ダス・ゲマイネ

       太宰 治

一 幻灯

    当時、私には一日一日が晩年であった。

1

恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風しっぷうのごとくげ失せる。けれども私は、そのころすべてにだらしなくなっていて、ほとんど私の身にくっついてしまったかのようにも思われていたその賢明な、怪我けがの少い身構えの法をさえ持ちこたえることができず、言わば手放しで、節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないというしわがれたつぶやきが、私の思想の全部であった。二十五歳。私はいま生れた。生きている。生き、切る。私はほんとうだ。好きなのだから仕様がない。しかしながら私は、はじめから歓迎かんげいされなかったようである。無理心中という古くさい概念がいねんを、そろそろとからだで了解りょうかいしかけて来た矢先、私は手ひどくはねつけられ、そうしてそれっきりであった。相手はどこかへ消えうせたのである。

2

友人たちは私を呼ぶのに佐野次郎左衛門ざえもん、もしくは佐野次郎さのじろという昔のひとの名でもってした。 「さのじろ。――でも、よかった。そんな工合ぐあいの名前のおかげで、おめえの恰好かっこうもどうやらついて来たじゃないか。ふられても恰好がつくなんてのは、てんからひとにあまったれている証拠しょうこらしいが、――ま、落ちつく。」

3

馬場がそう言ったのを私は忘れない。そのくせ、私を佐野次郎なぞと呼びはじめたのは、たしかに馬場なのである。私は馬場と上野公園内の甘酒屋で知り合った。清水寺のすぐちかくに赤い毛氈もうせんいた縁台えんだいを二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った。

4

私が講義のあいまあいまに大学の裏門から公園へぶらぶら歩いて出ていって、その甘酒屋にちょいちょい立ち寄ったわけは、その店に十七歳の、きくという小柄こがらで利発そうな、眼のすずしい女の子がいて、それの様が私の恋の相手によくよく似ていたからであった。私の恋の相手というのはうのに少しばかり金のかかるたちの女であったから、私は金のないときには、その甘酒屋の縁台にこしをおろし、一杯いっぱいの甘酒をゆるゆるとすすながらその菊という女の子を私の恋の相手の代理としてながめて我慢がまんしていたものであった。ことしの早春に、私はこの甘酒屋で異様な男を見た。その日は土曜日で、朝からよく晴れていた。私はフランス叙情じょじょう詩の講義を聞きおえて、真昼頃まひるごろ、梅はいたか桜はまだかいな。たったいま教ったばかりのフランスの叙情じょじょう詩とは打って変ったかかる無学な文句に、勝手なふしをつけてりかえし繰りかえし口ずさみながら、れいの甘酒屋あまざけやおとずれたのである。そのときすでに、ひとりの先客があった。私は、おどろいた。先客の恰好かっこうが、どうもなんだか奇態きたいに見えたからである。ずいぶんせ細っているようであったけれども身丈みたけ尋常じんじょうであったし、着ている背広服も黒サアジのふつうのものであったが、そのうえに羽織っている外套がいとうがだいいちあやしかった。なんという型のものであるか私には判らぬけれども、ひとめ見た印象で言えば、シルレルの外套である。天鵞絨ビロード紐釦ボタンがむやみに多く、色は見事な銀鼠ぎんねずであって、話にならんほどにだぶだぶしていた。そのつぎには顔である。これをもひとめ見た印象で言わせてもらえば、シューベルトに化けそこねたきつねである。不思議なくらいに顕著けんちょなおでこと、鉄縁てつぶちの小さな眼鏡めがねとたいへんなちぢれ毛と、とがったあごと、無精鬚ぶしょうひげ皮膚ひふは、大仰おおぎょうな言いかたをすれば、うぐいすの羽のようなきたない青さで、まったく光沢こうたくがなかった。その男が赤毛氈もうせん縁台えんだいのまんなかにあぐらをかいて座ったまま大きい碾茶ひきちゃ茶碗ちゃわんでたいぎそうに甘酒をすすりながら、ああ、片手あげて私へおいでおいでをしたでないか。ながく躊躇ちゅうちょをすればするほどこれはいよいようす気味わるいことになりそうだな、とそう直覚したので、私は自分にもなんのことやら意味の分らぬ微笑びしょうを無理してうかべながら、その男の座っている縁台のはしこしをおろした。 「けさ、とても固いするめを食ったものだから、」わざとつぶしているような低いかすれた声であった。「右の奥歯おくばがいたくてなりません。歯痛ほど閉口なものはないね。アスピリンをどっさり呑めば、けろっとなおるのだが。おや、あなたを呼んだのはぼくだったのですか? しつれい。僕にはねえ、」私の顔をちらと見てから、口角に少し笑いをふくめて、「ひとの見さかいができねえんだ。めくら。――そうじゃない。僕は平凡へいぼんなのだ。見せかけだけさ。僕のわるいくせでしてね。はじめにったひとには、ちょっとこう、いっぷう変っているように見せたくてたまらないのだ。自縄自縛じじょうじばくという言葉がある。ひどく古くさい。いかん。病気ですね。君は、文科ですか? ことし卒業ですね?」

5

私は答えた。「いいえ。もう一年です。あの、いちど落第したものですから。」 「はあ、芸術家ですな。」にこりともせず、おちついて甘酒をひと口すすった。「僕はそこの音楽学校にかれこれ八年います。なかなか卒業できない。まだいちども試験というものに出席しないからだ。ひとがひとの能力を試みるなんてことは、君、容易ならぬ無礼だからね。」 「そうです。」 「と言ってみただけのことさ。つまりは頭がわるいのだよ。ぼくはよくここにこうして座りこみながら眼のまえをぞろぞろと歩いて通る人の流れをながめているのだが、はじめのうちは堪忍かんにんできなかった。こんなにたくさんひとが居るのに、誰も僕を知っていない、僕に留意しない、そう思うと、――いや、そうさかんに合槌あいづちうたなくたってよい。はじめから君の気持ちで言っているのだ。けれどもいまの僕なら、そんなことぐらい平気だ。かえって快感だ。まくらのしたを清水がさらさら流れているようで。あきらめじゃない。王侯おうこうのよろこびだよ。」ぐっと甘酒あまざけを呑みほしてから、だしぬけに碾茶ひきちゃ茶碗ちゃわんを私の方へのべてよこした。「この茶碗に書いてある文字、――白馬驕不行ハクバオゴリテユカズ。よせばいいのに。てれくさくてかなわん。君にゆずろう。僕が浅草の骨董屋こっとうやから高い金を出して買って来て、この店にあずけてあるのだ。とくべつに僕用の茶碗としてね。僕は君の顔が好きなんだ。ひとみのいろが深い。あこがれている眼だ。僕が死んだなら、君がこの茶碗を使うのだ。僕はあしたあたり死ぬかも知れないからね。」

6

それからというもの、私たちはその甘酒屋で実にしばしば落ち合った。馬場はなかなかに死ななかったのである。死なないばかりか、少し太った。蒼黒あおぐろい両ほおももの実のようにむっつりふくれた。彼はそれを酒ぶとりであると言って、こうからだが太って来ると、いよいよ危いのだ、と小声で付け加えた。私は日ましに彼と仲良くなった。なぜ私は、こんな男からげ出さずに、かえって親密になっていったのか。馬場の天才を信じたからであろうか。昨年の晩秋、ヨオゼフ・シゲティというブダペスト生れのヴァイオリンの名手が日本へやって来て、日比谷の公会堂で三度ほど演奏会をひらいたが、三度が三度ともたいへんな不人気であった。孤高狷介ここうけんかいのこの四十歳の天才は、いきどおってしまって、東京朝日新聞へ一文を寄せ、日本人の耳は驢馬ろばの耳だ、なんて悪罵あくばしたものであるが、日本の聴衆ちょうしゅうへのそんな罵言の後には、かならず、「ただしひとりの青年を除いて。」という一句が詩のルフランのように括弧かっこでくくられて書かれていた。いったい、ひとりの青年とは誰のことなんだとそのじぶん楽壇がくだんでひそひそ論議されたものだそうであるが、それは、馬場であった。馬場はヨオゼフ・シゲティとって話をかわした。日比谷公会堂での三度目のはずかしめられた演奏会がおわった夜、馬場は銀座のある名高いビヤホオルの奥隅おくすみはちの木のかげに、シゲティの赤い大きな禿頭はげあたまを見つけた。馬場は躊躇ちゅうちょせず、その報いられなかった世界的な名手がことさらに平気をよそおうてうす笑いしながらビイルをめているテエブルのすぐとなりのテエブルに、つかつか歩み寄っていって座った。その夜、馬場とシゲティとは共鳴をはじめて、銀座一丁目から八丁目までのめぼしいカフェを一けん一軒、たんねんに呑んでまわった。勘定かんじょうはヨオゼフ・シゲティがはらった。シゲティは、酒を呑んでも行儀ぎょうぎがよかった。黒のちょうネクタイを固くきちんと結んだままで、女給たちにはついに一指も触れなかった。理知で切りきざんだ工合ぐあいの芸でなければ面白おもしろくないのです。文学のほうではアンドレ・ジッドとトオマス・マンが好きです、と言ってからさびしそうに右手の親指のつめんだ。ジッドをチットと発音していた。夜のまったく明けはなれたころ、二人は、帝国ホテルの前庭のはすの池のほとりでおたがいに顔をそむけながら力のけた握手あくしゅかわしてそそくさと別れ、その日のうちにシゲティは横浜からエムプレス・オブ・カナダ号に乗船してアメリカヘむけて旅立ち、そのあくる日、東京朝日新聞にれいのルフラン付きの文章が掲載けいさいされたというわけであった。けれども私は、彼もさすがにてれくさそうにして眼を激しくしばたたかせながら、そうして、おしまいにはほとんど不機嫌ふきげんになってしまって語って聞かせたこんなふうの手柄てがら話を、あんまり信じる気になれないのである。彼が異国人と夜のまったく明けはなれるまで談じ合うほど語学ができるかどうか、そういうことからしてあやしいもんだと私は思っている。疑いだすと果しがないけれども、いったい、彼にはどのような音楽理論があるのか、ヴァイオリニストとしてどれくらいの腕前うでまえがあるのか、作曲家としてはどんなものか、そんなことさえ私には一切いっさいわかって居らぬのだ。馬場はときたま、てかてか黒く光るヴァイオリンケエスを左腕にかかえて持って歩いていることがあるけれども、ケエスの中にはつねに一物もはいっていないのである。彼の言葉にれば、彼のケエスそれ自体が現代のサンボルだ、中はうそ寒くからっぽであるというんだが、そんなときには私は、この男はいったいヴァイオリンを一度でも手にしたことがあるのだろうかという変な疑いをさえいだくのである。そんな案配あんばいであるから、彼の天才を信じるも信じないも、彼の技量ぎりょうを計るよすがさえない有様で、私が彼にひきつけられたわけは、他にあるのにちがいない。私もまたヴァイオリンよりヴァイオリンケエスを気にする組ゆえ、馬場の精神や技量より、彼の風姿や冗談じょうだんせられたのだというような気もする。彼は実にしばしば服装をかえて、私のまえに現われる。さまざまの背広服のほかに、学生服を着たり、菜葉服なっぱふくを着たり、あるときには角帯に白足袋たびという恰好かっこうで私を狼狽ろうばいさせ赤面させた。彼の平然とつぶやくところに依れば、彼がこのようにしばしば服装をかえるわけは、自分についてどんな印象をもひとに与えたくない心からなんだそうである。言い忘れていたが、馬場の生家は東京市外の三鷹みたか下連雀しもれんじゃくにあり、彼はそこから市内へ毎日かかさず出て来て遊んでいるのであって、親爺おやじは地主か何かでかなりの金持ちらしく、そんな金持ちであるからこそ様様に服装をかえたりなんかしてみることもできるわけで、これも言わば地主のせがれ贅沢ぜいたくの一種類にすぎないのだし、――そう考えてみれば、べつだん私は彼の風采ふうさいのゆえにひきつけられているのでもないようだぞ。金銭のせいであろうか。すこぶる言いにくい話であるが、彼とふたりで遊び歩いていると勘定かんじょうはすべて彼がはらう。私をしのけてまで支払うのである。友情と金銭とのあいだには、このうえなく微妙びみょう相互そうご作用がたえずはたらいているものらしく、彼の豊潤ほうじゅんの状態が私にとっていくぶん魅力みりょくになっていたことも争われない。これは、ひょっとしたら、馬場と私との交際は、はじめっから旦那だんなと家来の関係にすぎず、徹頭徹尾てっとうてつび、私がへえへえ牛耳ぎゅうじられていたという話に終るだけのことのような気もする。

7

ああ、どうやらこれは語るに落ちたようだ。つまりそのころの私は、さきにも鳥渡ちょっと言って置いたように金魚のふんのような無意志の生活をしていたのであって、金魚が泳げば私もふらふらついて行くというような、そんなはかない状態で馬場とのつき合いをもつづけていたにちがいないのである。ところが、八十八夜。――みょうなことには、馬場はなかなかこよみ敏感びんかんらしく、きょうは、かのえさる、仏滅ぶつめつだと言ってしょげかえっているかと思うと、きょうは端午たんごだ、やみまつり、などと私にはよく意味のわからぬようなことまでぶつぶつつぶやいていたりする有様で、その日も、私が上野公園のれいの甘酒あまざけ屋で、はらみねこ、葉桜、花吹雪はなふぶき、毛虫、そんな風物のかもし出す晩春のぬくぬくした爛熟らんじゅく雰囲気ふんいきをからだじゅうに感じながら、ひとりしてビイルを呑んでいたのであるが、ふと気がついてみたら、馬場がみどりいろの派手な背広服を着ていつの間にか私のうしろのほうに座っていたのである。れいの低い声で、「きょうは八十八夜。」そうひとこと呟いたかと思うともう、てれくさくてかなわんとでもいうようにむっくり立ちあがって両かたをぶるっと大きくゆすった。八十八夜を記念しようという、なんの意味もない決心を笑いながら固めて、二人、浅草へ呑みに出かけることになったのであるが、その夜、私はいっそく飛びに馬場へはなれがたない親狎しんこうの念をいだくにいたった。浅草の酒の店を五六けん。馬場はドクタア・プラアゲと日本の楽壇がくだんとの喧嘩けんかんできだすようにしながらながながと語り、プラアゲはえらい男さ、なぜって、とまた独りごとのようにしてその理由を呟いているうちに、私は私の女といたくて、居ても立ってもいられなくなった。私は馬場をさそった。幻灯げんとうを見に行こうとささやいたのだ。馬場は幻灯を知らなかった。よし、よし。きょうだけは僕が先輩せんぱいです。八十八夜だから連れていってあげましょう。私はそんなてれかくしの冗談じょうだんを言いながら、プラアゲ、プラアゲ、となおも低く呟きつづけている馬場を無理、矢理、自動車に押しこんだ。急げ! ああ、いつもながらこの大川を瞬間しゅんかんのときめき。幻灯のまち。そのまちには、よく似た路地が蜘蛛くもの巣のように四通八達していて、路地の両側の家々の、一尺に二尺くらいの小窓小窓でわかい女の顔が花やかに笑っているのであって、このまちへ一歩みこむとかたの重みがすっとけ、ひとはおのれの一切いっさいの姿勢を忘却ぼうきゃくし、おおせた罪人のように美しく落ちつきはらって一夜をすごす。馬場にはこのまちが始めてのようであったが、べつだんおどろきもせずゆったりした歩調で私と少しはなれて歩きながら、両側の小窓小窓の女の顔をひとつひとつ熟察していた。路地へはいり路地を抜け路地を曲り路地へ行きついてから私は立ちどまり馬場の横腹をそっと小突こづいて、ぼくはこの女のひとを好きなのです。ええ、よっぽどまえからとささやいた。私の恋の相手はまばたきもせず小さい下唇したくちびるだけをきゅっと左へうごかして見せた。馬場も立ちどまり、両うでをだらりとさげたまま首を前へ突きだして、私の女をつくづくと凝視ぎょうししはじめたのである。やがて、りかえりざま、さけぶようにして言った。 「やあ、似ている。似ている。」

8

はっとはじめて気づいた。 「いいえ、きくちゃんにはかないません。」私は固くなって、へんなこたえかたをした。ひどくりきんでいたのである。馬場はかるく狼狽ろうばいの様子で、 「くらべたりするもんじゃないよ。」と言って笑ったが、すぐにけわしくまゆをひそめ、「いや、ものごとはなんでも比較ひかくしてはいけないんだ。比較根性の愚劣ぐれつ。」と自分へ説き聞かせるようにゆっくりつぶやきながら、ぶらぶら歩きだした。あくる朝、私たちはかえりの自動車のなかで、だまっていた。一口でも、ものを言えばなぐり合いになりそうな気まずさ。自動車が浅草の雑沓ざっとうのなかにまぎれこみ、私たちもただの人の気楽さをようやく感じて来たころ、馬場はまじめに呟いた。 「ゆうべ女のひとがねえ、僕にこういって教えたものだ。あたしたちだって、はたから見るほど楽じゃないんだよ。」

9

私は、つとめて大袈裟おおげさきだして見せた。馬場はいつになくはればれと微笑ほほえみ、私の肩を、ぽんとたたいて、 「日本で一番よいまちだ。みんな胸を張って生きているよ。じていない。おどろいたなあ。一日一日をいっぱいに生きている。」

10

それ以後、私は馬場へ肉親のようにれてあまえて、生れてはじめて友だちを得たような気さえしていた。友を得たと思ったとたんに私は恋の相手をうしなった。それが、口に出して言われないような、われながらみっともない形で女のひとにげられたものであるから、私は少し評判になり、とうとう、佐野次郎というくだらない名前までつけられた。いまだからこそ、こんなふうになんでもない口調で語れるのであるが、当時は、笑い話どころではなく、私は死のうと思っていた。幻灯げんとうのまちの病気もなおらず、いつ不具者になるかわからぬ状態であったし、ひとはなぜ生きていなければいけないのか、そのわけが私には呑みこめなかった。ほどなく暑中休暇きゅうかにはいり、東京から二百里はなれた本州の北端ほくたんの山の中にある私の生家にかえって、一日一日、庭のくりの木のしたで籐椅子とういすにねそべり、煙草たばこを七十本ずつ吸ってぼんやりくらしていた。馬場が手紙を寄こした。

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拝啓はいけい

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死ぬことだけは、待って呉れないか。ぼくのために。君が自殺をしたなら、僕は、ああ僕へのいやがらせだな、とひそかに自惚うぬぼれる。それでよかったら、死にたまえ。僕もまた、かつては、いや、いまもなお、生きることに不熱心である。けれども僕は自殺をしない。誰かに自惚れられるのが、いやなんだ。病気と災難とを待っている。けれどもいまのところ、僕の病気は歯痛とである。死にそうもない。災難もなかなか来ない。僕の部屋の窓を夜どおし明けはなして盗賊とうぞく来襲らいしゅうを待ち、ひとつ彼に殺させてやろうと思っているのであるが、窓からこっそりしのびこむ者は、羽蟻はありとかぶとむし、それから百万の蚊軍かぐん。(君いわく、ああ僕とそっくりだ!)君、一緒いっしょに本を出さないか。僕は、本でも出して借金を全部かえしてしまって、それから三日三晩くらいぶっつづけにこんこんとねむりたいのだ。借金とは宙ぶらりんな僕の肉体だ。僕の胸には借金の穴が黒くぽかんとあいている。本を出したおかげでこの満たされぬ空洞くうどうがいよいよ深くなるかも知れないが、そのときにはまたそれでよし。とにかく僕は、僕自身にうまくひっこみをつけたいのだ。本の名は、海賊。具体的なことがらについては、君と相談のうえできめるつもりであるが、僕のプランとしては、輸出むきの雑誌にしたい。相手はフランスがよかろう。君はたしかにずばけて語学ができる様子だから、僕たちの書いた原稿げんこうをフランス語に直しておくれ。アンドレ・ジッドに一冊送って批評をもらおう。ああ、ヴァレリイと直接に論争できるぞ。あの眠たそうなプルウストをひとつうろたえさせてやろうじゃないか。(君曰く、残念、プルウストはもう死にました。)コクトオはまだ生きているよ。君、ラディゲが生きていたらねえ。デコブラ先生にも送ってやってよろこばせてやるか、可哀かわいそうに。

13

こんな空想はたのしくないか。しかも実現はさほど困難でない。(書きしだい、文字がかわく。手紙文という特異な文体。叙述じょじゅつでもなし、会話でもなし、描写びょうしゃでもなし、どうも不思議な、それでいてちゃんと独立している無気味な文体。いや、ばかなことを言った。)ゆうべ徹夜てつやで計算したところにると、三百円で、素晴らしい本が出来る。それくらいなら、僕ひとりでも、どうにかできそうである。君は詩を書いてポオル・フォオルに読ませたらよい。僕はいま海賊の歌という四楽章からなる交響こうきょう曲を考えている。できあがったら、この雑誌に発表し、どうにかしてラヴェルを狼狽ろうばいさせてやろうと思っている。くりかえして言うが、実現は困難でない。金さえあれば、できる。実現不可能の理由としては、何があるか。君もはなやかな空想でせいぜい胸をふくらませて置いたほうがよい。どうだ。(手紙というものは、なぜおしまいに健康をいのらなければいけないのか。頭はわるし、文章はまずく、話術が下手へたくそでも、手紙だけはうまい男という怪談かいだんがこの世の中にある。)ところでぼくは、手紙上手じょうずであるか。それとも手紙下手であるか。さよなら。

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これは別なことだが、いまちょっと胸にうかんだから書いておく。古い質問、「知ることは幸福であるか。」   佐野次郎左衛門ざえもん様、                馬場数馬。     二 海賊かいぞく         ナポリを見てから死ね!

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Pirateという言葉は、著作物の剽窃ひょうせつ者を指していうときにも使用されるようだが、それでもかまわないか、と私が言ったら、馬場は即座そくざに、いよいよ面白おもしろいと答えた。Le Pirate,――雑誌の名はまずきまった。マラルメやヴェルレエヌの関係していたLa Basoche, ヴェルハアレン一派のLa Jeune Belgique, そのほかLa Semaine, Le Type. いずれも異国の芸苑げいえんいた真紅の薔薇ばら。むかしの若き芸術家たちが世界に呼びかけた機関雑誌。ああ、われらもまた。暑中休暇きゅうかがすんであたふたと上京したら、馬場の海賊かいぞく熱はいよいよあがっていて、やがて私にもそのまま感染し、ふたり寄ると触るとLe Pirate についての、はなやかな空想を、いやいや、具体的なプランについて語り合ったのである。春と夏と秋と冬と一年に四回ずつ発行のこと。きく倍判六十ページ、全部アート紙。クラブ員は海賊のユニフォオムを一着すること。胸には必ず季節の花を。クラブ員相互そうごの合言葉。――一切誓いっさいちかうな。幸福とは? 審判しんぱんするなかれ。ナポリを見てから死ね! 等々。仲間はかならず二十代の美青年たるべきこと。一芸に於いて秀抜しゅうばつ技量ぎりょうを有すること。The Yellow Book の故知にならい、ビアズレイに匹敵する天才画家を見つけ、これにどんどん挿画さしえをかかせる。国際文化振興しんこう会なぞをたよらずに異国へわれらの芸術をわれらの手で知らせてやろう。資金として馬場が二百円、私が百円、そのうえほかの仲間たちから二百円ほど出させる予定である。仲間、――馬場が彼の親類筋にあたる佐竹六郎という東京美術学校の生徒をまず私に紹介しょうかいして呉れる段取りとなった。その日、私は馬場との約束どおり、午後の四時ごろ、上野公園の菊ちゃんの甘酒あまざけ屋をおとずれたのであるが、馬場は紺飛白こんすがり単衣ひとえに小倉のはかまという維新風俗いしんふうぞくで赤毛氈もうせん縁台えんだいこしかけて私を待っていた。馬場の足もとに、真赤なあさの葉模様の帯をしめ白い花のかんざしをつけた菊ちゃんが、お給仕の塗盆ぬりぼんを持って丸くうずくまって馬場の顔をふりあおいだまま、みじろぎもせずじっとしていた。馬場の蒼黒あおぐろい顔には弱い西日がぽっと明るくさしていて、タ靄ゆうもやがもやもやけむってふたりのからだのまわりを包み、なんだかおかしな、狐狸こりのにおいのする風景であった。私が近づいていって、やあ、と馬場に声をかけたら、きくちゃんが、あ、と小さくさけんで飛びあがり、ふりむいて私に白い歯を見せて挨拶あいさつしたが、みるみる豊かなほおをあかくした。私も少しどぎまぎして、わるかったかな? と思わず口をすべらせたら、菊ちゃんは一瞬いっしゅんはっと表情をかえてみょうにまじめな眼つきで私の顔を見つめたかと思うと、くるっと私に背をむけお盆で顔をかくすようにして店のおくけこんでいったものだ。なんのことはない、あやつり人形の所作しょさでも見ているような心地がした。私はいぶかしく思いながらその後姿をそれとなく見送り縁台えんだいこしをおろすと、馬場はにやにやうす笑いして言いだした。 「信じ切る。そんな姿はやっぱりいな。あいつがねえ。」白馬驕不行ハクバオゴリテユカズ碾茶ひきちゃ茶碗ちゃわん流石さすがにてれくさいゆえをもってか、とうのむかしに廃止はいしされて、いまは普通ふつうのお客と同じに店の青磁の茶碗。番茶を一口すすって、「ぼくのこの不精髭ぶしょうひげを見て、幾日いくにちくらいたてばそんなにびるの? と聞くから、二日くらいでこんなになってしまうのだよ。ほら、じっとして見ていなさい。ひげがそよそよと伸びるのが肉眼でも判るほどだから、と真顔で教えたら、だまってしゃがんで僕のあごを皿のようなおおきい眼でじっと見つめるじゃないか。おどろいたね。君、無知ゆえに信じるのか、それとも利発ゆえに信じるのか。ひとつ、信じるという題目で小説でも書こうかなあ。AがBを信じている。そこへCやDやEやFやGやHやそのほかたくさんの人物がつぎつぎに出て来て、手を変え品を変え、さまざまにBを中傷する。――それから、――AはやっぱりBを信じている。疑わない。てんから疑わない。安心している。Aは女、Bは男、つまらない小説だね。ははん。」へんにはしゃいでいた。私は、彼の言葉をそのままに聞いているだけで彼の胸のうちをべつだん何も忖度そんたくしてはいないのだというところをすぐにも見せなければいけないと思ったから、 「その小説は面白おもしろそうですね。書いてみたら?」

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できるだけ余念なさそうな口調で言って、前方の西郷隆盛さいごうたかもりの銅像をぼんやりながめた。馬場は助かったようであった。いつもの不機嫌ふきげんそうな表情を、円滑えんかつに、取りもどすことができたのである。 「ところが、――僕には小説が書けないのだ。君は怪談かいだんを好むたちだね?」 「ええ、好きですよ。なによりも、怪談がいちばん僕の空想力を刺激するようです。」 「こんな怪談はどうだ。」馬場は下くちびるをちろとめた。「知性のきわみというものは、たしかにある。身の毛もよだつ無間奈落むけんならくだ。こいつをちらとでものぞいたら最後、ひとは一こともものを言えなくなる。筆をっても原稿げんこう用紙のすみに自分の似顔画を落書したりなどするだけで、一字も書けない。それでいて、そのひとは世にもおそろしい或るひとつの小説をこっそりくわだてる。企てた、とたんに、世界じゅうの小説がにわかに退屈たいくつでしらじらしくなって来るのだ。それはほんとうに、おそろしい小説だ。たとえば、帽子ぼうしをあみだにかぶっても気になるし、まぶかにかぶっても落ちつかないし、ひと思いにいでみてもいよいよ変だという場合、ひとはどこで位置の定着を得るかというような自意識過剰かじょうの統一の問題などに対しても、この小説は碁盤ごばんのうえに置かれた碁石のようなすずしい解決を与えている。涼しい解決? そうじゃない。無風。カットグラス。白骨。そんな工合ぐあいのえした解決だ。いや、そうじゃない。どんな形容詞もない、ただの、『解決』だ。そんな小説はたしかにある。けれども人は、ひとたびこの小説をくわだてたその日から、みるみるせおとろえ、はては発狂はっきょうするか自殺するか、もしくは唖者おしになってしまうのだ。君、ラディゲは自殺したんだってね。コクトオは気がちがいそうになって日がな一日オピアムばかりやってるそうだし、ヴァレリイは十年間、唖者になった。このたったひとつの小説をめぐって、日本なんかでも一時ずいぶん悲惨ひさん犠牲ぎせい者が出たものだ。現に、君、――」 「おい、おい。」というしわがれた呼び声が馬場の物語の邪魔じゃまをした。ぎょっとしてりむくと、馬場の右わきにコバルト色の学生服を着た背のきわめてひくい若い男がひっそり立っていた。 「おそいぞ。」馬場はおこっているような口調で言った。「おい、この帝大生が佐野次郎左衛門ざえもんさ。こいつは佐竹六郎だ。れいのかきさ。」

17

佐竹と私とは苦笑しながら軽く目礼をかわした。佐竹の顔は肌理きめも毛穴も全然ないてかてかにみがきあげられた乳白色の能面の感じであった。ひとみ焦点しょうてんがさだかでなく、硝子ガラス製の眼玉のようで、鼻は象牙ぞうげ細工のように冷く、鼻筋がけんのようにするどかった。まゆやなぎの葉のように細長く、うすいくちびるいちごのように赤かった。そんなに絢爛けんらんたる面貌めんぼうにくらべて、四肢ししの貧しさは、これまたおどろくべきほどであった。身長五尺に満たないくらい、痩せた小さい両のてのひら蜥蜴とかげのそれを思い出させた。佐竹は立ったまま、老人のように生気のない声でぼそぼそ私に話しかけたのである。 「あんたのことを馬場から聞きましたよ。ひどいめにったものですねえ。なかなかやると思っていますよ。」私はむっとして、佐竹のまぶしいほど白い顔をもいちど見直した。箱のように無表情であった。

18

馬場は音たかく舌打ちして、「おい佐竹、からかうのはやめろ。ひとを平気でからかうのは、卑劣ひれつな心情の証拠しょうこだ。ののしるなら、ちゃんと罵るがいい。」 「からかってやしないよ。」しずかにそうこたえて、胸のポケットからむらさき色のハンケチをとり出し、首のまわりのあせをのろのろきはじめた。 「あああ。」馬場は溜息ためいきついて縁台えんだいにごろんと寝ころがった。「おめえは会話の語尾ごびに、ねえ、とか、よ、とかをつけなければものを言えないのか。その語尾の感嘆詞かんたんしみたいなものだけは、よせ。皮膚ひふにべとつくようでかなわんのだ。」私もそれは同じ思いであった。

19

佐竹はハンケチをていねいにたたんで胸のポケットにしまいこみながら、よそごとのようにしてつぶやいた。「朝顔みたいなつらをしやがって、と来るんじゃないかね?」

20

馬場はそっと起きあがり、すこし声をはげまして言った。「おめえとはここで口論したくねえんだ。どっちも或る第三者を計算にいれてものを言っているのだからな。そうだろう?」何か私の知らない仔細しさいがあるらしかった。

21

佐竹は陶器とうきのような青白い歯を出して、にやっと笑った。「もうぼくへの用事はすんだのかね?」 「そうだ。」馬場はことさらに傍見わきみをしながら、さもさもわざとらしい小さなあくびをした。 「じゃあ、僕は失敬するよ。」佐竹は小声でそう呟き、金側の腕時計うでどけい余程よほどながいこと見つめて何か思案しているふうであったが、「日比谷へ新響しんきょうを聞きに行くんだ。近衛このえもこのごろは商売上手じょうずになったよ。僕の座席のとなりにいつも異人の令嬢れいじょうが座るのでねえ。このごろはそれがたのしみさ。」言い終えたら、ねずみのような身軽さでちょこちょこ走り去った。 「ちえっ! きくちゃん、ビイルをおくれ。おめえの色男がかえっちゃった。佐野次郎さのじろ、呑まないか。僕はつまらんやつを仲間にいれたなあ。あいつは、いそぎんちゃくだよ。あんな奴と喧嘩けんかしたら、倒立さかだちしたってこっちが負けだ。ちっとも手むかいせずに、こっちのなぐった手ヘベっとりくっついて来る。」急に真剣しんけんそうに声をひそめて、「あいつ、菊の手を平気でにぎりしめたんだよ。あんなたちの男が、ひとの女房にょうぼう易々やすやすと手にいれたりなどするんだねえ。インポテンスじゃないかと思うんだけれど。なに、名ばかりの親戚しんせきで僕とは血のつながりなんか絶対にない。――僕は菊のまえであいつと議論したくねえんだ。はり合うなんて、いやなこった。――君、佐竹の自尊心の高さを考えると、僕はいつでもぞっとするよ。」ビイルのコップを握ったまま、深い溜息をもらした。「けれども、あいつのだけは正当に認めなければいけない。」

22

私はぼんやりしていた。だんだん薄暗うすぐらくなって色々の灯でいろどられてゆく上野広小路ひろこうじ雑沓ざっとうの様子を見おろしていたのである。そうして馬場のひとりごととは千里万里ばんりもかけはなれた、つまらぬ感傷にとりつかれていた。「東京だなあ。」というたったそれだけの言葉の感傷に。

23

ところが、それから五六日して、上野動物園でばくの夫婦をあらたに購入こうにゅうしたという話を新聞で読み、ふとその貘を見たくなって学校の授業がすんでから、動物園に出かけていったのであるが、そのとき、水禽みずどり大鉄傘だいてっさんちかくのベンチにこしかけてスケッチブックヘ何やらかいている佐竹を見てしまったのである。しかたなく傍へ寄っていって、軽くかたをたたいた。 「ああ。」と軽くうめいて、ゆっくり私のほうへ首をねじむけた。「あなたですか。びっくりしましたよ。ここへお座りなさい。いま、この仕事を大急ぎで片づけてしまいますから、それまで鳥渡ちょっと、待っていて下さいね。お話したいことがあるのです。」へんによそよそしい口調でそう言って鉛筆えんぴつを取り直し、またスケッチにふけりはじめた。私はそのうしろに立ったままでしばらくもじもじしていたが、やがて決心をつけてベンチヘ腰をおろし、佐竹のスケッチブックをそっとのぞいてみた。佐竹はすぐに察知したらしく、 「ペリカンをかいているのです。」とひくく私に言って聞かせながら、ペリカンの様様の姿態をおそろしく乱暴な線でさっさと写しとっていた。「ぼくのスケッチをいちまい二十円くらいで、何枚でも買って呉れるというひとがあるのです。」にやにやひとりで笑いだした。「僕は馬場みたいに出鱈目でたらめを言うことはきらいですねえ。荒城こうじょうの月の話はまだですか?」 「荒城の月、ですか?」私にはわけがわからなかった。 「じゃあ、まだですね。」うしろむきのペリカンを紙面のすみに大きく写しながら、「馬場がむかし、滝廉太郎たきれんたろうという匿名とくめいで荒城の月という曲を作って、その一切いっさいの権利を山田耕筰こうさくに三千円で売りつけた。」 「それが、あの、有名な荒城の月ですか?」私の胸はおどった。 「うそですよ。」一じんの風がスケッチブックをぱらぱらめくって、裸婦らふや花のデッサンをちらちら見せた。「馬場の出鱈目は有名ですよ。また巧妙こうみょうですからねえ。誰でもはじめは、やられますよ。ヨオゼフ・シゲティは、まだですか?」 「それは聞きました。」私は悲しい気持ちであった。 「ルフラン付きの文章か。」つまらなそうにそう言って、スケッチブックをぱちんと閉じた。「どうもお待たせしました。すこし歩きましょうよ。お話したいことがあるのです。」

24

きょうは貘の夫婦をあきらめよう。そうして、私にとって貘よりもさらにさらに異様に思われるこの佐竹という男の話に、耳かたむけよう。水禽の大鉄傘を過ぎて、おっとせいの水槽すいそうのまえを通り、小山のように巨大なひぐまの、おりのまえにさしかかったころ、佐竹は語りはじめた。まえにも何回となく言って言いれているような暗誦あんしょう口調であって、文章にすればいくらか熱のある言葉のようにもみえるが実際は、れいのしわがれた陰気いんきくさい低声でもってさらさら言い流しているだけのことなのである。 「馬場は全然だめです。音楽を知らない音楽家があるでしょうか。ぼくはあいつが音楽について論じているのをついぞ聞いたことがない。ヴァイオリンを手にしたのを見たことがない。作曲する? おたまじゃくしさえ読めるかどうか。馬場の家では、あいつに泣かされているのですよ。いったい音楽学校にはいっているのかどうか、それさえはっきりしていないのです。むかしはねえ、あれで小説家になろうと思って勉強したこともあるんですよ。それがあんまり本を読みすぎた結果、なんにも書けなくなったのだそうです。ばかばかしい。このごろはまた、自意識過剰かじょうとかいう言葉のひとつ覚えで、はずかしげもなくほうぼうへそれを言いふらして歩いているようです。僕はむずかしい言葉じゃ言えないけれども、自意識過剰というのは、たとえば、道の両側に何百人かの女学生が長い列をつくってならんでいて、そこへ自分が偶然ぐうぜんにさしかかり、そのあいだをひとりで、のこのこ通って行くときの一挙手一投足、ことごとくぎこちなく視線のやりば首の位置すべてにこうじ果てきりきり舞いをはじめるような、そんな工合ぐあいの気持ちのことだと思うのですが、もしそれだったら、自意識過剰というものは、実にもう、七転八倒しちてんばっとうの苦しみであって、馬場みたいにあんな出鱈目でたらめ饒舌じょうぜつろうすることは勿論もちろんできないはずだし、――だいいち雑誌を出すなんていた気持ちになれるのがおかしいじゃないですか! 海賊かいぞく。なにが海賊だ。い気なもんだ。あなた、あんまり馬場を信じ過ぎると、あとでたいへんなことになりますよ。それは僕がはっきり予言して置いていい。僕の予言は当りますよ。」 「でも。」 「でも?」 「僕は馬場さんを信じています。」 「はあ、そうですか。」私の精一ぱいの言葉を、なんの表情もなく聞き流して、「今度の雑誌のことだって、僕は徹頭徹尾てっとうてつび、信じていません。僕に五十円出せと言うのですけれども、ばからしい。ただわやわやさわいでいたいのですよ。一点の誠実もありません。あなたはまだごぞんじないかも知れないが明後日、馬場と僕と、それから馬場が音楽学校の或る先輩せんぱい紹介しょうかいされてった太宰治とかいうわかい作家と、三人であなたの下宿をたずねることになっているのですよ。そこで雑誌の最後的プランをきめてしまうのだとか言っていましたが、――どうでしょう。僕たちはその場合、できるだけつまらなそうな顔をしてやろうじゃありませんか。そうして相談に水をさしてやろうじゃありませんか。どんな素晴らしい雑誌を出してみたところで、世の中は僕たちにうまく恰好かっこうをつけては呉れません。どこまでやっていっても中途半端ちゅうとはんぱでほうり出されます。僕はビアズレイでなくても一向かまわんですよ。懸命けんめいをかいて、高い価で売って、遊ぶ。それで結構なんです。」

25

言い終えたところは山猫やまねこおりのまえであった。山猫は青い眼を光らせ、背を丸くして私たちをじっと見つめていた。佐竹はしずかにうでばして吸いかけの煙草たばこの火を山猫の鼻にぴたっとおしつけた。そうして佐竹の姿はいわおのように自然であった。     三 登竜門とうりゅうもん         ここを過ぎて、一つ二銭の栄螺さざえかな。 「なんだか、――とんでもない雑誌だそうですね。」 「いいえ。ふつうのパンフレットです。」 「すぐそんなことを言うからな。君のことは実にしばしば話に聞いて、よく知っています。ジッドとヴァレリイとをやりこめる雑誌なんだそうですね。」 「あなたは、笑いに来たのですか。」

26

私がちょっと階下へ行っているまに、もう馬場と太宰が言い合いをはじめた様子で、お茶道具をしたから持って来て部屋へはいったら、馬場は部屋のすみの机に頬杖ほおづえついて居汚いぎたなく座り、また太宰という男は馬場と対角線をなして向きあったもう一方の隅のかべに背をもたせ細長い両の毛臑けずねを前へ投げだして座り、ふたりながらねむたそうに半分閉じた眼と大儀たいぎそうなのろのろした口調でもって、けれども腹綿はらわた恚忿いふんと殺意のためにえくりかえっているらしく眼がしらや言葉のはしはしが児蛇こへびの舌のようにちろちろ燃えあがっているのが私にさえたやすくそれと察知できるくらいに、なかなかけわしくわたり合っていたのである。佐竹は太宰のすぐ傍にながながと寝そべり、いかにも、つまらなそうに眼玉をきょろきょろうごかしながら煙草をふかしていた。はじめからいけなかった。その朝、私がまだ寝ているうちに馬場が私の下宿の部屋をおそった。きょうは学生服をきちんと着て、そのうえに、ぶくぶくした黄色いレンコオトを羽織っていた。雨にびっしょりれたそのレンコオトをぎもせずに部屋をぐるぐるいそがしげに回って歩いた。歩きながら、ひとりごとのようにしてつぶやくのである。 「君、君。起きたまえ、ぼくはひどい神経衰弱すいじゃくらしいぞ。こんなに雨が降っては、僕はきっとくるってしまう。海賊かいぞくの空想だけでもせてしまう。君、起きたまえ。ついせんだって僕は太宰治という男にったよ。僕の学校の先輩せんぱいから小説の素晴らしくうまい男だといって紹介しょうかいされたのだが、――何も宿命だ。仲間にいれてやることにした。君、太宰ってのは、おそろしくいやなやつだぞ。そうだ、まさしく、いや、な奴だ。嫌悪けんおの情だ。ぼくはあんなふうの男とは肉体的に相容あいいれないものがあるようだ。頭は丸坊主まるぼうず。しかも君、意味深げな丸坊主だ。悪い趣味しゅみだよ。そうだ、そうだ。あいつはからだのぐるりを趣味でかざっているのだ。小説家ってのは、皆あんな工合ぐあいのものかねえ。思索や学究や情熱なぞをどこに置き忘れて来たのか。まるっきりの、根っからの戯作者げさくしゃだ。蒼黒あおぐろくでらでらした大きい油顔で、鼻が、――君レニエの小説で僕はあんな鼻を読んだことがあるぞ。危険きわまる鼻。危機一髪いっぱつ、団子鼻にそうとするのを鼻のわきの深いしわがそれを助けた。まったくねえ。レニエはうまいことを言う。眉毛まゆげは太く短くまっ黒で、おどおどした両の小さい眼をおおいかくすほどもじゃもじゃ繁茂はんもしていやがる。額はあくまでもせまく皺が横に二筋はっきりきざまれていて、もう、なっちゃいない。首がふとく、襟足えりあしはいやに鈍重どんじゅうな感じで、あごの下に赤い吹出物ふきでものあとを三つも僕は見つけた。僕の目算では、身丈みたけは五尺七寸、体重は十五かん足袋たびは十一文、年齢ねんれいは断じて三十まえだ。おう、だいじなことを言い忘れた。ひどい猫背ねこぜで、とんとせむし、――君、ちょっと眼をつぶってそんなふうの男を想像してごらん。ところが、これはうそなんだ。まるっきり嘘なんだ。おおやま師。よそおっているのだ。それにちがいないんだ。なにからなにまで見せかけなのだ。僕のにらんだ眼にくるいはない。ところどころに生えびたまだらな無精鬚ぶしょうひげ。いや、あいつに無精なんてあり得ない。どんな場合でもあり得ない。わざとつとめて生やした鬚だ。ああ、僕はいったい誰のことを言っているのだ! ごらん下さい、私はいまこうしています、ああしていますと、いちいち説明をつけなければ指一本うごかせずせきばらい一つできない。いやなこった! あいつの素顔は、眼も口も眉毛もないのっぺらぼうさ。眉毛をいて眼鼻をくっつけ、そうして知らんふりをしていやがる。しかも君、それをあいつは芸にしている。ちえっ! 僕はあいつを最初瞥見べっけんしたとき、こんにゃくの舌で顔をぺろっとめられたような気がしたよ。思えば、たいへんな仲間ばかり集って来たものさ。佐竹、太宰、佐野次郎さのじろ、馬場、ははん、この四人が、ただだまって立ち並んだだけでも歴史的だ。そうだ! 僕はやるぞ。なにも宿命だ。いやな仲間もまた一興じゃないか。僕はいのちをことし一年限りとしてLe Pirate に僕の全部の運命をける。乞食こじきになるか、バイロンになるか。神われに五ペンスを与う。佐竹の陰謀いんぼうなんてくそくらえだ!」ふいと声を落して、「君、起きろよ。雨戸をあけてやろう。もうすぐみんなここへ来るよ。きょうこの部屋で海賊かいぞくの打ち合せをしようと思ってね。」

27

私も馬場の興奮こうふんられてうろうろしはじめ、蒲団ふとんって起きあがり、馬場とふたりでくさりかけた雨戸をがたぴしこじあけた。本郷のまちの屋根屋根は雨でけむっていた。

28

ひるごろ、佐竹が来た。レンコオトも帽子ぼうしもなく、天鵞絨ビロードのズボンに水色の毛糸のジャケツを着けたきりで、顔は雨にれて、月のように青く光った不思議なほおの色であった。夜光虫は私たちに一言の挨拶あいさつもせず、けてくずれるようにへたへたと部屋のすみに寝そべった。 「かんにんして呉れよ。ぼくつかれているんだ。」

29

すぐつづいて太宰が障子しょうじをあけてのっそりあらわれた。ひとめ見て、私はあわてふためいて眼をそらした。これはいけないと思った。彼の風貌ふうぼうは、馬場の形容をもとにして私がえがいて置いた好悪こうおふたつの影像えいぞうのうち、わるいほうの影像と一分一厘の間隙かんげきもなくぴったり重なり合った。そうしてなおさらいけないことには、そのときの太宰の服装がそっくり、馬場のかねがね最もいみきらっているたちのものだったではないか。派手な大島がすりあわせに総しぼりの兵古帯へこおび、荒い格子縞こうしじまのハンチング、浅黄の羽二重はぶたえ長襦袢ながじゅばんすそがちらちらこぼれて見えて、その裾をちょっとつまみあげて座ったものであるが、窓のそとの景色けしきを、形だけながめたふりをして、 「ちまたに雨が降る。」と女のような細い甲高かんだかい声で言って、私たちのほうをりむき赤にごりに濁った眼を糸のように細くし顔じゅうをくしゃくしゃにして笑ってみせた。私は部屋から飛び出してお茶を取りに階下へ降りた。お茶道具と鉄瓶てつびんとを持って部屋へかえって来たら、もうすでに馬場と太宰が争っていたのである。

30

太宰は坊主ぼうず頭のうしろへ両手を組んで、「言葉はどうでもよいのです。いったいやる気なのかね?」 「何をです。」 「雑誌をさ。やるなら一緒いっしょにやってもいい。」 「あなたは一体、何しにここへ来たのだろう。」 「さあ、――風にかれて。」 「言って置くけれども、御託宣ごたくせんと、警句と、冗談じょうだんと、それから、そのにやにや笑いだけはよしにしましよう。」 「それじゃ、君に聞くが、君はなんだって僕を呼んだのだ。」 「おめえはいつでも呼べば必ず来るのかね?」 「まあ、そうだ。そうしなければいけないと自分に言い聞かせてあるのです。」 「人間のなりわいの義務。それが第一。そうですね?」 「ご勝手に。」 「おや、あなたはみょうな言葉を体得していますね。ふてくされ。ああ、ごめんだ。あなたと仲間になるなんて! とこう言い切るとあなたのほうじゃ、すぐもうこっちをポンチにしているのだからな。かなわんよ。」 「それは、君だってぼくだってはじめからポンチなのだ。ポンチにするのでもなければ、ポンチになるのでもない。」 「私は在る。おおきいふぐりをぶらさげて、さあ、この一物をどうして呉れる。そんな感じだ。困りましたね。」 「言いすぎかも知れないけれど、君の言葉はひどくしどろもどろの感じです。どうかしたのですか?――なんだか、君たちは芸術家の伝記だけを知っていて 芸術家の仕事をまるっきり知っていないような気がします。」 「それは非難ですか? それともあなたの研究発表ですか? 答案だろうか。僕に採点しろというのですか?」 「――中傷さ。」 「それじゃ言うが、そのしどろもどろは僕の特質だ。たぐいまれな特質だ。」 「しどろもどろの看板。」 「懐疑かいぎ説の破綻はたんと来るね。ああ、よして呉れ。僕は掛合かけあい万歳は好きでない。」 「君は自分の手塩にかけた作品を市場にさらしたあとのき刺されるような悲しみを知らないようだ。お稲荷いなりさまを拝んでしまったあとの空虚くうきょを知らない。君たちは、たったいま、いちの鳥居をくぐっただけだ。」 「ちえっ! また御託宣ごたくせんか。――僕はあなたの小説を読んだことはないが、リリシズムと、ウイットと、ユウモアと、エピグラムと、ポオズと、そんなものを除き去ったら、あとになんにも残らぬような駄洒落だじゃれ小説をお書きになっているような気がするのです。僕はあなたに精神を感ぜずに世間を感ずる。芸術家の気品を感ぜずに、人間の胃腑いのふを感ずる。」 「わかっています。けれども、僕は生きて行かなくちゃいけないのです。たのみます、といって頭をさげる、それが芸術家の作品のような気さえしているのだ。僕はいま世渡よわたりということについて考えている。僕は趣味しゅみで小説を書いているのではない。結構な身分でいて、道楽で書くくらいなら、僕ははじめから何も書きはせん。とりかかれば、一通りはうまくできるのが判っている。けれども、とりかかるまえに、これは何故なにゆえに今さららしくとりかかる値打ちがあるのか、それを四方八方からながめて、まあ、まあ、ことごとしくとりかかるにもおよぶまいということに落ちついて、結局、何もしない。」 「それほどの心情をお持ちになりながら、なんだって、僕たちと一緒いっしょに雑誌をやろうなどと言うのだろう。」 「こんどはぼくを研究する気ですか? 僕はおこりたくなったからです。なんでもいい、さけびがしくなったのだ。」 「あ、それは判る。つまりたてを持って恰好かっこうをつけたいのですね。けれども、――いや、そむいてみることさえできない。」 「君を好きだ。僕なんかも、まだ自分の楯を持っていない。みんな他人の借り物だ。どんなにぼろぼろでも自分専用の楯があったら。」 「あります。」私は思わず口をはさんだ。「イミテエション!」 「そうだ。佐野次郎さのじろにしちゃ大出来だ。一世一代だぞ、これあ。太宰さん。付けひげ模様の銀鍍金めっきの楯があなたによく似合うそうですよ。いや、太宰さんは、もう平気でその楯を持って構えていなさる。僕たちだけがまるはだかだ。」 「へんなことを言うようですけれども、君はまるはだかの野苺のいちご着飾きかざった市場の苺とどちらにほこりを感じます。登竜門とうりゅうもんというものは、ひとを市場へ一直線に送りこむ外面如菩薩げめんにょぼさつ地獄じごくの門だ。けれども僕は着飾った苺の悲しみを知っている。そうしてこのごろ、それを尊く思いはじめた。僕は逃げない。連れて行くところまでは行ってみる。」口を曲げて苦しそうに笑った。「そのうちに君、眼がさめて見ると、――」 「おっとそれあ言うな。」馬場は右手を鼻の先で力なくって、太宰の言葉をさえぎった。「眼がさめたら、僕たちは生きて居れない。おい、佐野次郎。よそうよ。面白おもしろくねえや。君にはわるいけれども、僕は、やめる。僕はひとの食いものになりたくないのだ。太宰に食わせる油揚あぶらあげはよそをさがして見つけたらいい。太宰さん。海賊かいぞくクラブは一日きりで解散だ。そのかわり、――」立ちあがって、つかつか太宰のほうへ歩み寄り、「ばけもの!」

31

太宰は右のほおなぐられた。平手で音高く殴られた。太宰は瞬間しゅんかんまったくの小児しょうにのような泣きべそをいたが、すぐ、どす黒いくちびるを引きしめて、傲然ごうぜんと頭をもたげた。私はふっと、太宰の顔を好きに思った。佐竹は眼をかるくつぶってねむったふりをしていた。

32

雨は晩になってもやまなかった。私は馬場とふたり、本郷の薄暗うすぐらいおでんやで酒を呑んだ。はじめは、ふたりながら死んだようにだまって呑んでいたのであるが、二時間くらいたってから、馬場はそろそろしゃべりはじめた。 「佐竹が太宰をんだにちがいないのさ。下宿のまえまでふたり一緒いっしょに来たのだ。それくらいのことは、やる男だ。君、僕は知っているよ。佐竹は君に何かこっそり相談したことがありはしないか。」 「あります。」私は馬場にしゃくをした。なんとかしていたわりたかった。 「佐竹はぼくから君をとろうとしたのだ。別に理由はない。あいつは、へんな復讐心ふくしゅうしんを持っている。僕よりえらい。いや、僕にはよく判らない。――いや、ひょっとしたら、なんでもないぞくな男なのかも知れん。そうだ、あんなのが世間から人並の男と言われるのだろう。だが、もういい。雑誌をよしてさばさばしたよ。今夜は僕、まくらを高くしてのうのうと寝るぞ! それに、君、僕はちかく勘当かんどうされるかも知れないのだよ。一朝めざむれば、わが身はよるべなき乞食こじきであった。雑誌なんて、はじめから、やる気はなかったのさ。君を好きだから、君をはなしたくなかったから、海賊かいぞくなんぞ持ちだしたまでのことだ。君が海賊の空想に胸をふくらめて、様様のプランを言いだすときのうるんだ眼だけが、僕の生き甲斐がいだった。この眼を見るために僕はきょうまで生きて来たのだと思った。僕は、ほんとうの愛情というものを君に教わって、はじめて知ったような気がしている。君は透明とうめいだ、純粋じゅんすいだ。おまけに、――美少年だ! 僕は君のひとみのなかにフレキシビリティの極致きょくちを見たような気がする。そうだ。知性の井戸の底をのぞいたのは、僕でもない太宰でもない佐竹でもない、君だ! 意外にも君であった。――ちえっ! 僕はなぜこうべらべらしゃべってしまうのだろう。軽薄けいはく狂躁きょうそう。ほんとうの愛情というものは死ぬまでだまっているものだ。きくのやつが僕にそう教えたことがある。君、ビッグ・ニュウス。どうしようもない。菊が君にれているぞ。佐野次郎さのじろさんには、死んでも言うものか。死ぬほど好きなひとだもの。そんな逆説めいたことを口走って、サイダアを一瓶ひとびん、頭から僕にぶっかけて、きゃっきゃっと気ちがいみたいに笑った。ところで君は、誰をいちばん好きなんだ。太宰を好きか? え。佐竹か? まさかねえ。そうだろう? 僕、――」 「僕は、」私はぶちまけてしまおうと思った。「誰もみんなきらいです。菊ちゃんだけを好きなんだ。川のむこうにいた女よりさきに菊ちゃんを見て知っていたような気もするのです。」 「まあ、いい。」馬場はそうつぶやいて微笑ほほえんでみせたが、いきなり左手で顔をひたとおおって、嗚咽おえつをはじめた。芝居しばい台詞せりふみたいな一種リズミカルな口調でもって、「君、僕は泣いているのじゃないよ。うそ泣きだ。そらなみだだ。ちくしょう! みんなそう言って笑うがいい。僕は生れたときから死ぬるきわまで狂言をつづけおおせる。僕は幽霊ゆうれいだ。ああ、僕を忘れないで呉れ! 僕には才分があるのだ。荒城こうじょうの月を作曲したのは、誰だ。滝廉太郎たきれんたろうを僕じゃないというやつがある。それほどまでにひとを疑わなくちゃ、いけないのか。うそなら嘘でいい。――いや、うそじゃない。正しいことは正しく言い張らなければいけない。絶対に嘘じゃない。」

33

私はひとりでふらふら外へ出た。雨が降っていた。ちまたに雨が降る。ああ、これは先刻、太宰が呟いた言葉じゃないか。そうだ、私はつかれているんだ。かんにんしてお呉れ。あ! 佐竹の口真似くちまねをした。ちえっ! あああ、舌打ちの音まで馬場に似て来たようだ。そのうちに、私は荒涼こうりょうたる疑念にとらわれはじめたのである。私はいったい誰だろう、と考えて、慄然りつぜんとした。私は私のかげぬすまれた。何が、フレキシビリティの極致きょくちだ! 私は、まっすぐに走りだした。歯医者。小鳥屋。甘栗あまぐり屋。ベエカリイ。花屋。街路樹。古本屋。洋館。走りながら私は自分が何やらぶつぶつ低くつぶやいているのに気づいた。――走れ、電車。走れ、佐野次郎さのじろ。走れ、電車。走れ、佐野次郎。出鱈目でたらめな調子をつけてり返し繰り返し歌っていたのだ。あ、これが私の創作だ。私のつくった唯一ゆいいつの詩だ。なんというだらしなさ! 頭がわるいから駄目だめなんだ。だらしがないから駄目なんだ。ライト。爆音ばくおん。星。葉。信号。風。あっ!        四 「佐竹。ゆうべ佐野次郎が電車にはね飛ばされて死んだのを知っているか。」 「知っている。けさ、ラジオのニュウスで聞いた。」 「あいつ、うまく災難にかかりやがった。ぼくなんか、首でもらなければおさまりがつきそうもないのに。」 「そうして 君がいちばん長生きをするだろう。いや、僕の予言はあたるよ。君、――」 「なんだい。」 「ここに二百円だけある。ぺリカンのが売れたのだ。佐野次郎氏と遊びたくてせっせとこれだけこしらえたのだが。」 「僕におくれ。」 「いいとも。」 「きくちゃん。佐野次郎は死んだよ。ああ、いなくなったのだ。どこをさがしてもいないよ。泣くな。」 「はい。」 「百円あげよう。これで綺麗きれいな着物と帯とを買えば、きっと佐野次郎のことを忘れる。水はうつわにしたがうものだ。おい、おい、佐竹。今晩だけ、ふたりで仲よく遊ぼう。僕がいいところへ案内してやる。日本でいちばんいところだ。――こうしておたがいに生きているというのは、なんだか、なつかしいことでもあるな。」 「人は誰でもみんな死ぬさ。」




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使用権フリー作品集シリーズ
太宰治全作品集 1
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変更終了:平成14年2月