ア、秋

       太宰 治

1

本職ほんしょく詩人しじんともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。 「秋について」という注文が来れば、よし来た、と「ア」の部の引き出しを開いて、愛、青、赤、アキ、いろいろのノオトがあって、そのうちの、あきの部のノオトを選び出し、落ちついてそのノオトを調べるのである。

2

トンボ。スキトオル。と書いてある。

3

秋になると、蜻蛉とんぼも、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して言っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。

4

秋ハ夏ノ焼ケ残リサ。と書いてある。焦土しょうどである。

5

夏ハ、シャンデリヤ。秋ハ、灯籠とうろう。とも書いてある。

6

コスモス、無残。と書いてある。

7

いつか郊外のおそばやで、ざるそば待っている間に、食卓の上の古いグラフを開いて見て、そのなかに大震災だいしんさいの写真があった。一面の焼野原、市松の浴衣ゆかた着た女が、たったひとり、疲れてしゃがんでいた。私は、胸が焼きげるほどにそのみじめな女を恋した。おそろしい情欲をさえ感じました。悲惨ひさんと情欲とはうらはらのものらしい。息がとまるほどに、苦しかった。枯野かれののコスモスに行き会うと、私は、それと同じ痛苦を感じます。秋の朝顔も、コスモスと同じくらいに私を瞬時窒息しゅんじちっそくさせます。

8

秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。

9

夏の中に、秋がこっそりかくれて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱えんねつにだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳をまして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗ききょうの花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。

10

秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼けいがんの詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者くせものである。

11

怪談ヨロシ。アンマ。モシ、モシ。

12

マネク、ススキ。アノ裏ニハキット墓地ガアリマス。

13

路問エバ、オンナおしナリ、枯野原。

14

よく意味のわからぬことが、いろいろ書いてある。何かのメモのつもりであろうが、僕自身にも書いた動機が、よくわからぬ。

15

窓外、庭ノ黒土ヲバサバサイズリマワッテイルみにくキ秋ノちょうヲ見ル。並ハズレテ、タクマシキガゆえニ、死ナズ在リヌル。決シテ、ハカナキていニハ非ズ。と書かれてある。

16

これを書きこんだときは、私は大へん苦しかった。いつ書きこんだか、私は決して忘れない。けれども、今は言わない。

17

捨テラレタ海。と書かれてある。

18

秋の海水浴場に行ってみたことがありますか。なぎさに破れた絵日傘えひがさが打ち寄せられ、歓楽かんらくあと、日の丸の提灯ちょうちんも捨てられ、かんざし、紙屑かみくず、レコオドの破片はへん、牛乳の空瓶あきびん、海は薄赤うすあかにごって、どたりどたりとなみ打っていた。

19

緒方サンニハ、子供サンガアッタネ。

20

秋ニナルト、はだガカワイテ、ナツカシイワネ。

21

飛行機ハ、秋ガ一バンイイノデスヨ。

22

これもなんだか意味がよくわからぬが、秋の会話を盗み聞きして、そのまま書きとめて置いたものらしい。

23

また、こんなのも、ある。

24

芸術家ハ、イツモ、弱者ノ友デアッタはずナノニ。

25

ちっとも秋に関係ない、そんな言葉まで、書かれてあるが、あるいはこれも、「季節の思想」といったようなわけのものかも知れない。

26

その他、

27

農家。絵本。秋ト兵隊。秋ノカイコ。火事。ケムリ。オ寺。

28

ごたごた一ぱい書かれてある。




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