皮膚と心

       太宰 治

1

ぷつッと、ひとつ小豆粒あずきつぶに似た吹出物ふきでものが、左の乳房ちぶさの下に見つかり、よく見ると、その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物がきりきかけられたように一面に散点していて、けれども、そのときは、ゆくもなんともありませんでした。憎い気がして、お風呂で、お乳の下をタオルできゅっきゅっと皮のすりむけるほど、こすりました。それが、いけなかったようでした。家へ帰って鏡台きょうだいのまえに座り、胸をひろげて、鏡に写してみると、気味わるうございました。銭湯から私の家まで、歩いて五分もかかりませぬし、ちょっとその間に、お乳の下から腹にかけて手のひら二つぶんのひろさでもって、真赤にれていちごみたいになっているので、私は地獄絵じごくえを見たような気がして、すっとあたりが暗くなりました。そのときから、私は、いままでの私でなくなりました。自分を、人のような気がしなくなりました。気が遠くなる、というのは、こんな状態を言うのでしょうか。私は永いこと、ぼんやり座って居りました。暗灰色あんかいしょくの入道雲が、もくもく私のぐるりを取り囲んでいて、私は、いままでの世間から遠く離れて、物の音さえ私にはかすかにしか聞えない、うっとうしい、地の底の時々刻々じじこくこくが、そのときから、はじまったのでした。しばらく、鏡の中の裸身らしんを見つめているうちに、ぽつり、ぽつり、雨の降りはじめのように、あちら、こちらに、赤い小粒こつぶがあらわれて、首のまわり、胸から、腹から、背中のほうにまで、まわっている様子なので、合せ鏡して背中を写してみると、白い背中のスロオプに赤いあられをちらしたように一ぱい吹き出ていましたので、私は、顔をおおってしまいました。 「こんなものが、できて。」私は、あの人に見せました。六月のはじめのことで、ございます。あの人は、半袖はんそでのワイシャツに、短いパンツはいて、もう今日の仕事も、一とおりすんだ様子で、仕事机のまえにぼんやり座って煙草たばこを吸っていましたが、立って来て、私にあちこち向かせて、まゆをひそめ、つくづく見て、ところどころ指で押してみて、 「ゆくないか。」と聞きました。私は、痒ゆくない、と答えました。ちっとも、なんとも無いのです。あの人は、首をかしげて、それから私を縁側の、かっと西日の当る箇所かしょに立たせ、裸身の私をくるくる回して、なおも念入りに調べていました。あの人は、私のからだのことにいては、いつでも、細かすぎるほど気をつけてくれます。ずいぶん無口で、けれども、しんは、いつでも私を大事にします。私は、ちゃんと、それを知っていますから、こうして縁側の明るみに出されて、恥ずかしいはだかの姿を、西に向け東に向け、さんざ、いじくり回されても、かえって神様に祈るような静かな落ちついた気持になり、どんなに安心のことか。私は、立ったまま軽く目をつぶっていて、こうして死ぬまで、目を開きたくない気持でございました。 「わからねえなあ、ジンマシンなら、ゆいはずだが。まさか、ハシカじゃなかろう。」

2

私は、あわれに笑いました。着物を着直しながら、 「ぬかに、かぶれたのじゃないかしら。私、銭湯へ行くたんびに、胸や首を、とてもきつく、きゅっきゅっこすったから。」

3

それかも知れない。それだろう、ということになり、あの人は薬屋に行き、チュウブにはいった白いべとべとした薬を買って来て、それを、だまって私のからだに、指で、すり込むようにしてってくれました。すっと、からだが涼しく、少し気持も軽くなり、 「うつらないものかしら。」 「気にしちゃいけねえ。」

4

そうは、おっしゃるけれども、あの人の悲しい気持が、それは、私を悲しがってくれる気持にちがいないのだけれど、その気持が、あの人の指先から、私のくさった胸に、つらくひびいて、ああ早くなおりたいと、しんから思いました。

5

あの人は、かねがね私のみにく容貌ようぼうを、とても細心にかばってくれて、私の顔の数々の可笑おかしい欠点、――冗談じょうだんにも、おっしゃるようなことは無く、ほんとうにつゆほども、私の顔を笑わず、それこそ日本晴れのようにんで、余念ない様子をなさって、 「いい顔だと思うよ。おれは、好きだ。」

6

そんなことさえ、ぷつんとおっしゃることがあって、私は、どぎまぎして困ってしまうこともあるのです。私どもの結婚いたしましたのは、ついことしの三月でございます。結婚、という言葉さえ、私には、ずいぶんキザで、浮わついて、とても平気で口に言い出しねるほど、私どもの場合は、弱くまずしく、てれくさいものでございました。だいいち、私は、もう二十八でございますもの。こんな、おたふくゆえ、縁遠くて、それに二十四、五までには、私にだって、二つ、三つ、そんな話もあったのですが、まとまりかけては、こわれ、まとまりかけては、こわれて、それは私の家だって、何もお金持というわけでは無し、母ひとり、それに私と妹と、三人ぐらしの、女ばかりの弱い家庭でございますし、とても、いい縁談えんだんなぞは、望まれませぬ。それは欲の深い夢でございましょう。二十五になって、私は覚悟をいたしました。一生、結婚できなくとも、母を助け、妹を育て、それだけを生き甲斐がいとして、妹は、私と七つちがいの、ことし二十一になりますけれど、きりょうも良し、だんだんわがままも無くなり、いい子になりかけて来ましたから、この妹に立派な養子をむかえて、そうして私は、私としての自活の道をたてよう。それまでは、家に在って、家計、交際、すべて私が引受けて、この家を守ろう。そう覚悟をきめますと、それまで内心、うじゃうじゃ悩んでいたもの、すべてが消散しょうさんして、苦しさも、わびしさも、遠くへ去って、私は、家の仕事のかたわら、洋裁ようさい稽古けいこにはげみ、少しずつご近所の子供さんの洋服の注文なぞも引き受けてみるようになって、将来の自活のあてもつきかけて来たころ、いまの、あの人の話があったのでございます。お話を持って来て下さったお方が、言わば亡父の恩人とでもいうような義理あるお方でございましたから、むげに断ることもできず、また、お話をうけたまわってみると、先方は、小学校を出たきりで、親も兄弟もなく、その私の亡父の恩人が、拾い上げて小さい時からめんどう見てやっていたのだそうで、もちろん先方には財産ざいさんなどあるはずはなく、三十五歳、少し腕のよい図案工であって、月収は二百円もそれ以上もはいる月があるそうですが、また、なんにもはいらぬ月もあって、平均して、七、八十円。それに向うは、初婚ではなく、好きな女のひとと、六年も一緒に暮して、おととし何かわけがあって別れてしまい、そののちは、自分は小学校を出たきりで学歴も無し、財産もなし、としもとっていることだし、ちゃんとした結婚なぞとても望めないから、いっそ一生めとらず、のんきに暮そうと、やもめぐらしをして居る由にて、それを、亡父の恩人が、なだめ、それでは世間から変人あつかいされて、よくないから、早くおよめもらいなさい、少し心あたりもあるから、と言って、私どものほうに、内々お話の様子なされて、そのときは私も母と顔を見合せ、困ってしまいました。一つとして、よいところのない縁談でございますもの。いくら私が、売れのこりの、おたふくだって、あやまち一つ犯したことはなし、もう、そんな人とでも無ければ、結婚できなくなっているのかしらと、さいしょは腹立しく、それから無性むしょうびしくなりました。お断りするより他、ないのでございますが、何せお話を持って来られた方が、亡父の恩人で義理あるお人ですし、母も私も、ことを荒立てないようにお断りしなければ、と弱気に愚図愚図ぐずぐずいたして居りますうちに、ふと私は、あの人が可哀想かわいそうになってしまいました。きっと、やさしい人にちがいない。私だって、女学校を出たきりで、特別になんの学問もありやしない。たいへんな持参金じさんきんがあるわけでもない。父が死んだし、弱い家庭だ。それに、ごらんのとおりの、おたふくで、いい加減おばあさんですし、こちらこそ、なんのいいところも無い。似合いの夫婦かも知れない。どうせ、私は不仕合せなのだ。断って、亡父の恩人と気まずくなるよりはと、だんだん気持がかたむいて、それにおはずかしいことには、少しはほおのほてる浮いた気持もございました。おまえ、ほんとにいいのかねえ、とやはり心配顔の母には、それ以上、話もせず、私から直接、その亡父の恩人に、はっきりした返事をしてしまいました。

7

結婚して、私は幸福でございました。いいえ。いや、やっぱり、幸福、と言わなければなりませぬ。ばちがあたります。私は、大切にいたわられました。あの人は、何かと気が弱く、それに、せんの女に捨てられたような工合ぐあいらしく、そのゆえに、一層おどおどしている様子で、ずいぶん歯がゆいほど、すべてに自信がなく、せて小さく、お顔も貧相ひんそうでございます。お仕事は、熱心にいたします。私が、はっと思ったことは、あの人の図案を、ちらと見て、それが見覚えのある図案だったことでございます。なんという奇縁きえんでしょう。あの人にうかがってみて、そのことをたしかめ、私は、そのときはじめて、あの人に恋をしたみたいに、胸がときめきいたしました。あの銀座の有名な化粧品けしょうひん店の、つるバラ模様もよう商標しょうひょうは、あの人が考案したもので、それだけでは無く、あの化粧品店から売り出されている香水、石鹸せっけん、おしろいなどのレッテル意匠いしょう、それから新聞の広告も、ほとんど、あの人の図案だったのでございます。十年もまえから、あの店の専属のようになって、異色ある蔓、バラ模様のレッテル、ポスタア、新聞広告など、ほとんどおひとりで、おきになっていたのだそうで、いまでは、あのつるバラ模様は、外国の人さえ覚えていて、あの店の名前を知らなくても、蔓バラを典雅てんがからみ合せた特徴とくちょうある図案は、どなただって一度は見て、そうして、記憶しているほどでございますものね。私なども、女学校のころから、もう、あの蔓バラ模様を知っていたような気がいたします。私は、奇妙に、あの図案にひかれて、女学校を出てからも、お化粧品は、全部あの化粧品店のものを使って、言わば、まあ、ファンでございました。けれども私は、いちどだって、あの蔓バラ模様の考案者については、思ってみたことなかった。ずいぶん、うっかり者のようでございますが、けれども、それは私だけではなく、世間のひと皆、新聞の美しい広告を見ても、その図案工を思い尋ねることなど無いでしょう。図案工なんて、ほんとうに縁の下の力持ちみたいなものですのね。私だって、あの人のお嫁さんになって、しばらく経って、それからはじめて気がついたほどでございますもの。それを知ったときには、私は、うれしく、 「あたし、女学校のころからこの模様だいすきだったわ。あなたがお画きになっていたのねえ。うれしいわ。あたし、幸福ね。十年もまえから、あなたと遠くむすばれていたのよ。こちらへ来ることに、きまっていたのね。」と少しはしゃいで見せましたら、あの人は顔を赤くして、 「ふざけちゃいけねえ。職人仕事じゃねえか、よ。」と、しんからずかしそうに、目をパチパチさせて、それから、フンと力なく笑って、悲しそうな顔をなさいました。

8

いつもあの人は、自分を卑下ひげして、私がなんとも思っていないのに、学歴のことや、それから二度目だってことや、貧相のことなど、とても気にして、こだわっていらっしゃる様子で、それならば、私みたいなおたふくは、一体どうしたらいいのでしょう。夫婦そろって自信がなく、はらはらして、お互いの顔が、言わば羞皺はじしわで一ぱいで、あの人は、たまには、私にうんと甘えてもらいたい様子なのですが、私だって、二十八のおばあちゃんですし、それに、こんなおたふくなので、その上、あの人の自信のない卑下していらっしゃる様子を見ては、こちらにも、それが伝染でんせんしちゃって、よけいにぎくしゃくして来て、どうしても無邪気むじゃき可愛かわいく甘えることができず、心はしたっているのに、逆にかえって私は、まじめに、冷い返事などしてしまって、すると、あの人は、気むずかしく、私には、そのお気持がわかっているだけに、なおのこと、どぎまぎして、すっかり他人行儀ぎょうぎになってしまいます。あの人にも、また、私の自信のなさが、よくおわかりの様で、ときどき、やぶから棒に、私の顔、また、着物の柄など、とても不器用にほめることがあって、私には、あの人のいたわりがわかっているので、ちっともうれしいことはなく、胸が、一ぱいになって、せつなく、泣きたくなります。あの人は、いい人です。せんの女のひとのことなど、ほんとうに、これぽっちもにおわしたことがございません。おかげさまで、私は、いつも、そのことは忘れています。この家だって、私たち結婚してから新しく借りたのですし、あの人は、そのまえは、赤坂のアパアトにひとりぐらししていたのでございますが、きっと、わるい記憶を残したくないというお心もあり、また、私への優しい気兼きがねもあったのでございましょう、以前の世帯せたい道具一切合切いっさいがっさい、売りはらい、お仕事の道具だけ持って、この築地つきじの家へ引越ひっこして、それから、私にもわずかばかり母からもらったお金がございましたし、二人で少しずつ世帯の道具を買い集めたようなわけで、ふとんも箪笥たんすも、私が本郷ほんごうの実家から持って来たのでございますし、せんの女のひとの影は、ちらとも映らず、あの人が、私以外の女のひとと六年も一緒にいらっしゃったなど、とても今では、信じられなくなりました。ほんとうに、あの人の不要の卑下ひげさえなかったら、そうして私を、もっと乱暴らんぼうに、怒鳴どなったり、もみくちゃにして下さったなら、私も、無邪気むじゃきに歌をうたって、どんなにでもあの人に甘えることができるように思われるのですが、きっと明るい家になれるのでございますが、二人そろって、みにくいという自覚で、ぎくしゃくして、――私はともかく、あの人が、なんで卑下することがございましょう。小学校を出たきりと言っても、教養きょうようの点では、大学出の学士と、ちっとも変るところございませぬ。レコオドだって、ずいぶん趣味しゅみのいいのを集めていらっしゃるし、私がいちども名前を聞いたことさえない外国の新しい小説家の作品を、仕事のあいまあいまに、熱心に読んでいらっしゃるし、それに、あの、世界的な蔓バラの図案。また、ご自身の貧乏びんぼうを、ときどき自嘲じちょうなさいますけれど、このごろは仕事も多く、百円、二百円と、まとまった大金がはいって来て、せんだっても、伊豆の温泉につれていっていただいたほどなのに、それでもあの人は、ふとんや箪笥や、その他の家財道具を、私の母に買ってもらったことを、いまでも気にしていて、そんなに気にされると、私は、かえって恥ずかしく、なんだか悪いことをしたように思われて、みんな安物ばかりなのに、と泣きたいほどびしく、同情や憐憫れんびんで結婚するのは、間違いで、私は、やっぱりひとりでいたほうがよかったのじゃないかしら、と恐ろしいことを考えた夜もございました。もっと強いものを求めるいまわしい不貞ふていが頭をもたげることさえあって、私は悪者でございます。結婚して、はじめて青春の美しさを、それを灰色に過してしまったくやしさが、舌をみたいほど、痛烈つうれつに感じられ、いまのうち何かでもってめ合せしたく、あの人とふたりで、ひっそり夕食をいただきながら、わびしさえがたくなって、おはし茶碗ちゃわん持ったまま、泣きべそかいてしまったこともございます。何もかも私の欲でございましょう。こんなおたふくのくせに青春なんて、とんでもない。いい笑いものになるだけのことでございます。私は、いまのままで、これだけでもう、身にあまる仕合せなのです。そう思わなければいけません。ついつい、わがままも出て、それだから、こんどのように、こんな気味わるい吹出物ふきでもの見舞みまわわれるのです。薬をってもらったせいか、吹出物も、それ以上はひろがらず、明日は、なおるかも知れぬと、神様にこっそり祈って、その夜は、早めに休ませていただきました。

9

寝ながら、しみじみ考えて、なんだか不思議になりました。私は、どんな病気でも、おそれませぬが、皮膚ひふ病だけは、とても、とても、いけないのです。どのような苦労をしても、どのような貧乏びんぼうをしても、皮膚病にだけは、なりたくないと思っていたものでございます。あしが片方なくっても、うでが片方なくっても、皮膚病なんかになるよりは、どれくらいましかわからない。女学校で、生理の時間にいろいろの皮膚病の病源菌びょうげんきんを教わり、私は全身むずがゆく、その虫やバクテリヤの写真の載っている教科書のペエジを、矢庭やにわに引き破ってしまいたく思いました。そうして先生の無神経が、のろわしく、いいえ先生だって、平気で教えているのでは無い。職務しょくむゆえ、懸命けんめいにこらえて、当りまえの風をよそおって教えているのだ、それにちがいないと思えば、なおのこと、先生のその厚顔無恥こうがんむちが、あさましく、私は身悶みもだえいたしました。その生理のお時間がすんでから、私はお友達と議論ぎろんをしてしまいました。痛さと、くすぐったさと、痒さと、三つのうちで、どれが一ばん苦しいか。そんな論題が出て、私は断然、痒さが最もおそろしいと主張いたしました。だって、そうでしょう? 痛さも、くすぐったさも、おのずから知覚の限度があると思います。ぶたれて、切られて、または、くすぐられても、その苦しさが極限に達したとき、人は、きっと気を失うにちがいない。気を失ったら夢幻境むげんきょうです。昇天でございます。苦しさから、きれいにのがれる事ができるのです。死んだって、かまわないじゃないですか。けれども痒さは、波のうねりのようで、もりあがってはくずれ、もりあがっては崩れ、はてしなくにぶ蛇動だどうし、蠢動しゅんどうするばかりで、苦しさが、ぎりぎり結着の頂点まで突き上げてしまう様なことは決してないので、気を失うこともできず、もちろん痒さで死ぬなんてことも無いでしょうし、永久になまぬるく、もだえていなければならぬのです。これは、なんといっても、痒さにまさる苦しみはございますまい。私がもし昔のお白洲しらす拷問ごうもんかけられても、切られたり、ぶたれたり、また、くすぐられたり、そんなことでは白状しない。そのうち、きっと気を失って、二、三度つづけられたら、私は死んでしまうだろう。白状なんて、するものか。私は志士ししのいどころを一命かけて、守って見せる。けれども、のみか、しらみ、あるいは疥癬かいせんの虫など、竹筒たけづつに一ぱい持って来て、さあこれを、おまえの背中にぶちけてやるぞ、と言われたら、私は身の毛もよだつ思いで、わなわなふるえ、申し上げます、お助け下さい、と烈女れつじょ台無だいなし、両手合せて哀願あいがんするつもりでございます。考えるさえ、飛び上るほど、いやなことです。私が、その休憩きゅうけい時間、お友達にそう言ってやりましたら、お友達も、みんな素直に共鳴して下さいました。いちど先生に連れられて、クラス全部で、上野の科学博物館へ行ったことがございますけれど、たしか三階の、標本室で、私は、きゃっと悲鳴ひめいげ、くやしく、わんわん泣いてしまいました。皮膚ひふに寄生する虫の標本ひょうほんが、かにくらいの大きさに模型もけいされて、ずらりとたなに並んで、かざられてあって、ばか! と大声で叫んで棍棒こんぼうもって滅茶滅茶めちゃめちゃ粉砕ふんさいしたい気持でございました。それから三日も、私は寝ぐるしく、なんだか痒ゆく、ごはんもおいしくございませんでした。私は、菊の花さえきらいなのです。小さい花弁かべんがうじゃうじゃして、まるで何かみたい。樹木のみきの、でこぼこしているのを見ても、ぞっとして全身むず痒くなります。筋子すじこなぞを、平気でたべる人の気が知れない。牡蠣かきの貝殻。かぼちゃの皮。砂利道じゃりみち。虫食った葉。とさか。胡麻ごましぼぞめたこの脚。茶殻ちゃがらえびはちの巣。いちごありはすの実。はえ。うろこ。みんな、きらい。ふり仮名も、きらい。小さい仮名は、しらみみたい。グミの実、くわの実、どっちもきらい。お月さまの拡大かくだい写真を見て、きそうになったことがあります。刺繍ししゅうでも、図柄ずがらっては、とても我慢がまんできなくなるものがあります。そんなに皮膚のやまいをきらっているので、自然と用心深く、いままで、ほとんど吹出物の経験なぞ無かったのです。そうして結婚して、毎日お風呂へ行って、からだをきゅっきゅっとぬかでこすって、きっと、こすり過ぎたのでございましょう。こんなに、吹出物してしまって、くやしく、うらめしく思います。私は、いったいどんな悪いことをしたというのでしょう。神さまだって、あんまりだ。私の一ばん嫌いな、嫌いなものをことさらにくださって、ほかに病気が無いわけじゃなし、まるで金の小さなまとをすぽんと射当いあてたように、まさしく私の最も恐怖きょうふしている穴へ落ち込ませて、私は、しみじみ不思議に存じました。

10

あくる朝、薄明はくめいのうちにもう起きて、そっと鏡台に向って、ああと、うめいてしまいました。私は、お化けでございます。これは、私の姿じゃない。からだじゅう、トマトがつぶれたみたいで、首にも胸にも、おなかにも、ぶつぶつ醜怪しゅうかいを極めて豆粒まめつぶほども大きい吹出物ふきでものが、まるで全身に角が生えたように、きのこが生えたように、すきまなく、一面にき出て、ふふふふ笑いたくなりました。そろそろ、両脚のほうにまで、ひろがっているのでございます。おに悪魔あくま。私は、人ではございませぬ。このまま死なせて下さい。泣いては、いけない。こんな醜悪なからだになって、めそめそ泣きべそいたって、ちっとも可愛くないばかりか、いよいよ熟柿じゅくしがぐしゃとつぶれたみたいに滑稽こっけいで、あさましく、手もつけられぬ悲惨ひさんの光景になってしまう。泣いては、いけない。隠してしまおう。あの人は、まだ知らない。見せたくない。もともとみにくい私が、こんなくさったはだになってしまって、もうもう私は、取りがない。くずだ。はきだめだ。もう、こうなっては、あの人だって、私をなぐさめる言葉が無いでしょう。慰められるなんて、いやだ。こんなからだを、まだいたわるならば、私は、あの人を軽蔑けいべつしてあげる。いやだ。私は、このままおわかれしたい。いたわっちゃ、いけない。私を、見ちゃいけない。私の傍にいてもいけない。ああ、もっと、もっと広い家、が欲しい。一生遠くはなれた部屋で暮したい。結婚しなければ、よかった。二十八まで、生きていなければよかったのだ。十九の冬に、肺炎はいえんになったとき、あのとき、なおらずに死ねばよかったのだ。あのとき死んでいたら、いまこんな苦しい、みっともない、ぶざまの憂目うきめを見なくてすんだのだ。私は、ぎゅっとかたく目をつぶったまま、身動きもせずすわって、呼吸だけが荒く、そのうちになんだか心までも鬼になってしまう気配が感じられて、世界が、シンと静まって、たしかにきのうまでの私で無くなりました。私は、もそもそ、けものみたいに立ち上り着物を着ました。着物は、ありがたいものだと、つくづく思いました。どんなおそろしい胴体どうたいでも、こうして、ちゃんと隠してしまえるのですものね。元気を出して、物干場ものほしばへあがってお日様をけわしく見つめ、思わず、深い溜息ためいきをいたしました。ラジオ体操たいそうの号令が聞えてまいります。私は、ひとりでびしく体操はじめて、イッチ、ニッ、と小さい声出して、元気をよそってみましたが、ふっとたまらなく自分がいじらしくなって来て、とてもつづけて体操できず泣き出しそうになって、それに、いま急激にからだを動かしたせいか、首と腋下わきした淋巴腺リンパせんにぶく痛み出して、そっと触ってみると、いずれも固くれていて、それを知ったときには、私、立って居られなく、くずれるようにぺたりと座ってしまいました。私は醜いから、いままでこんなにつつましく、日陰を選んで、忍んで忍んで生きて来たのに、どうして私をいじめるのです、と誰にともなく焼きげるほどの大きい怒りが、むらむらいて、そのとき、うしろで、 「やあ、こんなところにいたのか。しょげちゃいけねえ。」とあの人の優しくつぶやく声がして、 「どうなんだ。少しは、よくなったか?」

11

よくなったと答えるつもりだったのに、私の肩に軽くせたあの人の右手を、そっとはずして、立ち上り、 「うちへかえる。」そんな言葉が出てしまって、自分で自分がわからなくなって、もう、何をするか、何を言うか、責任持てず、自分も宇宙も、みんな信じられなくなりました。 「ちょっと見せなよ。」あの人の当惑とうわくしたみたいな、こもった声が、遠くからのように聞えて、 「いや。」と私は身を引き、「こんなところに、グリグリができてえ。」とわきの下に両手を当てそのまま、私は手放しで、ぐしゃと泣いて、たまらずああんと声が出て、みっともない二十八のおたふくが、甘えて泣いても、なんのいじらしさが在ろう、醜悪しゅうあくの限りとわかっていても、涙がどんどんいて出て、それによだれも出てしまって、私はちっともいいところが無い。 「よし。泣くな! お医者へ連れていってやる。」あの人の声が、いままで聞いたことのないほど、強くきっぱりひびきました。

12

その日は、あの人もお仕事を休んで、新聞の広告しらべて、私もせんに一、二度、名前だけは聞いたことのある有名な皮膚科ひふか専門のお医者に見てもらうことにきめて、私は、よそ行きの着物に着換きがえながら、 「からだを、みんな見せなければいけないかしら。」 「そうよ。」あの人は、とても上品に微笑ほほえんで答えました。「お医者を、男と思っちゃいけねえ。」

13

私は顔を赤くしました。ほんのりとうれしく思いました。

14

外へ出ると、陽の光がまぶしく、私は自身を一匹のみにくい毛虫のように思いました。この病気のなおるまで世の中を真暗闇まっくらやみの深夜にして置きたく思いました。 「電車は、いや。」私は、結婚してはじめてそんな贅沢ぜいたくなわがまま言いました。もう吹出物ふきでものが手の甲にまでひろがって来ていて、いつか私は、こんな恐ろしい手をした女のひとを電車の中で見たことがあって、それからは、電車の吊皮つりかわにつかまるのさえ不潔ふけつで、うつりはせぬかと気味わるく思っていたのですが、いまは私が、そのいつかの女のひとの手と同じ工合いになってしまって、「身の不運」というぞくな言葉が、このときほど骨身にてっしたことはございませぬ。 「わかってるさ。」あの人は、明るい顔してそう答え、私を、自動車に乗せて下さいました。築地つきじから、日本橋、高島屋裏の病院まで、ほんのちょっとでございましたが、その間、私は葬儀車そうぎしゃに乗っている気持でございました。目だけが、まだ生きていて、ちまたの初夏のよそおいを、ぼんやりながめて、みち行く女のひと、男のひと、誰も私のように吹出物していないのが不思議でなりませんでした。

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病院に着いて、あの人と一緒に待合室へはいってみたら、ここはまた世の中と、まるっきりちがった風景で、ずっとまえ築地の小劇場で見た「どん底」という芝居の舞台面を、ふいと思い出しました。外は深緑で、あんなに、まばゆいほど明るかったのに、ここは、どうしたのか、陽の光が在っても薄暗うすぐらく、ひやと冷い湿気しっけがあって、酸いにおいが、ぷんと鼻をついて、盲人もうじんどもが、うなだれて、うようよいる。盲人では無いけれども、どこか、片端かたわの感じで、老爺老婆ろうやろうばの多いのには驚きました。私は、入口にちかい、ベンチのはしに腰をおろして、死んだように、うなだれ、目をつぶりました。ふと、この大勢の患者かんじゃの中で、私が一ばん重い皮膚病ひふびょうなのかも知れない、ということに気がつき、びっくりして目をひらき、顔をあげて、患者ひとりひとりを盗み見いたしましたが、やはり、私ほど、あらわに吹出物している人は、ひとりもございませんでした。皮膚科と、もうひとつ、とても平気で言えないような、いやな名前の病気と、そのふたつの専門医だったことを、私は病院の玄関げんかん看板かんばんで、はじめて知ったのですが、それでは、あそこに腰かけている若い綺麗きれいな映画俳優みたいな男のひと、どこにも吹出物など無い様子だし、皮膚科ではなく、そのもうひとつのほうの病気なのかも知れない、と思えば、もう皆、この待合室に、うなだれて腰かけている亡者たち皆、そのほうの病気のような気がして来て、 「あなた、少し散歩していらっしゃい。ここは、うっとうしい。」 「まだ、なかなからしいな。」あの人は、手持ぶさたげに、私の傍に立ちつくしていたのでした。 「ええ。私の番になるのは、おひるごろらしいわ。ここは、きたない。あなたが、いらっしゃっちゃ、いけない。」自分でも、おや、と思ったほど、いかめしい声が出て、あの人も、それを素直に受け取ってくれた様子で、ゆっくり首肯うなずき、 「おめえも、一緒に出ないか?」 「いいえ。あたしは、いいの。」私は、微笑んで、「あたしは、ここにいるのが、一ばん楽なの。」

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そうしてあの人を待合室から押し出して、私は、少し落ちつき、またベンチに腰をおろしっぱいように眼をつぶりました。はたから見ると、私は、きっとキザに気取って、おろかしい瞑想めいそうにふけっているばあちゃん女史に見えるでしょうが、でも、私、こうしているのが一ばん、らくなんですもの。死んだふり。そんな言葉、思い出して、可笑おかしゅうございました。けれども、だんだん私は、心配になってまいりました。誰にも、秘密が在る。そんな、いやな言葉を耳元にささやかれたような気がして、わくわくしてまいりました。ひょっとしたら、この吹出物も――と考え、一時に総毛そうけ立つ思いで、あの人の優しさ、自信の無さも、そんなところから起って来ているのではないのかしら、まさか。私は、そのときはしめて、可笑しなことでございますが、そのときはじめて、あの人にとっては、私が最初で無かったのだ、ということに実感をもって思い当り、いても立っても居られなくなりました。だまされた! 結婚詐欺さぎ唐突とうとつにそんなひどい言葉も思い出され、あの人を追いかけて行って、ぶってやりたく思いました。ばかですわね。はじめから、それが承知しょうちであの人のところへまいりましたのに、いま急に、あの人が、最初でないこと、たまらぬ程にくやしく、うらめしく、とりかえしつかない感じで、あの人の、まえの女のひとのことも、急に色濃いろこく、胸にせまって来て、ほんとうにはじめて、私はその女のひとを恐ろしく、憎く思い、これまで一度だって、そのひとのこと思ってもみたことない私の呑気のんきさ加減が、涙のいて出た程に残念でございました。くるしく、これが、あの嫉妬しっとというものなのでしょうか。もし、そうだとしたなら、嫉妬というものは、なんという救いのない狂乱、それも肉体だけの狂乱。一点美しいところもない醜怪しゅうかいきわめたものか。世の中には、まだまだ私の知らない、いやな地獄じごくがあったのですね。私は、生きてゆくのが、いやになりました。自分が、あさましく、あわててひざの上の風呂敷包ふろしきづつみをほどき、小説本を取り出し、でたらめにペエジをひらき、かまわずそこから読みはじめました。ボヴァリイ夫人、エンマの苦しい生涯しょうがいが、いつも私をなぐさめて下さいます。エンマの、こうして落ちて行く路が、私には一ばん女らしく自然のもののように思われてなりません。水が低きについて流れるように、からだのだるくなるような素直さを感じます。女って、こんなものです。言えない秘密を持って居ります。だって、それは女の「生れつき」ですもの。泥沼どろぬまを、きっと一つずつ持って居ります。それは、はっきり言えるのです。だって、女には、一日一日が全部ですもの。男とちがう。死後も考えない。思索しさくも、無い。一刻いっこく一刻の、美しさの完成だけを願って居ります。生活を、生活の感触かんしょくを、溺愛できあいいたします。女が、お茶碗ちゃわんや、きれいながらの着物を愛するのは、それだけが、ほんとうの生き甲斐がいだからでございます。刻々の動きが、それがそのまま生きていることの目的なのです。他に、何が要りましょう。高いリアリズムが、女のこの不埒ふらちと浮遊を、しっかり抑えて、かしゃくなくあばいてれたなら、私たち自身も、からだがきまって、どのくらい楽か知れないとも思われるのですが、女のこの底知れぬ「悪魔」には、誰もさわらず、見ないふりをして、それだから、いろんな悲劇が起るのです。高い、深いリアリズムだけが、私たちをほんとうに救ってくれるのかも知れませぬ。女の心は、いつわらずに言えば、結婚の翌日だって、ほかの男のひとのことを平気で考えることができるのでございますもの。人の心は、決して油断がなりませぬ。男女七歳にして、という古い教えが、突然おそろしい現実感として、私の胸をついて、はっと思いました。日本の倫理りんりというものは、ほとんど腕力的に写実なのだと、目まいのするほど驚きました。なんでもみんな知られているのだ。むかしから、ちゃんと泥沼が、明確にえぐられて在るのだと、そう思ったら、かえって心が少しすがすがしく、さわやかに安心して、こんなみにくい吹出物だらけのからだになっても、やっぱり何かと色気の多いおばあちゃん、と余裕を以て自身を憫笑びんしょうしたい気持も起り、再び本を読みつづけました。いま、ロドルフが、更にそっとエンマに身をすり寄せ、甘い言葉を口早にささやいているところなのですが、私は、読みながら、全然別な奇妙きみょうなことを考えて、思わずにやりと笑ってしまいました。エンマが、このとき吹出物していたら、どうだったろう、とへんな空想がいて出て、いや、これは重大なイデエだぞ、と私は真面目になりました。エンマは、きっとロドルフの誘惑ゆうわく拒絶きょぜつしたにちがいない。そうして、エンマの生涯しょうがいは、まるっきり違ったものになってしまった。それにちがいない。あくまでも、拒絶したにちがいない。だって、そうするより他に、仕様ないんだもの。こんなからだでは。そうして、これは喜劇ではなく、女の生涯は、そのときの髪のかたち、着物の柄、眠むたさ、または些細ささいのからだの調子などで、どしどし決定されてしまうので、あんまり眠むたいばかりに、背中のうるさい子供をひねり殺した子守女さえ在ったし、ことに、こんな吹出物は、どんなに女の運命を逆転させ、ロマンスを歪曲わいきょくさせるか判りませぬ。いよいよ結婚式というその前夜、こんな吹出物が、思いがけなく、ぷつんと出て、おやおやと思うまもなく胸に四肢ししに、ひろがってしまったら、どうでしょう。私は、有りそうなことだと思います。吹出物だけは、ほんとうに、ふだんの用心で防ぐことができない、何かしら天意にるもののように思われます。天の悪意を感じます。五年ぶりに帰朝する御主人をおむかえにいそいそ横浜の埠頭ふとう、胸おどらせて待っているうちにみるみる顔のだいじなところに紫色の腫物はれものがあらわれ、いじくっているうちに、もはや、そのよろこびの若夫人も、ふためと見られぬお岩さま。そのような悲劇もあり得る。男は、吹出物など平気らしゅうございますが、女は、はだだけで生きて居るのでございますもの。否定する女のひとは、嘘つきだ。フロベエルなど、私はよく存じませぬが、なかなか細密の写実家の様子で、シャルルがエンマの肩にキスしようとすると、(よして! 着物にしわが、――)と言って拒否きょひするところございますが、あんな細かく行きとどいた目を持ちながら、なぜ、女の肌の病気のくるしみにいては、書いて下さらなかったのでしょうか。男の人にはとてもわからぬ苦しみなのでしょうか。それとも、フロベエルほどのお人なら、ちゃんと見抜いて、けれどもそれは汚ならしく、とてもロマンスにならぬゆえ、知らぬふりして敬遠けいえんしているのでございましょうか。でも、敬遠なんて、ずるい、ずるい。結婚のまえの夜、または、なつかしくてならぬ人と五年ぶりにう直前などに、思わぬ醜怪しゅうかいの吹出物に見舞みまわれたら、私ならば死ぬる。家出して、堕落だらくしてやる。自殺する。女は、一瞬間一瞬間の、せめて美しさのよろこびだけで生きているのだもの。明日は、どうなっても、――そっとドアが開いて、あの人が栗鼠りすに似た小さい顔を出して、まだか? と目でたずねたので、私は、はすにちょっちょっと手招てまねきして、 「あのね、」下品に調子づいた甲高かんだかい声だったので私は肩をすくめ、こんどは出来るだけ声を低くして、「あのね、明日は、どうなったっていい、と思い込んだとき女の、一ばん女らしさが出ていると、そう思わない?」 「なんだって?」あの人が、まごついているので私は笑いました。 「言いかたが下手へたなの、わからないわね。もういいの。あたし、こんなところに、しばらくすわっているうちに、なんだか、また、人が変っちゃったらしいの。こんな、どん底にいると、いけないらしいの。あたし、弱いから、周囲の空気に、すぐ影響えいきょうされて、れてしまうのね。あたし、下品になっちゃったわ。ぐんぐん心が、くだらなく、堕落して、まるで、もう、」と言いかけて、ぎゅっと口をつぐんでしまいました。プロステチウト、そう言おうと思っていたのでございます。女が永遠に口に出して言ってはいけない言葉。そうして一度は、必ず、それの思いに悩まされる言葉。まるっきり誇を失ったとき、女は、必ずそれを思う。私は、こんな吹出物して、心まで鬼になってしまっているのだな、と実状じつじょううすぼんやり判って来て、私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無いていを装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚ひふだけを、それだけは、こっそり、いとおしみ、それが唯一ゆいいつのプライドだったのだということを、いま知らされ、私の自負していた謙譲けんじょうだの、つつましさだの、忍従にんじゅうだのも、案外あてにならない贋物にせもので、内実は私も知覚、感触かんしょく一喜一憂いっきいちゆうだけで、めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気付いて、知覚、感触が、どんなに鋭敏えいびんだっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも英知えいちと関係ない。全く、愚鈍ぐどん白痴はくちでしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。

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私は、間違っていたのでございます。私は、これでも自身の知覚のデリケエトを、なんだか高尚こうしょうのことに思って、それを頭のよさと思いちがいして、こっそり自身をいたわっていたところ、なかったか。私は、結局は、おろかな、頭のわるい女ですのね。 「いろんなことを考えたのよ。あたし、ばかだわ。あたし、しんから狂っていたの。」 「むりがねえよ。わかるさ。」あの人は、ほんとうに、わかってるみたいに、賢こそうな笑顔で答えて、「おい、おれたちの番だぜ。」

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看護婦かんごふまねかれて、診察室しんさつしつへはいり、おびをほどいてひと思いにはだぬぎになり、ちらと自分の乳房ちぶさを見て、私は、石榴ざくろを見ちゃった。目のまえに座っているお医者よりも、うしろに立っている看護婦さんに見られるのが、いくそう倍もつろうございました。お医者は、やっぱり人の感じがしないものだと思いました。顔の印象さえ、私には、はっきりいたしませぬ。お医者のほうでも、私を人の扱いせず、あちこちひねくって、 「中毒ですよ。何か、わるいもの食べたのでしょう。」平気な声で、そう言いました。 「なおりましょうか。」

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あの人が、たずねて呉れて、 「なおります。」

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私は、ぼんやり、ちがう部屋にいるような気持で聞いていたのでございます。 「ひとりで、めそめそ泣いていやがるので、見ちゃ居れねえのです。」 「すぐ、なおりますよ。注射しましょう。」

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お医者は、立ち上りました。 「単純な、ものなのですか?」とあの人。 「そうですとも。」

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注射してもらって、私たちは病院を出ました。 「もう手のほうは、なおっちゃった。」

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私は、なんども陽の光に両手をかざして、ながめました。 「うれしいか?」

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そう言われて私は、恥ずかしく思いました。




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太宰治全作品集 1
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変更終了:平成14年2月