけひきは、そののち永く、ごたついて尾を引き、人の心を、生涯しょうがいとりかえしつかぬ程に歪曲わいきょくさせてしまうものであります。この、前代未聞の女同士の決闘も、とにかく済んだ。意外にも、女房が勝って、女学生が殺された。その有様を、ずるい、悪徳の芸術家が、一つあまさず見とどけて、的確てきかく描写びょうしゃし、成功して写実の妙手みょうしゅたたえられた。さて、それから事件は、どうなったのでしょう。まず、原文を読んでみましょう。原文も、この辺から、調子が落ちて、決闘の場面の描写ほど、張りが無いようであります。それは、そのわけです。今までは、かの流行作家も、女房の行くあとを、飢餓きがおおかみのようについて歩いて、女房が走ると自分も走り、女房が立ちどまると、自分もかがみ、女房の姿態したいと顔色と、心の動きを、見つめ切りに見つめていたので、従ってその描写も、どきりとするほどの迫真はくしんの力を持つことが出来たのでありますが、いま決闘も終結し、女房は真っ直に村役場に這入はいって行ってしまったので、もはや観察かんさつの手段が無くなりました。下手に村役場のまわりに、うろついていたら、人に見られて、まずい事になります。この芸術家は、神の審判しんぱんよりも、人の審判をおそれているたちの男でありますから、女房につづいて村役場に飛び込み、自分の心の一切を告白する勇気など持ち合せが無かったのであります。正義よりも、名声を愛して居ります。いたしかたの無い事かも知れません。えて責めるべき事で無いかも知れない。人間は、もともとそんな、くだらないものであります。この利巧りこうな芸術家も、村役場に這入って行く女房の姿を見て、ちょっと立ちどまり、それから、ばかな事はしたくない、というすこぶる当り前の考えから、くるりと回れ右して、もと来た道をさっさと引き返し、汽車に乗り、何食わぬ顔してわが家に帰り、ごろりとソファに寝ころがった。それから、いろいろ人から聞いて、女房のその後の様子を、次のごとく知ることが出来たのであります。以下は、勿論もちろん、芸術家が直接に見て知ったことでは無く、さまざまの人達から少しずつ聞いたところのものを総合そうごうして、それに自分の空想をもたくみに案配あんばいしてつづった、言わば説明の文章であります。描写の文章では無いようであります。すなわち、女房が村役場に這入って行って、人を一人殺しました、と自首する。 「それを聞いて役場の書記二人はこれまで話に聞いた事も無い出来事なので、女房の顔を見て微笑んだ。少し取り乱しているが、上流の奥さんらしく見える人が変な事を言うと思ったのである。書記等は多分これはどこかから逃げて来た女気違だろうと思った。

71

女房は是非ぜひしばってもらいたいと云って、相手を殺したと云う場所をくわしく話した。

72

それから人をって調べさせて見ると、相手の女学生はおおよそ一時間前に、首の銃創じゅうそうから出血して死んだものらしかった。それから二本の白樺しらかばの木の下の、さびしい所に、物を言わぬ証拠しょうこ人として拳銃けんじゅうが二つててあるのを見出した。拳銃は二つ共、めただけの弾丸だんがんを皆打ってしまってあった。そうして見ると、女房の持っていた拳銃の最後の一弾が気まぐれに相手の体にあたろうと思って、とうとうその強情を張り通したものと見える。

73

女房は是非このまま抑留よくりゅうして置いて貰いたいと請求せいきゅうした。役場では、その決闘と云うものが正当な決闘であったなら、女房の受ける処分しょぶん禁獄きんごくに過ぎぬから、別に名誉めいよそんずるものではないと、説明して聞かせたけれど、女房はくまで留めて置いて貰おうとした。

74

女房は自分の名誉を保存しようとは思っておらぬらしい。たったさっきまで、その名誉のために一命をしたのでありながら、今はその名誉を有している生活と云うものが、そこにすまう事も、そこで呼吸をする事も出来ぬ、雰囲気ふんいきの無い空間になったように、どこへか押しけられてしまったように思われるらしい。丁度ちょうど死んでしまったものが、もう用が無くなったので、これまで骨を折って覚えた言語その外の一切の物を忘れてしまうように、女房は過去の生活を忘れてしまったものらしい。

75

女房は市へ護送ごそうせられて予審よしんかった。そこで未決檻みけつかんに入れられてから、女房は監獄長かんごくちょうや、判事はんじや、警察医けいさつい僧侶そうりょに、り返して、切に頼み込んで、これまで夫としていた男にき合せずに置いて貰う事にした。そればかりでは無い。その男の面会に来ぬようにしてもらった。それから色色な秘密ひみつらしい口供こうきょうをしたり、又わざと矛盾むじゅんする口供をしたりして、予審を二三週間長引かせた。その口供が故意にしたのであったと云う事は、後になって分かった。

76

る夕方、女房は檻房かんぼうの床の上にたおれて死んでいた。それを見付けて、女の押丁おうていが抱いて寝台の上に寝かした。その時女房の体が、着物だけの目方しかないのに驚いた。女房は小鳥が羽の生えたままで死ぬように、その着物を着た儘で死んだのである。あとから取調べたり、周囲の人を訊問じんもんして見たりすると、女房は檻房に入れられてから、絶食して死んだのであった。渡された食物を食わぬと思われたり、又無理に食わせられたりすまいと思って、人の見る前ではみ込んで、直ぐそれを吐き出したこともあったらしい。丁度ちょうど相手の女学生が、首のきずから血を出してしなびて死んだように絶食して、次第に体をしなびさせて死んだのである。」

77

女房も死んでしまいました。はじめから死ぬるつもりで、女学生に決闘けっとうを申込んだ様子で、その辺の女房のいじらしい、また一筋の心理にいては、次回にいて精細しょうさいに述べることにして、今はもっぱら、女房の亭主ていしゅすなわちの短いが的確の「女の決闘」の筆者、卑怯ひきょう千万の芸術家の、その後の身の上にいて申し上げる事に致します。女学生は、何やら外国語を一言叫んで、死んでいった。女房も、ほとんど自殺に等しい死にかたをして、この世から去っていった。けれども、三人の中で最も罪の深い、この芸術家だけは、死にもせずペンを握って、「小鳥が羽の生えたままで死ぬように、その着物を着た儘で死んだのである。」などと、自分の女房のみじめな死を、よそごとのように美しく形容し、そのひつぎ花束はなたば一つ投入してやったくらいの慈善じぜんを感じてすましている。これは、いかにも不思議であります。果して、芸術家というものは、そのように冷淡、心の奥底まで一個の写真機に化しているものでしょうか。私は、否、と答えたいのでありますが、とにかく今、諸君と共に、この難問なんもんいて、なおしばらく考えてみることにいたしましょう。この悪徳の芸術家は、女房の取調べと同時に、勿論もちろん、市の裁判所に召喚しょうかんされ、予審検事よしんけんじの皮肉きわまる訊問を受けた筈であります。 ――どうも、とんだ災難さいなんでございましたね。(と検事は芸術家に椅子をすすめて言いました。)奥さんのおっしゃる事は、ちっとも筋道がとおりませんので、私ども困って居ります。一体、どういう原因にる決闘だか、あなたは、ご存じなんですね。 ――存じません。 ――私の言いかだが下手へただったのかしら。失礼いたしました。何か、お心当りは在るはずなんですね。 ――心当り? ――相手の女学生を、ご存じなんですね。 ――相手の? ――いいえ、奥さんの相手です。失礼いたしました。奥さんの決闘の相手です。お互い紳士しんしですものね。 ――存じて居ります。 ――え? 何をご存じなんです。煙草たばこはいかがです。ずいぶん煙草を、おやりのようですね。煙草は、思索しさくつばさと言われていますからね。あなたの作品を、うちの女房と娘が奪い合いで読んでいますよ。「法師の結婚」という小説です。私も、そのうち読ませていただくつもりですけれど、天才の在るおかたはうらやましいですね。この部屋は、少し暑過ぎますね。私はこの部屋がきらいなんですよ。窓を開けましょう。さぞ、おいやでしょうね。 ――何を申し上げればいいのでしょう。 ――いいえ、そういうわけじゃ無いんです。私は、そんな、失礼な事は考えて居りません。お互い、このとしになると、世の中が馬鹿げて見えて来ますね。どうだっていいんです。お互い、弱い者同士ですものね。馬鹿げていますよ。私は、この裁判所と自宅との間を往復して、ただ並木路を往復して歩いて、ふと気がついたら二十年経っていました。いちどは冒険を。いいえ、あなたのことじゃ無いんです。いろいろの事がありましたものね。おや、聞えますね。囚人たちの唱歌ですよ。シオンのむすめ、…… ――語れかし! ――わが愛の君に。私は賛美歌さんびかをさえ忘れてしまいました。いいえ、そういうなぞのつもりでは無かったのです。あなたから、何もおうかがいしようと思いません。そんなに気を回さないで下さい。どうも、私も、きょうはなんだか、いやになりました。もう、止しにしましょうか。 ――そうお願いできれば、…… ――ふん。あなたをばっする法律ほうりつが無いので、いやになったのですよ。お帰りなさい。 ――ありがとう存じます。 ――あ、ちょっと。一つだけ、おうかがいします。奥さんが殺されて、女学生が勝った場合は、どうなりますか? ――どうもこうもなりません。そいつは残った弾丸だんがんで、私をも撃ち殺したでしょう。 ――ご存じですね。奥さんは、すると、あなたの命の恩人おんじんということになりますね。 ――女房は、可愛げの無い女です。好んで犠牲ぎせいになったのです。エゴイストです。 ――もう一つお伺いします。あなたは、どちらの死を望みましたか? あなたは、かくれて見ていましたね。旅行していたというのはうそですね。あの前夜も、女学生の下宿に訪ねて行きましたね。あなたは、どちらの死を望んでいたのですか? 奥さんでしょうね。 ――いいえ、私は、(と芸術家は威厳いげんのある声で言いました。)どちらも生きてくれ、と念じていました。 ――そうです。それでいいのです。私はあなたの、今の言葉だけを信頼しんらいします。(と検事は、はじめて白い歯を出して微笑ほほえみ、芸術家のかたをそっとたたいて、)そうで無ければ、私は今すぐあなたを、未決檻みけつかんに送るつもりでいたのですよ。殺人幇助ほうじょという立派な罪名があります。

78

以上は、かの芸術家と、いやらしく老獪ろうかいな検事との一問一答の内容でありますが、ただ、これだけでは私も諸君も不満であります。「いいえ、私は、どちらも生きてくれ、と念じていました。」という一言を信じて、検事は、この男を無罪放免むざいほうめんという事にした様子でありますが、私たちの心の中に住んでいる小さい検事は、なかなかうたがい深くて、とてもこの男を易々やすやすと放免することが出来ないのであります。この男は、予審の検事を、だましたのではないでしょうか。「どちらも生きてくれ、と念じていました。」というのは、嘘ではないか。この男は、あの決闘のとき、白樺しらかばの木のかげに隠れて、ああ、どっちも死ね! 両方死ね、いやいや、女房だけ死ね! 女房を殺してくれ、と全身に油汗を流して念じていた瞬間しゅんかんが、在ったじゃないか。確かに在った。この男は、あれを忘れているのであろうか。あるいはちゃんと覚えているくせに、成長した社会人特有の厚顔無恥こうがんむちの、言わば世馴よなれた心から、けろりと忘れた振りして、平気で嘘を言い、それを取調べる検事もまた、そこのところを見抜みぬいていながら、その追究を大人気おとなげないものとして放棄ほうきし、とにかく話の筋が通って居れば、それで役所の書類作成に支障ししょうは無し、自分のつとめも大過たいか無し、正義よりも真実よりも自分の職業の無事安泰あんたいが第一だと、そこは芸術家も検事も、世馴れた大人同士の暗黙あんもくうら了解りょうかいができて、そこで、「どちらも生きてくれと念じていました。」「よろしい、信頼しましょう。」ということになったのでは無いでしょうか。けれども、その疑惑ぎわくは、間違っています。私は、それにいて、いま諸君に、僭越せんえつながら教えなければなりません。その時の、男の答弁は正しいのです。また、その一言を信頼し、無罪放免した検事の態度も正しいのです。決してお互い妥協だきょうしているのではありません。男は、あの決闘の時、女房を殺せ! と願いました。と同時に、決闘やめろ! 拳銃けんじゅうからりと投げ出して二人で笑え、と危くさけぼうとしたのであります。人は、念々と動く心の像すべてを真実と見做みなしてはいけません。自分のものでも無いいやしい想念そうねんを、自分の生れつきの本性の如くあやまって思い込み、悶々もんもんしている気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。いやしい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々じじこくこく美醜びしゅうさまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。その場合に、みにくいものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るという事を忘れているのは、間違いであります。念々と動く心の像は、すべて「事実」として存在はしても、けれども、それを「真実」として指摘するのは、間違いなのであります。真実は、常に一つではありませんか。他は、すべて信じなくていいのです。忘れていていいのです。多くの浮遊の事実の中から、たった一つの真実をひろい出して、あの芸術家は、権威けんいもって答えたのです。検事も、それを信じました。二人共に、真実を愛し、真実を触知しょくちし得る程の立派な人物であったのでしょう。

79

あの、あわれな、卑屈ひくつな男も、こうして段々考えて行くに連れて、少しずつ人間の位置を持ち直して来た様子であります。悪いと思っていた人が、だんだんくなって来るのを見る事ほど楽しいことはありません。弁護べんごのしついでに、この男の、身中の虫、「芸術家」としての非情にいても、ちょっと考えてみることにいたしましょう。この男ひとりに限らず、芸術家というものは、その腹中に、どうしても死なぬ虫を一匹持っていて、最大の悲劇をも冷酷れいこくの眼で平気で観察かんさつしているものだ、と前回にいても、前々回に於いても非難ひなんして来たはずでありますが、その非難をも、ちょっとついでに取り消してお目にけたくなりました。何も、人助けのためであります。慈善じぜんは、私の本性かも知れません。「醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るということを忘れているのは、間違いであります。」とD先生が教えて居ります。何事も、自分を、善いほうに解釈かいしゃくして置くのがいいようだ。さて、芸術家には、人で無い部分が在る、芸術家の本性は、サタンである、という私の以前の仮説に対して、私は、もう一つの反立法を持ち合せているのであります。それを、いま、お知らせいたします。 ――リュシエンヌよ、私はる声楽家を知っていた。彼が許嫁いいなずけの死の床にして、その臨終りんじゅうに立会った時、かたわらに、彼の許嫁の妹が身をふるわせ、声をあげて泣きむせぶのをきつつ、彼は心から許嫁の死を悲しみながらも、許嫁の妹の涕泣ていきゅうに発声法上の欠陥けっかんのある事に気づいて、その涕泣に迫力はくりょくえるには適度の訓練を必要とするのではなかろうか。と不図ふと考えたのであった。しかもこの声楽家は、許嫁との死別の悲しみにえずしてその後間もなく死んでしまったが、許嫁の妹は、世間のおきてに従って、忌の果てには、心置きなく喪服もふくいだのであった。

80

これは、私の文章ではありません。辰野隆たつのゆたか先生訳、仏人リイル・アダン氏の小話であります。この短い実話を、もう一度繰りかえして読んでみて下さい。ゆっくり読んでみて下さい。薄情はくじょうなのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。芸術家は、めったに泣かないけれども、ひそかに心臓しんぞうを破って居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬほどはげしく騒いでいます。芸術家は、決してサタンではありません。かの女房の卑劣ひれつ亭主ていしゅも、こう考えて来ると、あながち非難するにも及ばなくなったようであります。目は冷く、女房の殺人の現場を眺め、手は平然とそれを描写びょうしゃしながらも、心は、なかなか悲愁断腸ひしゅうだんちょうのものが在ったのではないでしょうか。次回にいて、すべてを述べます。


第 六

81

いよいよ、今回で終りであります。一回、十五、六枚ずつにて半箇年間、つまらぬ事ばかり書いて来たような気が致します。私にとっては、その間に様々の思い出もあり、また自身の体験としての感懐かんかいも、あらわにそれと読者に気づかれ無いように、こっそり物語の奥底に流し込んで置いた事でもありますから、私一個人にとっては、これは、のちのちも愛着深い作品になるのではないかと思って居ります。読者には、あまり面白くなかったかも知れませんが、私としては、少し新しい試みをしてみたような気もしているので、もう、この回、一回で読者とおわかれするのは、お名残りしい思いであります。所詮しょせん、作者の、おろかな感傷かんしょうではありますが、殺された女学生の亡霊ぼうれい、絶食して次第に体をしなびさせて死んだ女房の死顔、ひとり生き残った悪徳の夫の懊悩おうのうの姿などが、この二、三日、私の背後に影法師のように無言で執拗しつように、つき従っていたことも事実であります。

82

さて、今回は、原文を、おしまいまで全部、読んでしまいましょう。説明は、その後でする事に致します。 ――遺物を取り調べて見たが、別に書物も無かった。夫としていた男にわかれを告げる手紙も無く、子供等に暇乞いとまごいをする手紙も無かった。唯一度ただいちど檻房かんぼうへ来た事のある牧師ぼくしに当てて、書きけた短い手紙が一通あった。牧師は誠実せいじつに女房のれいを救おうと思って来たのか、物珍らしく思って来て見たのか、それは分からぬが、かく一度来たのである。この手紙は牧師の二度と来ぬように、言わば牧師をけるために書く積りで書き始めたものらしい。煩悶はんもんして、こんな手紙を書き掛けた女の心を、その文句がかすかに照しているのである。 「先日お出でになった時、大層御尊信たいそうごそんしんなすってお出での様子で、お話になった、あのイエス・クリストのお名に掛けて、お願いたします。どうぞ二度とおたずね下さいますな。わたくしのもうす事を御信用下さい。わたくしの考ではしイエスがまだ生きてお出でなされたなら、あなたがわたくしの所へお出でなさるのを、おさえぎりなさる事でしょう。昔天国の門に立たせて置かれた、あの天使のように、イエスは燃える抜身ぬきみを手にお持になって、わたくしのいる檻房かんぼう這入はいろうとする人をおとめなさると存じます。わたくしはこの檻房から、わたくしの逃げ出して来た、元の天国へ帰りたくありません。よしや天使が薔薇ばらあみをわたくしの体に巻いて引入れようとしたとて、わたくしは帰ろうとは思いません。なぜと申しますのに、わたくしがそこで流した血は、決闘けっとうでわたくしの殺した、あの女学生のきずから流れて出た血のようにもう元へは帰らぬのでございます。わたくしはもう人の妻でも無ければ人の母でもありません。もうそんなものには決してなられません。永遠になられません。ほんにこの永遠と云う、たっぷり涙を含んだ二字を、あなた方どなたでも理解して尊敬そんけいして下さればいと存じます。」 「わたくしはあの陰気いんきな中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃けんじゅうと云うものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟かくごいたしまして、それと同時に自分のねらっているまとは、すなわち自分のしんぞうだと云う事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくしは自分で自分を引きくような愉快ゆかいを味いました。この心の臓は、もとは夫や子供の側で、セコンドのように打っていて、時を過ごして来たものでございます。それが今は数知れぬ弾丸たまに打ちかれています。こんなになった心の臓を、どうして元の場所へ持って行かれましょう。よしやあなたが主御自身であっても、わたくしを元へお帰しなさる事はお出来になりますまい。神様でも、鳥よ虫になれとはおっしゃる事が出来ますまい。先にその鳥の命をお断ちになってからでも、そうおっしゃる事は出来ますまい。わたくしを生きながら元の道へお帰らせなさることのお出来にならないのも、同じ道理でございます。いくらあなたでも人間のおことばで、そんな事を出来でかそうとは思召おぼしめしますまい。」 「わたくしは、あなたの教で禁じてあるほど、自分の意志のままに進んでまいって、あとを振り返っても見ませんでした。それはわたくし好く存じています。しかしどなただって、わたくしに、お前の愛しようは違うから、別な愛しようをしろとおっしゃる事は出来ますまい。あなたの心のぞうはわたくしの胸にはまりますまい。又わたくしのはあなたのお胸には嵌まりますまい。あなたはわたくしを、謙遜けんそんを知らぬ、我欲の強いものだと仰ゃるかも知れませんが、それと同じ権利で、わたくしはあなたを、気のせま卑屈ひくつな方だともうす事も出来ましょう。あなたの尺度しゃくどでわたくしをおはかりになって、その尺度が足らぬからと言って、わたくしを度はずれだと仰ゃる訳には行きますまい。あなたとわたくしとの間には、対等の決闘は成り立ちません。お互に手に持っている武器が違います。どうぞもうわたくしの所へ御出で下さいますな。切にお断申します。」 「わたくしの為には自分の恋愛が、丁度自分の身を包んでいる皮のようなものでございました。しその皮の上に一寸ちょっとしたしみが出来るとか、一寸したきずが付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それをやしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷けられたと存じました時、そのために、長煩ながわずらいでくさって行くように死なずに、意識して、真っ直ぐに立った儘で死のうと思いました。わたくしは相手の女学生の手で殺してもらおうと思いました。そうしてわたくしの恋愛を潔く、公然こうぜんと相手に奪われてしまおうと存じました。」 「それが反対になって、わたくしが勝ってしまいました時、わたくしは唯名誉ただめいよを救っただけで、恋愛を救う事が出来なかったのに気が付きました。すべての不治ふじきずの通りに、恋愛の創も死ななくては癒えません。それはどの恋愛でも傷けられると、恋愛の神が侮辱ぶじょくせられて、そのむくいに犠牲ぎせいを求めるからでございます。決闘の結果は予期とは相違していましたが、に角わたくしは自分の恋愛を相手に渡すのに、身をかがめて、余儀よぎなくせられて渡すのでは無く、名誉を以て渡そうとしたのだと云うだけのほこりを持っています。」 「どうぞ聖者の毫光ごうこうを御尊敬なさると同じお心持で、勝利を得たもののひたい月桂冠げっけいかんを御尊敬なすって下さいまし。」 「どうぞわたくしの心の臓をおいたわりなすって下さいまし。あなたの御尊信ごそんしんなさる神様と同じように、わたくしを大胆だいたんに、偉大いだいに死なせて下さいまし。わたくしは自分のいたした事を、一人で神様の前へ持って参ろうと存じます。名誉ある人妻として持って参ろうと存じます。わたくしは十字架じゅうじか釘付くぎづけにせられたように、自分の恋愛に釘付けにせられて、数多の創から血を流しています。こんな恋愛がこの世界で、この世界にいる人妻のために、正当な恋愛でありましたか、どうでしたか、それはこれから先の第三期の生活に入ったなら、分かるだろうと存じます。わたくしが、この世に生れる前と、生れてからとで経験しました、第一期、第二期の生活では、それが教えられずにしまいました。」

83

ここまで書いて来て、かの罪深き芸術家は、筆を投じてしまいました。女房の遺書いしょの、強烈きょうれつな言葉を、ひとつひとつ書き写している間に、異様いよう恐怖きょうふおそわれた。背骨を雷に撃たれたような気が致しました。実人生の、暴力的な真剣さを、興覚きょうざめするほどに明確に見せつけられたのであります。たかが女、と多少は軽蔑けいべつもって接して来た、あの女房が、こんなにも恐ろしい、無茶なくらいの燃える祈念きねんで生きていたとは、思いも及ばぬ事でした。女性にとって、現世の恋情が、こんなにも焼きげるほどひとすじなものとは、とても考えられぬ事でした。命もらぬ、神も要らぬ、ただ、ひとりの男に対する恋情の完成だけを祈って、半狂乱で生きている女の姿を、彼は、いまはじめて明瞭めいりょうに知る事が出来たのでした。彼は、もともと女性軽蔑けいべつ者でありました。女性の浅間あさましさを知悉ちしつしているつもりでありました。女性は男に愛撫あいぶされたくて生きている。称賛しょうさんされたくて生きている。我利我利がりがり淫蕩いんとう無知むち虚栄きょえい。死ぬまであやしい空想に身悶みもだえしている。貪欲どんよく無思慮むしりょ。ひとり合点がてん。意識せぬ冷酷れいこく無恥厚顔むちこうがん吝嗇りんしょく打算ださん。相手かまわぬ媚態びたい。ばかな自惚うぬぼれ。その他、女性のあらゆる悪徳を心得ているつもりでいたのであります。女で無ければわからぬ気持、そんなものは在り得ない。ばかばかしい。女は、決して神秘しんぴでない。ちゃんとわかっている。あれだ。猫だ。との芸術家は、心の奥底に、そのゆるがぬ断定をぞうしていて、表面は素知らぬ振りしてわが女房にも、また他の女にも、当らずさわらずの愛想あいそのいい態度で接していました。また、この不幸の芸術家は、女の芸術家というものをさえ、てんで認めていませんでした。当時の甘い批評家ひひょうかたちが、女の作家の二、三の著書ちょしょいて、女性特有の感覚、女で無ければ出来ぬ表現、男にはとてもわからぬの心理、などと驚嘆きょうたん言辞げんじ献上けんじょうするのを見て、彼はいつでも内心、せせら笑って居りました。みんな男の真似まねではないか。男の作家たちが空想にって創造した女性を見て、女は、これこそ真の私たちの姿だ、とおろかしく夢中になって、そのうその女性の型に、むりやり自分を押し込めようとするのだが、悲しいかな、自分はどうが長すぎて、あしが短い。要らない脂肪しぼうが多過ぎる。それでも、自分は、ご存じ無い。実に滑稽奇怪こっけいきっかいの形で、しゃなりしゃなりと歩いている。男の作家の創造した女性は、所詮しょせん、その作家の不思議な女装じょそうの姿である。女では無いのだ。どこかに男の「精神」が在る。ところが女は、かえってその不自然な女装の姿にあこがれて、その毛臑けずねの女性の真似をしている。滑稽のきわみである。もともと女であるのに、その姿態したいと声を捨て、わざわざ男の粗暴の動作を学び、その太い音声、文章を「勉強」いたし、さてそれから、男の「女音」の真似をして、「わたくしは女でございます。」とわざとしわがれた声を作って言い出すのだから、実に、どうにも浅間しく複雑ふくざつで、何が何だか、わからなくなるのである。女のくせ口鬚くちひげを生やし、それをひねりながら、「そもそも女というものは、」と言い出すのだから、ややこしく、不潔ふけつにごって、聞く方にとっては、やり切れぬ。所謂いわゆる、女特有の感覚は、そこには何も無い。女で無ければ出来ぬ表現も、何も無い。男にはとてもわからぬ心理なぞは勿論もちろん、在るわけは無い。もともと男の真似なのだ。女は、やっぱり駄目だめなものだ、というのがの中年の芸術家の動かぬ想念であったのであります。けれども、いま、自身の女房のおろかではあるが、強烈のそれこそ火をくほどの恋の主張を、一字一字書き写しているうちに、彼は、これまで全く知らずにいた女の心理を、いや、女の生理、と言い直したほうがいいかも知れぬくらいに、なまぐさく、また可憐かれんな一筋の思いを、一糸まとわぬ素はだかの姿で見てしまったような気がして来たのであります。知らなかった。女というものは、こんなにも、せっぱつまった祈念きねんを以て生きているものなのか。愚かには違い無いが、けれども、此の熱狂的に一直線の希求ききゅうには、何か笑えないものが在る。恐ろしいものが在る。女は玩具がんぐ、アスパラガス、花園、そんな安易あんいなものでは無かった。この愚直ぐちょくの強さは、かえって神と同列だ。人間でない部分が在る、と彼は、真実、驚倒きょうとうした。筆を投じて、ソファに寝ころび、彼は、女房とのこれまでの生活を、また、決闘のいきさつを、順序じゅんじょも無くちらちら思い返してみたのでした。あ、あ、といちいち合点がゆくのです。私は女房を道具と思っていたが、女房にとっては、私は道具で無かった。生きる目あての全部であった、という事が、その時、その時の女房の姿態したい、無言の行動ではっきりわかるような気がして来たのであります。女はおろかだ。けれども、なんだか懸命だ。とてもロマンスにならない程、むき出しに懸命だ。女の真実というものは、とても、これは小説にならぬ。書いてはならぬ。神への侮辱ぶじょくだ。なるほど、女の芸術家たちが、いちど男に変装へんそうして、それからまた女に変装して、女の振りをする、というややこしい手段を採用さいようするのも、無理もない話だ。女の、そのままの実体を、いつわらずぶちまけたら、芸術も何も無い、おろかな懸命けんめいの虫一匹だ。人は、息をんでそれを凝視ぎょうしするばかりだ。愛も無い、よろこびも無い、ただしらじらしく、興覚きょうざめるばかりだ。私はこの短編たんぺん小説にいて、女の実体を、あやまち無く活写しようと努めたが、もう止そう。まんまと私は、失敗した。女の実体は、小説にならぬ。書いては、いけないものなのだ。いや、書くに忍びぬものが在る。止そう。この小説は、失敗だ。女というものが、こんなにも愚かな、盲目もうもくの、それゆえに半狂乱の、あわれな生き物だとは知らなかった。まるっきり違うものだ。女は、みんな、――いや、言うまい。ああ、真実とは、なんて興覚めなものだろう。男は、ふいと死にたく思いました。なんの感激も無しに立って、「たくに向い、その時たまたま記憶きおくよみがえって来た曾遊そうゆうのスコットランドの風景をしのぶ詩を二三行書くともなく書きとどめ、新刊の書物の数ぺいじを読むともなく読み終ると、『いやに胸騒ぎがするな』とつぶやきながら、小机の抽斗ひきだしから拳銃けんじゅうを取り出したが、傍のソファに悠然ゆうぜんと腰をおろしてから、胸に銃口じゅうこうを当てて引金を引いた。」これが、かの悪徳の夫の最後でありました、と言えば、かのリイル・アダン氏の有名なる短編小説の結末にそっくりで、多少はロマンチックなにおいも発して来るのでありますが、現実は、決して、そんなに都合よく割り切れず、の興覚めの強力な実体を見た芸術家は立って、ふらふら外へ出て、そこらをしばら散歩さんぽし、やがてまた家へ帰り、部屋を閉め切って、さてソファにごろりと寝ころび、部屋の隅の菖蒲しょうぶの花を、ぼんやりながめ、またおもむろに立ち上り菖蒲のはちに水差しの水をかけてやり、それから、いや、別に変った事も無く、あくる日も、その翌る日も、少くとも表面は静かな作家の生活をつづけていっただけの事でありました。失敗の短編「女の決闘」をも、平気をよそおって、その後間も無く新聞に発表しました。批評家ひひょうかたちは、その作品の構成こうせい不備ふびを指摘しながらも、その描写びょうしゃの生々しさを、賞賛しょうさんすることを忘れませんでした。どうやら、佳作かさく、という事に落ちついた様子であります。けれども芸術家は、その批評にも、まるで無関心のように、ぼんやりしていました。それから、驚くべきことには、実にくだらぬ通俗つうぞく小説ばかりを書くようになりました。いちど、いやな恐るべき実体を見てしまった芸術家は、それにっていよいよ人生観察かんさつも深くなり、その作品も、所謂いわゆる、底光りして来るようにも思われますが、現実は、必ずしもそうでは無いらしく、かえって、怒りも、あこがれも、歓びも失い、どうでもいいという白痴はくちの生きかたを選ぶものらしく、この芸術家も、あれ以来というものは、全く、ふやけた浅墓あさはかな通俗小説ばかりを書くようになりました。かつて世の批評家たちに最上級の言葉で賞賛せられた、あの精密せいみつの描写は、それ以後の小説の片隅かたすみにさえ、見つからぬようになりました。次第に財産もえ、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角ごかくの交際をして、六十八歳で大往生だいおうじょういたしました。その葬儀そうぎはなやかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであります。

84

というのが、私(DAZAI)の小説の全貌ぜんぼうなのでありますが、もとよりこれは、HERBERT EULENBERG氏の原作の、ゆるしがたい冒涜ぼうとくであります。原作者オイレンベルク氏は、決して私のこれまでべて来たような、悪徳の芸術家では、ありません。それは、前にも、くどく断って置いたはずであります。必ず、よい御家庭の、き夫であり、佳き父であり、つつましい市民としての生活を忍んで、一生涯をきびしい芸術精進げいじゅつしょうじんにささげたお方であると、私は信じて居ります。前にも、それは申しましたが、「尊敬して居ればこそ、安心して甘えるのだ。」という日本の無名のまずしい作家の、すこぶ我儘わがままな言いわけって、いまは、ゆるしていただきます。冗談じょうだんにもせよ、人の作品を踏台ふみだいにして、そうして何やら作者の人柄ひとがらに傷つけるようなスキャンダルまで捏造ねつぞうした罪は、決して軽くはありません。けれども、相手が、一八七六年生れ、一昔まえの、しかも外国の大作家であるからこそ、私も甘えて、こんな試みをしたので、日本の現代の作家には、いくら何でも、決してゆるされる事ではありません。それに、この原作は、第二回にいて、くわしく申して置きましたように、原作者の肉体疲労ひろうのせいか、たいへん投げやりの点が多く、単に素材をほうり出したという感じで、私の考えている「小説」というものとは、はなはだ遠いのであります。もっとも、このごろ日本でも、素材そのままの作品が、「小説」として大いに流行している様子でありますが、私は時たま、そんな作品を読み、いつも、ああしい、と思うのであります。口はばったい言い方でありますが、私に、こんな素材を与えたら、いい小説が書けるのに、と思う事があります。素材は、小説でありません。素材は、空想を支えてくれるだけであります。私は、今まで六回、たいへん下手で赤面しながらも努めて来たのは、私のそのおろかな思念の実証じっしょうを、読者にお目にかけたかったが為でもあります。私は、間違っているでしょうか。

85

これは非常に、こんぐらかった小説であります。私が、わざとそのように努めたのであります。そのためにいろいろ、仕掛しかけもして置いたつもりでありますから、ひまな読者は、ゆっくりお調べを願います。ほんとうの作者が一体どこにいるのか、わからなくしてしまおうとさえ思いましたが、調子に乗って浮薄ふはくな才能をり回していると、とんでも無い目にいます。神にばっせられます。私は、それにいては、節度を保ったつもりであります。とにかく、この私の「女の決闘」をお読みになって、原作の、女房、女学生、亭主の三人の思いが、原作に在るよりも、もっと身近かに生臭なまぐさく共感せられたら、成功であります。はたして成功しているかどうか、それは読者諸君が、各々おきめになって下さい。

86

私の知合いの中に、四十歳の牧師ぼくしさんがひとり居ります。生れつき優しい人で、聖書にいての研究も、かなり深いようであります。みだりに神の名を口にせず、私のような悪徳者のところへも度々たびたびたずねて来てくれて、私が、その人の前で酒をみ、大いにっても、べつにしかりも致しません。私は教会は、きらいでありますが、でも、この人のお説教は、度々聞きにまいります。先日、その牧師さんが、いちごなえをどっさり持って来てくれて、私の家のせまい庭に、ご自身でさっさとえてしまいました。その後で、私は、この牧師さんに、れいの女房の遺書いしょを読ませて、その感想を問いただしました。 「あなたなら、この女房に、なんと答えますか。この牧師さんは、たいへん軽蔑けいべつされてやっつけられているようですが、これは、これでいいのでしょうか。あなたは、この遺書をどう思います。」

87

牧師さんは顔を赤くして笑い、やがて笑いをおさめ、んだ目で私をまっすぐに見ながら、 「女は、恋をすれば、それっきりです。ただ、見ているより他はありません。」

88

私たちは、きまり悪げに微笑ほほえみました。




使用したテキストファイル
使用権フリー作品集シリーズ
太宰治全作品集 1
  制作・販売:マイクロ テクノロジー株式会社
変更箇所
  ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
  行間処理:行間180%
  段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
        :段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
        :段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年2月