富嶽百景

       太宰 治

1

富士の頂角、広重ひろしげの富士は八十五度、文晁ぶんちょうの富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西および南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角えいかくである。いただきが、細く、高く、華奢きゃしゃである。北斎ほくさいにいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔てっとうのような富士をさええがいている。けれども、実際の富士は、鈍角どんかくも鈍角、のろくさと広がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜しゅうばつの、すらと高い山ではない。たとえば私が、印度かどこかの国から、突然とつぜんわしにさらわれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆きょうたんしないだろう。ニッポンのフジヤマを、あらかじめあこがれているからこそ、ワンダフルなのであって、そうでなくて、そのようなぞくな宣伝を、一さい知らず、素朴そぼくな、純粋じゅんすいの、うつろな心に、果して、どれだけうったえうるか、そのことになると、多少、心細い山である。低い。すそのひろがっている割に、低い。あれくらいの裾を持っている山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない。

2

十国峠から見た富士だけは、高かった。あれは、よかった。はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配こうばいから判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであろうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがった。私が、あらかじめしるしをつけて置いたところより、その倍も高いところに、青いいただきが、すっと見えた。おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やっていやがる、と思った。人は、完全のたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。全身のネジが、他愛なくゆるんで、これはおかしな言いかたであるが、帯紐おびひもといて笑うといったような感じである。諸君が、もし恋人とって、会ったとたんに、恋人がげらげら笑い出したら、慶祝けいしゅくである。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に会って、君の完全のたのもしさを、全身に浴びているのだ。

3

東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はっきり、よく見える。小さい、真白い三角さんかくが、地平線にちょこんと出ていて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスのかざ菓子がしである。しかも左のほうに、かたかたむいて心細く、船尾せんびのほうからだんだん沈没ちんぼつしかけてゆく軍艦ぐんかんの姿に似ている。三年まえの冬、私はある人から、意外の事実を打ち明けられ、途方とほうに暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一すいもせず、酒のんだ。あかつき、小用に立って、アパートの便所の金網かなあみ張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のほうにちょっと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆しっくし、おう、けさは、やけに富士がはっきり見えるじゃねえか、めっぽう寒いや、などつぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網でながら、じめじめ泣いて、あんな思いは、二度とりかえしたくない。

4

昭和十三年の初秋、思いをあらたにする覚悟かくごで、私は、かばんひとつさげて旅に出た。

5

甲州こうしゅう。ここの山々の特徴とくちょうは、山々の起伏きふくの線の、へんにむなしい、なだらかさに在る。小島烏水うすいという人の日本山水論にも、「山のね者は多く、この土に仙遊するがごとし。」と在った。甲州の山々は、あるいは山の、げてものなのかも知れない。私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠みかさとうげへたどりつく。

6

御坂峠、海抜かいばつ千三百メートル。この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、井伏鱒二いぶせますじ氏が初夏のころから、ここの二階に、こもって仕事をしておられる。私は、それを知ってここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔じゃまにならないようなら、隣室りんしつでも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思っていた。

7

井伏氏は、仕事をしておられた。私は、井伏氏のゆるしを得て、当分その茶屋に落ちつくことになって、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合っていなければならなくなった。この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉往還おうかんしょうに当っていて、北面富士の代表観望台であると言われ、ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞえられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑けいべつさえした。あまりに、おあつらいむきの富士である。まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両そでにひっそりうずくまって湖をきかかえるようにしている。私は、ひとめ見て、狼狽ろうばいし、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂ふろ屋のペンキだ。芝居しばい書割かきわりだ。どうにも注文どおりの景色けしきで、私は、ずかしくてならなかった。

8

私が、その峠の茶屋へ来て二、三日って、井伏氏の仕事も一段落ついて、ある晴れた午後、私たちはッ峠へのぼった。三ッ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。急坂をうようにしてよじ登り、一時間ほどにして三ッ峠頂上に達する。つたかずらきわけて、細い山路、うようにしてよじ登る私の姿は、決して見よいものではなかった。井伏いぶせ氏は、ちゃんと登山服着ておられて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合せがなく、ドテラ姿であった。茶屋のドテラは短く、私の毛臑けずねは、一尺以上も露出ろしゅつして、しかもそれに茶屋の老爺ろうやから借りたゴム底の地下足袋じかたびをはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯かくおびをしめ、茶店のかべにかかっていた古い麦藁帽むぎわらぼうをかぶってみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑けいべつしない人であるが、このときだけは流石さすがに少し、気の毒そうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないほうがいい、と小声でつぶやいて私をいたわってくれたのを、私は忘れない。とかくして頂上についたのであるが、急にきりき流れて来て、頂上のパノラマ台という、断崖だんがいふちに立ってみても、いっこうに眺望ちょうぼうがきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩にこしをおろし、ゆっくり煙草たばこを吸いながら、放庇ほうひなされた。いかにも、つまらなそうであった。パノラマ台には、茶店が三けんならんで立っている。そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営しているじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を飲んだ。茶店の老婆は気の毒がり、ほんとうに生憎あいにくの霧で、もう少しったら霧もはれると思いますが、富士は、ほんのすぐそこに、くっきり見えます、と言い、茶店のおくから富士の大きい写真を持ち出し、がけはしに立ってその写真を両手で高く掲示けいじして、ちょうどこの辺に、このとおりに、こんなに大きく、こんなにはっきり、このとおりに見えます、と懸命けんめい注釈ちゅうしゃくするのである。私たちは、番茶をすすりながら、その富士をながめて、笑った。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思わなかった。

9

その翌々日であったろうか、井伏氏は、御坂峠みさかとうげを引きあげることになって、私も甲府までおともした。甲府で私は、ある娘さんと見合することになっていた。井伏氏に連れられて甲府のまちはずれの、その娘さんのお家へおうかがいした。井伏氏は、無雑作むぞうさな登山服姿である。私は、角帯に、夏羽織を着ていた。娘さんの家のお庭には、薔薇ばらがたくさん植えられていた。母堂にむかえられて客間に通され、挨拶あいさつして、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかった。井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、「おや、富士。」と呟いて、私の背後の長押なげしを見あげた。私も、からだをじ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口ふんかこう鳥瞰ちょうかん写真が、額縁がくぶちにいれられて、かけられていた。まっしろい水蓮すいれんの花に似ていた。私は、それを見とどけ、また、ゆっくりからだを捻じもどすとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだと思った。あの富士は、ありがたかった。

10

井伏氏は、その日に帰京なされ、私は、ふたたび御坂みさかにひきかえした。それから、九月、十月、十一月の十五日まで、御坂の茶屋の二階で、少しずつ、少しずつ、仕事をすすめ、あまり好かないこの「富士三景の一つ」と、へたばるほど対談した。

11

いちど、大笑いしたことがあった。大学の講師か何かやっている浪漫ろうまん派の一友人が、ハイキングの途中とちゅう、私の宿に立ち寄って、そのときに、ふたり二階の廊下ろうかに出て、富士を見ながら、 「どうもぞくだねえ。お富士さん、という感じじゃないか。」 「見ているほうで、かえって、てれるね。」

12

などと生意気なこと言って、煙草たばこをふかし、そのうちに、友人は、ふと、 「おや、あの僧形そうぎょうのものは、なんだね?」とあごでしゃくった。

13

墨染すみぞめの破れたころもを身にまとい、長いつえを引きずり、富士をあおぎ振り仰ぎ、峠のぼって来る五十才くらいの小男がある。 「富士見西行さいぎょう、といったところだね。かたちが、できてる。」私は、その僧をなつかしく思った。「いずれ、名のある聖僧かも知れないね。」 「ばか言うなよ。乞食こじきだよ。」友人は、冷淡れいたんだった。 「いや、いや。脱俗だつぞくしているところがあるよ。歩きかたなんか、なかなか、できてるじゃないか。むかし、能因法師が、この峠で富士をほめた歌を作ったそうだが、──」

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私が言っているうちに友人は、笑い出した。 「おい、見給え。できてないよ。」

15

能因法師は、茶店のハチという飼犬にえられて、周章狼狽しゅうしょうろうばいであった。その有様は、いやになるほど、みっともなかった。 「だめだねえ。やっぱり。」私は、がっかりした。

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乞食の狼狽は、むしろ、あさましいほどに右往左往、ついには杖をかなぐり捨て、取り乱し、取り乱し、いまはかなわずと退散した。実に、それは、できてなかった。富士も俗なら、法師も俗だ。ということになって、いま思い出しても、ばかばかしい。

17

新田にったという二十五才の温厚な青年が、峠を降りきった岳麓がくろくの吉田という細長い町の、郵便局につとめていて、そのひとが、郵便物によって、私がここに来ていることを知った、と言って、峠の茶屋をたずねて来た。二階の私の部屋で、しばらく話をして、ようやくれて来たころ、新田は笑いながら、実は、もう二、三人、ぼくの仲間がありまして、皆で一緒いっしょにお邪魔じゃまにあがるつもりだったのですが、いざとなると、どうも皆、しりごみしまして、太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちゃんとしたおかただとは、思いませんでしたから、僕も、無理に皆を連れて来るわけには、いきませんでした。こんどは、皆を連れて来ます。かまいませんでしょうか。 「それは、かまいませんけれど。」私は、苦笑していた。「それでは、君は、必死の勇をふるって、君の仲間を代表してぼく偵察ていさつに来たわけですね。」 「決死隊でした。」新田にったは、率直だった。「ゆうべも、佐藤先生のあの小説を、もういちどりかえして読んで、いろいろ覚悟かくごをきめて来ました。」

18

私は、部屋の硝子ガラスしに、富士を見ていた。富士は、のっそりだまって立っていた。えらいなあ、と思った。 「いいねえ。富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやってるなあ。」富士には、かなわないと思った。念々と動く自分の愛憎あいぞうずかしく、富士は、やっぱり偉い、と思った。よくやってる、と思った。 「よくやっていますか。」新田には、私の言葉がおかしかったらしく、聡明そうめいに笑っていた。

19

新田は、それから、いろいろな青年を連れて来た。皆、静かなひとである。皆は、私を、先生、と呼んだ。私はまじめにそれを受けた。私には、ほこるべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい。けれども、苦悩くのうだけは、その青年たちに、先生、と言われて、だまってそれを受けていいくらいの、苦悩は、経て来た。たったそれだけ。わら一すじの自負である。けれども、私は、この自負だけは、はっきり持っていたいと思っている。わがままな駄々だだっ子のように言われて来た私の、裏の苦悩を、一たい幾人いくにん知っていたろう。新田と、それから田辺たなべという短歌の上手じょうずな青年と、二人は、井伏いぶせ氏の読者であって、その安心もあって、私は、この二人と一ばん仲良くなった。いちど吉田に連れていってもらった。おそろしく細長い町であった。岳麓がくろくの感じがあった。富士に、日も、風もさえぎられて、ひょろひょろにびたくきのようで、暗く、うすら寒い感じの町であった。道路に沿って清水が流れている。これは、岳麓の町の特徴とくちょうらしく、三島でも、こんな工合ぐあいに、町じゅうを清水が、どんどん流れている。富士の雪がけて流れて来るのだ、とその地方の人たちが、まじめに信じている。吉田の水は、三島の水にくらべると、水量も不足だし、きたない。水をながめながら、私は、話した。 「モウパスサンの小説に、どこかの令嬢れいじょうが、貴公子のところへ毎晩、河を泳いでいにいったと書いて在ったが、着物は、どうしたのだろうね。まさか、はだかではなかろう。」 「そうですね。」青年たちも、考えた。「海水着じゃないでしょうか。」 「頭の上に着物をせて、むすびつけて、そうして泳いでいったのかな?」

20

青年たちは、笑った。 「それとも、着物のままはいって、ずぶれの姿で貴公子と会って、ふたりでストオヴでかわかしたのかな? そうすると、かえるときには、どうするだろう。せっかく、かわかした着物を、またずぶ濡れにして、泳がなければいけない。心配だね。貴公子のほうで泳いで来ればいいのに。男なら、猿股さるまた一つで泳いでも、そんなにみっともなくないからね。貴公子、鉄鎚かなづちだったのかな?」 「いや、令嬢れいじょうのほうで、たくさんれていたからだと思います。」新田にったは、まじめだった。 「そうかも知れないね。外国の物語の令嬢は、勇敢ゆうかんで、可愛いね。好きだとなったら、河を泳いでまでいに行くんだからな。日本では、そうはいかない。なんとかいう芝居しばいがあるじゃないか。まんなかに川が流れて、両方の岸で男と姫君とが、愁嘆しゅうたんしている芝居が。あんなとき、何も姫君、愁嘆する必要がない。泳いでゆけば、どんなものだろう。芝居で見ると、とてもせまい川なんだ。じゃぶじゃぶわたっていったら、どんなもんだろう。あんな愁嘆なんて、意味ないね。同情しないよ。朝顔の大井川は、あれは大水おおみずで、それに朝顔は、めくらの身なんだし、あれには多少、同情するが、けれども、あれだって、泳いで泳げないことはない。大井川の棒杭ぼうぐいにしがみついて、天道てんとうさまを、うらんでいたんじゃ、意味ないよ。あ、ひとり在るよ。日本にも、勇敢なやつが、ひとり在ったぞ。あいつは、すごい。知ってるかい?」 「ありますか。」青年たちも、目をかがやかせた。 「清姫きよひめ安珍あんちんを追いかけて、日高川を泳いだ。泳ぎまくった。あいつは、すごい。もののほんによると、清姫は、あのとき十四だったんだってね。」

21

みちを歩きながら、ばかな話をして、まちはずれの田辺たなべの知り合いらしい、ひっそり古い宿屋に着いた。

22

そこで飲んで、その夜の富士がよかった。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰っていった。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だった。富士が、よかった。月光を受けて、青くきとおるようで、私は、きつねに化かされているような気がした。富士が、したたるように青いのだ。りんが燃えているような感じだった。鬼火おにび。狐火。ほたる。すすき。くずの葉。私は、足のないような気持で、夜道を、まっすぐに歩いた。下駄げたの音だけが、自分のものでないように、他の生きもののように、からんころんからんころん、とてもんでひびく。そっと、りむくと、富士がある。青く燃えて空にうかんでいる。私は溜息ためいきをつく。維新いしんの志士。鞍馬天狗くらまてんぐ。私は、自分を、それだと思った。ちょっと気取って、ふところ手して歩いた。ずいぶん自分が、いい男のように思われた。ずいぶん歩いた。財布さいふを落した。五十銭銀貨が二十枚くらいはいっていたので、重すぎて、それでふところからするっとけ落ちたのだろう。私は、不思議に平気だった。金がなかったら、御坂みさかまで歩いてかえればいい。そのまま歩いた。ふと、いま来た路を、そのとおりに、もういちど歩けば、財布は在る、ということに気がついた。懐手のまま、ぶらぶら引きかえした。富士。月夜。維新の志士。財布を落した。興あるロマンスだと思った。財布は路のまんなかに光っていた。在るにきまっている。私は、それを拾って、宿へ帰って、寝た。

23

富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆あほうであった。完全に、無意志であった。あの夜のことを、いま思い出しても、へんに、だるい。

24

吉田に一ぱくして、あくる日、御坂みさかへ帰って来たら、茶店のおかみさんは、にやにや笑って、十五の娘さんは、つんとしていた。私は、不潔なことをして来たのではないということを、それとなく知らせたく、きのう一日の行動を、聞かれもしないのに、ひとりでこまかに言いたてた。とまった宿屋の名前、吉田のお酒の味、月夜富士、財布さいふを落したこと、みんな言った。娘さんも、気嫌きげんが直った。 「お客さん! 起きて見よ!」かん高い声である朝、茶店の外で、娘さんが絶叫ぜっきょうしたので、私は、しぶしぶ起きて、廊下ろうかへ出て見た。

25

娘さんは、興奮こうふんしてほおをまっかにしていた。だまって空を指さした。見ると、雪。はっと思った。富士に雪が降ったのだ。山頂が、まっしろに、光りかがやいていた。御坂の富士も、ばかにできないぞと思った。 「いいね。」

26

とほめてやると、娘さんは得意そうに、 「すばらしいでしょう?」といい言葉使って、「御坂の富士は、これでも、だめ?」としゃがんで言った。私が、かねがね、こんな富士はぞくでだめだ、と教えていたので、娘さんは、内心しょげていたのかも知れない。 「やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ。」もっともらしい顔をして、私は、そう教えなおした。

27

私は、どてら着て山を歩きまわって、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとって来て、それを茶店の背戸にいてやって、 「いいかい、これはぼくの月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯せんたくの水なんか捨てちゃいけないよ。」娘さんは、うなずいた。

28

ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合うと、思いんだ事情があったからである。御坂峠のその茶店は、言わば山中の一軒家いっけんやであるから、郵便物は、配達されない。峠の頂上から、バスで三十分ほどゆられて峠のふもと、河口湖畔こはんの、河口村という文字通りの寒村にたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私あての郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらいの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。天気の良い日を選んで行く。ここのバスの女車掌しゃしょうは、遊覧客のために、格別風景の説明をしてくれない。それでもときどき、思い出したように、はなはだ散文的な口調で、あれが三ッ峠、向うが河口湖、わかさぎという魚がいます、など、物憂ものうそうな、つぶやきに似た説明をして聞せることもある。

29

河口局から郵便物を受取り、またバスにゆられてとうげの茶屋に引返す途中とちゅう、私のすぐとなりに、い茶色の被布ひふを着た青白い端正たんせいの顔の、六十才くらい、私の母とよく似た老婆がしゃんと座っていて、女車掌しゃしょうが、思い出したように、みなさん、きょうは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの詠嘆えいたんともつかぬ言葉を、突然とつぜん言い出して、リュックサックしょった若いサラリイマンや、大きい日本がみゆって、口もとを大事にハンケチでおおいかくし、絹物まとった芸者風の女など、からだをねじ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲へんてつもない三角の山をながめては、やあ、とか、まあ、とか間抜まぬけた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居ごいんきょは、胸に深い憂悶ゆうもんでもあるのか、他の遊覧客とちがって、富士には一瞥いちべつも与えず、かえって富士と反対側の、山路に沿った断崖だんがいをじっと見つめて、私にはそのさまが、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんなぞくな山、見度みたくもないという、高尚こうしょう虚無きょむの心を、その老婆に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、とたのまれもせぬのに、共鳴の素振そぶりを見せてあげたく、老婆にあまえかかるように、そっとすり寄って、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやりがけの方を、眺めてやった。

30

老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、 「おや、月見草。」

31

そう言って、細い指でもって、路傍ろぼうの一箇所かしょをゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。

32

三七七八メートルの富士の山と、立派に相対峙あいたいじし、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草こんごうりきそうとでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。

33

十月のなかば過ぎても、私の仕事は遅々ちちとして進まぬ。人が恋しい。夕焼け赤きがん腹雲はらぐも、二階の廊下ろうかで、ひとり煙草たばこを吸いながら、わざと富士には目もくれず、それこそ血のしたたるような真赤な山の紅葉を、凝視ぎょうししていた。茶店のまえの落葉をきあつめている茶店のおかみさんに、声をかけた。 「おばさん! あしたは、天気がいいね。」

34

自分でも、びっくりするほど、うわずって、歓声かんせいにも似た声であった。おばさんはほうきの手をやすめ、顔をあげて、不審ふしんげにまゆをひそめ、 「あした、何かおありなさるの?」

35

そう聞かれて、私はきゅうした。 「なにもない。」

36

おかみさんは笑い出した。 「おさびしいのでしょう。山へでもおのぼりになったら?」 「山は、のぼっても、すぐまた降りなければいけないのだから、つまらない。どの山へのぼっても、おなじ富士山が見えるだけで、それを思うと、気が重くなります。」

37

私の言葉が変だったのだろう。おばさんはただ曖昧あいまいにうなずいただけで、また枯葉かれはいた。

38

ねるまえに、部屋のカーテンをそっとあけて硝子ガラスしに富士を見る。月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている。私は溜息ためいきをつく。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、かすかに生きている喜びで、そうしてまた、そっとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんということもないのに、と思えば、おかしく、ひとりで蒲団ふとんの中で苦笑するのだ。くるしいのである。仕事が、──純粋じゅんすい運筆うんぴつすることの、その苦しさよりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術というもの、あすの文学というもの、言わば、新しさというもの、私はそれらにいて、いまだ愚図愚図ぐずぐず、思いなやみ、誇張こちょうではなしに、身悶みもだえしていた。

39

素朴そぼくな、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動でつかまえて、そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかも知れない、と少し富士に妥協だきょうしかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口しているところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物おきものだっていいはずだ、ほていさまの置物は、どうにも我慢がまんできない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違まちがっている、これは違う、と再び思いまどうのである。

40

朝に、夕に、富士を見ながら、陰鬱いんうつな日を送っていた。十月の末に、ふもとの吉田のまちの、遊女の一団体が、御坂峠みさかとうげへ、おそらくは年に一度くらいの開放の日なのであろう、自動車五台に分乗してやって来た。私は二階から、その様を見ていた。自動車からおろされて、色さまざまの遊女たちは、バスケットからぶちまけられた一群の伝書ばとのように、はじめは歩く方向を知らず、ただかたまってうろうろして、沈黙ちんもくのままし合い、へし合いしていたが、やがてそろそろ、その異様の緊張きんちょうがほどけて、てんでにぶらぶら歩きはじめた。茶店の店頭に並べられて在る絵葉書を、おとなしく選んでいるもの、たたずんで富士をながめているもの、暗く、わびしく、見ちゃおれない風景であった。二階のひとりの男の、いのちしまぬ共感も、これら遊女の幸福に関しては、なんの加えるところがない。私は、ただ、見ていなければならぬのだ。苦しむものは苦しめ。落ちるものは落ちよ。私に関係したことではない。それが世の中だ。そう無理につめたくよそおい、かれらを見下ろしているのだが、私は、かなり苦しかった。

41

富士にたのもう。突然とつぜんそれを思いついた。おい、こいつらを、よろしくたのむぜ、そんな気持であおげば、寒空のなか、のっそりっ立っている富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然ごうぜんとかまえている大親分のようにさえ見えたのであるが、私は、そう富士に頼んで、大いに安心し、気軽くなって茶店の六才の男の子と、ハチというむく犬を連れ、その遊女の一団を見捨てて、とうげのちかくのトンネルの方へ遊びに出掛でかけた。トンネルの入口のところで、三十才くらいのせた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまってみ集めていた。私たちが傍を通っても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでいる。この女のひとのことも、ついでに頼みます、とまた振り仰いで富士にお願いして置いて、私は子供の手をひき、とっとと、トンネルの中にはいって行った。トンネルの冷い地下水を、ほおに、首筋に、滴滴てきてきと受けながら、おれの知ったことじゃない、とわざと大股おおまたに歩いてみた。

42

そのころ、私の結婚の話も、一頓挫とんざのかたちであった。私のふるさとからは、全然、助力が来ないということが、はっきりわかってきたので、私は困ってしまった。せめて百円くらいは、助力してもらえるだろうと、虫のいい、ひとりぎめをして、それでもって、ささやかでも、厳粛げんしゅくな結婚式を挙げ、あとの、世帯を持つに当っての費用は、私の仕事でかせいで、しようと思っていた。けれども、二、三の手紙の往復により、うちから助力は、全く無いということが明らかになって、私は、途方とほうにくれていたのである。このうえは、縁談えんだんことわられても仕方が無い、と覚悟かくごをきめ、とにかく先方へ、事の次第しだいを洗いざらい言って見よう、と私は単身、峠を下り、甲府の娘さんのお家へおうかがいした。さいわい娘さんも、家にいた。私は客間に通され、娘さんと母堂と二人を前にして、悉皆しっかいの事情を告白した。ときどき演説口調になって、閉口した。けれども、割に素直に語りつくしたように思われた。娘さんは、落ちついて、 「それで、おうちでは、反対なのでございましょうか。」と、首をかしげて私にたずねた。 「いいえ、反対というのではなく、」私は右の手のひらを、そっとたくの上にし当て、「おまえひとりで、やれ、という工合ぐあいらしく思われます。」 「結構でございます。」母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑とうわくするようなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」

43

私は、お辞儀じぎするのも忘れて、しばらく呆然ぼうぜんと庭をながめていた。目の熱いのを意識した。この母に、孝行しようと思った。

44

かえりに、娘さんは、バスの発着所まで送って来てくれた。歩きながら、 「どうです。もう少し交際してみますか?」

45

きざなことを言ったものである。 「いいえ。もう、たくさん。」娘さんは、笑っていた。 「なにか、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。 「ございます。」

46

私は何を聞かれても、ありのまま答えようと思っていた。 「富士山には、もう雪がったでしょうか。」

47

私は、その質問には拍子抜ひょうしぬけがした。 「降りました。いただきのほうに、──」と言いかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。 「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるじゃないか。ばかにしていやがる。」やくざな口調になってしまって、「いまのは、愚問ぐもんです。ばかにしていやがる。」 娘さんは、うつむいて、くすくす笑って、 「だって、御坂峠みさかとうげにいらっしゃるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、わるいと思って。」

48

おかしな娘さんだと思った。

49

甲府から帰って来ると、やはり、呼吸ができないくらいにひどくかたっているのを覚えた。 「いいねえ、おばさん。やっぱし御坂は、いいよ。自分のうちに帰って来たような気さえするのだ。」

50

夕食後、おかみさんと、娘さんと、かわる交る、私の肩をたたいてくれる。おかみさんのこぶしは固く、するどい。娘さんのこぶしはやわらかく、あまりきめがない。もっと強く、もっと強くと私に言われて、娘さんはまきを持ち出し、それでもって私の肩をとんとんたたいた。それほどにしてもらわなければ、肩のこりがとれないほど、私は甲府で緊張きんちょうし、一心に努めたのである。

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甲府へ行って来て、二、三日、流石さすがに私はぼんやりして、仕事する気も起らず、机のまえに座って、とりとめのない楽書らくがきをしながら、バットを七箱も八箱も吸い、また寝ころんで、金剛石こんごうせきみがかずば、という唱歌を、り返し繰り返し歌ってみたりしているばかりで、小説は、一枚も書きすすめることができなかった。 「お客さん。甲府へ行ったら、わるくなったわね。」

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朝、私が机に頬杖ほおづえつき、目をつぶって、さまざまのこと考えていたら、私の背後で、とこふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましそうに、多少、とげとげしい口調で、そう言った。私は、りむきもせず、 「そうかね。わるくなったかね。」

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娘さんは、掃除そうじの手を休めず、 「ああ、わるくなった。この二、三日、ちっとも勉強すすまないじゃないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿げんこう用紙、番号順にそろえるのが、とっても、たのしい。たくさんお書きになっていれば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそっと様子を見に来たの、知ってる? お客さん、ふとん頭からかぶって、寝てたじゃないか。」

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私は、ありがたい事だと思った。大袈裟おおげさな言いかたをすれば、これは人間の生きく努力に対しての、純粋じゅんすい声援せいえんである。なんの報酬ほうしゅうも考えていない。私は、娘さんを、美しいと思った。

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十月末になると、山の紅葉も黒ずんで、きたなくなり、とたんに一夜あらしがあって、みるみる山は、真黒い冬木立に化してしまった。遊覧の客も、いまはほとんど、数えるほどしかない。茶店もさびれて、ときたま、おかみさんが、六つになる男の子を連れて、とうげのふもとの船津、吉田に買物をしに出かけて行って、あとには娘さんひとり、遊覧の客もなし、一日中、私と娘さんと、ふたり切り、峠の上で、ひっそり暮すことがある。私が二階で退屈たいくつして、外をぶらぶら歩きまわり、茶店の背戸で、お洗濯せんたくしている娘さんの傍へ近寄り、 「退屈だね。」

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と大声で言って、ふと笑いかけたら、娘さんはうつむき、私がその顔をのぞいてみて、はっと思った。泣きべそかいているのだ。あきらかに恐怖きょうふの情である。そうか、とがしく私は、くるりと回れ右して、落葉しきつめた細い山路を、まったくいやな気持で、どんどんあらく歩きまわった。

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それからは、気をつけた。娘さんひとりきりのときには、なるべく二階の室から出ないようにつとめた。茶店にお客でも来たときには、私がその娘さんを守る意味もあり、のしのし二階から降りていって、茶店の一隅ひとすみこしをおろしゆっくりお茶を飲むのである。いつか花嫁はなよめ姿のお客が、紋付もんつきを着たじいさんふたりに付添つきそわれて、自動車に乗ってやって来て、この峠の茶屋でひと休みしたことがある。そのときも、娘さんひとりしか茶店にいなかった。私は、やはり二階から降りていって、すみ椅子いすに腰をおろし、煙草たばこをふかした。花嫁はすそ模様の長い着物を着て、金襴きんらんの帯を背負い、角隠つのかくしつけて、堂々正式の礼装であった。全く異様のお客様だったので、娘さんもどうあしらいしていいのかわからず、花嫁さんと、二人の老人にお茶をついでやっただけで、私の背後にひっそり隠れるように立ったまま、だまって花嫁のさまを見ていた。一生にいちどの晴の日に、──峠の向う側から、反対側の船津か、吉田のまちへ嫁入りするのであろうが、その途中とちゅう、このとうげの頂上で一休みして、富士をながめるということは、はたで見ていても、くすぐったいほど、ロマンチックで、そのうちに花嫁はなよめは、そっと茶店から出て、茶店のまえのがけのふちに立ち、ゆっくり富士を眺めた。あしをX形に組んで立っていて、大胆だいたんなポオズであった。余裕のあるひとだな、となおも花嫁を、富士と花嫁を、私は観賞していたのであるが、間もなく花嫁は、富士に向って、大きな欠伸あくびをした。 「あら!」

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と背後で、小さいさけびを挙げた。娘さんも、素早くその欠伸を見つけたらしいのである。やがて花嫁の一行は、待たせて置いた自動車に乗り、峠を降りていったが、あとで花嫁さんは、さんざんだった。 「れていやがる。あいつは、きっと二度目、いや、三度目くらいだよ。おむこさんが、峠の下で待っているだろうに、自動車から降りて、富士を眺めるなんて、はじめてのお嫁だったら、そんな太いこと、できるわけがない。」 「欠伸したのよ。」娘さんも、力こめて賛意を表した。「あんな大きい口あけて欠伸して、図々しいのね。お客さん、あんなお嫁さんもらっちゃ、いけない。」

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私は年甲斐としがいもなく、顔を赤くした。私の結婚の話も、だんだん好転していって、ある先輩せんぱいに、すべてお世話になってしまった。結婚式も、ほんの身内の二、三のひとにだけ立ち合ってもらって、まずしくとも厳粛げんしゅくに、その先輩のお宅で、していただけるようになって、私は人の情に、少年のごとく感奮かんぷんしていた。

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十一月にはいると、もはや御坂みさかの寒気、えがたくなった。茶店では、ストオヴを備えた。 「お客さん、二階はお寒いでしょう。お仕事のときは、ストオヴの傍でなさったら。」と、おかみさんは言うのであるが、私は、人の見ているまえでは、仕事のできないたちなので、それは断った。おかみさんは心配して、峠のふもとの吉田へ行き、炬燵こたつをひとつ買って来た。私は二階の部屋でそれにもぐって、この茶店の人たちの親切には、しんからお礼を言いたく思って、けれども、もはやその全容の三分の二ほど、雪をかぶった富士の姿を眺め、また近くの山々の、蕭条しょうじょうたる冬木立に接しては、これ以上、この峠で、皮膚ひふを刺す寒気に辛抱しんぼうしていることも無意味に思われ、山を下ることに決意した。山を下る、その前日、私は、どてらを二枚かさねて着て、茶店の椅子いすこしかけて、熱い番茶をすすっていたら、冬の外套がいとう着た、タイピストでもあろうか、若い知的の娘さんがふたり、トンネルの方から、何かきゃっきゃっ笑いながら歩いて来て、ふと眼前に真白い富士を見つけ、打たれたように立ち止り、それから、ひそひそ相談の様子で、そのうちのひとり、眼鏡めがねかけた、色の白い子が、にこにこ笑いながら、私のほうへやって来た。 「相すみません。シャッタア切って下さいな。」

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私は、へどもどした。私は機械のことには、あまり明るくないのだし、写真の趣味しゅみは皆無であり、しかも、どてらを二枚もかさねて着ていて、茶店の人たちさえ、山賊さんぞくみたいだ、といって笑っているような、そんなむさくるしい姿でもあり、多分は東京の、そんなはなやかな娘さんから、はいからの用事をたのまれて、内心ひどく狼狽ろうばいしたのである。けれども、また思い直し、こんな姿はしていても、やはり、見る人が見れば、どこかしら、きゃしゃなおもかげもあり、写真のシャッタアくらい器用に手さばき出来るほどの男に見えるのかも知れない、などと少しき浮きした気持も手伝い、私は平静をよそおい、娘さんの差し出すカメラを受け取り、何気なさそうな口調で、シャッタアの切りかたを鳥渡ちょっとたずねてみてから、わななきわななき、レンズをのぞいた。まんなかに大きい富士、その下に小さい、罌粟けしの花ふたつ。ふたりそろいの赤い外套がいとうを着ているのである。ふたりはひしとき合うように寄りい、っとまじめな顔になった。私は、おかしくてならない。カメラ持つ手がふるえて、どうにもならぬ。笑いをこらえて、レンズをのぞけば、罌粟の花、いよいよまして、固くなっている。どうにもねらいがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。 「はい、うつりました。」 「ありがとう。」

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ふたり声をそろえてお礼を言う。うちへ帰って現像してみた時にはおどろくだろう。富士山だけが大きく大きく写っていて、ふたりの姿はどこにも見えない。

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そのあくる日に、山を下りた。まず、甲府の安宿に一ぱくして、そのあくる朝、安宿の廊下ろうかきたな欄干らんかんによりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出している。酸漿ほおずきに似ていた。




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