畜犬談

       太宰 治


    ――伊馬鵜平君に与える。

1

私は、犬にいては自信がある。いつの日か、必ず食いつかれるであろうという自信である。私は、きっとまれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで食いつかれもせず無事に過して来たものだと不思議な気さえしているのである。諸君しょくん、犬は猛獣もうじゅうである。馬をたおし、たまさかには獅子ししと戦ってさえこれ征服せいふくするとかいうではないか。さもありなむと私はひとりさびしく首肯しゅこうしているのだ。あの犬の、鋭いきばを見るがよい。ただものでは無い。いまは、あのように街路で無心のふうをよそおい、とるに足らぬもののごとく自ら卑下ひげして、芥箱ちりばこのぞきまわったりなどして見せているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その本性を曝露ばくろするか、わかったものでは無い。犬は必ず鎖に固くしばりつけて置くべきである。少しの油断もあってはならぬ。世の多くのい主は、自らおそろろしき猛獣をやしない、之に日々わずかの残飯ざんぱんを与えているという理由だけにて、全くこの猛獣に心をゆるし、エスや、エスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員の如く身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の耳をぐいと引っぱらせて大笑いしている図にいたっては、戦慄せんりつ、目をおおわざるを得ないのである。不意に、わんと言って食いついたら、どうする気だろう。気をつけなければならぬ。飼い主でさえ、噛みつかれぬとは保証でき難い猛獣を、(飼い主だから、絶対に食いつかれぬということはおろかな気のいい迷信めいしんに過ぎない。あの恐ろしいきばのある以上、必ず噛む。決して噛まないということは、科学的に証明できるはずは無いのである。)その猛獣を、放しいにして、往来おうらいをうろうろ徘徊はいかいさせて置くとは、どんなものであろうか。昨年の晩秋、私の友人が、ついに之の被害ひがいを受けた。いたましい犠牲者ぎせいしゃである。友人の話にると、友人は何もせず横丁よこちょう懐手ふところでしてぶらぶら歩いていると、犬が道路上にちゃんと座っていた。友人は、やはり何もせず、その犬の傍を通った。犬はその時、いやな横目を使ったという。何事もなく通りすぎた、とたん、わんと言って右のあしに食いついたという。災難さいなんである。一瞬いっしゅんのことである。友人は、呆然ぼうぜん自失したという。ややあって、くやし涙がいて出た。さもありなむ、と私は、やはりさびしく首肯しゅこうしている。そうなってしまったら、ほんとうに、どうしようも、無いではないか。友人は、痛む脚をひきずって病院へ行き手当を受けた。それから二十一日間、病院へかよったのである。三週間である。脚の傷がなおっても、体内に恐水病きょうすいびょうといういまわしい病気の毒が、あるいは注入されて在るかも知れぬという懸念けねんから、その防毒ぼうどく注射ちゅうしゃをしてもらわなければならぬのである。飼い主に談判だんぱんするなど、その友人の弱気をもってしては、とてもできぬことである。じっとえて、おのれの不運に溜息ためいきついているだけなのである。しかも、注射代など決して安いものでなく、そのような余分のたくわえは失礼ながら友人に在る筈もなく、いずれは苦しい算段をしたにちがいないので、とにかく之は、ひどい災難さいなんである。大災難である。また、うっかり注射でも怠ろうものなら、恐水病といって、発熱悩乱はつねつのうらんの苦しみ在って、果てはかおが犬に似て来て、四ついになり、ただわんわんとゆるばかりだという、そんな凄惨せいさんな病気になるかも知れないということなのである。注射を受けながらの、友人の憂慮ゆうりょ、不安は、どんなだったろう。友人は苦労人で、ちゃんとできた人であるから、みにくく取り乱すことも無く、三七、二十一日病院に通い、注射を受けて、いまは元気に立ち働いているが、もし之が私だったら、その犬、生かして置かないだろう。私は、人の三倍も四倍も復讐心ふくしゅうしんの強い男なのであるから、また、そうなると人の五倍も六倍も残忍性ざんにんせい発揮はっきしてしまう男なのであるから、たちどころにその犬の頭蓋骨ずがいこつを、めちゃめちゃに粉砕ふんさいし、眼玉をくり抜き、ぐしゃぐしゃに噛んで、べっとき捨て、それでも足りずに近所近辺のい犬ことごとくを毒殺してしまうであろう。こちらが何もせぬのに、突然わんと言って噛みつくとはなんという無礼ぶれい狂暴きょうぼうの仕草であろう。いかに畜生ちくしょうといえども許しがたい。畜生ふびんのゆえもって、人は之を甘やかしているからいけないのだ。容赦ようしゃなく酷刑こくけいしょすべきである。昨秋、友人の遭難そうなんを聞いて、私の畜犬ちくけんに対する日頃ひごろ憎悪ぞうおは、その極点に達した。青いほのおが燃え上るほどの、思いつめたる憎悪である。

2

ことしの正月、山梨県、甲府のまちはずれに八畳、三畳、一畳という草庵を借り、こっそり隠れるように住み込み、下手へたな小説あくせく書きすすめていたのであるが、この甲府のまち、どこへ行っても犬がいる。おびただしいのである。往来に、あるいはたたずみ、或いはながながと寝そべり、或いは疾駆しっくし、或いはきばを光らせて吠え立て、ちょっとした空地でもあると必ずそこは野犬の巣の如く、組んづほぐれつ格闘の稽古けいこにふけり、夜など無人の街路がいろを風のごと野盗やとうの如く、ぞろぞろ大群をなして縦横じゅうおうけ回っている。甲府の家毎いえごと、家毎、少くとも二匹くらいずつやしなっているのではないかと思われるほどに、おびただしい数である。山梨県は、もともと甲斐犬の産地として知られている様であるが、街頭で見かける犬の姿は、決してそんな純血種じゅんけつしゅのものではない。赤いムク犬が最も多い。採るところ無きあさはかな駄犬だけんばかりである。もとより私は畜犬に対しては含むところがあり、また友人の遭難以来一そう嫌悪けんおの念を増し、警戒けいかいおさおさおこたるものではなかったのであるが、こんなに犬がうようよいて、どこの横丁にでも跳梁ちょうりょうし、或いはとぐろをいて悠然ゆうぜんと寝ているのでは、とても用心し切れるものでなかった。私は実に苦心をした。できることなら、すねあて、こて当、かぶとをかぶって街を歩きたく思ったのである。けれども、そのような姿は、いかにも異様であり、風紀上ふうきじょうからいっても、決して許されるものでは無いのだから、私は別の手段をとらなければならぬ。私は、まじめに、真剣に、対策を考えた。私は、まず犬の心理を研究した。人間にいては、私もいささか心得があり、たまには的確てきかくに、あやまたず指定できたことなどもあったのであるが、犬の心理は、なかなかむずかしい。人の言葉が、犬と人との感情交流にどれだけ役立つものか、それが第一の難問なんもんである。言葉が役に立たぬとすれば、お互いの素振そぶり、表情を読み取るより他に無い。しっぽの動きなどは、重大である。けれども、この、しっぽの動きも、注意して見ていると仲々なかなかに複雑で、容易に読み切れるものでは無い。私は、ほとんど絶望ぜつぼうした。そうして、はなは拙劣せつれつな、無能きわまる一法を案出あんしゅつした。あわれな窮余きゅうよ一策いっさくである。私は、とにかく、犬に出会であうと、満面に微笑をたたえて、いささかも害心のないことを示すことにした。夜は、その微笑が見えないかも知れないから、無邪気むじゃき童謡どうようを口ずさみ、やさしい人間であることを知らせようと努めた。之等これらは、多少、効果こうかがあったような気がする。犬は私には、いまだ飛びかかって来ない。けれどもあくまで油断は禁物である。犬の傍を通る時は、どんなに恐ろしくても、絶対に走ってはならぬ。にこにこいやしい追従ついしょう笑いを浮べて、無心そうに首を振り、ゆっくりゆっくり、内心、背中に毛虫が十匹っているような窒息ちっそくせんばかりの悪寒おかんにやられながらも、ゆっくりゆっくり通るのである。つくづく自身の卑屈ひくつがいやになる。泣きたいほどの自己嫌悪じこけんおを覚えるのであるが、これを行わないと、たちまち噛みつかれるような気がして、私は、あらゆる犬にあわれな挨拶あいさつを試みる。髪をあまりに長く伸していると、あるいはウロンの者として吠えられるかも知れないから、あれほどいやだった床屋へも精出して行くことにした。ステッキなど持って歩くと、犬のほうで威嚇いかく武器ぶきと感ちがいして、反抗心を起すようなことがあってはならぬから、ステッキは永遠に廃棄はいきすることにした。犬の心理を計りかねて、ただ行き当りばったり、無闇矢鱈むやみやたら御機嫌ごきげんとっているうちに、ここに意外の現象が現われた。私は、犬に好かれてしまったのである。尾を振って、ぞろぞろ後について来る。私は、地団駄じだんだんだ。実に皮肉である。かねがね私の、こころよからず思い、また最近にいたっては憎悪ぞうお極点きょくてんにまで達している、その当の畜犬ちくけんに好かれるくらいならば、いっそ私は駱駝らくだに慕われたいほどである。どんな悪女にでも、好かれて気持の悪いはずはない、というのはそれは浅薄せんぱく想定そうていである。プライドが、虫が、どうしてもそれを許容きょようできない場合がある。堪忍かんにんならぬのである。私は、犬をきらいなのである。早くからその狂暴きょうぼう猛獣性もうじゅうせい看破かんぱし、こころよからず思っているのである。たかだか日に一度や二度の残飯ざんぱん投与とうよにあずからむがために、友を売り、妻を離別りべつし、おのれの身ひとつ、その家の軒下のきしたに横たえ、忠義顔ちゅうぎがおして、かつての友にえ、兄弟、父母をも、けろりと忘却ぼうきゃくし、ただひたすらに飼主かいぬしの顔色をうかがい、阿諛追従あゆついしょうてんとしてじず、ぶたれても、きゃんと言い尻尾しっぽまいて閉口へいこうして見せて家人を笑わせ、その精神せいしん卑劣ひれつ醜怪しゅうかい犬畜生いぬちくしょうとは、よくも言った。日に十里を楽々と走破そうはし得る健脚けんきゃくを有し、獅子をもたお白光鋭利はっこうえいりきばを持ちながら、懶惰無頼らんだぶらいくさてたいやしい根性をはばからず発揮はっきし、一片の矜持きょうじ無く、てもなく人間界に屈服くっぷくし、隷属れいぞくし、同族互いに敵視てきしして、顔つき合せると吠え合い、噛み合い、もって人間の御機嫌ごきげんを取り結ぼうと努めている。すずめを見よ。何ひとつ武器を持たぬ繊弱せんじゃく小禽しょうきんながら、自由を確保し、人間界とは全く別個の小社会を営み、同類相親しみ、欣然きんぜん日々の貧しい生活を歌い楽しんでいるではないか。思えば、思うほど、犬は不潔だ。犬はいやだ。なんだか自分に似ているところさえあるような気がして、いよいよ、いやだ。たまらないのである。その犬が、私を特に好んで、尾を振って親愛しんあいの情を表明して来るに及んでは、狼狽ろうばいとも、無念とも、なんとも、言いようがない。あまりに犬の猛獣性もうじゅうせい畏敬いけいし、買いかぶり、節度もなく媚笑びしょうきちらして歩いたゆえ、犬は、かえって知己ちきを得たものと誤解ごかいし、私をくみやすしと見てとって、このような情ない結果に立ちいたったのであろうが、何事によらず、ものには節度せつどが大切である。私は、未だに、どうも、節度を知らぬ。

3

早春のこと。夕食の少しまえに、私はすぐ近くの四十九連隊の練兵場れんぺいじょう散歩さんぽに出て、二、三の犬が私のあとについて来て、いまにもかかとをがぶりとやられはせぬかと生きた気もせず、けれども毎度のことであり、観念かんねんして無心平静をよそおい、ぱっと脱兎だっとごとく走り逃げたい衝動しょうどう懸命けんめいおさえ抑え、ぶらりぶらり歩いた。犬は私について来ながら、途々みちみちお互いに喧嘩けんかなどはじめて、私は、わざと振りかえって見もせず、知らぬふりして歩いているのだが、内心、実に閉口へいこうであった。ピストルでもあったなら、躊躇ちゅうちょせずドカンドカンと射殺しゃさつしてしまいたい気持であった。犬は、私にそのような、外面如菩薩げめんにょぼさつ、内心如夜叉にょやしゃ的の奸佞かんねい害心がいしんがあるとも知らず、どこまでもついて来る。練兵場をぐるりと一回りして、私はやはり犬にしたわれながら帰途きとについた。家へ帰りつくまでには、背後の犬もどこかへ雲散霧消うんさんむしょうしているのが、これまでの、しきたりであったのだが、その日に限って、ひどく執拗しつようれ馴れしいのが一匹いた。真黒の、見るかげもない小犬である。ずいぶん小さい。胴の長さ五寸の感じである。けれども、小さいからと言って油断はできない。歯は、すでにちゃんと生えそろっている筈である。噛まれたら病院に三、七、二十一日間通わなければならぬ。それにこのような幼少なものには常識がないから、したがって気まぐれである。一そう用心をしなければならぬ。小犬は後になり、さきになり、私の顔をあおぎ、よたよた走って、とうとう私の家の玄関まで、ついて来た。 「おい。へんなものが、ついて来たよ。」 「おや、可愛い。」 「可愛いもんか。追っ払ってれ。手荒くすると食いつくぜ。お菓子かしでもやって。」

4

れいの私の軟弱外交なんじゃくがいこうである。小犬は、たちまち私の内心畏怖いふの情を見抜みぬき、それにつけ込み、図々しくもそれから、ずるずる私の家に住みこんでしまった。そうしてこの犬は、三月、四月、五月、六、七、八、そろそろ秋風吹きはじめて来た現在にいたるまで、私の家に居るのである。私は、この犬には、幾度いくど泣かされたかわからない。どうにも始末ができないのである。私は仕方なく、この犬を、ポチなどと呼んでいるのであるが、半年も共に住んでいながら、いまだに私は、このポチを、一家のものとは思えない。他人の気がするのである。しっくり行かない。不和である。お互い心理の読み合いに火花を散らして戦っている。そうしてお互い、どうしても釈然しゃくぜんと笑い合うことができないのである。

5

はじめこの家にやって来たころは、まだ子供で、地べたのあり不審ふしんそうに観察かんさつしたり、蝦蟇がまを恐れて悲鳴ひめいを挙げたり、その様には私も思わず失笑することがあって、憎いやつであるが、これも神様の御心にってこの家へ迷い込んで来ることになったのかも知れぬと、えんの下に寝床ねどこを作ってやったし、食い物も乳幼児むきにやわらかくて与えてやったし、蚤取粉のみとりこなどからだに振りかけてやったものだ。けれども、ひとつきつと、もういけない。そろそろ駄犬だけん本領ほんりょう発揮はっきして来た。いやしい。もともと、この犬は練兵場れんぺいじょうすみに捨てられて在ったものにちがいない。私のあの散歩さんぽ帰途きと、私にまつわりつくようにしてついて来て、その時は、見るかげも無くせこけて、毛も抜けていてお尻の部分は、ほとんど全部禿げていた。私だからこそ、これ菓子かしを与え、おかゆを作り、あらい言葉一つけるではなし、れものにさわるように鄭重ていちょうにもてなして上げたのだ。他の人だったら、足蹴あしげにして追い散らしてしまったにちがいない。私のそんな親切なもてなしも、内実は、犬に対する愛情からではなく、犬に対する先天的な憎悪ぞうお恐怖きょうふから発した老獪ろうかいけ引きに過ぎないのであるが、けれども私のおかげで、このポチは、毛並もととのい、どうやら一人まえの男の犬に成長することを得たのではないか。私はおんを売る気はもうとう無いけれども、少しは私たちにも何か楽しみを与えてくれてもよさそうに思われるのであるが、やはり捨犬すていぬ駄目だめなものである。おおめしくらって、食後の運動のつもりであろうか、下駄げたをおもちゃにして無残に噛み破り、庭に干して在る洗濯物せんたくものを要らぬ世話して引きずりおろし、どろまみれにする。 「こういう冗談じょうだんはしないでおくれ。実に、困るのだ。だれが君に、こんなことをしてくれとたのみましたか?」と、私は、内にはりを含んだ言葉を、精一ぱい優しく、いや味をきかせて言ってやることもあるのだが、犬は、きょろりと眼を動かし、いや味を言い聞かせている当の私にじゃれかかる。なんという甘ったれた精神であろう。私はこの犬の鉄面皮てつめんぴには、ひそかにあきれ、之を軽蔑けいべつさえしたのである、長ずるに及んで、いよいよこの犬の無能が曝露ばくろされた。だいいち、形がよくない。幼少のころには、も少し形の均斉きんせいもとれていて、あるいは優れた血がまじっているのかも知れぬと思わせるところ在ったのであるが、それは真赤ないつわりであった。胴だけが、にょきにょき長く伸びて、手足がいちじるしく短い。亀のようである。見られたものでなかった。そのようなみにくい形をして、私が外出すれば必ずかげごとくちゃんと私につき従い、少年少女までが、やあ、へんてこな犬じゃと指さして笑うこともあり、多少見栄坊みえぼうの私は、いくらまして歩いても、なんにもならなくなるのである。いっそ他人のふりをしようと足早に歩いてみても、ポチは私の傍を離れず、私の顔をあおぎ振り仰ぎ、あとになり、さきになり、からみつくようにしてついて来るのだから、どうしたって二人は他人のようには見えまい。気心の合った主従しゅじゅうとしか見えまい。おかげで私は外出のたびごとに、ずいぶん暗い憂鬱ゆううつな気持にさせられた。いい修行になったのである。ただ、そうして、ついて歩いていたころは、まだよかった。そのうちにいよいよ隠して在った猛獣もうじゅうの本性を曝露して来た。喧嘩格闘けんかかくとうを好むようになったのである。私のおともをして、まちを歩いて行きう犬、行き会う犬、すべてに挨拶あいさつして通るのである。つまり、かたっぱしから喧嘩して通るのである。ポチは足も短く、若年でありながら、喧嘩は相当強いようである。空地の犬の巣に踏みこんで、一時に五匹の犬を相手に戦ったときは流石さすがに危く見えたが、それでもたくみに身をかわして難をけた。非常な自信をもって、どんな犬にでも飛びかかって行く。たまには勢負いきおいまけして、えながらじりじり退却たいきゃくすることもある。声が悲鳴ひめいに近くなり、真黒い顔が蒼黒あおぐろくなって来る。いちど小牛のようなシェパアドに飛びかかっていって、あのときは、私があおくなった。はたして、ひとたまりも無かった。前足でころころポチをおもちゃにして、本気につき合ってくれなかったのでポチも命が助かった。犬は、いちどあんなひどいめにうと、大へん意気地がなくなるものらしい。ポチは、それからは眼に見えて、喧嘩を避けるようになった。それに私は、喧嘩を好まず、否、好まぬどころではない、往来で野獣の組打ちを放置し許容しているなどは、文明国の恥辱ちじょくと信じているので、かの耳をろうせんばかりのけんけんごうごう、きゃんきゃんの犬の野蛮のわめき声には、殺してもなおあき足らない憤怒と憎悪を感じているのである。私はポチを愛してはいない。恐れ、憎んでこそいるが、みじんも愛しては、いない。死んで呉れたらいいと思っている。私にのこのこついて来て、何かそれが飼われているものの義務とでも思っているのか、途で会う犬、会う犬、必ず凄惨せいさんに吠え合って、主人としての私は、そのときどんなに恐怖にわななき震えていることか。自動車呼びとめて、それに乗ってドアをばたんと閉じ、一目散に逃げ去りたい気持なのである。犬同志の組打ちで終るべきものなら、まだしも、もし敵の犬が血迷って、ポチの主人の私に飛びかかって来るようなことがあったら、どうする。ないとは言わせぬ。血に飢えたる猛獣である。何をするか、わかったものでない。私はむごたらしく噛み裂かれ、三七、二十一日間病院に通わなければならぬ。犬の喧嘩は、地獄である。私は、機会あるごとにポチに言い聞かせた。 「喧嘩しては、いけないよ。喧嘩をするなら、僕からはるか離れたところで、してもらいたい。僕は、おまえを好いてはいないんだ。」

6

少し、ポチにもわかるらしいのである。そう言われると多少しょげる。いよいよ私は犬を、薄気味わるいものに思った。その私の繰り返し繰り返し言った忠告が効を奏したのか、あるいは、かのシェパアドとの一戦にぶざまな惨敗ざんぱいを喫したせいか、ポチは、卑屈なほど柔弱にゅうじゃく態度たいどをとりはじめた。私と一緒にみちを歩いて、他の犬がポチにえかけると、ポチは、 「ああ、いやだ、いやだ。野蛮ですねえ。」

7

と言わんばかり、ひたすら私の気に入られようと上品ぶって、ぶるっと胴震どうぶるいさせたり、相手の犬を、仕方のないやつだね、とさもさもあわれむように流し目で見て、そうして、私の顔色をうかがい、へっへっへっといやしい追従ついしょう笑いするかのごとく、その様子のいやらしいったら無かった。 「一つも、いいところないじゃないか、こいつは。ひとの顔色ばかり伺っていやがる。」 「あなたが、あまり、へんにかまうからですよ。」家内は、はじめからポチに無関心であった。洗濯物せんたくものなど汚されたときはぶつぶつ言うが、あとはけろりとして、ポチポチと呼んで、めしを食わせたりなどしている。「性格が破産しちゃったんじゃないかしら。」と笑っている。 「飼い主に、似て来たというわけかね。」私は、いよいよ、にがにがしく思った。

8

七月にはいって、異変が起った。私たちは、やっと、東京の三鷹村みたかむらに、建築最中けんちくさいちゅうの小さい家を見つけることができて、それの完成し次第、一カ月二十四円で貸してもらえるように、家主と契約けいやくの証書かわして、そろそろ移転の仕度をはじめた。家ができ上ると、家主から速達で通知が来ることになっていたのである。ポチは、勿論もちろん、捨てて行かれることになっていたのである。 「連れて行ったって、いいのに。」家内は、やはりポチをあまり問題にしていない。どちらでもいいのである。 「だめだ。僕は、可愛いからやしなっているんじゃないんだよ。犬に復讐ふくしゅうされるのが、こわいから、仕方なくそっとして置いてやっているのだ。わからんかね。」 「でも、ちょっとポチが見えなくなると、ポチはどこへ行ったろう、どこへ行ったろうと大騒ぎじゃないの。」 「いなくなると、一そう薄気味うすきみが悪いからさ。僕に隠れて、ひそかに同志を糾合きゅうごうしているのかもわからない。あいつは、僕に軽蔑けいべつされていることを知っているんだ。復讐心が強いそうだからなあ、犬は。」

9

いまこそ絶好の機会であると思っていた。この犬をこのまま忘れたふりして、ここへ置いて、さっさと汽車に乗って東京へ行ってしまえば、まさか犬も、笹子峠ささごとうげを越えて三鷹村まで追いかけて来ることはなかろう。私たちは、ポチを捨てたのではない。全くうっかりして連れて行くことを忘れたのである。罪にはならない。またポチにうらまれる筋合も無い。復讐されるわけはない。 「大丈夫だろうね。置いていっても、え死するようなことはないだろうね。死霊しりょうたたりということもあるからね。」 「もともと、捨犬すていぬだったんですもの。」家内も、少し不安になった様子である。 「そうだね。飢え死することはないだろう。なんとか、うまくやって行くだろう。あんな犬、東京へ連れて行ったんじゃ、僕は友人に対してはずかしいんだ。胴が長すぎる。みっともないねえ。」

10

ポチは、やはり置いて行かれることに、確定した。すると、ここに異変が起った。ポチが、皮膚病ひふびょうにやられちゃった。これが、またひどいのである。さすがに形容をはばかるが、惨状さんじょう、眼をそむけしむるものがあったのである。折からの炎熱えんねつと共に、ただならぬ悪臭あくしゅうを放つようになった。こんどは家内が、まいってしまった。 「ご近所にわるいわ。殺して下さい。」女は、こうなると男よりも冷酷れいこくで、度胸どきょうがいい。 「殺すのか?」私は、ぎょっとした。「も少しの我慢がまんじゃないか。」

11

私たちは、三鷹みたかの家主からの速達を一心に待っていた。七月末には、できるでしょうという家主の言葉であったのだが、七月もそろそろおしまいになりかけて、きょうか明日かと、引越しの荷物もまとめてしまって待機たいきしていたのであったが、仲々、通知が来ないのである。問い合せの手紙を出したりなどしている時に、ポチの皮膚病ひふびょうがはじまったのである。見れば、見るほど、酸鼻さんびの極である。ポチも、いまは流石さすがに、おのれのみにくい姿をじている様子で、とかく暗闇の場所を好むようになり、たまに玄関の日当りのいい敷石しきいしの上で、ぐったり寝そべっていることがあっても、私が、それを見つけて、 「わあ、ひでえなあ。」と罵倒ばとうすると、いそいで立ち上って首をれ、閉口へいこうしたようにこそこそえんの下にもぐり込んでしまうのである。

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それでも私が外出するときには、どこからともなく足音忍ばせて出て来て、私について来ようとする。こんな化け物みたいなものに、ついて来られて、たまるものか、とその都度つど、私は、だまってポチを見つめてやる。あざけりの笑いを口角にまざまざと浮べて、なんぼでも、ポチを見つめてやる。これは大へん、ききめがあった。ポチは、おのれの醜い姿にハッと思い当る様子で、首を垂れ、しおしおどこかへ姿をかくす。 「とっても、我慢がまんができないの。私まで、むずがゆくなって。」家内は、ときどき私に相談する。「なるべく見ないように努めているんだけれど、いちど見ちゃったら、もう駄目だめね。夢の中にまで出て来るんだもの。」 「まあ、もうすこしの我慢だ。」がまんするより他はないと思った。たとえ病んでいるとはいっても、相手は一種の猛獣もうじゅうである。下手にさわったら噛みつかれる。「明日にでも、三鷹から、返事が来るだろう。引越してしまったら、それっきりじゃないか。」

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三鷹の家主から返事が来た。読んで、がっかりした。雨が降りつづいて壁がかわかず、また人手も不足で、完成までには、もう十日くらいかかる見込み、というのであった。うんざりした。ポチから逃れるためだけでも、早く、引越してしまいたかったのだ。私は、へんな焦躁感しょうそうかんで、仕事も手につかず、雑誌を読んだり、酒をんだりした。ポチの皮膚病は一日一日ひどくなっていって、私の皮膚も、なんだか、しきりに痒くなって来た、。深夜、戸外でポチが、ばたばたばたかゆさに身悶みもだえしている物音に、幾度いくどぞっとさせられたかわからない。たまらない気がした。いっそ、ひと思いにと、狂暴きょうぼうな発作にられることも、しばしばあった。家主からは、さらに二十日待て、と手紙が来て、私のごちゃごちゃの忿懣ふんまんが、たちまち手近のポチに結びついて、こいつ在るがために、このように諸事円滑しょじえんかつにすすまないのだ、と何もかも悪いことは皆、ポチのせいみたいに考えられ、奇妙にポチを呪詛じゅそし、る夜、私の寝巻に犬ののみ伝播でんぱされて在ることを発見するに及んで、ついにそれまでえに堪えて来た怒りが爆発し、私は、ひそかに重大の決意をした。

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殺そうと思ったのである。相手は恐るべき猛獣である。常の私だったら、こんな乱暴な決意は、逆立ちしたって為し得なかったところのものなのであったが、盆地ぼんち特有の酷暑で、少しへんになっていた矢先であったし、また、毎日、何もせず、ただぽかんと家主からの速達を待っていて、死ぬほど退屈たいくつな日々を送って、むしゃくしゃいらいら、おまけに不眠も手伝って発狂状態であったのだから、たまらない。その犬の蚤を発見した夜、ただちに家内をして牛肉の大片を買いに走らせ、私は、薬屋に行き或る種の薬品を少量、買い求めた。これで用意はできた。家内は少からず興奮こうふんしていた。私たち鬼夫婦は、その夜、鳩首きゅうしゅして小声で相談した。

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あくる朝、四時に私は起きた。目覚時計を掛けて置いたのであるが、それの鳴り出さぬうちに、目が覚めてしまった。しらじらと明けていた。肌寒いほどであった。私は竹の皮包をさげて外へ出た。 「おしまいまで見ていないですぐお帰りになるといいわ。」家内は玄関の式台に立って見送り、落ち付いていた。 「心得ている。ポチ、来い!」

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ポチは尾を振ってえんの下から出て来た。 「来い、来い!」私は、さっさと歩き出した。きょうは、あんな、意地悪くポチの姿を見つめるようなことはしないので、ポチも自身のみにくさを忘れて、いそいそ私について来た。きりが深い。まちはひっそり眠っている。私は、練兵場へいそいだ。途中、おそろしく大きい赤毛の犬が、ポチに向って猛烈もうれつに吠えたてた。ポチは、れいにって上品ぶった態度を示し、何を騒いでいるのかね、とでも言いたげな蔑視べっしをちらとその赤毛の犬にくれただけで、さっさとその面前を通過した。赤毛は、卑劣ひれつである。無法にもポチの背後から、風のごとく襲いかかり、ポチの寒しげな睾丸こうがんをねらった。ポチは、咄嗟とっさにくるりと向き直ったが、ちょっと躊躇ちゅうちょし、私の顔色をそっと伺った。 「やれ!」私は大声で命令した。「赤毛は卑怯だ! 思う存分やれ!」

17

ゆるしが出たのでポチは、ぶるんと一つ大きく胴震どうぶるいして、弾丸だんがんごとく赤犬のふところに飛び込んだ。たちまち、けんけんごうごう、二匹は一つの手毬てまりみたいになって、格闘かくとうした。赤毛は、ポチの倍ほども大きい図体ずうたいをしていたが、だめであった。ほどなく、きゃんきゃん悲鳴を挙げて敗退した。おまけにポチの皮膚病までうつされたかもわからない。ばかなやつだ。

18

喧嘩けんかが終って、私は、ほっとした。文字どおり手に汗してながめていたのである。一時は、二匹の犬の格闘に巻きこまれて、私も共に死ぬるような気さえしていた。おれは噛み殺されたっていいんだ。ポチよ、思う存分、喧嘩をしろ! と異様にりきんでいたのであった。ポチは、逃げて行く赤毛を少し追いかけ、立ちどまって、私の顔色をちらとうかがい、急にしょげて、首をれすごすご私のほうへ引返して来た。 「よし! 強いぞ。」ほめてやって私は歩き出し、橋をがたがた渡って、ここはもう練兵場である。

19

むかしポチは、この練兵場に捨てられた。だからいま、また、この練兵場へ帰って来たのだ。おまえのふるさとで死ぬがよい。

20

私は立ちどまり、ぽとりと牛肉の大片を私の足もとへ落して、 「ポチ、食え。」私は、ポチを見たくなかった。ぼんやりそこに立ったまま、「ポチ、食え。」

21

足もとで、ぺちゃぺちゃ食べている音がする。一分いっぷんたたぬうちに死ぬはずだ。

22

私は猫背になって、のろのろ歩いた。霧が深い。ほんのちかくの山が、ぼんやり黒く見えるだけだ。南アルプス連峯れんぽうも、富士山も、何も見えない。朝露あさつゆで、下駄げたがびしょぬれである。私は一そうひどい猫背になって、のろのろ帰途きとについた。橋を渡り、中学校のまえまで来て、振り向くとポチが、ちゃんといた。面目めんぼく無げに、首をれ、私の視線をそっとそらした。

23

私も、もう大人である。いたずらな感傷かんしょうは無かった。すぐ事態じたい察知さっちした、薬品がかなかったのだ。うなずいて、もうすでに私は、白紙還元かんげんである。家へ帰って、 「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには、罪が無かったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ。」私は、途中で考えて来たことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れて行こうと思うよ。友達がもしポチの恰好かっこうを笑ったら、ぶん殴ってやる。卵あるかい?」 「ええ。」家内は、浮かぬ顔をしていた。 「ポチにやれ。二つ在るなら、二つやれ。おまえも我慢しろ。皮膚病ひふびょうなんてのは、すぐなおるよ。」 「ええ。」家内は、やはり浮かぬ顔をしていた。




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太宰治全作品集 1
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        :段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年2月