座興ざきょうあら

       太宰 治

1

おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られぬ思いのよいは、その本郷ほんごうのアパアトから、ステッキずるずるひきずりながら上野公園まで歩いてみる。九月もなかば過ぎた頃のことである。私の白地の浴衣ゆかたも、すでに季節はずれの感があって、夕闇の中にわれながら恐しく白く目立つような気がして、いよいよ悲しく、生きているのがいやになる。不忍しのばずの池を拭って吹いて来る風は、なまぬるく、どぶくさく、池のはすも、び切ったままでくさり、むざんの醜骸しゅうがいをとどめ、ぞろぞろ通る夕涼ゆうすずみみの人も間抜け顔して、疲労困憊ひろうこんぱいの色が深くて、世界の終りを思わせた。

2

上野の駅まで来てしまった。無数の黒色の旅客が、この東洋一とやらの大停車場に、うようよ、蠢動しゅんどうしていた。すべて廃残はいざんの身の上である。私には、そう思われて仕方がない。ここは東北農村のの門であると言われている。ここをくぐり、都会へ出て、めちゃめちゃに敗れて、再びここをくぐり、虫食われた肉体一つ持って、襤褸ぼろまとってふるさとへ帰る。それにきまっている。私は待合室のベンチに腰をおろして、にやりと笑う。それだから言わないこっちゃ無い。東京へ来ても、だめだと、あれほど忠告したじゃないか。娘も、親爺おやじも、青年も、全く生気を失って、ぼんやりベンチに腰をおろして、鈍く開いた濁った眼で、一たいどこを見ているのか。ちゅう幻花げんかを追っている。走馬灯そうまとうのように、色々の顔が、色々の失敗の歴史絵巻が、宙に展開しているのであろう。

3

私は立って、待合室から逃げる。改札口かいさつぐちのほうへ歩く。七時五分着、急行列車がいまプラットホームにはいったばかりのところで、黒色のありが、押し合い、へし合い、あるいはころころころげ込むように、改札口めがけて殺到さっとうする。手にトランク。バスケットも、ちらほら見える。ああ、信玄袋しんげんぶくろというものもこの世にまだ在った。故郷を追われて来たというのか。

4

青年たちは、なかなかおしゃれである。そうして例外なく緊張きんちょうにわくわくしている。可哀想だ。無知だ。親爺と喧嘩けんかして飛び出して来たのだろう。ばかめ。

5

私は、ひとりの青年に目をつけた。映画で覚えたのか煙草たばこの吸いかたが、なかなか気取っている。外国の役者の真似にちがいない。小型のトランク一つさげて、改札口を出ると、っと片方のまゆをあげて、あたりを見回す。いよいよ役者の真似まねである。洋服も、えりが広くおそろしく派手な格子縞こうしじまであって、ズボンは、あくまでも長く、首から下は、すぐズボンの観がある。白麻のハンチング、赤皮の短靴たんぐつ、口をきゅっと引きしめて颯爽さっそうと歩き出した。あまりに典雅てんがで、滑稽こっけいであった。からかってみたくなった。私は、当時退屈し切っていたのである。 「おい、おい、滝谷君。」トランクの名札に滝谷と書かれて在ったから、そう呼んだ。「ちょっと。」

6

相手の顔も見ないで、私はぐんぐん先に歩いた。運命的に吸われるように、その青年は、私のあとへいて来た。私は、ひとの心理については多少、自信があったのである。ひとがぼっとしているときには、ただ圧倒的あっとうてきに命令するに限るのである。相手は、意のままである。下手に、自然を装い、理屈りくつを言って相手に理解させ安心させようなどと努力すれば、かえっていけない。

7

上野の山へのぼった。ゆっくりゆっくり石の段々を、のぼりながら、 「少しは親爺おやじの気持も、いたわってやったほうが、いいと思うぜ。」 「はあ。」青年は、固くなって返事へんじした。

8

西郷さんの銅像どうぞうの下には、誰もいなかった。私は立ちどまり、たもとから煙草を取り出した。マッチの火で、ちらと青年の顔をのぞくと、青年は、まるで子供のような、あどけない表情で、ぶうっと不満そうにふくれて立っているのである。ふびんに思った。からかうのも、もうこの辺でよそうと思った。 「君は、いくつ?」 「二十三です。」ふるさとのなまりがある。 「若いなあ。」思わず嘆息たんそくを発した。「もういいんだ。帰ってもいいんだ。」ただ、君をおどかして見たのさ、と言おうとして、むらむら、も少し、も少しからかいたいな、という浮気に似たときめきを覚えて、 「お金あるかい?」

9

もそもそして、「あります。」 「二十円、置いて行け。」私は、可笑おかしくてならない。

10

出したのである。 「帰っても、いいですか?」

11

ばか、冗談だよ、からかってみたのさ、東京は、こんなにこわいところだから、早く国へ帰って親爺おやじに安心させなさい、と私は大笑いして言うべきところだったかも知れぬが、もともと座興ざきょうではじめた仕事ではなかった。私は、アパアトの部屋代を支払しはらわなければならぬ。 「ありがとう。君を忘れやしないよ。」

12

私の自殺は、ひとつきのびた。




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