猿面冠者

       太宰 治

1

どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜みぬいてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜ごうがんふそんの男がいた。ここに露西亜ロシヤの詩人の言葉がある。「そもさん何者。されば、わずかにまねごと師。気にするがものもない幽霊ゆうれいか。ハロルドのマント羽織った莫斯科モスクワッ子。他人のくせの翻案か。はやり言葉の辞書なのか。いやさて、もじり言葉の詩とでもいったところじゃないかよ。」いずれそんなところかも知れぬ。この男は、自分では、すこし詩やら小説やらを読みすぎたと思っていている。この男は、思案するときにでも言葉をえらんで考えるのだそうである。心のなかで自分のことを、彼、と呼んでいる。酒にいしれて、ほとんど我をうしなっているように見えるときでも、もし誰かになぐられたなら、落ちついてつぶやく。「あなた、後悔こうかいしないように。」ムイシュキン公爵こうしゃくの言葉である。恋を失ったときには、どう言うであろう。そのときには、口に出しては言わぬ。胸のなかをけめぐる言葉。「だまって居れば名を呼ぶし、近寄って行けばげ去るのだ。」これはメリメのつつましい述懐じゅっかいではなかったか。夜、寝床ねどこにもぐってからねむるまで、彼は、まだ書かぬ彼の傑作けっさく妄想もうそうにさいなまれる。そのときには、ひくくこうさけぶ。「放してくれ!」これはこれ、芸術家のコンフィテオール。それでは、ひとりで何もせずにぼんやりしているときには、どうであろう。口をついて出るというのである、"Nevermore"という独白が。

2

そのような文学のくそから生れたような男が、もし小説を書いたとしたなら、いったいどんなものができるだろう。だいいちに考えられることは、その男は、きっと小説を書けないだろうと言うことである。一行書いては消し、いや、その一行も書けぬだろう。彼には、いけない癖があって、筆をとるまえに、もうその小説に言わばおしまいのみがきまでかけてしまうらしいのである。たいてい彼は、夜、蒲団ふとんのなかにもぐってから、眼をぱちぱちさせたり、にやにや笑ったり、せきをしたり、ぶつぶつわけのわからぬことを呟いたりして、夜明けちかくまでかかってひとつの短編をまとめる。傑作だと思う。それからまた彼は、書きだしの文章を置きかえてみたり、むすびの文字を再吟味ぎんみしてみたりして、その胸のなかの傑作をゆっくりゆっくりでまわしてみるのである。そのへんで眠れたらいいのであるが、いままでの経験からしてそんなに工合ぐあいがよくいったことはいちどもなかったという。そのつぎに彼は、その短編についての批評をこころみるのである。誰々は、このような言葉でもってほめてれる。誰々は、判らぬながらも、この辺の一箇所いっかしょをぽつんといて、おのれの慧眼けいがんほこる。けれども、おれならば、こう言う。男は、自分の作品についてのおそらくはいちばん適確な評論を組みたてはじめる。この作品の唯一ゆいいつ汚点おてんは、などと心のなかでつぶやくようになると、もう彼の傑作けっさくはあとかたもなく消えうせている。男は、なおも眼をぱちぱちさせながら、雨戸のすきまかられて来る明るい光線をながめて、すこし間抜まぬけづらになる。そのうちにうつらうつらまどろむのである。

3

けれども、これは問題に対してただしく答えていない。問題は、もし書いたとしたなら、というのである。ここにあります、と言って、ぽんと胸をたたいて見せるのは、なにやら水際みずぎわだっていいようであるが、聞く相手にしては、たちのわるい冗談じょうだんとしか受けとれまい。まして、この男の胸は、扁平胸へんぺいきょうといって生れながらにみにくくおしつぶされた形なのであるから、傑作は胸のうちにありますという彼のそのせいいっぱいの言葉も、いよいよ芸がないことになる。こんなことからしても、彼が一行も書けぬだろうという解答のどんなに安易であるかが判るのである。もし書いたとしたなら、というのである。問題をもっと考えよくするために、彼のどうしても小説を書かねばならぬ具体的な環境かんきょうを簡単にこしらえあげてみてもよい。たとえばこの男は、しばしば学校を落第し、いまは彼のふるさとのひとたちに、たからもの、という陰口かげぐちをきかれている身分であって、ことし一年で学校を卒業しなければ、彼の家のほうでも親戚しんせきのものたちへの手前、月々の送金を停止するというあんばいになっていたとする。また仮にその男が、ことし一年で卒業できそうもないばかりか、どだい卒業しようとする腹がなかったとしたなら、どうであろう。問題をさらに考えよくするために、この男がいま独身でないということにしよう。四五年もまえからの妻帯者である。しかも彼のその妻というのは、とにかく育ちのいやしい女で、彼はこの結婚によって、叔母おばひとりを除いたほかのすべての肉親に捨てられたという、月並みのロマンスをにおわせて置いてもよい。さて、このような境遇きょうぐうの男が、やがて来る自鬻じいくの生活のために、どうしても小説を書かねばいけなくなったとする。しかし、これも唐突とうとつである。乱暴でさえある。生活のためには、必ずしも小説を書かねばいけないときまって居らぬ。牛乳配達にでもなればいいじゃないか。しかし、それは簡単に反駁はんばくされる。乗りかかった船、という一言でもって充分じゅうぶんであろう。

4

いま日本では、文芸復興とかいう訳のわからぬ言葉が声高くさけばれていて、いちまい五十銭の稿料こうりょうでもって新作家をさがしているそうである。この男もまた、この機をのがさず、とばかりに原稿用紙に向った、とたんに彼は書けなくなっていたという。ああ、もう三日、早かったならば。或いは彼も、あふれる情熱にわななきつつ十枚二十枚を夢のうちに書き飛ばしたかも知れぬ。毎夜、毎夜、傑作の幻影げんえいが彼のうすっぺらな胸をさわがせては呉れるのであったが、書こうとすれば、みんなはかなく消えうせた。だまって居れば名を呼ぶし、近寄って行けばげ去るのだ。メリメはねこと女のほかに、もうひとつの名詞を忘れている。傑作けっさく幻影げんえいという重大な名詞を!

5

男は奇妙きみょうな決心をした。彼の部屋の押入おしいれをかきまわしたのである。その押入のすみには、彼が十年このかた、有頂天うちょうてん歓喜かんきをもって書きつづった千枚ほどの原稿げんこういわくありげに積まれてあるのだそうである。それを片っぱしから読んでいった。ときどきほおをあからめた。二日かかって、それを全部読みおえて、それから、まる一日ぼんやりした。そのなかの「通信」という短編が頭にのこった。それは、二十六枚の短編小説であって、主人公が困っているとき、どこからか差出人不明の通信が来てその主人公をたすける、という物語であった。男が、この短編にことさら心をひかれたわけは、いまの自分こそ、そんなよい通信を受けたいものだと思ったからであろう。これを、なんとかしてうまく書き直してごまかそうと決心したのである。

6

まず書き直さねばいけないところは、この主人公の職業である。いやはや。主人公は新作家なのである。こう直そうと思った。さきに文豪ぶんごうをこころざして、失敗して、そのとき第一の通信。つぎに革命家を夢みて、敗北して、そのとき第二の通信。いまは、サラリイマンになって家庭の安楽ということにつき疑いなやんで、そのとき第三の通信。こんなふうに、だいたいの見とおしをつけて置く。主人公を、できるだけ文学しゅうから遠ざけること。そうして革命家をこころざしてからは、文学のブの字も言わせぬこと。自分がそのような境遇きょうぐうにあったとき、心からしいと思った手紙なり葉書なり電報なりを、事実、主人公が受けとったことにして書くのだ。これは楽しみながら書かねば損である。あまさをはずかしがらずに平気な顔をして書こう。男は、ふと、「ヘルマンとドロテア」という物語を思い合せた。つぎつぎと彼をおそうあやしい妄念もうねんを、はげしく首って追いはらいつつ、男はいそいで原稿げんこう用紙にむかった。もっと小さい小さい原稿用紙だったらいいなと思った。自分にも何を書いているのか判らぬくらいにくしゃくしゃと書けたらいいなと思った。題を「風の便り」とした。書きだしもあたらしく書き加えた。こう書いた。

7

――諸君は音信をきらいであろうか。諸君が人生の岐路きろに立ち、哭泣こっきゅうすれば、どこか知らないところから風とともにひらひら机上へ舞い来って、諸君の前途ぜんとに何か光を投げて呉れる、そんな音信をきらいであろうか。彼は仕合せものである。いままで三度も、そのような胸のときめく風の便りを受けとった。いちどは十九歳の元旦。いちどは二十五歳の早春。いまいちどは、つい昨年の冬。ああ。ひとの幸福を語るときの、ねたみといつくしみの交錯こうさくしたこの不思議なよろこびを、君よ知るや。十九歳の元旦のできごとから物語ろう。

8

そこまで書いて、男は、ひとまずペンを置いた。やや意に満ちたようであった。そうだ、この調子で書けばいいのだ。やはり小説というものは、頭で考えてばかりいたって判るものではない。書いてみなければ。男は、しみじみそう心のうちでつぶやき、そうしてたいへんたのしかったという。発見した、発見した。小説は、やはりわがままに書かねばいけないものだ。試験の答案とはちがうのである。よし。この小説はうたいながら少しずつすすめてゆこう。きょうは、ここまでにして置くのだ。男は、もいちどそっと読みかえしてみてから、その原稿げんこう押入おしいれのなかに仕舞いみ、それから、大学の制服を着はじめた。男は、このごろたえて学校へ行かないのであるが、それでも一週間に一二度ずつ、こうして制服を着て、そわそわ外出するのである。彼等夫婦は或る勤人の二階の六じょうと四畳半との二間を借りて住いしているのであって、男はその勤人の家族への手前をつくろい、ときどきこんなふうに登校をよそうのであった。男には、こんな世間ていを気にするぞくな一面もあったわけである。またこの男は、どうやら自分の妻にさえ、ていさいをとりつくろっているようである。その証拠しょうこには、彼の妻は、彼がほんとうに学校へ出ているものだと信じているらしいのだ。妻は、まえにも仮定して置いたように、いやしい育ちの女であるから、まず無学だと推測できる。男は、その妻の無学につけこみ、さまざまの不貞ふていを働いていると見てよい。けれども、だいたいは愛妻家の部類なのである。なぜと言うに、彼は妻を安心させるために、ときたまうそくのである。かがやかしい未来を語る。

9

その日、彼は外出して、すぐ近くの友人の家をおとずれた。この友人は、独身者の洋画家であって、彼とは中学校のとき同級であったとか。うちが財産家なので、ぶらぶら遊んでいる。人と話をしながらまゆをしじゅうぴりぴりとそよがせるのが自慢じまんらしい。よくある型の男を想像してもらいたい。その友人のもとへ、彼は訪れたのである。彼は、もともとこの友人をあまり好きではないのである。そう言えば、彼は、彼のほかの二三の友人たちをもたいして好いてはいないのであるが、ことにこの友人が、相手をいらいらさせる特種の技量を持っているので、彼はことにも好きになれないのだそうである。彼がでもこの友人を、きょう訪問したのは、まず手近なところから彼の歓喜かんきをわけてやろうという心からにちがいない。この男は、いま、幸福の予感にぬくぬくと温まっているらしいが、そんなときには、人は、どこやら慈悲じひ深くなるものらしい。洋画家は在宅していた。彼は、この洋画家と対座して、開口一番、彼の小説のことを話して聞かせた。おれはこういう小説を書きたいと思っている、とだいたいのプランを語って、うまく行けば売れるかも知れないよ、書きだしはこんな工合ぐあいだ、と彼はたったいま書いて来た五六行の文章を、ほおをあからめながらひくく言いだしたのである。彼は、いつでも自分の文章をすべて暗記しているのだそうである。洋画家は、れいの眉をふるわせつつ、それはいいとどもるようにして言った。それだけでたくさんなのに、らないことをせかせか、つぎからつぎとしゃべりはじめた。虚無きょむ主義者の神への揶揄やゆであるとか、小人の英雄えいゆうへの反抗であるとか、それから、彼にはいまもってなんのことやら訳がわからぬのであるが、観念の幾何学きかがく的構成であるとさえ言った。彼にとっては、ただこの友人が、それはいい、おれもそんな風の便りがしいよ、と言って呉れたら満足だったのである。批評を忘れようとして、ことさらに、「風の便り」などというロマンチックな題材をえらんだはずである。それを、この心なき洋画家に観念の幾何学的構成だとかなんだとか、新聞の一行知識めいたみょうな批評をされて、彼はすぐ、これは危いと思った。まごまごして、彼もその批評の遊戯ゆうぎさそいこまれたなら、「風の便り」も、このあと書きつづけることができなくなる。危い。男は、その友人のもとからそこそこにひきあげたという。

10

そのまま、すぐうちへ帰るのも工合ぐあいがわるいし、彼はその足で、古本屋へむかった。みちみち男は考える。うんといい便りにしよう。第一の通信は、葉書にしよう。少女からの便りである。短い文章で、そのなかには、主人公をいたわりたい心がいっぱいにあふれているようなそんな便りにしたい。「私、べつに悪いことをするのではありませんから、わざと葉書にかきます。」という書きだしはどうだろう。主人公が元旦にそれを受けとるのだから、いちばんおしまいに、「忘れていました。新年おめでとうございます。」と小さく書き加えてあることにしよう。すこし、とぼけすぎるかしら。

11

男は夢みるような心地で街をあるいている。自動車に二度もひかれそこなった。

12

第二の通信は、主人公がひところはやりの革命運動をして、牢屋ろうやにいれられたとき、そのとき受けとることにしよう。「彼が大学へはいってからは、小説に心をそそられなかった。」とはじめから断って置こう。主人公はもはや第一の通信を受けとるまえに、文豪ぶんごうになりそこねて痛い目にっているのだから。男は、もう、そのときの文章を胸のなかに組立てはじめた。「文豪として名高くなることは、いまの彼にとって、ゆめのゆめだ。小説を書いて、たとえばそれが傑作けっさくとして世に喧伝けんでんされ、有頂天うちょうてん歓喜かんきを得たとしても、それは一瞬いっしゅんのよろこびである。おのれの作品に対する傑作の自覚などあり得ない。はかない一瞬間の有頂天がほしくて、五年十年の屈辱くつじょくの日を送るということは、彼には納得なっとくできなかった。」どうやら演説くさくなったな。男はひとりで笑いだした。「彼にはただ、情熱のもっとも直截ちょくせつなはけ口が欲しかったのである。考えることよりも、うたうことよりも、だまってのそのそ実行したほうがほんとうらしく思えた。ゲエテよりもナポレオン。ゴリキイよりもレニン。」やっぱり少し文学くさい。この辺の文章には、文学のブの字もなくしなければいけないのだ。まあ、いいようになるだろう。あまり考えすごすと、また書けなくなる。つまり、この主人公は、銅像になりたく思っているのである。このポイントさえはずさないようにして書いたなら、しくじることはあるまい。それから、この主人公が牢屋ろうやで受けとる通信であるが、これは長い長い便りにするのだ。われに策あり。たとえ絶望の底にいる人でも、それを読みさえすれば、もういちど陣営じんえいをたて直そうという気が起らずにはすまぬ。しかも、これは女文字で書かれた手紙だ。「ああ。様という字のこの不器用なくずしかたに、彼は見覚えがあったのである。五年前の賀状を思い出したのであった。」

13

第三の通信は、こうしよう。これは葉書でも手紙でもない、まったく異様な風の便りにしよう。通信文のおれの腕前うでまえは、もう見せてあるから、なにか目さきの変ったものにするのだ。銅像になりそこねた主人公は、やがて平凡へいぼんな結婚をして、サラリイマンになるのであるが、これは、うちの勤人の生活をそのまま書いてやろう。主人公が家庭に倦怠けんたいを感じはじめている矢先。冬の日曜の午後あたり、主人公は縁側えんがわへ出て、煙草たばこをくゆらしている。そこへ、ほんとうに風とともに一葉の手紙が、彼の手許てもとへひらひら飛んで来た。「彼はそれに眼をとめた。妻がふるさとの彼の父へ林檎りんごが着いたことを知らせにしたためた手紙であった。投げて置かないで、すぐ出すといい。そうつぶやきつつ、ふと首をかしげた。ああ。様という字のこの不器用なくずしかたに彼は見覚えがあったのである。」このような空想的な物語を不自然でなく書くのには、燃える情熱がるらしい。こんな奇遇きぐうの可能を作者自身が、まじめに信じていなければいけないのだ。できるかどうか、とにかくやってみよう。男は、いきおいこんで古本屋にはいったのである。

14

ここの古本屋には、「チエホフ書簡しょかん集」と「オネーギン」があるはずだ。この男が売ったのだから。彼はいま、その二冊を読みかえしたく思って、この古本屋へ来たわけである。「オネーギン」にはタチアナのよい恋文がある。二冊とも、まだ売れずにいた。さきに「チエホフ書簡集」をたなからとりだして、そちこちページをひっくりかえしてみたが、あまり面白おもしろくなかった。劇場とか病気とかいう言葉にみちみちているのであった。これは「風の便り」の文献ぶんけんになり得ない。傲岸不遜ごうがんふそんのこの男は、つぎに「オネーギン」を手にとって、その恋文の条を捜した。すぐさがしあてた。彼の本であったのだから。「わたしがあなたにお手紙を書くそのうえ何をつけたすことがいりましょう。」なるほど、これでいいわけだ。簡明である。タチアナは、それから、神様のみこころ、夢、おもかげ、ささやき、憂愁ゆうしゅう、まぼろし、天使、ひとりぼっち、などという言葉を、おくめんもなく並べたてている。そうしてむすびには、「もうこれで筆をおきます。読み返すのもおそろしい、羞恥しゅうちの念と、恐怖きょうふの情で、消えもいりたい思いがします。けれども私は、高潔無比のお心をあてにしながら、ひと思いに私の運を、あなたのお手にゆだねます。タチアナより。オネーギン様。」こんな手紙がほしいのだ。はっと気づいて巻を閉じた。危険だ。影響えいきょうを受ける。いまこれを読むと害になる。はて。また書けなくなりそうだ。男は、あたふたと家へかえって来たのである。

15

家へ帰り、いそいで原稿げんこう用紙をひろげた。安楽な気持で書こう。あまさや通俗つうぞくを気にせず、らくらくと書きたい。ことに彼の旧稿「通信」という短編は、さきにも言ったように、言わば新作家の出世物語なのであるから、第一の通信を受けとるまでの描写びょうしゃは、そっくり旧稿を書きうつしてもいいくらいなのであった。男は、煙草たばこを二三本つづけざまに吸ってから、自信ありげにペンをつまみあげた。にやにやと笑いだしたのである。これはこの男のひどく困ったときの仕草らしい。彼はひとつの難儀なんぎをさとったのである。文章についてであった。旧稿の文章は、たけりたけって書かれている。これはどうしたって書き直さねばなるまい。こんな調子では、ひともおのれも楽しむことができない。だいいち、ていさいがわるい。めんどうくさいが、これは書き改めよう。虚栄心きょえいしんのつよい男はそう思って、しぶしぶ書き直しはじめた。

16

わかい時分には、誰しもいちどはこんな夕を経験するものである。彼はその日のくれがた、街にさまよい出て、突然とつぜんおどろくべき現実を見た。彼は、街を通るひとびとがことごとく彼の知合いだったことに気づいた。師走しわすちかい雪の街は、にぎわっていた。彼はせわしげに街をき来するひとびとへいちいち軽い会釈えしゃくをして歩かねばならなかった。とある裏町の曲り角で思いがけなく女学生の一群と出会であったときなど、彼はほとんど帽子ぼうしをとりそうにしたほどであった。

17

彼はそのころ、北方の或る城下まちの高等学校で英語と独逸ドイツ語とを勉強していた。彼は英語の自由作文がうまかった。入学して、ひとつきも経たぬうちに、その自由作文でクラスの生徒たちをびっくりさせた。入学早々、ブルウル氏という英人の教師が、What is Real Happiness? ということについて生徒へその所信を書くよう命じたのである。ブルウル氏は、その授業はじめに、My Fairyland という題目でいっぷう変った物語をして、そのあくる週には、The Real Cause of War について一時間主張し、おとなしい生徒を戦慄せんりつさせ、やや進歩的な生徒を狂喜きょうきさせた。文部省がこのような教師をやといいれたことは手柄てがらであった。ブルウル氏は、チエホフに似ていた。鼻眼鏡はなめがねけ短い顎鬚あごひげを内気らしくやし、いつもまぶしそうに微笑ほほえんでいた。英国の将校であるとも言われ、名高い詩人であるとも言われ、けているようであるが、あれでまだ二十代だとも言われ、軍事探偵たんていであるとも言われていた。そのように何やら神秘めいた雰囲気ふんいきが、ブルウル氏をいっそう魅惑みわく的にした。新入生たちはすべて、この美しい異国人に愛されようとひそかにいのった。そのブルウル氏が、三週間目の授業のとき、だまってボオルドに書きなぐった文字がWhat is Real Happiness ? であった。いずれはふるさとの自慢じまんの子、えらばれた秀才しゅうさいたちは、この輝かしい初陣に、腕によりをかけた。彼もまた、罫紙けいしちりをしずかにきはらってから、おもむろにペンを走らせた。Shakespeare said , " ――流石さすがにおおげさすぎると思った。顔をあからめながら、ゆっくり消した。右から左から前から後から、ペンの走る音がひくく聞えた。彼は頬杖ほおづえついて思案にくれた。彼は書きだしにるほうであった。どのような大作であっても、書きだしの一行で、もはやその作品の全部の運命が決するものだと信じていた。よい書きだしの一行ができると、彼は全部を書きおわったときと同じようにぼんやりした間抜まぬけ顔になるのであった。彼はペン先をインクのつぼにひたらせた。なおすこし考えて、それからいきおいよく書きまくった。Zenzo Kasai, one of the most unfortunate Japanese novelists at present, said , " ――葛西かさい善蔵は、そのころまだ生きていた。いまのように有名ではなかった。一週間すぎて、ふたたびブルウル氏の時間が来た。お互いにまだ友人になりきれずにいる新入生たちは、教室のおのおのの机に座ってブルウル氏を待ちつつ、敵意に燃えるひとみ煙草たばこのけむりのかげからひそかに投げつけ合った。寒そうに細いかたをすぼませて教室へはいって来たブルウル氏は、やがてほろにがく微笑ほほえみつつ、不思議なアクセントでひとつの日本の姓名せいめいつぶやいた。彼の名であった。彼はたいぎそうにのろのろと立ちあがった。頬がまっかだった。ブルウル氏は、彼の顔を見ずに言った。Most Excellent! 教壇きょうだんをあちこち歩きまわりながらうつむいて言いつづけた。Is this essay absolutely original ? 彼はまゆをあげて答えた。Of course. クラスの生徒たちは、どっと奇怪きっかい喚声かんせいをあげた。ブルウル氏は蒼白そうはくの広い額をさっとあからめて彼のほうを見た。すぐ眼をふせて、鼻眼鏡はなめがねを右手で軽くおさえ、If it is, then it shows great promise and not only this, but shows some brain behind it. と一語ずつ区切ってはっきり言った。彼は、ほんとうの幸福とは、外から得られぬものであって、おのれが英雄えいゆうになるか、受難者になるか、その心構えこそほんとうの幸福に接近するかぎである、という意味のことを言い張ったのであった。彼のふるさとの先輩せんぱい葛西善蔵の暗示的な述懐じゅっかいをはじめに書き、それを敷衍ふえんしつつ筆をすすめた。彼は葛西善蔵といちどもったことがなかったし、また葛西善蔵がそのような述懐をもらしていることも知らなかったのであるが、たとえうそでも、それができてあるならば、葛西善蔵はきっと許してくれるだろうと思ったのである。そんなことから、彼はクラスのちょうを一身にあつめた。わかい群集は英雄の出現に敏感びんかんである。ブルウル氏は、それからも生徒へつぎつぎとよい課題を試みた。Fact and Truth. The Ainu. A Walk in the Hills in Spring. Are We of Today Really Civilised ? 彼は力いっぱいにうでをふるった。そうしていつもかなりに報いられるのであった。若いころの名誉心はくことを知らぬものである。そのとしの暑中休暇きゅうかには、彼は見込みこみある男としてのほこりを肩に示して帰郷した。彼のふるさとは本州の北端ほくたんの山のなかにあり、彼の家はその地方で名の知られた地主であった。父は無類のおひとよしのくせ悪辣あくらつぶりたがる性格を持っていて、そのひとりむすこである彼にさえ、わざと意地わるくかかっていた。彼がどのようなしくじりをしても、せせら笑って彼を許した。そしてわきを向いたりなどしながら言うのであった。人間、気のきいたことをせんと。そうつぶやいてから、さもけ目のない男のようにふいと全くちがった話を持ちだすのである。彼はずっと前からこの父をきらっていた。虫が好かないのだった。幼いときから気のきかないことばかりやらかしていたからでもあった。母はだらしのないほど彼を尊敬していた。いまにきっとえらいものになると信じていた。彼が高等学校の生徒としてはじめて帰郷したときにも、母はまず彼の気むずかしくなったのにおどろいたのであったけれど、しかし、それを高等教育のせいであろうと考えた。ふるさとに帰った彼は、なまけてなどいなかった。くらから父の古い人名辞典を見つけだし、世界の文豪ぶんごうの略歴をしらべていた。バイロンは十八歳で処女詩集を出版している。シルレルもまた十八歳、「群盗ぐんとう」に筆を染めた。ダンテは九歳にして「新生」の腹案を得たのである。彼もまた。小学校のときからその文章をうたわれ、いまは知識ある異国人にさえ若干じゃっかんの頭脳を認められている彼もまた。家の前庭のおおきいくりの木のしたにテエブルと椅子いすを持ちだし、こつこつと長編小説を書きはじめた。彼のこのようなしぐさは、自然である。それについては諸君にも心あたりがないとは言わせぬ。題を「つる」とした。天才の誕生からその悲劇的な末路にいたるまでの長編小説であった。彼は、このようにおのれの運命をおのれの作品で予言することが好きであった。書きだしには苦労をした。こう書いた。――男がいた。四つのとき、彼の心のなかに野性の鶴が巣くった。鶴は熱狂ねっきょう的に高慢こうまんであった。云々うんぬん。暑中休暇きゅうかがおわって、十月のなかば、みぞれの降る夜、ようやく脱稿だっこうした。すぐまちの印刷所へ持って行った。父は、彼の要求どおりにだまって二百円送ってよこした。彼はその書留を受けとったとき、やはり父の底意地のわるさをにくんだ。しかるなら叱るでいい、太腹らしく黙って送って寄こしたのが気にくわなかった。十二月のおわり、「鶴」は菊半裁判、百余頁の美しい本となって彼の机上きじょうに高く積まれた。表紙には、わしに似たみょうな鳥がところせましとつばさをひろげていた。まず、その県のおもな新聞社へ署名して一部ずつ贈呈ぞうていした。一朝めざむればわが名は世に高いそうな。彼には、一刻が百年千年のように思われた。五部十部と街じゅうの本屋にくばって歩いた。ビラをった。鶴を読め、鶴を読めと激しい語句をいっぱい刷りんだ五寸平方ほどのビラを、のりのたっぷりはいったバケツと一緒いっしょに両手でかかえ、わかい天才は街の隅々すみずみまでけずり回った。

18

そんな訳ゆえ、彼はその翌日から町中のひとたちと知合いになってしまったのに何の不思議もなかったはずである。

19

彼はなおも街をぶらぶら歩きながら、誰かれとなくすべてのひとと目礼を交した。運わるく彼の挨拶あいさつがむこうの不注意からそのひとに通じなかったときや、彼が昨晩ほね折ってりつけたばかりの電柱のビラが無慙むざんにもぎとられているのを発見するときには、ことさらに仰山ぎょうさんなしかめつらをするのであった。やがて彼は、そのまちでいちばん大きい本屋にはいって、つるが売れるかと、小僧こぞうに聞いた。小僧は、まだ一部も売れんです、とぶあいそに答えた。小僧は彼こそ著者であることを知らぬらしかった。彼はしょげずに、いやこれから売れると思うよ、となにげなさそうに予言して置いて、本屋を立ち去った。その夜、彼は、流石さすが幾分いくぶんわずらわしくなった例の会釈えしゃくを繰り返しつつ、学校のりょうに帰って来たのである。

20

それほどかがやかしい人生の門出の、第一夜に、鶴は早くもはずかしめられた。

21

彼が夕食をとりに寮の食堂へ、ひとあし踏みこむや、わっという寮生たちの異様な喚声かんせいを聞いた。彼等の食卓しょくたくで「鶴」が話題にされていたにちがいないのである。彼はつつましげに伏目ふしめをつかいながら、食堂のすみ椅子いすこしをおろした。それから、ひくくせきばらいしてカツレツの皿をつついたのである。彼のすぐ右側に座っていた寮生がいちまいの夕刊を彼のほうへのべて寄こした。五六人さきの寮生から順々に手わたしされて来たものらしい。彼はカツレツをゆっくりみ返しつつ、その夕刊へぼんやり眼を転じた。「鶴」という一字が彼の眼を射た。ああ。おのれの処女作の評判をはじめて聞く、このつきさされるようなおののき。彼は、それでも、あわててその夕刊を手にとるようなことはしなかった。ナイフとフオクでもってカツレツを切りきながら、落ちついてその批評を、ちらちらはしり読みするのであった。批評は紙面のひだりの隅に小さく組まれていた。

22

――この小説は徹頭徹尾てっとうてつび観念的かんねんてきである。肉体のある人物がひとりとしてえがかれていない。すべて、すり硝子ガラス越しに見えるゆがんだ影法師かげぼうしである。ことに主人公の思いあがった奇々怪々ききかいかいの言動は、落丁の多いエンサイクロペジアと全く似ている。この小説の主人公は、あしたにはゲエテを気取り、ゆうべにはクライストを唯一ゆいいつの教師とし、世界中のあらゆる文豪ぶんごうのエッセンスを持っているのだそうで、その少年時代にひとめ見た少女を死ぬほどしたい、青年時代にふたたびその少女とめぐりい、げろの出るほど嫌悪けんおするのであるが、これはいずれバイロンきょうあたりの翻案ほんあんであろう。しかも稚拙ちせつな直訳である。だいいち作者は、ゲエテをもクライストをもただ型としての概念でだけ了解りょうかいしているようである。作者は、ファウストの一ページも、ペンテズイレエアの一幕も、おそらくは、読んだことがないのではあるまいか。失礼。ことにこの小説の末尾には、毛をむしられた鶴のばさばさした羽ばたきの音を描写びょうしゃしているのであるが、作者は或いはこの描写に依って、読者に完璧かんぺきの印象を与え、傑作けっさく眩惑げんわくを感じさせようとしたらしいが、私たちは、ただ、この畸形きけい的なつるみにくさに顔をそむけるばかりである。

23

彼はカツレツを切りきざんでいた。平気に、平気に、と心掛こころがければ心掛けるほど、おのれの動作がへまになった。完璧かんぺきの印象。傑作けっさく眩惑げんわく。これが痛かった。声たてて笑おうか。ああ。顔をせたままの、そのときの十分間で、彼は十年も年老いた。

24

この心なき忠告は、いったいどんな男がして呉れたものか、彼にもいまもって判らぬのだが、彼はこの屈辱くつじょくをくさびとして、さまざまの不幸に遭遇そうぐうしはじめた。ほかの新聞社もやっぱり「鶴」をほめては呉れなかったし、友人たちもまた、世評どおりに彼をあしらい、彼を呼ぶに鶴という鳥類の名でもってした。わかい群集は、英雄えいゆう失脚しっきゃくにも敏感びんかんである。本ははずかしくて言えないほど僅少きんしょうの部数しか売れなかった。街をとおる人たちは、もとよりあかの他人にちがいなかった。彼は毎夜毎夜、まちの辻々つじつじのビラをひそかにいで回った。

25

長編小説「鶴」は、その内容の物語とおなじく悲劇的な結末を告げたけれど、彼の心のなかに巣くっている野性の鶴は、それでも、なまなまとつばさをのばし、芸術の不可解をたんじたり、生活の倦怠けんたいかこったり、その荒涼こうりょうの現実のなかで思うさま懊悩呻吟おうのうしんぎんすることを覚えたわけである。

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ほどなく冬季休暇きゅうかにはいり、彼はいよいよ気むずかしくなって帰郷した。眉根まゆねに寄せられたしわも、どうやら彼に似合って来ていた。母はそれでも、れいの高等教育を信じて、彼をほれぼれとながめるのであった。父はその悪辣あくらつぶった態度でもって彼をむかえた。善人どうしは、とかくにくしみ合うもののようである。彼は、父の無言のせせら笑いのかげに、あの新聞の読者を感じた。父も読んだにちがいなかった。たかが十行か二十行かの批評の活字がこんな田舎いなかにまで毒を流しているのを知り、彼は、おのれのからだを岩か牝牛めうしにしたかった。

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そんな場合、もし彼が、つぎのような風の便りを受けとったとしたなら、どうであろう。やがて、ふるさとで十八のとしを送り、十九歳になった元旦、眼をさましてふと枕元まくらもとに置かれてある十枚ほどの賀状に眼をとめたというのである。そのうちのいちまい、差出人の名も記されてないこれは葉書。

28

――私、べつに悪いことをするのでないから、わざと葉書に書くの。またそろそろおしょげになって居られるころと思います。あなたは、ちょっとしたことにでも、すぐおしょげなさるから、私、あんまり好きでないの。ほこりをうしなった男のすがたほどきたないものはないと思います。でもあなたは、けっして御自身をいじめないで下さいませ。あなたには、わるものへ手むかう心と、情にみちた世界をもとめる心とがおありです。それは、あなたがだまっていても、遠いところにいる誰かひとりがきっと知って居ります。あなたは、ただすこし弱いだけです。弱い正直なひとをみんなでかばってだいじにしてやらなければいけないと思います。あなたはちっとも有名でありませんし、また、なんの肩書かたがきをもお持ちでございません。でも私、おとといギリシャの神話を二十ばかり読んで、たのしい物語をひとつ見つけたのです。おおむかし、まだ世界の地面は固って居らず、海は流れて居らず、空気は透きとおって居らず、みんなまざり合って渾沌こんとんとしていたころ、それでも太陽は毎朝のぼるので、或る朝、ジューノーの侍女のにじの女神アイリスがそれを笑い、太陽どの、太陽どの、毎朝ごくろうね、下界にはあなたをあおぎ見たてまつる草一本、泉ひとつないのに、と言いました。太陽は答えました。わしはしかし太陽だ。太陽だからのぼるのだ。見ることのできるものは見るがよい。私、学者でもなんでもないの。これだけ書くのにも、ずいぶん考えたし、なんどもなんども下書しました。あなたがよい初夢とよい初日出をごらんになって、もっともっと生きることに自信をお持ちなさるよういのっているもののあることを、お知らせしたくて一生懸命けんめいに書きました。こんなことを、だしぬけに男のひとに書いてやるのは、たしなみなくて、わるいことだと思います。でも私、はずかしいことは、なんにも書きませんでした。私、わざと私の名前を書かないの。あなたはいまにきっと私をお忘れになってしまうだろうと思います。お忘れになってもかまわないの。おや、忘れていました。新年おめでとうございます。元旦。 (風の便りはここで終らぬ。)

29

あなたは私をおだましなさいました。あなたは私に、第二、第三の風の便りをも書かせると約束して置きながら、たっぷり葉書二枚ぶんのおかしな賀状の文句を書かせたきりで、私を死なせてしまうおつもりらしゅうございます。れいのご深遠なご吟味ぎんみをまたおはじめになったのでございましょうか。私、こんなになるだろうということは、はじめから知っていました。でも私、ひょっとするとあの霊感れいかんとやらがあらわれて、どうやら私を生かしきることができるのではないかしら、とあなたのためにも私のためにもそればかりを祈っていました。やっぱり駄目だめなのね。まだお若いからかしら。いいえ、なんにもおっしゃいますな。いくさに負けた大将は、だまっているものだそうでございます。人の話にりますと「ヘルマンとドロテア」も「野鴨のがも」も「あらし」も、みんなその作者の晩年に書かれたものだそうでございます。ひとにいこいを与え、光明を投げてやるような作品を書くのに才能だけではいけないようです。もしも、あなたがこれから十年二十年とこのにくさげな世のなかにどうにかして炬火たいまつきどりで生きとおして、それから、もいちど忘れずに私をお呼びくだされたなら、私、どんなにうれしいでしょう。きっときっと参ります。約束してよ。さようなら。あら、あなたはこの原稿げんこうを破るおつもり? およしなさいませ。このような文学に毒された、もじり言葉の詩とでもいったような男が、もし小説を書いたとしたなら、まずざっとこんなものだと素知らぬふりして書き加えでもして置くと、案外、世のなかのひとたちは、あなたの私を殺しっぷりがいいと言って、喝采かっさいを送るかも知れません。あなたのよろめくおすがたがさだめし大受けでございましょう。そしておかげで私の指さきもそれから足も、もう三秒とたたぬうちに、みるみる冷くなるでございましょう。ほんとうは怒っていないの。だってあなたはわるくないし、いいえ、理屈りくつはないんだ。ふっと好きなの。あああ。あなた、仕合せは外から? さようなら、坊ちゃん。もっと悪人におなり。

30

男は書きかけの原稿用紙に目を落してしばらく考えてから、題を猿面冠者さるめんかんじゃとした。それはどうにもならないほどしっくり似合った墓標である、と思ったからであった。




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変更終了:平成14年2月