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私は子供のときには、余り質のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌いで、それゆえ、のろくさい女中を殊にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である。林檎の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、片手に林檎、片手にナイフを持ったまま、いつまでも、ぼんやりしているのだ。足りないのではないか、と思われた。台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、うすみっともなく、妙に疳にさわって、おい、お慶、日は短いのだぞ、などと大人びた、いま思っても背筋の寒くなるような非道の言葉を投げつけて、それで足りずに一度はお慶をよびつけ、私の絵本の観兵式の何百人となくうようよしている兵隊、馬に乗っている者もあり、旗持っている者もあり、銃担っている者もあり、そのひとりひとりの兵隊の形を鋏でもって切り抜かせ、無器用なお慶は、朝から昼飯も食わず日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の鬚を片方切り落したり、銃持つ兵隊の手を、熊の手みたいに恐ろしく大きく切り抜いたり、そうしていちいち私に怒鳴られ、夏のころであった、お慶は汗かきなので、切り抜かれた兵隊たちはみんな、お慶の手の汗で、びしょびしょ濡れて、私は遂に癇癪をおこし、お慶を蹴った。たしかに肩を蹴った筈なのに、お慶は右の頬をおさえ、がばと泣き伏し、泣き泣きいった。「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております。」うめくような口調で、とぎれ、とぎれそういったので、私は、流石にいやな気がした。そのほかにも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。いまでも、多少はそうであるが、私には無知な魯鈍の者は、とても堪忍できぬのだ。2
一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、巷をさまよい、諸所に泣きつき、その日その日のいのち繋ぎ、やや文筆でもって、自活できるあてがつきはじめたと思ったとたん、病を得た。ひとびとの情で一夏、千葉県船橋町、泥の海のすぐ近くに小さい家を借り、自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、それでも仕事はしなければならず、毎朝毎朝のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、庭の隅の夾竹桃の花が咲いたのを、めらめら火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もほとほと痛み疲れていた。3
そのころのこと、戸籍調べの四十に近い、痩せて小柄のお巡りが玄関で、帳簿の私の名前と、それから無精髯のばし放題の私の顔とを、つくづく見比べ、おや、あなたは……のお坊ちゃんじゃございませんか? そう言うお巡りのことばには、強い故郷の訛があったので、 「そうです。」私はふてぶてしく答えた。「あなたは?」4
お巡りは痩せた顔にくるしいばかりにいっぱいの笑をたたえて、 「やあ。やはりそうでしたか。お忘れかも知れないけれど、かれこれ二十年ちかくまえ、私はKで馬車やをしていました。」5
Kとは、私の生れた村の名前である。 「ごらんの通り、」私は、にこりともせずに応じた。「私も、いまは落ちぶれました。」 「とんでもない。」お巡りは、なおも楽しげに笑いながら、「小説をお書きなさるんだったら、それはなかなか出世です。」6
私は苦笑した。 「ところで、」とお巡りは少し声をひくめ、「お慶がいつもあなたのお噂をしています。」 「おけい?」すぐには呑みこめなかった。 「お慶ですよ。お忘れでしょう。お宅の女中をしていた──」7
思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。 「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私のかおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。 「ええ、もう、どうやら。」くったくなく、そうほがらかに答えて、お巡りはハンケチで額の汗をぬぐって、「かまいませんでしょうか。こんどあれを連れて、いちどゆっくりお礼にあがりましょう。」8
私は飛び上るほど、ぎょっとした。いいえ、もう、それには、とはげしく拒否して、私は言い知れぬ屈辱感に身悶えしていた。9
けれども、お巡りは、朗かだった。 「子供がねえ、あなた、ここの駅につとめるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つでことし小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、まあ、お宅のような大家にあがって行儀見習いした者は、やはりどこか、ちがいましてな。」すこし顔を赤くして笑い、「おかげさまでした。お慶も、あなたのお噂、しじゅうしております。こんどの公休には、きっと一緒にお礼にあがります。」急に真面目な顔になって、「それじゃ、きょうは失礼いたします。お大事に。」10
それから、三日たって、私が仕事のことよりも、金銭のことで思い悩み、うちにじっとしておれなくて、竹のステッキ持って、海へ出ようと、玄関の戸をがらがらあけたら、外に三人、浴衣着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。11
私は自分でも意外なほどの、おそろしく大きな怒声を発した。 「来たのですか。きょう、私これから用事があって出かけなければなりません。お気の毒ですが、またの日においで下さい。」12
お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころのお慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った目でぼんやり私を見上げていた。私はかなしく、お慶がまだひとことも言い出さぬうち、逃げるように、海浜へ飛び出した。竹のステッキで、海浜の雑草を薙ぎ払い薙ぎ払い、いちどもあとを振りかえらず、一歩、一歩、地団駄踏むような荒んだ歩きかたで、とにかく海岸伝いに町の方へ、まっすぐに歩いた。私は町で何をしていたろう。ただ意味もなく、活動小屋の絵看板見あげたり、呉服屋の飾窓を見つめたり、ちえっちえっと舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬと烈しくからだをゆすぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私はふたたび私の家へとって返した。13
うみぎしに出て、私は立止った。見よ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い興じている。声がここまで聞えて来る。 「なかなか、」お巡りは、うんと力こめて石をほうって、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ。」 「そうですとも、そうですとも。」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変っておられた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった。」14
私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。15
負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。
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太宰治全作品集 1
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