ロマネスク

       太宰 治

仙術太郎

1

むかし津軽の国、神梛木かなぎ村に鍬形惣助くわがたそうすけという庄屋しょうやがいた。四十九歳で、はじめて一子を得た。男の子であった。太郎と名づけた。生れるとすぐ大きいあくびをした。惣助はそのあくびの大きすぎるのを気に病み、祝辞を述べにやって来る親戚しんせきの者たちへ肩身かたみのせまい思いをした。惣助の懸念けねんはそろそろと的中しはじめた。太郎は母者人ははじゃひと乳房ちぶさにもみずからすすんでしゃぶりつくようなことはなく、母者人のふところの中にいて口をたいぎそうにあけたまま乳房の口への接触をいつまででも待っていた。張子はりことらをあてがわれてもそれをいじくりまわすことはなく、ゆらゆら動く虎の頭を退屈たいくつそうにながめているだけであった。朝、眼をさましてからもあわてて寝床ねどこからい出すようなことはなく、二時間ほどは眼をつぶってねむったふりをしているのである。かるがるしきからだの仕草をきらう精神を持っていたのであった。三歳のとき、鳥渡ちょっとした事件を起し、その事件のお陰で鍬形太郎の名前が村のひとたちのあいだに少しひろまった。それは新聞の事件でないゆえ、それだけほんとうの事件であった。太郎がどこまでも歩いたのである。

2

春のはじめのことであった。夜、太郎は母者人のふところから音もたてずにころがり出た。ころころと土間へころげ落ち、それから戸外へまろび出た。戸外へ出てから、しゃんと立ちあがったのである。惣助も、また母者人も、それを知らずに眠っていた。

3

満月が太郎のすぐ額のうえにうかんでいた。満月の輪廓りんかくはにじんでいた。めだかの模様の襦袢じゅばん慈姑くわいの模様の綿入れ胴衣どういを重ねて着ている太郎は、はだしのままで村の馬糞ばふんだらけの砂利道じゃりみちを東へ歩いた。ねむたげに眼を半分とじて小さい息をせわしなくきながら歩いた。

4

あくる朝、村は騒動そうどうであった。三歳の太郎が村からたっぷり一里もはなれている湯流山ゆながれやまの、林檎畑りんごばたけのまんまんなかでこともなげに寝込ねこんでいたからであった。湯流山は氷のかけらがけかけているような形で、みねには三つのなだらかな起伏きふくがあり西端せいたんは流れたようにゆるやかな傾斜けいしゃをなしていた。百メートルくらいの高さであった。太郎がどうしてそんな山の中にまで行き着けたのか、その訳は不明であった。いや、太郎がひとりで登っていったにちがいないのだ。けれどもなぜ登っていったのかその訳がわからなかった。

5

発見者であるわらび取りの娘の手籠てかごにいれられ、ゆられゆられしながら太郎は村へ帰って来た。手籠のなかをのぞいてみた村のひとたちは皆、まゆのあいだに黒い油ぎったしわをよせて、天狗てんぐ、天狗とうなずき合った。惣助そうすけはわが子の無事である姿を見て、これは、これは、と言った。困ったとも言えなかったし、よかったとも言えなかった。母者人ははじゃひとはそんなに取り乱していなかった。太郎をきあげ、蕨取りの娘の手籠には太郎のかわりに手拭地てぬぐいじを一たんいれてやって、それから土間へ大きなたらいを持ち出しお湯をなみなみといれ、太郎のからだを静かに洗った。太郎のからだはちっともよごれていなかった。丸々と白くふとっていた。惣助は盥のまわりをはげしくうろついて歩き、とうとう盥に蹴躓けつまずいて盥のお湯を土間いちめんにおびただしくぶちまけ母者人にしかられた。惣助はそれでも盥の傍からはなれず母者人の肩越かたごしに太郎の顔を覗き、太郎、なに見た、太郎、なに見た、と言いつづけた。太郎はあくびをいくつもいくつもしてからタアナカムダアチイナエエというかたことをさけんだ。

6

惣助は夜、寝てからやっとこのかたことの意味をさとった。たみのかまどはにぎわいにけり。発見! 惣助は寝たままぴしゃっと膝頭ひざがしらを打とうとしたが、重い掛蒲団かけぶとん邪魔じゃまされ、へそのあたりを打って痛い思いをした。惣助は考える。庄屋しょうやのせがれは庄屋の親だわ。三歳にしてもうはやたみのかまどに心をつかう。あら有難ありがたの光明や。この子は湯流山ゆながれやまのいただきから神梛木かなぎ村の朝の景色けしきを見おろしたにちがいない。そのとき家々のかまどから立ちのぼるけむりは、ほやほやとにぎわっていたとな。あら殊勝しゅしょう超世ちょうせいの本願や。この子はなんと授かりものじゃ。御大切にしなければ。惣助はそっと起きあがり、うでをのばしてとなりのとこにひとりで寝ている太郎の掛蒲団をていねいに直してやった。それからもっと腕をのばしてそのまた隣りの床に寝ている母者人の掛蒲団を少しばかり乱暴に直してやった。母者人は寝相がわるかった。惣肋は母者人の寝相を見ないようにして、わざと顔をきつくそむけながらつぶやいた。これは太郎の産みの親じゃ。御大切にしなければ。

7

太郎の予言は当った。そのとしの春には村のことごとくの林檎畑りんごばたけにすばらしく大きい薄紅うすべにの花がきそろい、十里はなれた御城下町にまでにおいを送った。秋にはもっとよいことが起った。林檎の果実が手毬てまりくらいに大きく珊瑚さんごくらいに赤く、きりの実みたいに鈴成りに成ったのである。こころみにそのひとつをちぎりとり歯にあてると、果実の肉がはち切れるほど水気を持っていることとて歯をあてたとたんにぽんと音高く割れ冷い水がほとばしり出て鼻からほおまでびしょれにしてしまうほどであった。あくるとしの元旦には、もっとめでたいことが起った。千羽のつるが東の空から飛来し、村のひとたちが、あれよ、あれよと口々にさわぎたてているまに、千羽の鶴は元旦の青空の中をゆったりと泳ぎまわりやがて西のかたに飛び去った。そのとしの秋にもまたいねに穂がみのり林檎りんごも前年に負けずに枝のたおたおするほどかたまって結実したのである。村はうるおいはじめた。惣助そうすけは予言者としての太郎の能力をしかと信じた。けれどもそれを村のひとたちに言いふらしてあるくことはひかえていた。それは親馬鹿おやばかという嘲笑ちょうしょうを得たくない心からであろうか。ひょっとすると何かもっと軽はずみな、ひともうけしようという下心からであったかも知れぬ。

8

幼いころの神童は、二三年してようやく邪道じゃどうにおちた。いつしか太郎は、村のひとたちからなまけものという名前をつけられていた。惣助もそう言われるのを仕方がないと思いはじめたのである。太郎は六歳になっても七歳になってもほかの子供たちのように野原や田圃たんぼや河原へ出て遊ぼうとはしなかった。夏ならば、部屋の窓べりに頬杖ほおづえついて外の景色けしきながめていた。冬ならば、炉辺ろべに座って燃えあがる焚火たきびほのおを眺めていた。なぞなぞが好きであった。或る冬の夜、太郎は炉辺に行儀ぎょうぎわるく寝そべりながら、かたわらの惣助の顔を薄目うすめつかって見あげ、ゆっくりした口調でなぞなぞをけた。水のなかにはいってもれないものはなんじゃろ。惣助は首を三度ほどって考えて、判らぬの、と答えた。太郎はものうそうに眼をかるくとじてから教えた。かげじゃがのう。惣助はいよいよ太郎をいまいましく思いはじめた。これは馬鹿ではないか。阿呆あほうなのにちがいない。村のひとたちの言うように、やっぱしただのなまけものじゃったわ。

9

太郎が十歳になったとしの秋、村は大洪水だいこうずいおそわれた。村の北端ほくたんをゆるゆると流れていた三けんほどのはば神梛木かんなぎ川が、ひとつき続いた雨のためにいかりだしたのである。水源のにごり水は大渦おおうず小渦を巻きながらそろそろふくれあがって六本の支流を合せてたちまち太り、身をおどらせて山を韋駄天いだてんばしりにけ下りみちみち何百本もの材木をかっさらい川岸のかしもみ白楊はこやなぎの大木を根こそぎき取りし流し、ふもとふちよどんで澱んでそれから一挙に村の橋に突きあたって平気でそれをぶちこわし土手を破って大海のようにひろがり、家々の土台石をぶたを泳がせりとったばかりの一万にあまる稲坊主をかせてだぶりだぶりと浪打った。それから五日目に雨がやんで、十日目にようやく水がひきはじめ、二十日目ころには神梛木川は三間ほどの幅で村の北端をゆるゆると流れていた。

10

村のひとたちは毎夜毎夜あちこちの家にひとかたまりずつになって相談し合った。相談の結論はいつも同じであった。おらはえ死したくねえじゃ。その結論はいつも相談の出発点になった。村のひとたちはあくる夜また同じ相談をはじめなければいけなかった。そうしてまたまた餓え死したくねえという結論を得て散会した。翌る夜はさらに相談をし合った。そうして結論は同じであった。相談は果つるところなかったのである。村が乱れて義民があらわれた。十歳の太郎が或る日、両うでで頭をかかえこみ溜息ためいきをついている父親の惣助そうすけにむかって、意見を述べた。これは簡単に解決がつくと思う。お城へ行ってじきじき殿との様へ救済をお願いすればいいのじゃ。おれが行く。惣助は、やあ、と突拍子とっぴょうしもない歓声かんせいをあげた。それからすぐ、これはかるはずみなことをしたと気づいたらしく一旦ほどきかけた両手をまた頭のうしろに組み合せてしかめつらをして見せた。お前は子供だからそう簡単に考えるけれども、大人はそうは考えない。直訴じきそはまかりまちがえば命とりじゃ。めっそうもないこと。やめろ。やめろ。その夜、太郎はふところ手してぶらっと外へ出て、そのまますたすたと御城下町へ急いだ。誰も知らなかった。

11

直訴は成功した。太郎の運がよかったからである。命をとられなかったばかりかごほうびをさえもらった。ときの殿様が法律をきれいに忘れていたからでもあろう。村はおかげで全滅ぜんめつをのがれ、あくる年からまたうるおいはじめたのである。

12

村のひとたちは、それでも二三年のあいだは太郎をほめていた。二三年がすぎると忘れてしまった。庄屋しょうや阿呆あほう様とは太郎の名前であった。太郎は毎日のようにくらの中にはいって惣助の蔵書を手当り次第しだいに読んでいた。ときどきしからぬ絵本を見つけた。それでも平気な顔して読んでいった。

13

そのうちに仙術せんじゅつの本を見つけたのである。これを最も熱心に読みふけった。縦横十文字に読みふけった。蔵の中で一年ほども修行しゅぎょうして、ようやくねずみわしへびになる法を覚えこんだ。鼠になって蔵の中をかけめぐり、ときどき立ちどまってちゅうちゅうと鳴いてみた。鷲になって、蔵の窓からつばさをひろげて飛びあがり、心ゆくまで大空を逍遥しょうようした。蛇になって、蔵の床下にしのびいり蜘蛛くもの巣をさけながら、ひやひやした日陰ひかげの草を腹のうろこでみわけ踏みわけして歩いてみた。ほどなく、かまきりになる法をも体得したけれど、これはただその姿になるだけのことであって、べつだん面白おもしろくもなんともなかった。

14

惣助はもはやわが子に絶望していた。それでも負けおしみしてこう母者人ははじゃひとに告げたのである。な、余りできすぎたのじゃよ。太郎は十六歳で恋をした。相手はとなりの油屋の娘で、笛をくのが上手であった。太郎は蔵の中で鼠や蛇のすがたをしたままその笛の音を聞くことを好んだ。あわれ、あの娘にれられたいものじゃ。津軽いちばんのよい男になりたいものじゃ。太郎はおのれの仙術でもって、よい男になるようになるように念じはじめた。十日目にその念願を成就じょうじゅすることができたのである。

15

太郎は鏡の中をおそるおそるのぞいてみて、おどろいた。色がけるように白く、ほおはしもぶくれでもちはだであった。目はあくまでも細く、口鬚くちひげがたらりと生えていた。天平てんぴょう時代の仏像の顔であって、しかも股間こかん逸物いちもつまで古風にだらりとふやけていたのである。太郎は落胆らくたんした。仙術せんじゅつの本が古すぎたのであった。天平てんぴょうのころの本であったのである。このような有様ではせんないことじゃ。やり直そう。ふたたび法のよりをもどそうとしたのだが駄目だめであった。おのれひとりの欲望から好き勝手な法を行った場合には、よかれあしかれ身体にくっついてしまって、どうしようもなくなるものだ。太郎は三日も四日もむなしい努力をして五日目にあきらめた。このような古風な顔では、どうせ女には好かれまいが、けれども世の中には物好きが居らぬものでもあるまい。仙術の法力を失った太郎は、しもぶくれの顔に口鬚くちひげをたらりと生やしたままでくらから出て来た。

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あいた口のふさがらずにいる両親へ一ぶしじゅうの訳をあかし、ようやく納得なっとくさせてその口を閉じさせた。このようなあさましい姿では所詮しょせん、村にも居られませぬ。旅に出ます。そう書き置きをしたためて、その夜、飄然ひょうぜんと家を出た。満月がうかんでいた。満月の輪廓りんかくは少しにじんでいた。空模様のせいではなかった。太郎の眼のせいであった。ふらりふらり歩きながら太郎は美男というものの不思議を考えた。むかしむかしのよい男が、どうしていまでは間抜まぬけているのだろう。そんなはずはないのじゃがのう。これはこれでよいのじゃないか。けれどもこのなぞなぞはむずかしく、隣村となりむらの森を通り抜けても御城下町へたどりついても、また津軽の国ざかいを過ぎてもなかなかに解決がつかないのであった。

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ちなみに太郎の仙術の奥義おうぎは、懐手ふところでして柱かへいによりかかりぼんやり立ったままで、面白おもしろくない、面白くない、面白くない、面白くない、面白くないという呪文じゅもんを何十ぺん何百ぺんとなくくりかえしくりかえし低音でとなえ、ついに無我の境地にはいりこむことにあったという。     喧嘩次郎兵衛けんかじろべえ

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むかし東海道三島の宿に、鹿間屋逸平しかまやいっぺいという男がいた。曾祖父そうそふの代より酒の醸造じょうぞうをもって業としていた。酒はその醸造主のひとがらを映すものと言われている。鹿間屋の酒はあくまでもみ、しかもなかなかに辛口からくちであった。酒の名は、水車みずぐるまと呼ばれた。子供が十四人あった。男の子が六人。女の子が八人。長男は世事ににぶく、したがって逸平の指図どおりに商売を第一として生きていた。おのれの思想に自信がなく、それでもときどきは父親にむかって何か意見を言いだすことがあったけれども、言葉のなかばでもうはや丸っきり自信を失い、そうかとも思われますが、しかしこれとても間違まちがいだらけであるとしか思われませんし、きっと間違っていると思いますが父上はどうお考えでしょうか、なんだか間違っているようでございます、とやはり言いにくそうにその意見を打ち消すのであった。逸平いっぺいは簡単に答える。間違っとるじゃ。

19

けれども次男の次郎兵衛じろべえとなると少し様子がちがっていた。彼の気質の中には政治家の泣き言の意味でない本来の意味の是々非々ぜぜひひの態度を示そうとする傾向けいこうがあった。それがために彼は三島の宿のひとたちから、ならずもの、と呼ばれて不潔がられていた。次郎兵衛は商人根性というものをきらった。世の中はそろばんでない。価のないものこそ貴いのだ、と確信して毎日のように酒を呑んだ。酒を呑むにしても、不当の利益をむさぼっているのをこの眼でたしかにいままで見て来た彼の家の酒を口にすることは御免ごめんであった。もしあやまって呑みくだした場合にはすぐさまのどへ手をつっこみ無理にもそれをきだした。来る日も来る日も次郎兵衛は三島のまちをひとりして呑みあるいていたのであったが、父親の逸平は別段それをとがめだてしようとしなかった。頭のんだ男であったからである。あまたの子供のなかにひとりくらいの馬鹿ばかがいたほうが、かえって生彩せいさいがあってよいと思っていた。それに逸平は三島の火消しのかしらをつとめていたので、ゆくゆくは次郎兵衛にこの名誉めいよ職をゆずってやろうというたくらみもあり、次郎兵衛がこれからもますます馬のように暴れまわってくれたならそれだけ将来の火消し頭としての資格もそなわって来ることだという遠い見透みとおしから、次郎兵衛の放埓ほうらつを見て見ぬふりをしてやったわけであった。

20

次郎兵衛は、二十二歳の夏にぜひとも喧嘩けんか上手じょうずになってやろうと決心したのであったが、それはこんな訳からであった。

21

三島大社では毎年、八月の十五日にお祭りがあり、宿場のひとたちは勿論もちろん、沼津の漁村や伊豆の山々から何万というひとがてんでに団扇うちわこしにはさみ大社さしてぞろぞろ集って来るのであった。三島大社のお祭りの日には、きっと雨が降るとむかしのむかしからきまっていた。三島のひとたちは派手好きであるから、その雨の中で団扇を使い、おどり屋台がとおり山車だしがとおり花火があがるのを、びっしょりれて寒いのをえに堪えながら見物するのである。

22

次郎兵衛が二十二歳のときのお祭りの日は、めずらしく晴れていた。青空にはとびが一羽ぴょろぴょろ鳴きながら舞っていて、参詣さんけいのひとたちは大社様を拝んでからそのつぎに青空と鳶を拝んだ。ひる少しすぎたころ、だしぬけに黒雲が東北の空のすみからむくむくあらわれ二三度またたいているうちにもうはや三島は薄暗うすぐらくなってしまい、水気をふくんだ重たい風が地をいまわるとそれが合図とみえて大粒おおつぶ水滴すいてきが天からぽたぽたこぼれ落ち、やがてこらえかねたかひと思いに大雨となった。次郎兵衛は大社の大鳥居のまえの居酒屋で酒を呑みながら、外の雨脚あまあしと小走りに走って通る様様の女の姿をながめていた。そのうちにふとこしかしかけたのである。知人を見つけたからであった。彼の家のおむかいに住まっている習字のお師匠ししょうの娘であった。赤い花模様の重たげな着物を着て五六歩はしってはまたあるき五六歩はしってはまたあるきしていた。次郎兵衛じろべえは居酒屋ののれんをぱっとはじいて外へ出て、かさをお持ちなさい、と言葉をかけた。着物がれると大変です。娘は立ちどまって細い首をゆっくりねじ曲げ、次郎兵衛の姿を見るとやわらかいまっ白なほおをあからめた。お待ち。そう言い置いて次郎兵衛は居酒屋へ引返して亭主ていしゅを大声でしかりつけながら番傘を一ぽん借りたのである。やいお師匠さんの娘。おまえの親爺おやじにしろおふくろにしろ、またおまえにしろ、おれをならずものの呑んだくれのわるいわるい悪者と思っているにちがいない。ところがどうじゃ。おれはああ気の毒なと思ったならこうして傘でもなんでもめんどうしてやるほどの男なのだ。ざまを見ろ。ふたたびのれんをはじいて外へ出てみると、娘はいなくていっそうさかんな雨脚あまあしと、し合いへし合いしながら走って通るひとの流れとだけであった。よう、よう、よう、ようと居酒屋のなかから嘲弄ちょうろうの声が聞えた。六七人のならずものの声なのである。番傘を右手にささげ持ちながら次郎兵衛は考える。あああ。喧嘩けんか上手じょうずになりたいな。人間、こんな莫迦ばかげた目にあったときには理屈りくつもくそもないものだ。人に触れたら、人をる。馬に触れたら、馬を斬る。それがよいのだ。その日から三年のあいだ次郎兵衛はこっそり喧嘩の修行しゅぎょうをした。

23

喧嘩は度胸である。次郎兵衛は度胸を酒でこしらえた。次郎兵衛の酒はいよいよ量がふえて、眼はだんだんと死魚の眼のように冷くかすみ、額には三本の油ぎった横皺よこじわが生じ、どうやらふてぶてしい面貌かおになってしまった。煙管きせるを口元へ持って行くのにも、うでをうしろから大回しに回して持っていって、やがてすぱりと一服すうのである。度胸のすわった男に見えた。

24

つぎにはものの言いようである。おくのしれぬようなぼそぼそ声で言おうと思った。喧嘩のまえには何かしら気のきいた台詞せりふを言わないといけないことになっているが、次郎兵衛はその台詞の選択せんたくに苦労をした。型でものを言っては実際の感じがこもらぬ。こういう型はずれの台詞をえらんだ。おまえ、間違まちがってはいませんか。冗談じょうだんじゃないかしら。おまえのその鼻の先がむらさきいろにれあがるとおかしく見えますよ。なおすのに百日もかかる。なんだか間違っていると思います。これをいつでもすらすら言い出せるように、毎夜、寝てから三十ぺんずつひくくしょうした。またこれを言っているあいだ口をまげたり、必要以上に眼をぎらぎらさせたりせずにほとんど微笑ほほえむようにしていたいものだと、その練習をもおこたらなかった。

25

これで準備はできた。いよいよ喧嘩の修行であった。次郎兵衛は武器を持つことをきらった。武器の力で勝ったとてそれは男でない。素手の力で勝たないことには、おのれの心がすっきりしない。まずこぶしの作りかたから研究した。親指をこぶしの外へ出して置くと親指をくじかれるおそれがある。次郎兵衛じろべえはいろいろと研究したあげく、こぶしの中に親指をかくしてほかの四本の指の第一関節の背をきっちりすきまなく並べてみた。ひどく頑丈がんじょうそうなこぶしができあがった。このきっちり並んだ第一関節の背で自分の膝頭ひざがしらをとんとついてみると、こぶしは少しも痛くなくてそのかわりに膝頭のほうがあっと飛びあがるほど痛かった。これは発見であった。次郎兵衛はつぎにその第一関節の背の皮を厚く固くすることを計画した。朝、眼をさますとすぐに彼の新案のこぶしでもって枕元まくらもと煙草盆たばこぼんをひとつなぐった。まちを歩きながら、みちみちの土塀どべいや板塀を殴った。居酒屋のたくを殴った。家の炉縁ろぶちを殴った。この修行しゅぎょうに一年を費やした。煙草盆がばらばらにこわれ土塀や板塀に無数の大小の穴があき、居酒屋の卓にひびができ、家の炉縁がハイカラなくらいでこぼこになったころ、次郎兵衛はやっとおのれのこぶしの固さに自信を得た。この修行のあいだに次郎兵衛は殴りかたにもこつのあることを発見した。すなわちうでを、横から大回しに回して殴るよりは腋下わきしたからピストンのようにまっすぐにきだして殴ったほうが約三倍の効果があるということであった。まっすぐに突きだす途中とちゅうで腕を内側に半回転ほどひねったならさらに四倍くらいの効力があるということをも知った。腕が螺旋らせんのように相手の肉体へきりきり食いいるというわけであった。

26

つぎの一年は家の裏手にあたる国分寺あとの松林の中で修行をした。人の形をした五尺四五寸の高さのれた根株を殴るのであった。次郎兵衛はおのれのからだをすみからすみまで殴ってみて、眉間みけん水落みぞおちが一番いたいという事実を知らされた。なお、むかしから言い伝えられている男の急所をも一応は考えてみたけれども、これはやはり下品な気がして、傲邁ごうまいな男のねらうところではないと思った。むこうずねもまた相当に痛いことを知ったが、これは足でるのに都合のよいところであって、次郎兵衛は喧嘩けんかに足を使うことは卑怯ひきょうでもありうしろめたくもあると思い、もっぱら眉間と水落ちを狙うことにきめたのである。枯れた根株の、眉間と水落ちに相当する高さの個処かしょへ小刀で三角の印をつけ、毎日毎日、ぽかりぽかりと殴りつけた。おまえ、間違まちがってはいませんか。冗談じょうだんじゃないかしら。おまえのその鼻の先がむらさきいろにれあがるとおかしく見えますよ。なおすのに百日もかかる。なんだか間違っていると思います。とたんにぽかりと眉間を殴る。左手は水落ちを。

27

一年の修行ののち、枯木の三角の印はわんくらいの深さに丸くくぼんだ。次郎兵衛は考えた。いまは百発百中である。けれどもまだまだ安心はできない。相手はこの根株のようにいつもだまって立ちつくしてはいない。動いているのだ。次郎兵衛は三島のまちのほとんどどこの曲りかどにでもある水車へ目をつけた。富士のふもとの雪がけて数十条の水量のたっぷりなんだ小川となり、三島の家々の土台下や縁先えんさきや庭の中をとおって流れていてこけの生えた水車がそのたくさんの小川の要処要処でゆっくりゆっくり回っていた。次郎兵衛じろべえは夜、酒を呑んでのかえりみち必ずひとつの水車を征伐せいばつした。回りめぐっている水車の十六枚の板の舌を、順々にぽかりぽかりとなぐるのである。はじめは見当がむずかしくてなかなかうまく行かなかったのであるが、しだいに三島のまちで破れた舌をだらりとさげたまま休んでいる水車を見かけることが多くなった。

28

次郎兵衛はしばしば小川で水を浴びた。底ふかくもぐってじっとしていることもあった。喧嘩けんかさいちゅうに誤って足をすべらし小川へ転落した場合のことを考慮こうりょしたのであった。小川がまちじゅうを流れているのだから、あるいはそんな場合もあるであろう。さらし木綿の腹帯をさらにぎゅっと強く巻きしめた。酒を多く腹へいれさせまいという用心からであった。いどれたならば足がふらつき思わぬ不覚をとることもあろう。三年った。大社のお祭りが三度来て、三度すぎた。修行しゅぎょうがおわった。次郎兵衛の風貌ふうぼうはいよいよどっしりとして鈍重どんじゅうになった。首を左か右へねじむけてしまうのにさえ一分間かかった。

29

肉親は血のつながりのおかげで敏感びんかんである。父親の逸平いっぺいは、次郎兵衛の修行を見抜みぬいた。何を修行したかは知らなかったけれど、何かしら大物になったらしいということにだけは感づいた。逸平はまえからのたくらみを実行した。次郎兵衛に火消しがしら名誉めいよ職を受けつがせたのである。次郎兵衛はそのなんだか訳のわからぬ重々しげなものごしによって多くの火消したちの信頼しんらいを得た。かしら、かしらとうやまわれるばかりで喧嘩の機会はとんとなかった。ひょっとしたらもうこれは生涯しょうがい、喧嘩をせずにこのまま死んで行くのかも知れないと若いかしらは味気ない思いをしていた。ねりにねりあげた両腕りょううでは夜ごとにむずかゆくなり、わびしい気持ちでぽりぽりひっいた。力のやり場に困って身もだえの果、とうとうやけくそな悪戯心いたずらごころを起し背中いっぱいに刺青いれずみをした。直径五寸ほどの真紅の薔薇ばらの花を、さばに似た細長い五匹の魚がとがったくちばしで四方からつついている模様であった。背中から胸にかけて青い小波さざなみがいちめんにうごいていた。この刺青のために次郎兵衛はいよいよ東海道にかくれなき男となり、火消したちは勿論もちろん、宿場のならずものにさえうやまわれ、もうはや喧嘩の望みは絶えてしまった。次郎兵衛は、これはやりきれないと思った。

30

けれども機会は思いがけなくやって来た。そのころ三島の宿に、鹿間屋しかまやと肩を並べてともにともに酒つくりを競っていた陣州屋丈六じんしゅうやじょうろくという金持ちがいた。ここの酒はいくぶん舌ったるく、色あいが濃厚のうこうであった。丈六もまた酒によく似て、四人のめかけを持っているのにそれでも不足で五人目の妾を持とうとして様様の工夫をしていた。たかの白羽の矢が次郎兵衛の家の屋根を素通りしてそのおむかいの習字のお師匠ししょう詫住わびずまいしている家の屋根のぺんぺん草をかきわけてぐさとつきささったのである。お師匠ししょうはかるがるとは返事をしなかった。二度、切腹をしかけては家人に見つけられて失敗したほどであった。次郎兵衛じろべえはそのうわさを聞いてうでの鳴るのを覚えた。機会をねらったのである。

31

三月みつき目に機会がやって来た。十二月のはじめ、三島にめずらしい大雪が降った。日の暮れかたからちらちらしはじめ間もなくおおきい牡丹雪ぼたんゆきにかわり三寸くらい積ったころ、宿場の六個の半鐘はんしょうが一時に鳴った。火事である。次郎兵衛はゆったりゆったり家を出た。陣州屋じんしゅうやとなりの畳屋たたみやが気の毒にも燃えあがっていた。数千の火の玉小僧こぞうが列をなして畳屋の屋根のうえで舞いくるい、火の粉が松の花粉のように噴出ふんしゅつしてはひろがりひろがっては四方の空に遠く飛散した。ときたま黒煙こくえん海坊主うみぼうずのようにのっそりあらわれ屋根全体をおおいかくした。降りしきる牡丹雪はほのおにいろどられ、いっそう重たげにもったいなげに見えた。火消したちは、陣州屋と議論をはじめていた。陣州屋は自分の家へ水をいれるのはまっぴらであると言い張り、はやく隣りの畳屋のむねをたたき落して火をしずめたらよいと命令した。火消したちはそれは火消しの法にそむくと言って反駁はんばくしたのである。そこへ次郎兵衛があらわれた。陣州屋さん。次郎兵衛はできるだけ低い声で、しかもほとんど微笑ほほえむようにして言いだした。おまえ、間違まちがってはいませんか。冗談じょうだんじゃないかしら。陣州屋はだしぬけに言葉をはさんだ。これは鹿間屋しかまや若旦那わかだんな、へっへ、冗談です、まったくの酔興すいきょうです、ささ、ぞんぶんに水をおいれ下さい。喧嘩けんかにはならなかった。次郎兵衛は仕方なく火事をながめた。喧嘩にはならなかったけれどこのことで次郎兵衛はまたまた男をあげてしまった。火事のあかりにてらされながら陣州屋をたしなめていたときの次郎兵衛のまっかな両ほおには十ひらあまりの牡丹雪が消えもせずにへばりついていてその有様は神様のようにおそろしかったというのは、その後ながいあいだの火消したちの語り草であった。

32

そのあくる年の二月のよい日に、次郎兵衛は宿場のはずれに新居をかまえた。六じょうと四畳半と三畳と三間あるほかに八畳の裏二階がありそこから富士がまっすぐに眺められた。三月のさらによい日に習字のお師匠の娘が花嫁はなよめとしてこの新居にむかえられた。その夜、火消したちは次郎兵衛の新居にぎっしりつまって祝い酒を呑み、ひとりずつ順々にかくし芸をして夜をふかしいよいよ翌朝になってやっとおしまいのひとりが二枚の皿の手品をやって皆の泥酔でいすい熟睡じゅくすいの眼をごまかし或る一ぐうからのぱちぱちという喝采かっさいでもって報いられ、祝賀のえんはおわった。

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次郎兵衛は、これはまたこれで結構なことにちがいないのだろう、となまざとりしてきょとんとした一日一日を送っていた。父親の逸平いっぺいもまた、これで一段落、とつぶやいてはぽんと煙管きせる吐月峯とげっぽうにはたいていた。けれども逸平のんだ頭脳でもってしてさえ思いおよばなかった悲しいことがらが起った。結婚してかれこれ二月目の晩に、次郎兵衛じろべえ花嫁はなよめしゃくで酒を呑みながら、おれは喧嘩けんかが強いのだよ、喧嘩をするにはの、こうして右手で眉間みけんなぐりさ、こうして左手で水落みぞおちを殴るのだよ。ほんのじゃれてやってみせたことであったが、花嫁はころりところんで死んだ。やはり打ちどころがよかったのであろう。次郎兵衛は重い罪にとわれ、牢屋ろうやへいれられた。ものの上手じょうずのすぎたばつである。次郎兵衛は牢屋へはいってからもそのどこやら落ちつきはらった様子のために役人から馬鹿ばかにはされなかったし、また同室の罪人たちからは牢名主ろうなぬしとしてあがめられた。ほかの罪人たちよりは一段と高いところに座らされながら、次郎兵衛は彼の自作の都々逸どどいつとも念仏ともつかぬ歌を、あわれなふしで口ずさんでいた。   岩にささやく   ほおをあからめつつ   おれは強いのだよ   岩は答えなかった     うその三郎

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むかし江戸深川に原宮黄村という男やもめの学者がいた。支那しなの宗教にくわしかった。一子があり、三郎と呼ばれた。ひとり息子なのに三郎と名づけるとは流石さすがに学者らしくひねったものだと近所の取沙汰とりざたであった。どうしてそれが学者らしいひねりかたであるかは誰にも判らなかった。そこが学者であるということになっていた。近所での黄村の評判はあまりよくなかった。極端きょくたん吝嗇りんしょくであるとされていた。ごはんをたべてから必ずそれをきっちり半分もどして、それでもってのりをこしらえるといううわささえあった。

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三郎のうその花はこの黄村の吝嗇から芽生えた。八歳になるまでは一銭の小使いも与えられず、支那の君子人の言葉を暗誦あんしょうすることだけをいられた。三郎はその支那の君子人の言葉を水洟みずばなすすりあげながらつぶやき呟き、部屋部屋の柱やかべくぎをぷすぷすといて歩いた。釘が十本たまれば、近くのくず屋へ持って行って一銭か二銭で売却ばいきゃくした。花林糖かりんとうを買うのである。あとになって父の蔵書がさらに十倍くらいのよい値で売れることを屑屋から教わり、一冊二冊と持ち出し、六冊目に父に発見された。父はなみだをふるってこの盗癖とうへきのある子を折檻せっかんした。こぶしでつづけさまに三つほど三郎の頭をなぐり、それから言った。これ以上の折檻は、お前のためにもわしのためにもいたずらに空腹を覚えさせるだけのことだ。それゆえ折檻はこれだけにしてやめる。そこへ座れ。三郎は泣く泣く悔悟かいごをちかわされた。三郎にとって、これがうそのしはじめであった。

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そのとしの夏、三郎は隣家りんかの愛犬を殺した。愛犬はちんであった。夜、狆はけたたましくえたてた。ながい遠吠えやら、きゃんきゃんというせわしない悲鳴やら、苦痛にえかねたような大げさなうなり声やら、様様の鳴き声をまぜてさわぎたてた。一時間くらい鳴きつづけたころ、父の黄村は、傍に寝ている三郎へ声をかけた。見て来い。三郎は先刻より頭をもたげ眼をぱちぱちさせながら聞き耳をたてていたのであった。起きあがって雨戸をりあげ、見るととなりの家の竹垣たけがきにむすびつけられている狆が、からだを土にこすりつけて身悶みもだえしていた。三郎は、騒ぐな、と言ってしかった。狆は三郎の姿をみとめて、これ見よがしに土にまろび竹垣をみ、ひとしきり狂乱きょうらんの姿をよそおい、きゃんきゃんと一そう高く鳴きさけんだ。三郎は狆のあまったれた精神にむかむか憎悪ぞうおを覚えたのである。騒ぐな、騒ぐな、と息をつめたような声で言ってから、庭へ飛び降り小石を拾い、はっしとぶっつけた。狆の頭部に命中した。きゃんと一声するどく鳴いてから狆の白い小さいからだがくるくると独楽こまのように回って、ぱたとたおれた。死んだのである。雨戸をしめて寝床ねどこへはいってから、父はねむたげな声でたずねた。どうしたのじゃ。三郎は蒲団ふとんを頭からかぶったままで答えた。鳴きやみました。病気らしゅうございます。あしたあたり死ぬかも知れません。

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そのとしの秋、三郎はひとを殺した。言問橋ことといばしから遊び仲間を隅田すみだ川へき落したのである。直接の理由はなかった。ピストルを自分の耳にぶっ放したい発作とよく似た発作におそわれたのであった。突きおとされた豆腐とうふ屋の末っ子は落下しながら細長い両足で家鴨あひるのように三度ゆるく空気をくようにうごかして、ぼしゃっと水面へ落ちた。波紋はもんが流れにしたがって一間ほど川下のほうへ移動してから波紋のまんなかに片手がひょいと出た。こぶしをきつくにぎっていた。すぐひっこんだ。波紋はくずれながら流れた。三郎はそれを見とどけてしまってから、大声をたてて泣き叫んだ。人々は集り、三郎の泣き泣き指す箇処かしょを見て事のなりゆきをさとった。よく知らせてくれた。お前の朋輩ほうばいが落ちたのか。泣くでない、すぐ助けてやる。よく知らせてくれた。ひとりの合点の早い男がそう言って三郎のかたを軽くたたいた。そのうちに人々の中の泳ぎに自信のある男が三人、競争して大川へ飛びみ、おのおの自分の泳ぎの型をほこりながら豆腐屋の末っ子をさがしはじめた。三人ともあまり自分の泳ぎの姿を気にしすぎて、そのために子供を捜しあるくのがおろそかになり、ようやく捜しあてたものは全くの死骸しがいであった。

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三郎はなんともなかった。豆腐とうふ屋の葬儀そうぎには彼も父の黄村とともに参列した。十歳十一歳となるにつれて、この誰にも知られぬ犯罪の思い出が三郎を苦しめはじめた。こういう犯罪が三郎のうその花をいよいよ美事にひらかせた。ひとに嘘をつき、おのれに嘘をつき、ひたすら自分の犯罪をこの世の中から消し、またおのれの心から消そうと努め、長ずるにおよんでいよいよ嘘のかたまりになった。

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二十歳の三郎は神妙しんみょうな内気な青年になっていた。お盆の来るごとに亡き母の思い出を溜息ためいきつきながらひとに語り、近所近辺の同情を集めた。三郎は母を知らなかった。彼が生れ落ちるとすぐ母はそれと交代に死んだのである。いまだかつて母を思ってみたことさえなかったのである。いよいよ嘘が上手じょうずになった。黄村のところへ教えを受けに来ている二三の書生たちに手紙の代筆をしてやった。親元へ送金を願う手紙を最も得意としていた。例えばこんな工合ぐあいであった。謹啓きんけい、よもの景色云々けしきうんぬんと書きだして、御尊父様には御変りもこれなくそうろうや、と虚心きょしんにおうかがい申しあげ、それからすぐ用事を書くのであった。はじめお世辞たらたら書きしたためて、さて、金を送って下されと言いだすのは下手なのであった。はじめのたらたらのお世辞がその最後の用事の一言でもって瓦解がかいし、いかにもさもしくきたなく見えるものである。それゆえ、勇気を出して少しも早くひと思いに用事にとりかかるのであった。なるべく簡明なほうがよい。このたびわがじゅくいて詩経の講義がはじまるのであるが、この教科書は坊間ぼうかん書肆しょしより求むれば二十二円である。けれども黄付先生は書生たちの経済力を考慮こうりょし直接に支那しなへ注文して下さることと相成った。実費十五円八十銭である。この機をがすならば少しの損をするゆえ早速に申し込もうと思う。大急ぎで十五円八十銭を送っていただきたいというような案配あんばいであった。そのつぎにおのれの近況きんきょうのそれも些々ささたる茶飯事さはんじを告げる。昨日わが窓より外をながめていたら、たくさんのからすが一羽のとびとたたかい、まことに勇壮ゆうそうであったとか、一昨日、墨堤ぼくていを散歩し奇妙きみょうな草花を見つけた、花弁は朝顔に似て小さく豌豆えんどうに似て大きくいろ赤きに似て白くめずらしきものゆえ、根ごときとり持ちかえってわが部屋のはちに移し植えた、とかいうようなことを送金の請求もなにも忘れてしまったかのようにのんびりと書き認めるのであった。尊父はこの便りに接して、わが子の平静な心境を思いおのれのあくせくした心をじ、微笑ほほえんで送金をするのである。三郎の手紙は事実そのようにうまくいった。書生たちは、われもわれもと三郎に手紙の代筆、もしくは口述をたのんだのである。金が来ると書生たちは三郎をさそって遊びに出かけ、一文もあますところなく使った。黄村の塾はそろそろと繁栄はんえいしはじめた。うわさを聞いた江戸の書生たちは、若先生から手紙の書きかたをこっそり教わりたい心から黄村に教えを求めたのである。

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三郎は思案した。こんなに日にいく十人ものひとに手紙の代筆をしてやったり口述をしてやったりしていたのではとてもはんえぬ。いっそ上梓じょうししようか。どうしたなら親元からたくさんの金を送ってもらえるか、これを一冊の書物にして出版しようと考えたのである。けれどもこの出版に当ってはひとつのさしさわりがあることに気づいた。その書物を親元があがない熟読したなら、どういうことになるであろう。なにやら罪ふかい結果が予想できるのであった。三郎はこの書物の出版をやめなければならなかった。書生たちの必死の反対があったからでもあった。それでも三郎は著述の決意だけはまげなかった。そのころ江戸で流行の洒落本しゃれぼんを出版することにした。ほほ、うやまってもおす、というような書きだしであたうかぎりの悪ふざけとごまかしを書くことであって、三郎の性格に全くぴたりと合っていたのである。彼が二十二歳のときどれ滅茶めちゃ滅茶先生という筆名で出版した二三の洒落本は思いのほかに売れた。或る日、三郎は父の蔵書のなかに彼の洒落本中の傑作けっさく「人間万事うそまこと」一巻がまじっているのを見て、何気なさそうに黄村にたずねた。滅茶滅茶先生の本はよい本ですか。黄村はにがり切って答えた。よくない。三郎は笑いながら教えた。あれは私の匿名とくめいですよ。黄村は狼狽ろうばいを見せまいとして高いせきばらいを二つ三つして、それからあたりをはばかるような低い声で問うた。なんぼもうかったかの。

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傑作「人間万事嘘は誠」のあらましの内容は、嫌厭けんえん先生という年わかい世のすねものが面白おもしろおかしく世の中をわたったことの次第しだいじょしたものであって、たとえば嫌厭先生が花柳かりゅうちまたに遊ぶにしても或いは役者といつわり或いはお大尽だいじんを気取り或いはおしのびの高貴のひとのふりをする。そのいかさまごとがあまりにも工夫に富みほとんど真に近く芸者末社もそれを疑わず、はては彼自身も疑わず、それは決して夢ではなく現在たしかに、一夜にして百万長者になりまた一朝めざむれば世にかくれなき名優となり面白おかしくその生涯しょうがいを終るのである。死んだとたんにむかしの無一文の嫌厭先生にかえるというようなことが書かれていた。これは言わば三郎の私小説であった。二十二歳をむかえたときの三郎の嘘はすでに神に通じ、おのれがこうといつわるときにはすべて真実の黄金に化していた。黄村のまえではあくまで内気な孝行者に、じゅくに通う書生のまえではおそろしい訳知りに、花柳の巷では即ち団十郎、なにがしのお殿との様、なんとか組の親分、そうしてその辺に些少さしょうの不自然も嘘もなかった。

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そのあくるとしに父の黄村が死んだ。黄村の遺書にはこういう意味のことがらが書かれていた。わしは嘘つきだ。偽善者ぎぜんしゃだ。支那しなの宗教から心がはなれれば離れるほど、それに心服した。それでも生きて居れたのは、母親のないわが子への愛のためであろう。わしは失敗したが、この子を成功させたかったが、この子も失敗しそうである。わしはこの子にわしが六十年間かかってためた粒々つぶつぶの小銭、五百文を全部のこらず与えるものである。三郎はその遺書を読んでしまってから顔をあおくして薄笑うすわらいをうかべ、二つに引きいた。それをまた四つに引き裂いた。さらに八つに引き裂いた。空腹を防ぐために子への折檻せっかんをひかえた黄村、子の名声よりも印税が気がかりでならぬ黄村、近所からは土台下に黄金の一ぱいつまったかめをかくしているとささやかれた黄村が、五百文の遺産をのこして大往生をした。うその末路だ。三郎は嘘の最後っ我慢がまんできぬ悪臭あくしゅうをかいだような気がした。

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三郎は父の葬儀そうぎを近くの日蓮宗にちれんしゅうのお寺でいとなんだ。ちょっと聞くと野蛮やばんなリズムのように感ぜられる和尚おしょうのめった打ちに打ち鳴らす太鼓たいこの音も、耳かたむけてしばらく聞いていると、そのリズムの中にどうしようもない憤怒ふんぬ焦慮しょうりょとそれを茶化そうというやけくそなお道化どうけとを聞きとることができたのである。紋服もんぷくを来て珠数じゅずを持ち十人あまりの塾生じゅくせいのまんなかに背を丸くして座って、三尺ほど前方のたたみのへりを見つめながら三郎は考える。嘘は犯罪から発散する音無しの屁だ。自分の嘘も、幼いころの人殺しから出発した。父の嘘も、おのれの信じきれない宗教をひとに信じさせた大犯罪からしぼり出された。重苦しくてならぬ現実を少しでもすずしくしようとして嘘をつくのだけれども、嘘は酒とおなじようにだんだんと適量がふえて来る。次第しだい次第にい嘘をいていって、切磋琢磨せっさたくまされ、ようやく真実の光を放つ。これは私ひとりの場合に限ったことではないようだ。人間万事嘘はまこと。ふとその言葉がいまはじめて皮膚ひふにべっとりくっついて思い出され、苦笑した。ああ、これは滑稽こっけいの頂点である。黄村の骨をていねいにめてやってから三郎はひとつ今日より嘘のない生活をしてやろうと思いたった。みんな秘密な犯罪を持っているのだ。びくつくことはない。ひけめを感ずることはない。

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嘘のない生活。その言葉からしてすでに嘘であった。きものをしと言い、しきものをしという。それも嘘であった。だいいち美きものを美しと言いだす心に嘘があろう。あれもきたない、これも汚い、と三郎は毎夜ねむられぬ苦しみをした。三郎はやがてひとつの態度を見つけた。無意志無感動の痴呆ちほうの態度であった。風のように生きることである。三郎は日常の行動をすべてこよみにまかせた。暦のうらないにまかせた。たのしみは、夜夜、夢を見ることであった。青草の景色けしきもあれば、胸のときめく娘もいた。

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或る朝、三郎はひとりで朝食をとっていながらふと首をって考え、それからぱちっとはしをおぜんのうえに置いた。立ちあがって部屋をぐるぐる三度ほどめぐり歩き、それから懐手ふところでして外へ出た。無意志無感動の態度がうたがわしくなったのである。これこそ嘘の地獄じごく奥山おくやまだ。意識して努めた痴呆ちほうがなんで嘘でないことがあろう。つとめればつとめるほど私は嘘の上塗うわぬりりをして行く。勝手にしやがれ。無意識の世界。三郎は朝っぱらから居酒屋へ出かけたのである。

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なわのれんをはじいて中へはいると、この早朝に、もうはや二人の先客があった。おどろくべし、仙術せんじゅつ太郎と喧嘩次郎兵衛けんかじろべえの二人であった。太郎はたくの東南のすみにいて、そのしもぶくれのもちはだほおいでうす赤く染め、たらりと下った口鬚くちひげをひねりひねり酒を呑んでいた。次郎兵衛はそれと相対して西北の隅にじんどり、むくんだ大きい顔に油をぎらぎらかせ、さかずきを持った左手をうしろから大回しにゆっくり回して口もとへ持っていって一口のんでは杯を目の高さにささげたまましばらくぼんやりしているのである。三郎は二人のまんなかにこしをおろして酒を呑みはじめた。三人はもとより旧知の間柄あいだがらではない。太郎は細い眼を半分とじながら、次郎兵衛は一分間ほどかかってゆったりと首をねじむけながら、三郎はきょろきょろ落ちつかぬきつねの眼つきを使いながら、それぞれほかの二人の有様をぬすみ見していたわけである。酔いがだんだん発して来るにつれて三人は少しずつ相寄った。三人のこらえにこらえた酔いが一時に爆発ばくはつしたとき三郎がまず口を切った。こうして一緒いっしょに朝から酒を呑むのも何かのえんだと思います。ことにも江戸は半丁あるくと他郷だと言われるほどのみあったところなのに、こうしてせまい居酒屋に同日同時刻に落ち合せたというのは不思議なくらいです。太郎は大きいあくびをしてから、のろのろ答えた。おれは酒が好きだから呑むのだよ。そんなに人の顔を見るなよ。そう言って手拭てぬぐいで頬被ほおかむりした。次郎兵衛は卓をとんとたたいて卓のうえにさしわたし三寸くらい深さ一寸くらいのくぼみをこしらえてから答えた。そうだ。縁と言えば縁じゃ。おれはいま牢屋ろうやから出て来たばかりだよ。三郎はたずねた。どうして牢屋へはいったのです。それは、こうじゃ。次郎兵衛は奥のしれぬようなぼそぼそ声でおのれの半生を語りだした。語り終えてからなみだを一てき、杯の酒のなかに落してぐっと呑みほした。三郎はそれを聞いてしばらく考えごとをしてから、なんだか兄者人あにじゃびとのような気がすると前置きをして、それから自身の半生を嘘にならないように嘘にならないように気にしいしい一節ずつ口切って語りだしたのである。それをしばらく聞いているうちに次郎兵衛は、おれにはどうも判らんじゃ、と言ってうとうと居眠いねむりをはじめた。けれども太郎は、それまでは退屈たいくつそうにあくびばかりしていたのを、やがて細い眼をはっきりひらいて聞き耳をたてはじめたのである。話が終ったとき、太郎は頬被りをたいぎそうにとって、三郎さんとか言ったが、あなたの気持ちはよく判る。おれは太郎と言って津軽のもんです。二年まえからこうして江戸へ出てぶらぶらしています。聞いて下さるか、とやはり眠たそうな口調で自分のいままでの経歴をこまごまと語ってきかせた。だしぬけに三郎はさけんだ。判ります、判ります。次郎兵衛はその叫び声のために眼をさましてしまった。にごった眼をぼんやりあけて、何事ですか、と三郎にたずねた。三郎はおのれの有頂天うちょうてんに気づいてはずかしく思った。有頂天こそうそ結晶けっしょうだ、ひかえようと無理につとめたけれど、いがそうさせなかった。三郎のなまなかの抑制心よくせいしんがかえって彼自身にはねかえって来て、もうはややけくそになり、どうにでもなれと口から出まかせの大嘘をいた。私たちは芸術家だ。そういう嘘を言ってしまってから、いよいよ嘘に熱が加って来たのであった。私たち三人は兄弟だ。きょうここでったからには、死ぬるともはなれるでない。いまにきっと私たちの天下が来るのだ。私は芸術家だ。仙術せんじゅつ太郎氏の半生と喧嘩次郎兵衛けんかじろべえ氏の半生とそれから僭越せんえつながら私の半生と三つの生きかたの模範もはんを世人に書いて送ってやろう。かまうものか。嘘の三郎の嘘の火炎かえんはこのへんからその極点に達した。私たちは芸術家だ。王侯おうこうといえどもおそれない。金銭もまたわれらに於いて木葉の如く軽い。




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