デカダン抗議

       太宰 治

1

一人の遊蕩ゆうとうの子を描写びょうしゃして在るゆえをもって、その小説を、デカダン小説と呼ぶのは、当るまいと思う。私は何時でも、言わば、理想小説を書いて来たつもりなのである。

2

大まじめである。私は一種の理想主義者りそうしゅぎしゃかも知れない。理想主義者は、悲しいかな、現世にいてその言動、やや不審ふしん滑稽こっけいの感をさえ隣人りんじんたちに与えている場合が、多いようである。言わば、かのドン・キホオテである。あの人は、いまでは、全然、馬鹿の代名詞である。けれども彼がはたして馬鹿であるか、どうかは、それにいては、理想主義者のみぞよく知るところである。高邁こうまいの理想のために、おのれの財も、おのれの地位も、塵芥ちりあくたごとく投げ打って、自らこま陣頭じんとうにすすめた経験の無い人には、ドン・キホオテの血を吐くほどの悲哀ひあいが絶対にわからない。耳の痛いじんも、その辺にいるようである。

3

私の理想は、ドン・キホオテのそれに較べて、実に高邁で無い。私は破邪はじゃつるぎを振って悪者と格闘かくとうするよりは、頬の赤い村娘をあざむいて一夜寝ることの方を好むのである。理想にも、たくさんの種類があるものである。私はこの好色の理想のために、財を投げ打ち、衣服を投げ打ち、くつを投げ打ち、全くの清貧せいひんになってしまった。そうして、私は、この好色の理想を、仮りに名付けて、「ロマンチシズム」と呼んでいる。

4

すでに幼時より、このロマンチシズムは、芽生めばえていたのである。私の故郷は、奥州の山の中である。家に何か祝いごとがあると、父は、十里はなれたAという小都会から、四、五人の芸者を呼ぶ。芸者たちは、それぞれ馬の背に乗ってやって来る。他に、交通機関が無いからである。時々、芸者が落馬することもあった。物語は私が、十二歳の冬のことであった。たしか、父の勲章くんしょう祝いのときであった。芸者が五人、やって来た。婆さんが一人、ねえさんが二人、半玉はんぎょくさんが二人である。半玉の一人は、藤娘ふじむすめおどった。すこし酒をまされたか、眼もとが赤かった。私は、その人を美しいと思った。踊って、すらと形のきまる度毎たびごとに、観客たちの間から、ああ、という嘆声たんせいが起り、四、五人の溜息ためいきさえ聞えた。美しいと思ったのは私だけでは無かったのである。

5

私は、その女の子の名前を知りたいと思った。まさか、人に聞くわけにいかない。私は十二の子供であるから、そんな、芸者などには全然、関心の無いふりをしていなければ、ならぬのである。私は、こっそり帳場ちょうばへ行って、このたびの祝宴しゅくえん出費しゅっぴについて、一切を記して在るはず帳簿ちょうぼをしらべた。帳場の叔父おじさんの真面目まじめくさった文字で、歌舞の部、誰、誰、と五人の芸者の名前が書き並べられて、謝礼しゃれいいくら、いくらと、にこりともせず計算されていた。私は五人の名前を見て、一ばんおしまいから数えて二人めの、なみ、というのが、それだと思った。それにちがいないと思った。少年特有の、不思議な直感で、私は、その女の子の名前を、浪、と定めてしまって、落ちついた。

6

いまに大きくなったら、あの芸者を買ってやると、頑固がんこ覚悟かくごきめてしまった。二年、三年、私は、浪を忘れることが無かった。五年、六年、私は、もはや高等学校の生徒である。すでにもう大人になった気持である。芸者買いしたって、学校からばっせられることもなかったし、私は、今こそと思った。高等学校の所在するその城下まちから、浪のいるはずのAという小都会までは、汽車で一時間くらいで行ける。私は出掛でかけることにした。

7

二日つづきの休みのときに出掛けた。私は、高等学校の制服せいふく制帽せいぼうのままだった。言わば、弊衣破帽へいいはぼうである。けれども私は、それをじなかった。自分で、ひそかに、「貫一さん」みたいだと思っていた。幾春秋いくしゅんじゅう、忘れず胸にひめていた典雅てんがな少女と、いまこそ晴れていに行くのに、最もふさわしいロマンチックな姿であると思っていた。私は上衣のボタンをわざと一つむしりり取った。恋にやつれて、少しすさんだ陰影いんえいを、おのが姿に与えたかった。

8

Aという、その海のある小都会に到着とうちゃくしたのは、ひるすこしまえで、私はそのまま行き当りばったり、駅の近くの大きい割烹かっぽう店へ、どんどんはいってしまった。私にも、その頃はまだ、自意識だのなんだの、そんなけがらわしいものは持ち合せ無く、思うことそのまま行い得る美しい勇気があったのである。後で知ったのだが、その割烹店は、県知事はじめ地方名士をのみ顧客こきゃくとしている土地一流の店のよし。なるほど玄関げんかんも、ものものしく、庭園には大きい滝があった。玄関からまっすぐに長い廊下ろうかが通じていて、廊下の板は、お寺の床板みたいに黒く冷え冷えと光って、その廊下の尽きるところ、トンネルの向う側のように青いスポット・ライトを受けて、ぱっと庭園のその大滝が望見される。葉桜のころで、光りかがやく青葉のかげで、どうどうと落ちているたきは、十八歳の私には夢のようであった。ふと、われに帰り、 「ごはんを食べに来たのだ。」

9

いままで掃除そうじしていたものらしく、ほうき持って、手拭いを、あねさんかぶりにしたままで、「どうぞ。」と、その女中は、なぜか笑いながら答え、私にスリッパをそろえてくれた。

10

金屏風きんびょうぶ立てて在る奥の二階の部屋に案内された。割烹店は、お寺のように、シンとしていた。滝の音ばかり、いやに大きくひびいていた。 「ごはんを食べるのだ。」私は座蒲団ざぶとんに大きく、あぐらかいて座り、怒ったようにして、また言った。ばかにされまいとして、懸命けんめいであったのである。「さしみと、オムレツと、牛鍋ぎゅうなべとおしんこを下さい。」知っている料理を皆言ったつもりであった。

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女中は、四十ちかい叔母おばさんで、顔が黒く、せていて、それでも優しそうな感じのいい人であった。私は、その女中さんにお給仕きゅうじされて、ひとりで、めしを大いに食べながら、 「なみ、という芸者がいないかね。」少しも、恥じずに、そう言った。美しい勇気を持っていたのである。むしろ、得意でさえあった。「僕は、知っているんだ。」

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女中は、いないと答えた。私ははしを取り落すほど、がっかりした。 「そんなことは、ない。」ひどく不気嫌ふきげんだった。

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女中は、うしろへ両手を回して、ちょっとおびを直してから、答えた。浪という芸者が、いましたけれど、いつも男の言うこと聞きすぎて、田舎まわりの旅役者にだまされ、この土地に居られなくなり、いまはASという温泉場で、温泉芸者しているはずです、という答えであった。 「そうか。浪は、昔から、そういう子だったんだ。」なぞと、知ったかぶりをして、けれども私は暗い気持であった。そのまま帰ったのであるが、なんのことはない、私はA市まで、滝を見に行って来たようなものであった。

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けれども私は、浪を忘れなかった。忘れるどころか、いよいよ好きになった、旅役者にだまされるとは、なんというロマンチック。えらいと思った。凡俗ぼんぞくでないと思った。必ず、必ず、ASという、その温泉場へ行って、浪を、ほめてあげようと思った。

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それから三年経って、私は東京の大学へはいり、喫茶店きっさてんや、バアの女ともる機会を持ったが、やはり浪を忘れ得なかった。そのとしの暑中休暇しょちゅうきゅうかに、故郷へ帰る途中、汽車がそのASという温泉場へも停車ていしゃしたので、私は、とっさの中に覚悟かくごをきめ、飛鳥ひちょうの如く身をおどらせて下車してしまった。

16

その夜、私は浪と会った。浪は、太って、ずんぐりして、ちっとも美しくなかった。私は、やたらに酒を呑んだ。酔って来たら、多少ロマンチックな気持もよみがえって来て、 「あなたは十年まえに、馬に乗って、Kという村に来たこと、なかったかね?」 「あったわ。」女は、なんでも無さそうにして答えた。

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私はひざを大いにすすめて、そのとき、あなたのおどった藤娘ふじむすめを、僕は見ていた。十二のときだった。それから、あなたを忘れられない。苦心して、あなたの居所さがし回って、私は、いま十年ぶりで、やっと、あなたとうことができたのだ。と言っているうちに、やはり胸が一ぱいになって来て、私は泣きたくなって来た。 「あなたは、それじゃ、」温泉芸者は、さらきょうおぼえぬ様子で、「Tさんのおぼっちゃんなの?」と、ぶっきらぼうなたずねかたをした。

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私は、そうだと答えたかったのだけれど、そうすると、なんだかお金持の子供を鼻にかけるようで私のロマンチックな趣味しゅみに合わなかったから、いやちがう、僕はあの家の遠縁とおえんに当る苦学生であるが、そんなことは、どうでもいい、十年ぶりでやっと思いがかなってえたのだ。今夜は、この宿へとまって行きなさい、ゆっくり話しましょう、と私ひとりは、何かと興奮しているのだが、女は一向に、このロマンチシズムをかいしない。あたしは、よごれているから、と女は、泊ることを断った。私は、かんちがいした。強い感動を受けたのである。思わず、さらに大いに膝をすすめ、 「何を言うのだ。僕だって昔の僕じゃない。全身、きずだらけだ。あなたも、苦労したろうね。お互いだ。僕だって、よごれているのだ。君は、君の暗い過去のことでけめを感ずることは、少しもないんだ。」涙声にさえなっていた。

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女は、やはり、その夜、泊らずに帰った。つまらない女であった。私は女の帰った真意を、解することが、できなかった。おのれの淪落りんらくの身の上を恥じて、帰ってしまったものとばかり思っていたのである。

20

いまは、すべてに思い当り、年少のその早合点が、いろいろ複雑に悲しく、けれども、私は、これを、けがらわしい思い出であるとは決して思わない。なんにも知らず、ただ一図いちずに、僕もよごれていると、大声で叫んだその夜の私を、いつくしみたい気持さえあるのだ。私は、たしかにかの理想主義者にちがいない。あざわらうことのできる者は、嘲うがよい。




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