愛と美について

       太宰 治

1

兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖あくへきがあるけれども、これは彼自身の弱さをかばおにめんであって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作ださくだ、愚劣ぐれつだと言いながら、その映画のさむらいの義理人情にまいって、まず、まっさきに泣いてしまうのは、いつも、この長兄である。それにきまっていた。映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不気嫌ふきげんになって、みちみち一言も口をきかない。生れて、いまだ一度も嘘言うそというものをついたことがないと、躊躇ちゅうちょせず公言している。それは、どうかと思われるけれど、しかし、剛直ごうちょく潔白けっぱくの一面は、たしかに具有ぐゆうしていた。学校の成績は、あまりよくなかった。卒業後は、どこへも勤めず、固く一家を守っている。イプセンを研究している。このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、すこぶ興奮こうふんした。ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘してきし、大声叱咤しった、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄をあまく見ている。なめているふうがある。長女は、二十六歳。いまだとつがず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。背丈せたけが、五尺三寸あった。すごく、せている。弟妹たちに、馬、と呼ばれることがある。かみを短く切って、ロイド眼鏡めがねをかけている。心が派手で、誰とでもすぐ友達になり、一生懸命けんめい奉仕ほうしして、捨てられる。それが、趣味しゅみである。憂愁ゆうしゅう寂蓼せきりょうの感を、ひそかに楽しむのである。けれどもいちど、同じ課に勤務している若い官吏かんりに夢中になり、そうして、やはり捨てられたときには、そのときだけは、流石さすがに、しんからげっそりして、の悪さもあり、肺が悪くなったと嘘をついて、一週間も寝て、それから首に包帯を巻いて、やたらにせきをしながら、お医者に見せに行ったら、レントゲンで精細にしらべられ、まれに見る頑強がんきょう肺臓はいぞうであるといって医者にほめられた。文学鑑賞かんしょうは、本格的であった。実によく読む。洋の東西を問わない。ちから余って自分でも何やら、こっそり書いている。それは本箱の右の引き出しにかくして在る。逝去せいきょ二年後に発表のこと、と書きしたためられた紙片が、その蓄積ちくせきされた作品の上に、きちんとせられているのである。二年後が、十年後と書き改められたり、二カ月後と書き直されたり、ときには、百年後、となっていたりするのである。次男は、二十四歳。これは、俗物ぞくぶつであった。帝大の医学部に在籍ざいせき。けれども、あまり学校へは行かなかった。からだが弱いのである。これは、ほんものの病人である。おどろくほど、美しい顔をしていた。吝嗇りんしょくである。長兄が、ひとにだまされて、モンテエニュの使ったラケットとしょうする、へんてつもない古ぼけたラケットを五十円に値切って買って来て、得々とくとくとしていたときなど、次男は、かげでひとり、余りの痛憤つうふんに、大熱を発した。その熱のために、とうとう腎臓じんぞうをわるくした。ひとを、どんなひとをも、蔑視べっししたがる傾向けいこうが在る。ひとが何かいうと、けッという奇怪きっかいな、からす天狗てんぐの笑い声に似た不愉快ふゆかいきわまる笑い声を、はばからず発するのである。ゲエテ一点張りである。これとても、ゲエテの素朴そぼくな詩精神に敬服しているのではなく、ゲエテの高位高官に傾倒けいとうしているらしい、ふしが、無いでもない。あやしいものである。けれども、兄妹みんなで、即興そっきょうの詩など、競作する場合には、いつでも一ばんである。できている。俗物だけに、言わば情熱の客観的把握はあくが、はっきりしている。自身その気で精進しょうじんすれば、あるいは一流作家になれるかも知れない。この家の、足のわるい十七の女中に、死ぬほど好かれている。次女は、二十一歳。ナルシッサスである。ある新聞社が、ミス・日本をつのっていたとき、あのときには、よほど自己推薦すいせんしようかと、三夜身悶みもだえした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。四尺七寸である。けれども、決して、みっともないものではなかった。なかなかである。深夜、裸形らけいで鏡に向い、にっと可愛く微笑びしょうしてみたり、ふっくらした白い両足を、ヘチマコロンで洗って、その指先にそっと自身で接吻せっぷんして、うっとり目をつぶってみたり、いちど、鼻の先に、針でいたような小さい吹出物ふきでものして、憂鬱ゆううつのあまり、自殺を計ったことがある。読書の選定に特色がある。明治初年の、佳人之奇遇かじんのきぐう経国美談けいこくびだんなどを、古本屋からさがして来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香るいこう、森田思軒しけんなどの、翻訳ほんやく物をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白おもしろいなあ、うまいなあ、と真顔でつぶやきながら、はしから端まで、たんねんに読破している。ほんとうは、鏡花きょうかをひそかに、最も愛読していた。末弟は、十八歳である。ことし一高の、理科こう類に入学したばかりである。高等学校へはいってから、かれの態度が俄然がぜんかわった。兄たち、姉たちには、それが可笑おかしくてならない。けれども末弟は、大まじめである。家庭内のどんなささやかな紛争ふんそうにでも、必ず末弟は、ぬっと顔を出し、たのまれもせぬのに思案深げに審判しんぱんを下して、これには、母をはじめ一家中、閉口している。いきおい末弟は、一家中から敬遠の形である。末弟には、それが不満でならない。長女は、かれのぶっとふくれた不気嫌きげんの顔を見かねて、ひとりでは大人おとなになった気でいても、誰も大人と見ぬぞかなしき、という和歌を一首つくって末弟に与え、かれの在野遺賢ざいやいけん無聊ぶりょうをなぐさめてやった。顔がくまの子のようで、愛くるしいので、きょうだいたちが、何かとかれにかまいすぎて、それがために、かれは多少おっちょこちょいのところがある。探偵たんてい小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。語学の勉強としょうして、和文対訳のドイルのものを買って来て、和文のところばかり読んでいる。きょうだい中で、母のことを心配しているのは自分だけだと、ひそかに悲壮ひそうの感に打たれている。

2

父は、五年まえに死んでいる。けれども、くらしの不安はない。要するに、いい家庭だ。ときどき皆、一様におそろしく退屈たいくつすることがあるので、これには閉口である。きょうは、曇天どんてん、日曜である。セルの季節で、この陰鬱いんうつの梅雨が過ぎると、夏がやって来るのである。みんな客間に集って、母は、林檎りんご果汁かじゅうをこしらえて、五人の子供に飲ませている。末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。

3

退屈したときには、皆で、物語の連作をはじめるのが、この家のならわしである。たまには母も、そのお仲間入りすることがある。 「何か、無いかねえ。」長兄は、尊大に、あたりを見まわす。「きょうは、ちょっと、ふうがわりの主人公を出してみたいのだが。」 「老人がいいな。」次女は、たくの上に頬杖ほおづえついて、それも人さし指一本で片頬を支えているという、どうにも気障きざな形で、「ゆうべ私は、つくづく考えてみたのだけれど、」なに、たったいま、ふと思いついただけのことなのである。「人間のうちで、一ばんロマンチックな種属は老人である、ということがわかったの。老婆ろうばは、だめ。おじいさんで無くちゃ、だめ。おじいさんが、こう、縁側えんがわにじっとして座っていると、もう、それだけで、ロマンチックじゃないの。素晴らしいわ。」 「老人か。」長兄は、ちょっと考えるりをして、「よし、それにしよう。なるべく、あまい愛情ゆたかな、綺麗きれいな物語がいいな。こないだのガリヴァ後日物語は、少し陰惨いんさんすぎた。ぼくは、このごろまた、ブランドを読み返しているのだが、どうもかたる。むずかしすぎる。」率直に白状してしまった。 「僕にやらせて下さい。僕に、」ろくろく考えもせず、すぐに大声あげて名乗り出たのは末弟である。がぶがぶ大コップの果汁を飲んで、やおら御意見開陳かいちん。「僕は、僕は、こう思いますねえ。」いやに、老成ぶった口調だったので、みんな苦笑した。次兄も、れいのけッというあやしい笑声を発した。末弟は、ぶうっとふくれて、 「ぼくは、そのおじいさんは、きっと大数学者じゃないか、と思うのです。きっと、そうだ。えらい数学者なんだ。もちろん博士さ。世界的なんだ。いまは、数学が急激に、どんどん変っているときなんだ。過渡かと期が、はじまっている。世界大戦の終りごろ、一九二〇年ごろから今日まで、約十年の間にそれは、起りつつある。」きのう学校で聞いて来たばかりの講義をそのまま口真似くちまねしてはじめるのだから、たまったものでない。「数学の歴史も、りかえって見れば、いろいろ時代と共に変遷へんせんして来たことは確かです。まず、最初の階段は、微積分びせきぶん学の発見時代に相当する。それからがギリシャ伝来の数学に対する広い意味の近代的数学であります。こうして新しい領分が開けたわけですから、その開けた直後は高まるというよりもむしろ広まる時代、拡張の時代です。それが十八世紀の数学であります。十九世紀に移るあたりに、矢張りかかる階段があります。すなわち、この時も急激に変った時代です。一人の代表者を選ぶならば、例えば Gauss. g、a、u、ssです。急激に、どんどん変化している時代を過渡期というならば、現代などは、まさに大過渡期であります。」てんで、物語にもなんにもなってやしない。それでも末弟は、得意である。調子が出て来た、と内心ほくほくしている。「やたらに煩瑣はんさで、そうして定理ばかり氾濫はんらんして、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物にしてしまった。このとき、数学の自由性をさけんで敢然かんぜん立ったのは、いまのその、おじいさんの博士であります。えらいやつなんだ。もし探偵たんていにでもなったら、どんな奇怪な難事件でも、ちょっと現場を一まわりして、たちまちぽんと、解決してしまうにちがいない。そんな頭のいい、おじいさんなのだ。とにかく、Cantor の言うたように、」また、はじまった。「数学の本質は、その自由性に在る。たしかに、そうだ。自由性とは、Freiheit の訳です。日本語では、自由という言葉は、はじめ政治的の意味に使われたのだそうですから、Freiheit の本来の意味と、しっくり合わないかも知れない。Freiheit とは、とらわれない、拘束こうそくされない、素朴そぼくのものを指していうのです。frei でない例は、卑近ひきんな所に沢山たくさんあるが、多すぎてかえって挙げにくい。たとえば、僕のうちの電話番号はご存じの通り 4823 ですが、この三けたと四桁の間に、コンマをいれて、4,823 と書いている。巴里パリのように 48|23 とすれば、まだしも少しわかりよいのに、何でもかでも三桁おきにコンマを付けなければならぬ、というのは、これはすでに一つのとらわれであります。老博士はこのようなすべての陋習ろうしゅうを打破しようと、努めているのであります。えらいものだ。真なるもののみが愛すべきものである、とポアンカレが言っている。しかり。真なるものを、簡潔に、直接とらえ来ったならば、それでよい。それにしたことがない。」もう、物語も何もあったものでない。きょうだいたちも、流石さすがに顔を見合せて、閉口している。末弟は、さらにがくがくの論を続ける。「空論をお話して一向とりとめがないけれど、それは恐縮きょうしゅくでありますが、丁度ちょうどこのごろ解析概論かいせきがいろんをやっているので、ちょっと覚えているのですが、一つの例として級数についてお話したい。二重もしくは、二重以上の無限級数の定義には、二種類あるのではないか、と思われる。図を書いてお目にかけると、よくわかるのですが、言わば、フランス式とドイツ式と二つある。結果は同じ様なことになるのだが、フランス式のほうは、すべての人に納得なっとくの行くように、いかにも合理的な立場である。けれども、いまの解析の本すべてが、不思議に、言い合せたように、平気でドイツ式一方である。伝統というものは、何か宗教心をさえ起させるらしい。数学界にも、そろそろこの宗教心がはいりこんで来ている。これは、絶対に排撃はいげきしなければならない。老博士は、この伝統の打破に立ったわけであります。」意気いよいよあがった。みんなは、一向に面白おもしろくない。末弟ひとり、まさにその老博士のごとくふるいたって、さらにがくがくの論をつづける。「このごろでは、解析学の始めに集合論を述べる習慣があります。これについても、不審ふしんがあります。たとえば、絶対収斂しゅうれんの場合、昔は順序に無関係に和が定るという意味に用いられていました。それに対して条件的という語がある。今では、絶対値の級数が収斂する意味に使うのです。級数が収斂し、絶対値の級数が収斂しないときにはこうの順序をかえて、任意の limit に tend させることができるということから、絶対値の級数が収斂しなければならぬということになるから、それでいいわけだ。」少し、あやしくなって来た。心細い。ああ、僕の部屋の机の上に、高木先生の、あの本がせてあるんだがなあ、と思っても、いまさら、それを取りに行って来るわけにもゆくまい。あの本には、なんでも皆、書かれて在るんだけれど、いまは泣きたくなって、舌もつれ、どうふるえて、悲鳴に似たかん高い声を挙げ、 「要するに。」きょうだいたちは、みな一様にうつむいて、くすと笑った。 「要するに、」こんどは、ほとんど泣き声である。「伝統、ということになりますると、よほどのあやまちも、気がつかずに見逃みのがしてしまうが、問題は、微細びさいなところに沢山たくさんあるのです。もっと自由な立場で、極く初等的な万人ばんにんむきの解析概論の出ることを、切に、希望している次第しだいであります。」めちゃめちゃである。これで末弟の物語は、終ったのである。

4

座が少し白けたほどである。どうにも、話の、つぎほが無かった。皆、まじめになってしまった。長女は、思いやりの深い子であるから、末弟のこの失敗を救済すべく、き出したいのを我慢がまんして、気をしずめ、しずかに語った。 「ただいまお話ございましたように、その老博士は、たいへん高邁こうまいのお志を持っておられます。高邁のお志には、いつも逆境がつきまといます。これは、もう、絶対に正確の定理のようでございます。老博士も、やはり世にれられず、奇人きじんよ、変人よ、と近所のひとたちに言われて、ときどきは、流石さすがびしく、今夜もひとり、ステッキ持って新宿へ散歩に出ました。夏のころの、これは、お話でございます。新宿は、たいへんな人出ひとででございます。博士は、よれよれの浴衣ゆかたに、帯を胸高むなだかにしめ、そうして帯の結び目を長くうしろに、れさげて、まるでねずみ尻尾しっぽのよう、いかにもお気の毒の風采ふうさいでございます。それに博士は、ひどいあせかきなのに、今夜は、ハンカチを忘れて出て来たので、いっそうみじめなことになりました。はじめはてのひらで、お顔の汗をぬぐはらっておりましたが、とてもそんなことで間に合うような汗ではございませぬ。それこそ、まるでたきのよう、額から流れ落ちる汗は、一方は鼻筋を伝い、一方はこめかみを伝い、ざあざあ顔中を洗いつくして、そうしてみんなあごを伝って胸にすべみ、その気持のわるさったら、ちょうど油壷あぶらつぼ一ぱいの椿つばき油を頭からどろどろ浴びせかけられる思いで、老博士も、これには参ってしまいました。とうとう浴衣のそでで、素早く顔の汗を拭い、また少し歩いては、人に見つからぬよう、さっと袖で拭い拭いしているうちに、もう、その両袖ながら、夕立に打たれたように、びしょれになってしまいました。博士は、もともと無頓着むとんじゃくなお方でございましたけれども、このおびただしい汗には困惑こんわくしちゃいまして、ついに一けんのビヤホールにげ込むことにいたしました。ビヤホールにはいって、扇風器せんぷうきのなまぬるい風にかれていたら、それでも少し、汗がおさまりました。ビヤホールのラジオは、そのとき、大声で時局講話をやっていました。ふと、その声に耳をすまして考えてみると、どうも、これは聞き覚えのある声でございます。あいつでは無いかな? と思っていたら、果して、その講話のおわりにアナウンサアが、その、あいつの名前を、閣下という尊称そんしょうを付して報告いたしました。老博士は、耳を洗いすすぎたい気持になりました。その、あいつというのは、博士と高等学校、大学、ともにともに、机を並べて勉強して来た男なのですが、何かにつけて要領よく、いまは文部省の、立派な地位にいて、ときどき博士も、その、あいつと、同窓会などで顔を合せることがございまして、そのたびごとに、あいつは、博士を無用に嘲弄ちょうろうするのでございます。気のきかない、げびた、ちっともなっていない陳腐ちんぷ駄洒落だじゃれを連発して、取り巻きのものもまた、可笑おかしくもないのに、手をたんばかりに、そのあいつの一言一言に笑い興じて、いちどは博士も、席をって憤然ふんぜんと立ちあがりましたが、そのとき、卓上たくじょうからゆかにころげ落ちて在った一個の蜜柑みかんをぐしゃとみつぶして、おどろきの余り、ひッという貧乏びんぼうくさい悲鳴を挙げたので、満座抱腹絶倒ほうふくぜっとうして、博士のせっかくの正義のいかりも、悲しい結果になりました。けれども、博士は、あきらめません。いつかは、あいつを、ぶんなぐるつもりでおります。そいつの、いやな、だみ声を、たったいまラジオで聞いて、博士は、不愉快ふゆかいでたまりませぬ。ビイルを、がぶ、がぶ、飲みました。もともと博士は、お酒には、あまり強いほうでは、ございません。たちまち酩酊めいていいたしました。辻占売つじうらうりの女の子が、ビヤホールにはいって来ました。博士は、これ、これ、と小さい声で、やさしく呼んで、おまえ、としはいくつだい? 十三か。そうか。すると、もう五年、いや、四年、いや三年たてば、およめに行けますよ。いいかね。十三に三を足せば、いくつだ。え? などと、数学博士も、うと、いくらかいやらしくなります。少し、しつこく女の子を、からかいすぎたので、とうとう博士は、女の子の辻占を買わなければいけない仕儀しぎにたちいたりました。博士は、もともと迷信めいしんを信じません。けれども今夜は、先刻のラジオのせいもあり、気が弱っているところもございましたので、ふいとその辻占で、自分の研究、運命の行く末をためしてみたくなりました。人は、生活に破れかけて来ると、どうしても何かの予言に、すがりつきたくなるものでございます。悲しいことでございます。その辻占は、あぶり出し式になっております。博士はマッチの火で、とろとろ辻占の紙をあぶり、酔眼すいがんをかっと見ひらいて、注視しますと、はじめは、なんだか模様のようで、心もとなく思われましたが、そのうちに、だんだん明確に、古風な字体の、ひら仮名が、ありありと紙に現われました。読んでみます。

5

おのぞみどおり

6

博士は莞爾かんじと笑いました。いいえ、莞爾どころではございませぬ。博士ほどのお方が、えヘヘヘと、それは下品な笑い声を発して、ぐっと首をばしてあたりの酔客を見回しましたが、酔客たちは、格別相手になってはくれませぬ。それでも博士は、意にかいしなさることなく、酔客ひとりひとりに、はは、おのぞみどおり、ヘヘヘヘ、すみません、ほほほ、なぞと、それは複雑な笑い声を、若々しく笑いわけ、きちらして皆に挨拶あいさついたし、いまは全く自信を回復なされて、悠々ゆうゆうとそのビヤホールをお出ましになりました。

7

外はぞろぞろ人の流れ、たいへんでございます。し合い、へし合い、みんな一様にあせばんで、それでもすまして、歩いています。歩いていても、何ひとつ、これという目的は無いのでございますが、けれども、みなさん、その日常がびしいから、何やら、ひそかな期待を抱懐ほうかいしていらして、そうして、すまして夜の新宿を歩いてみるのでございます。いくら、新宿の街を行きつもどりつ歩いてみても、いいことは、ございませぬ。それは、もうきまっております。けれども幸福は、それをほのかに期待できるだけでも、それは幸福なのでございます。いまのこの世の中では、そう思わなければ、なりませぬ。老博士は、ビヤホールの回転ドアから、くるりと排出はいしゅつされ、よろめき、その都会の侘びしい旅雁りょがんの列に身を投じ、たちまち、もまれ押されて、泳ぐような恰好かっこうで旅雁と共に流れて行きます。けれども、今夜の老博士は、この新宿の大群集の中で、おそらくは一ばん自信のある人物なのでございます。幸福をつかむ確率が最も大きいのでございます。博士は、ときどき、思い出しては、にやにや笑い、また、ひとり、ひそかにこっくり首肯しゅこうして、もっともらしくまゆを上げてっとなってみたり、あるいは全くの不良青少年のように、ひゅうひゅう下手へたな口笛をこころみたりなどして歩いているうちに、どしんと、博士にぶつかった学生があります。けれども、それは、あたりまえです。こんな人ごみでは、ぶつかるのがあたりまえでございます。なんということもございません。学生は、そのまま通りすぎて行きます。しばらくして、また、どしんと博士にぶつかった美しい令嬢れいじょうがあります。けれども、これもあたりまえです。こんな混雑では、ぶつかるのは、あたりまえのことでございます。なんということも、ございませぬ。令嬢は、通りすぎて行きます。幸福は、まだまだ、おあずけでございます。変化は、背後から、やって来ました。とんとん、博士の背中を軽くたたいたひとがございます。こんどは、ほんとう。」

8

長女は伏目ふしめがちに、そこまで語って、それからあわてて眼鏡めがねをはずし、ハンケチで眼鏡の玉をせっせときはじめた。これは、長女の多少てれくさい思いのときに、きっとはじめる習癖しゅうへきである。

9

次男が、つづけた。 「どうも、ぼくには、描写びょうしゃが、うまくできんので、──いや、できんこともないが、きょうは、少しめんどうくさい。簡潔に、やってしまいましょう。」生意気である。「博士が、うしろをりむくと、四十ちかい、ふとったマダムが立っております。いかにも奇妙きみょうな顔の、小さい犬を一匹だいている。

10

ふたりは、こんな話をした。

11

──御幸福?

12

──ああ、仕合せだ。おまえがいなくなってから、すべてが、よろしく、すべてが、つまり、おのぞみどおりだ。

13

──ちえっ、若いのをおもらいになったんでしょう?

14

──わるいかね。

15

──ええ、わるいわ。あたしが犬の道楽さえ、よしたら、いつでも、また、あなたのところへ帰っていいって、そうちゃんと約束があったじゃないの。

16

──よしてやしないじゃないか。なんだ、こんどの犬は、またひどいじゃないか。これは、ひどいね。さなぎでも食って生きているような感じだ。妖怪ようかいじみている。ああ、胸がわるい。

17

──そんなにわざわざあおい顔して見せなくたっていいのよ。ねえ、プロや。おまえの悪口言ってるのよ。えて、おやり。わん、と言って吠えておやり。

18

──よせ、よせ。おまえは、相変らず厭味いやみな女だ。おまえと話をしていると、私は、いつでも背筋が寒い。プロ。なにがプロだ。も少し気のきいた名前を、つけんかね。無知だ。たまらん。

19

──いいじゃないの。プロフェッサァのプロよ。あなたを、おしたい申しているのよ。いじらしいじゃないの。

20

──たまらん。

21

──おや、おや。やっぱり、おあせが多いのねえ。あら、おそでなんかでいちゃ、みっともないわよ。ハンケチないの? こんどのおくさん、気がきかないのね。夏の外出には、ハンケチ三枚と、扇子せんす、あたしは、いちどだってそれを忘れたことがない。

22

──神聖な家庭に、けちをつけちゃ困るね。不愉快ふゆかいだ。

23

──おそれいります。ほら、ハンケチ、あげるわよ。

24

──ありがとう。借りて置きます。

25

──すっかり、他人におなりなすったのねえ。

26

──別れたら、他人だ。このハンケチ、やっぱり昔のままの、いや、犬のにおいがするね。

27

──まけおしみ言わなくっていいの。思い出すでしょう? どう?

28

──くだらんことを言うな。たしなみの無い女だ。

29

──あら、どっちが? やっぱり、こんどの奥さんにも、あんなに子供みたいにあまえかかっていらっしゃるの? およしなさいよ、いいとしをして、みっともない。きらわれますよ。朝、寝たまま足袋たびをはかせてもらったりして。

30

──神聖な家庭に、けちをつけちゃ、こまるね。私は、いま、仕合せなんだからね。すべてが、うまくいっている。

31

──そうして、やっぱり、朝はスウプ? 卵を一つ入れるの? 二つ入れるの?

32

──二つだ。三つのときもある。すべて、おまえのときより、豊富だ。どうも、私は、いまになって考えてみるに、おまえほど口やかましい女は、世の中に、そんなに無いような気がする。おまえは、どうして私を、あんなにひどくしかったのだろう。私は、わが家にいながら、まるで居候いそうろうの気持だった。三ばい目には、そっと出していた。それは、たしかだ。私は、あのじぶんには、ずいぶん重大な研究に着手していたんだぜ。おまえには、そんなこと、ちっともわかってやしない。ただ、もう、私のチョッキのボタンがどうのこうの煙草たばこ吸殻すいがらがどうのこうの、そんなこと、朝から晩まで、がみがみ言って、おかげで私は、研究も何も、めちゃめちゃだ。おまえとわかれて、たちどころに私は、チョッキのボタンを全部、むしり取ってしまって、それから煙草の吸殻を、かたっぱしから、ぼんぼんコーヒー茶碗ぢゃわんにほうりこんでやった。あれは、愉快だった。実に、痛快であった。ひとりで、なみだの出るほど、大笑いした。私は、考えれば、考えるほど、おまえには、ひどいめにあっていたのだ。あとから、あとから、腹が立つ。いまでも、私は、充分じゅうぶんおこっている。おまえは、いったいに、ひとをいたわることを知らない女だ。

33

──すみません。あたし、若かったのよ。かんにんしてね。もう、もう、あたし、わかったわ。犬なんか、問題じゃなかったのね。

34

──また、泣く。おまえは、いつでも、その手を用いた。だが、もう、だめさ。私は、いま、万事ばんじが、おのぞみどおりなのだからね。どこかで、お茶でも飲むか。

35

──だめ。あたし、いま、はっきり、わかったわ。あなたと、あたしは、他人なのね。いいえ、むかしから他人なのよ。心の住んでいる世界が、千里も万里も、はなれていたのよ。一緒いっしょにいたって、おたがい不幸の思いをするだけよ。もう、きれいにおわかれしたいの。あたし、ね、ちかく神聖な家庭を持つのよ。

36

──うまく行きそうかね。

37

──大丈夫だいじょうぶ。そのかたは、ね、職工さんよ。職工長。そのかたがいなければ、工場の機械が動かないんですって。大きい、山みたいな感じの、しっかりしたかた

38

──私とは、ちがうね。

39

──ええ、学問は無いの。研究なんか、なさらないわ。けれども、なかなか、うでがいいの。

40

──うまく行くだろう。さようなら。ハンケチ借りて置くよ。

41

──さようなら。あ、帯がほどけそうよ。むすんであげましょう。ほんとうに、いつまでも、いつまでも、世話を焼かせて。……おくさんに、よろしくね。

42

──うん。機会があれば、ね。」

43

次男は、ふっと口をつぐんだ。そうして、けッと自嘲じちょうした。二十四歳にしては、流石さすがに着想が大人おとなびている。 「あたし、もう、結末が、わかっちゃった。」次女は、したり顔して、あとを引きとる。「それは、きっと、こうなのよ。博士が、そのマダムとわかれてから、沛然はいぜんと夕立ち。どうりで、むしむし暑かった。散歩の人たちは、蜘蛛くもの子を散らすように、ぱあっと飛び散り、どこへどう消えせたのか、お化けみたい、たったいままで、あんなにたくさん人がいたのに、須臾しゅゆにして、ちまた閑散かんさん、新宿の舗道ほどうには、雨あしだけが白くしぶいておりました。博士は、花屋さんの軒下のきしたに、かたをすくめて小さくなって雨宿りしています。ときどき、先刻のハンケチを取り出して、ちょっと見て、また、あわてて、たもとにしまいこみます。ふと、花を買おうか、と思います。お宅で待っていらっしゃる奥さんへ、お土産みやげに持って行けば、きっと、奥さんが、よろこんでくれるだろうと思いました。博士が、花を買うなど、これは、全く、生れてはじめてのことでございます。今夜は、ちょっと調子が変なの。ラジオ、辻占つじうら、先夫人、犬、ハンケチ、いろいろのことがございました。博士は、花屋へ、たいへんな決意をもって突入とつにゅうして、それから、まごつき、まごつき、大汗おおあせかいて、それでも、薔薇ばらの大輪、三本買いました。ずいぶん高いのには、おどろきました。げるようにして花屋からおどり出て、それから、円タク拾って、お宅へ、まっしぐら。郊外こうがいの博士のお宅には、電灯が、あかあかとともっております。たのしいわが。いつも、あたたかく、博士をいたわり、すべてが、うまくいっております。玄関へはいるなり、

44

──ただいま! と大きい声で言って、たいへんなお元気です。家の中は、しんとしております。それでも、博士は、委細かまわず、花束持って、どんどん部屋へ上っていって、おくの六じょう書斎しょさいへはいり、

45

──ただいま。雨にやられて、困ったよ。どうです。薔薇の花です。すべてが、おのぞみどおり行くそうです。

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机の上にかざられて在る写真に向って、話かけているのです。先刻、きれいにわかれたばかりのマダムの写真でございます。いいえ、でも、いまより十年わかいときの写真でございます。美しく微笑ほほえんでいました。」まず、ざっと、こんなものだ、と言わぬばかりに、ナルシッサスは、再び、人さし指で気障きざ頬杖ほおづえやらかして、満座をきょろとながわたした。 「うん。だいたい、」長兄は、もったいぶって、「そんなところで、よろしかろう。けれども、──」長兄は、長兄としての威厳いげんを保っていなければならぬ。長兄は、弟妹たちにくらべて、あまり空想力は、豊富でなかった。物語は、いたって下手へたくそである。才能が、貧弱なのである。けれども、長兄は、それゆえに、弟妹たちから、あなどられるのも心外でならぬ。必ず、最後に、何か一言、蛇足だそくを加える。「けれども、だね、君たちは、一つ重要な点を、語り落している。それは、その博士の、容貌ようぼうについてである。」たいしたことでもなかった。「物語には容貌が、重大である。容貌を語ることによって、その主人公に肉体感を与え、また聞き手に、その近親の誰かの顔を思い出させ、物語全体に、インチメートな、ひとごとでない思いをいだかせることができるものです。ぼくの考えるところによれば、その老博士は、身長五尺二寸、体重十三かん弱、たいへんな小男である。容貌について言うなれば、額は広く高く、まゆうすく、鼻は小さく、口が大きくひきしまり、眉間みけんしわ、白い頬ひげは、ふさふさとび、銀ぶちの老眼鏡をかけ、まず、丸顔である。」なんのことはない、長兄の尊敬しているイプセン先生の顔である。長兄の想像力は、このように他愛がない。やはり、蛇足の感があった。

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これで物語が、すんだのであるが、すんだ、とたんに、また、かれらは、一層すごく、退屈たいくつした。ひとつの、ささやかな興奮こうふんのあとに来る、倦怠けんたい荒涼こうりょう、やりきれない思いである。兄妹五人、一ことでも、ものを言い出せば、すぐになぐり合いでもはじまりそうな、険悪な気まずさに、閉口し切った。

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母は、ひとりはなれて座って、兄妹五人の、それぞれの性格のあらわれている語りかたを、始終にこにこ微笑ほほえんで、たのしみ、うっとりしていたのであるが、このとき、そっと立って障子しょうじをあけ、はっと顔色かえて、 「おや。家の門のところに、フロック着たへんなおじいさん立っています。」

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兄妹五人、ぎょっとして立ち上った。

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母は、ひとり笑いくずれた。




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太宰治全作品集 1
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変更終了:平成14年2月