玩具

       太宰 治

1

どうにかなる。どうにかなろうと一日一日をむかえてそのまま送っていって暮しているのであるが、それでも、なんとしても、どうにもならなくなってしまう場合がある。そんな場合になってしまうと、私は糸の切れた紙凧かみだこのようにふわふわ生家へきもどされる。普段着ふだんぎのまま帽子ぼうしもかぶらず東京から二百里はなれた生家の玄関へ懐手ふところでして静かにはいるのである。両親の居間のふすまをするするあけて、敷居しきいのうえに佇立ちょりつすると、虫眼鏡めがねで新聞の政治面を低く音読している父も、そのかたわらで裁縫さいほうをしている母も、顔つきを変えて立ちあがる。ときに依っては、母はひいという絹布けんぷを引きくようなさけびをあげる。しばらく私のすがたを見つめているうちに、私には面皰にきびもあり、足もあり、幽霊ゆうれいでないということが判って、父は憤怒ふんぬおにと化し、母は泣きす。もとより私は、東京をはなれた瞬間しゅんかんから、死んだふりをしているのである。どのような悪罵あくばを父から受けても、どのような哀訴あいそを母から受けても、私はただ不可解な微笑びしょうでもって応ずるだけなのである。針のむしろに座った思いとよく人は言うけれども、私は雲霧うんむの筵に座った思いで、ただぼんやりしているのである。

2

ことしの夏も、同じことであった。私には三百円、かけねなしには二百七十五円、それだけが必要であったのである。私は貧乏びんぼうきらいなのである。生きている限りは、ひとに御馳走ごちそうをし、伊達だてな着物を着ていたいのである。生家には五十円と現金がない。それも知っている。けれども私は生家の土蔵の奥隅おくすみになお二三十個のたからもののあることをも知っている。私はそれをぬすむのである。私はすでに三度、盗みをり返し、ことしの夏で四度目である。

3

ここまでの文章には私はゆるがぬ自負を持つ。困ったのは、ここからの私の姿勢である。

4

私はこの玩具がんぐという題目の小説に於いて、姿勢の完璧かんぺきを示そうか、情念の模範もはんを示そうか。けれども私は抽象ちゅうしょう的なものの言いかたをあたう限り、ぎりぎりにつつしまなければいけない。なんとも、果しがつかないからである。一こと理屈りくつを言いだしたら最後、あとからあとから、まだまだと前言を追いかけていって、とうとう千万言の注釈ちゅうしゃく。そうしてあとにのこるものは、頭痛と発熱と、ああ莫迦ばかなことを言ったという自責。つづいて糞甕くそがめに落ちて溺死できししたいという発作ほっさ

5

私を信じなさい。

6

私はいまこんな小説を書こうと思っているのである。私というひとりの男がいて、それが或るなんでもない方法によって、おのれの三歳二歳一歳のときの記憶きおくよみがえらす。私はその男の三歳二歳一歳の思い出を叙述じょじゅつするのであるが、これは必ずしも怪奇かいき小説でない。赤児あかごの難解に多少の興を覚え、こいつをひとつと思って原稿げんこう用紙をひろげただけのことである。それゆえこの小説の臓腑ぞうふといえば、あるひとりの男の三歳二歳一歳の思い出なのである。その余のことは書かずともよい。思い出せば私が三つのとき、というような書きだしから、だらだらと思い出話を書きつづっていって、二歳一歳、しまいにはおのれの誕生のときの思い出を叙述じょじゅつし、それからおもむろに筆をいたら、それでよいのである。けれどもここに、姿勢の完璧かんぺきを示そうか、情念の模範もはんを示そうか、という問題がすでに起っている。姿勢の完璧というのは、手管のことである。相手をすかしたり、なだめたり、もちろんちょいちょいおどしたりしながら話をすすめ、ああよいころおいだなと見てとったなら、何かしら意味ふかげな一言とともにふっとおのが姿をき消す。いや、全く掻き消してしまうわけではない。素早く障子しょうじのかげに身をひそめてみるだけなのである。やがて障子のかげから無邪気むじゃきな笑顔を現わしたときには、相手のからだは意のままになる状態に在るであろう。手管というのは、たとえばこんな工合ぐあいの術のことであって、ひとりの作家の真摯しんしな精進の対象である。私もまた、そのような手管はいやでなく、この赤児の思い出話にひとつたくみな手管を用いようとくわだてたのである。

7

ここらで私は、私の態度をはっきりきめてしまう必要がある。私のうそがそろそろくずれかけて来たのを感じるからである。私は姿勢の完璧からだんだんはなれていっているように見せつけながら、いつまたそれに返っていっても怪我けがのないように用心に用心を重ねながら筆を運んで来たのである。書きだしの数行をそのまま消さずに置いたところからみても、すぐにそれと察しがつくはずである。しかもその数行を、ゆるがぬ自負を持つなどという金色のくさりでもって読者の胸にむすびつけて置いたことは、これこそなかなかの手管でもあろう。事実、私は返るつもりでいた。はじめに少し書きかけて置いたあのようなひとりの男が、どうしておのれの三歳二歳一歳のときの記憶きおくを取りもどそうと思いたったか、どうして記憶を取り戻し得たか、なお、その記憶を取り戻したばかりに男はどんな目にったか、私はそれらをすべて用意していた。それらを赤児の思い出話のあとさきに付け加えて、そうして姿勢の完璧と、情念の模範と、二つながらそなえた物語を創作するつもりでいた。

8

もはや私を警戒けいかいする必要はあるまい。

9

私は書きたくないのである。

10

書こうか。私の赤児のときの思い出だけでもよいのなら、一日にたった五六行ずつ書いていってもよいのなら、君だけでも丁寧ていねいに丁寧に読んで呉れるというのなら。よし。いつ成るとも判らぬこのやくざな仕事の首途かどでを祝い、君とふたりでつつましく乾杯かんぱいしよう。仕事はそれからである。

11

私は生れてはじめて地べたに立ったときのことを思い出す。雨あがりの青空。雨あがりの黒土。梅の花。あれは、きっと裏庭である。女のやわらかい両手が私のからだをそこまで運びだし、そうして、そっと私を地べたに立たせた。私は全く平気で、二歩、か三歩、あるいた。だしぬけに私の視覚が地べたの無限の前方へのひろがりを感じり、私の両足の裏の触覚が地べたの無限の深さを感じ捕り、さっと全身がこおりついて、尻餅しりもちついた。私は火がついたように泣きわめいた。我慢がまんできぬ空腹感。

12

これらはすべてうそである。私はただ、雨後の青空にかかっていたひとすじのほのかなにじを覚えているだけである。

13

ものの名前というものは、それがふさわしい名前であるなら、よし聞かずとも、ひとりでに判って来るものだ。私は、私の皮膚ひふから聞いた。ぼんやり物象を見つめていると、その物象の言葉が私のはだをくすぐる。たとえば、アザミ。わるい名前は、なんの反応もない。いくど聞いても、どうしても呑みこめなかった名前もある。たとえば、ヒト。

14

私が二つのときの冬に、いちどくるった。小豆粒あずきつぶくらいの大きさの花火が、両耳の奥底おくそこでぱちぱちぜているような気がして、思わず左右の耳を両手でおおった。それきり耳が聞えずなった。遠くを流れている水の音だけがときどき聞えた。なみだが出て出て、やがて目玉がちかちか痛み、次第しだいにあたりの色が変っていった。私は、目に色ガラスのようなものでもかかったのかと思い、それをとりはずそうとして、なんどもなんども目蓋まぶたをつまんだ。私は誰かのふところの中にいて、囲炉裏いろりほのおながめていた。炎は、みるみるまっくろになり、海の底で昆布こんぶの林がうごいているような奇態きたいなものに見えた。緑の炎はリボンのようで、黄色い炎は宮殿きゅうでんのようであった。けれども、私はおしまいに牛乳のような純白な炎を見たとき、ほとんど我を忘却ぼうきゃくした。「おや、この子はまたおしっこ。おしっこをたれるたんびに、この子はわなわなふるえる。」誰かがそうつぶやいたのを覚えている。私は、こそばゆくなり胸がふくれた。それはきっと帝王のよろこびを感じたのだ。「ぼくはたしかだ。誰も知らない。」軽蔑けいべつではなかった。

15

同じようなことが、二度あった。私はときたま玩具がんぐと言葉を交した。木枯こがらしがつよくいている夜更よふけであった。私は、枕元まくらもとのだるまにたずねた。「だるま、寒くないか。」だるまは答えた。「寒くない。」私はかさねて尋ねた。「ほんとうに寒くないか。」だるまは答えた。「寒くない。」「ほんとうに。」「寒くない。」傍に寝ている誰かが私たちを見て笑った。「この子はだるまがお好きなようだ。いつまでもだまってだるまを見ている。」

16

おとなたちが皆、寝しずまってしまうと、家じゅうを四五十のねずみけめぐるのを私は知っている。たまには、四五匹の青大将がたたみのうえをいまわる。おとなたちは、鼻音をたててねむっているので、この光景を知らない。鼠や青大将が寝床ねどこのなかにまではいって行くのであるが、おとなたちは知らない。私は夜、いつも全く目をさましている。昼間、みんなの見ている前で、少し眠る。

17

私は誰にも知られずにくるい、やがて誰にも知られずに直っていた。

18

それよりもまだ小さかったころのこと。麦畑の麦ののうねりを見るたびごとに思い出す。私は麦畑の底の二匹の馬を見つめていた。赤い馬と黒い馬。たしかに努めていた。私は力を感じたので、その二匹の馬が私をすぐ身近に放置してきっぱりと問題外にしている無礼に対し、不満を覚える余裕よゆうさえなかった。

19

もう一匹の赤い馬を見た。あるいは同じ馬であったかも知れぬ。針仕事をしていたようであった。しばらくしては立ちあがり、はたはたと着物の前をたたくのだ。糸屑いとくずはらい落す為であったかも知れぬ。からだをくねらせて私の片ほお縫針ぬいばりき刺した。「坊や、痛いか。痛いか。」私には痛かった。

20

私の祖母が死んだのは、こうして様様に指折りかぞえながら計算してみると、私の生後八カ月目のころのことである。このときの思い出だけは、かすみが三角形のけ目を作って、そこから白昼の透明とうめいな空がだいじなはだのぞかせているようにそんな案配にはっきりしている。祖母は顔もからだも小さかった。かみのかたちも小さかった。胡麻粒ごまつぶほどの桜の花弁を一ぱいに散らした縮緬ちりめんの着物を着ていた。私は祖母にかれ、香料こうりょうのさわやかなにおいにいながら、上空のからす喧嘩けんかながめていた。祖母は、あなや、とさけんで私をたたみのうえに投げ飛ばした。ころげ落ちながら私は祖母の顔を見つめていた。祖母は下顎したあごをはげしくふるわせ、二度も三度も真白い歯を打ち鳴らした。やがてころりと仰向あおむきに寝ころがった。おおぜいのひとたちは祖母のまわりにせ集い、一斉に鈴虫みたいな細い声を出して泣きはじめた。私は祖母とならんで寝ころがりながら、死人の顔をだまって見ていた。ろうたけた祖母の白い顔の、額の両はしから小さい波がちりちりと起り、顔一めんにその皮膚ひふの波がひろがり、みるみる祖母の顔をしわだらけにしてしまった。人は死に、皺はにわかに生き、うごく。うごきつづけた。皺のいのち。それだけの文章。そろそろとえがたい悪臭あくしゅうが祖母のふところの奥からい出た。

21

いまもなお私の耳朶みみたぶをくすぐる祖母の子守歌。「きつね嫁入よめいり、婿むこさん居ない。」その余の言葉はなくもがな。(未完)




使用したテキストファイル
使用権フリー作品集シリーズ
太宰治全作品集 1
  制作・販売:マイクロ テクノロジー株式会社
変更箇所
  ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
  行間処理:行間180%
  段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
        :段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
        :段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年2月