葉

       太宰 治

        えらばれてあることの
        恍惚こうこつと不安と
        二つわれにあり
                ヴェルレエヌ

1

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反いったんもらった。お年玉としてである。着物の布地はあさであった。ねずみ色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

2

ノラもまた考えた。廊下ろうかへ出てうしろのとびらをばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。

3

私がわるいことをしないで帰ったら、妻は笑顔をもってむかえた。

4

その日その日を引きずられて暮しているだけであった。下宿屋で、たった独りして酒を飲み、独りでい、そうしてこそこそ蒲団ふとんを延べて寝る夜はことにつらかった。夢をさえ見なかった。つかれ切っていた。何をするにも物憂ものうかった。「り便所は如何いかに改善すべきか?」という書物を買って来て本気に研究したこともあった。彼はその当時、従来の人糞じんぷんの処置には可成かなりまいっていた。

5

新宿の歩道の上で、こぶしほどの石塊いしころがのろのろって歩いているのを見たのだ。石が這って歩いているな。ただそう思うていた。しかし、その石塊は彼のまえを歩いている薄汚うすぎたない子供が、糸で結んで引摺ひきずっているのだということが直ぐに判った。

6

子供にあざむかれたのがさびしいのではない。そんな天変地異をも平気で受け入れ得た彼自身の自棄やけが淋しかったのだ。

7

そんなら自分は、一生涯しょうがいこんな憂鬱ゆううつと戦い、そうして死んで行くということに成るんだな、と思えばおのが身がいじらしくもあった。青い稲田いなだが一時にぽっとかすんだ。泣いたのだ。彼は狼狽うろたえだした。こんな安価な殉情じゅんじょう的な事柄ことがらなみだを流したのが少しはずかしかったのだ。

8

電車から降りるとき兄は笑うた。 「馬鹿ばかにしょげてるな。おい、元気を出せよ。」

9

そうして竜の小さなかた扇子せんすでポンとたたいた。夕闇ゆうやみのなかでその扇子がおそろしいほど白っぽかった。竜はほおのあからむほどうれしくなった。兄に肩をたたいてもらったのが有難ありがたかったのだ。いつもせめて、これぐらいにでも打ち解けて呉れるといいが、と果敢はかなくも願うのだった。

10

訪ねる人は不在であった。

11

兄はこう言った。「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百ペ―ジ雰囲気ふんいきをこしらえている。」私は言いにくそうに、考え考えしながら答えた。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば。」

12

また兄は、自殺をいい気なものとしてきらった。けれども私は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、兄のこの言葉を意外に感じた。

13

白状し給え。え? 誰の真似なの?

14

水到みずいたりて渠成きょなる。

15

彼は十九歳の冬、「哀蚊あわれが」という短編を書いた。それは、よい作品であった。同時に、それは彼の生涯しょうがい混沌こんとんを解くだいじなかぎとなった。形式には、「ひな」の影響えいきょうが認められた。けれども心は、彼のものであった。原文のまま。

16

おかしな幽霊ゆうれいを見たことがございます。あれは、私が小学校にあがって間もなくのことでございますから、どうせ幻灯げんとうのようにとろんとかすんでいるにちがいございませぬ。いいえ、でも、その青蚊帳あおがやに写した幻灯のような、ぼやけた思い出が奇妙きみょうにも私には年一年と愈々いよいよはっきりして参るような気がするのでございます。

17

なんでも姉様がお婿むこをとって、あ、ちょうどその晩のことでございます。御祝言ごしゅうげんの晩のことでございました。芸者衆がたくさん私の家に来て居りまして、ひとりのお綺麗きれい半玉はんぎょくさんに紋付もんつきほころびをって貰ったりしましたのを覚えて居りますし、父様が離座敷はなれの真暗な廊下ろうかで背のお高い芸者衆とお相撲すもうをお取りになっていらっしゃったのもあの晩のことでございました。父様はその翌年おくなりになられ、今では私の家の客間の壁の大きな御写真のなかに、おはいりになって居られるのでございますが、私はこの御写真を見るたびごとに、あの晩のお相撲すもうのことを必ず思い出すのでございます。私の父様は、弱い人をいじめるようなことは決してなさらないお方でございましたから、あのお相撲も、きっと芸者衆が何かひどくいけないことをなしたので父様はそれをおこらしめになっていらっしゃったのでございましょう。

18

それやこれやと思い合せて見ますと、確かにあれは御祝言ごしゅうげんの晩にちがいございませぬ。ほんとうに申し訳がございませぬけれど、なにもかも、まるで、青蚊帳あおがや幻灯げんとうのような、そのような有様でございますから、どうで御満足の行かれますようお話ができかねるのでございます。てもなく夢物語、いいえ、でも、あの晩に哀蚊あわれがの話を聞かせて下さったときの婆様の御めめと、それから、幽霊ゆうれい、とだけは、あれだけは、どなたがなんと仰言おっしゃったとて決して決して夢ではございませぬ。夢だなぞとおろかなこと、もうこれ、こんなにまざまざ眼先まなさきうかんで参ったではございませんか。あの婆様の御めめと、それから。

19

さようでございます。私の婆様ほどお美しい婆様もそんなにあるものではございませぬ。昨年の夏お没くなりになられましたけれど、その御死顔と言ったら、すごいほど美しいとはあれでございましょう。白蝋はくろうの御両ほおには、あの夏木立のかげも映らんばかりでございました。そんなにお美しくていらっしゃるのに、えん遠くて、一生鉄漿かねをお付けせずにお暮しなさったのでございます。 「わしという万年白歯をえさにして、この百万の身代ができたのじゃぞえ。」

20

富本とみもとでこなれたしぶい声で御生前よくこう言い言いして居られましたから、いずれこれには面白い因縁いんねんでもあるのでございましょう。どんな因縁なのだろうなどと野暮なおさぐりはおしなさいませ。婆様がお泣きなさるでございましょう。と申しますのは、私の婆様は、それはそれはいきなお方で、ついに一度も縮緬ちりめん縫紋ぬいもんの御羽織をお離しになったことがございませんでした。お師匠ししょうをお部屋へお呼びなされて富本のお稽古けいこをお始めになられたのも、よほど昔からのことでございましたでしょう。私なぞも物心地が付いてからは、日がな一日、婆様の老松おいまつやら浅間あさまやらのむせび泣くような哀調あいちょうのなかにうっとりしているときがままございました程で、世間様から隠居いんきょ芸者とはやされ、婆様御自身もそれをお耳にしては美しくお笑いになって居られたようでございました。いかなることか、私は幼いときからこの婆様が大好きで、乳母うばから離れるとすぐ婆様の御ふところに飛びんでしまったのでございます。もっとも私の母様は御病身でございましたゆえ、子供には余り構うて呉れなかったのでございます。父様も母様も婆様のほんとうの御子ではございませぬから、婆様はあまり母様のほうへお遊びに参りませず四六時中、離座敷はなれのお部屋にばかりいらっしゃいますので、私も婆様のお傍にくっついて三日も四日も母様のお顔を見ないことはめずらしゅうございませんでした。それゆえ婆様も、私の姉様なぞよりずっと私のほうを可愛がって下さいまして、毎晩のように草双紙くさぞうしを読んで聞かせて下さったのでございます。なかにも、あれあの八百屋お七の物語を聞いたときの感激は私は今でもしみじみ味うことができるのでございます。そしてまた、婆様がおたわむれに私を「吉三きちざ」「吉三」とお呼びになって下さった折のそのうれしさ。らんぷの黄色い灯火ともしびの下でしょんぼり草双紙をお読みになっていらっしゃる婆様のお美しい御姿、左様、私はことごとくよく覚えているのでございます。

21

とりわけあの晩の哀蚊あわれがの御寝物語は、不思議と私には忘れることができないのでございます。そう言えばあれは確かに秋でございました。 「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻かいぶしはかぬもの。不憫ふびんゆえにな。」

22

ああ、一言一句そのまんま私は記憶して居ります。婆様は寝ながら滅入めいるような口調でそう語られ、そうそう、婆様は私を抱いてお寝になられるときには、きまって私の両足を婆様のおあしのあいだにはさんで、温めて下さったものでございます。或る寒い晩なぞ、婆様は私の寝巻をみんなおぎとりになっておしまいになり、婆様御自身も輝くほどお綺麗きれいな御素肌すはだをおむきだし下さって、私を抱いてお寝になりおあたためなされてくれたこともございました。それほど婆様は私を大切にしていらっしゃったのでございます。 「なんの。哀蚊はわしじゃがな。はかない……」

23

仰言おっしゃりながら私の顔をつくづくと見まもりましたけれど、あんなにお美しい御めめもないものでございます。母屋おもやの御祝言しゅうげんさわぎも、もうひっそり静かになっていたようでございましたし、なんでも真夜中ちかくでございましたでしょう。秋風がさらさらと雨戸をでて、のき風鈴ふうりんがその度毎たびごとに弱弱しく鳴って居りましたのもかすかに思いだすことができるのでございます。ええ、幽霊ゆうれいを見たのはその夜のことでございます。ふっと目をさましまして、おしっこ、と私は申しましたのでございます。婆様の御返事がございませんでしたので、寝ぼけながらあたりを見回しましたけれど、婆様はいらっしゃらなかったのでございます。心細く感じながらも、ひとりでそっととこからけ出しまして、てらてら黒光りのする欅普請けやきぶしんの長い廊下ろうかをこわごわおかわやのほうへ、足の裏だけは、いやに冷や冷やして居りましたけれど、なにさま眠くって、まるで深いきりのなかをゆらりゆらり泳いでいるような気持ち、そのときです。幽霊ゆうれいを見たのでございます。長い長い廊下ろうか片隅かたすみに、白くしょんぼりうずくまって、かなり遠くから見たのでございますから、ふいるむのように小さく、けれども確かに、確かに、姉様と今晩の御婿おむこ様とがお寝になって居られるお部屋をのぞいているのでございます。幽霊、いいえ、夢ではございませぬ。

24

芸術の美は所詮しょせん、市民への奉仕ほうしの美である。

25

花きちがいの大工がいる。邪魔じゃまだ。

26

それから、まち子は目をせてこんなことをささやいた。 「あの花の名を知っている? 指をふれればぱちんとわれて、きたないしるをはじきだし、みるみる指をくさらせる、あの花の名が判ったらねえ。」

27

僕はせせら笑い、ズボンのポケットヘ両手をつっんでから答えた。 「こんなの名を知っている? その葉は散るまで青いのだ。葉の裏だけがじりじりれて虫に食われているのだが、それをこっそりかくして置いて、散るまで青いふりをする。あの樹の名さえ判ったらねえ。」 「死ぬ? 死ぬのか君は?」

28

ほんとうに死ぬかも知れないと小早川は思った。去年の秋だったかしら、なんでも青井の家に小作争議が起ったりしていろいろのごたごたが青井の一身上にりかかったらしいけれど、そのときも彼は薬品の自殺をくわだて三日も昏睡こんすいし続けたことさえあったのだ。またついせんだっても、僕がこんなに放蕩ほうとうをやめないのもつまりは僕の身体がまだ放蕩にるからであろう。去勢されたような男にでもなれば僕は始めて一切の感覚的快楽をさけて、闘争への財政的扶助ふじょに専心できるのだ、と考えて、三日ばかり続けてP市の病院に通い、その伝染病舎の傍の泥溝どぶの水をすくって飲んだものだそうだ。けれどもちょっと下痢げりをしただけで失敗さ、とそのことを後で青井がほおあからめて話すのを聞き、小早川は、そのインテリくさ遊戯ゆうぎをこのうえなく不愉快ふゆかいに感じたが、しかし、それほどまでに思いつめた青井の心が、少からず彼の胸を打ったのも事実であった。 「死ねば一番いいのだ。いや、僕だけじゃない。少くとも社会の進歩にマイナスの働きをなしている奴等やつらは全部、死ねばいいのだ。それとも君、マイナスの者でもなんでも人はすべて死んではならぬという科学的な何か理由があるのかね。」 「ば、ばかな。」

29

小早川には青井の言うことが急にばからしくなって来た。 「笑ってはいけない。だって君、そうじゃないか。祖先を祭るために生きていなければならないとか、人類の文化を完成させなければならないとか、そんなたいへんな倫理的な義務としてしか僕たちは今まで教えられていないのだ。なんの科学的な説明も与えられていないのだ。そんなら僕たちマイナスの人間は皆、死んだほうがいいのだ。死ぬとゼロだよ。」 「馬鹿! 何を言っていやがる。どだい、君、虫が好すぎるぞ。それは成る程、君も僕もぜんぜん生産にあずかっていない人間だ。それだからとて、決してマイナスの生活はしていないと思うのだ。君はいったい、無産階級の解放を望んでいるのか。無産階級の大勝利を信じているのか。程度の差はあるけれども、僕たちはブルジョアジイに寄生している。それは確かだ。だがそれはブルジョアジイを支持しているのとはぜんぜん意味が違うのだ。一のプロレタリアアトヘの貢献こうけんと、九のブルジョアジイヘの貢献と君は言ったが、何を指してブルジョアジイヘの貢献と言うのだろう。わざわざ資本家のふところこやしてやる点では、僕たちだってプロレタリアアトだって同じことなんだ。資本主義的経済社会に住んでいることが裏切りなら、闘士とうしにはどんな仙人が成るのだ。そんな言葉こそウルトラというものだ。小児病キンデルクランクハイトというものだ。一のプロレタリアアトヘの貢献、それで沢山。その一が尊いのだ。その一だけの為に僕たちは頑張がんばって生きていなければならないのだ。そうしてそれが立派にプラスの生活だ。死ぬなんて馬鹿だ。死ぬなんて馬鹿だ。」

30

生れてはじめて算術の教科書を手にした。小型の、まっくろい表紙。ああ、なかの数字の羅列られつがどんなに美しく目にしみたことか。少年は、しばらくそれをいじくっていたが、やがて、巻末のペエジにすべての解答が記されているのを発見した。少年はまゆをひそめてつぶやいたのである。「無礼だなあ。」

31

外はみぞれ、何を笑うやレニン像。

32

叔母おばの言う。 「お前はきりょうがわるいから、愛嬌あいきょうだけでもよくなさい。お前はからだが弱いから、心だけでもよくなさい。お前はうそがうまいから、行いだけでもよくなさい。」

33

知っていながらその告白をいる。なんといういんけんな刑罰けいばつであろう。

34

満月のよい。光ってはくずれ、うねっては崩れ、逆巻さかまき、のた打つ波のなかで互いに離れまいとつないだ手を苦しまぎれにおれ故意わざと振り切ったとき女はたちまち波にまれて、たかく名を呼んだ。俺の名ではなかった。

35

われは山賊さんぞく。うぬがほこりをかすめとらむ。 「よもやそんなことはあるまい、あるまいけれど、な、わしの銅像をたてるとき、右の足を半歩だけ前へだし、ゆったりとそりみにして、左の手はチョッキの中へ、右の手は書き損じの原稿げんこうをにぎりつぶし、そうして首をつけぬこと。いやいや、なんの意味もない。すずめふんを鼻のあたまに浴びるなど、わしはいやなのだ。そうして台石には、こう刻んでおくれ。ここに男がいる。生れて、死んだ。一生を、書き損じの原稿を破ることに使った。」

36

メフィストフェレスは雪のように降りしきる薔薇ばらの花弁に胸をほおてのひらを焼きこがされて往生したと書かれてある。

37

留置場で五六日を過して、或る日の真昼、俺はその留置場の窓から背のびして外をのぞくと、中庭は小春の日ざしを一杯に受けて、窓ちかくの三本のなしの木はいずれもほつほつと花をひらき、そのしたで巡査じゅんさが二三十人して教練をやらされていた。わかい巡査部長の号令に従って、皆はいっせいに腰から捕縄ほじょうを出したり、呼笛を吹きならしたりするのであった。俺はその風景をながめ、巡査ひとりひとりの家について考えた。

38

私たちは山の温泉場であてのない祝言しゅうげんをした。母はしじゅうくつくつと笑っていた。宿の女中の髪のかたちが奇妙きみょうであるから笑うのだと母は弁明した。うれしかったのであろう。無学の母は、私たちをばたに呼びよせ、教訓した。お前は十六たましだから、と言いかけて、自信を失ったのであろう、もっと無学の花嫁の顔を覗き、のう、そうでせんか、と同意を求めた。母の言葉は、あたっていたのに。

39

妻の教育に、まる三年を費やした。教育、成ったころより、彼は死のうと思いはじめた。

40

病む妻や とどこおる雲 鬼すすき。

41

赤え赤え煙こあ、もくらもくらと蛇体じゃたいみたいに天さのぼっての、ふくれた、ゆららと流れた、のっそらと大浪うった、ぐるっぐるっとうずまえた、間もなくし、火の手あ、ののののとあらけなくなり、地ひびきたてたて山ばのぼり始めたずおん。山あ、てっぺらまで、まんどろに明るくなったずおん。どうどうと燃えあがる千本万本の冬木立ばい、人を乗せたまっくろい馬こあ、風みたいにせていたずおん。(ふるさとの言葉で。)

42

たった一言知らせて呉れ! "Nevermore"

43

空のあおく晴れた日ならば、ねこはどこからかやって来て、庭の山茶花さざんかのしたで居眠いねむりしている。洋画をかいている友人は、ペルシャでないか、と私に聞いた。私は、すてねこだろう、と答えて置いた。ねこは誰にもなつかなかった。ある日、私が朝食のいわしを焼いていたら、庭のねこがものうげに泣いた。私も縁側えんがわへでて、にゃあ、と言った。ねこは起きあがり、静かに私のほうへ歩いて来た。私は鰯を一尾なげてやった。ねこはげ腰をつかいながらもたべたのだ。私の胸は波うった。わが恋は容れられたり。ねこの白い毛をでたく思い、庭へおりた。背中の毛にふれるや、ねこは、私の小指の腹を骨までかりりといた。

44

役者になりたい。

45

むかしの日本橋は、長さが三十七間四尺五寸あったのであるが、いまは二十七間しかない。それだけ川はばがせまくなったものと思わねばいけない。このように昔は、川と言わず人間と言わず、いまよりはるかに大きかったのである。

46

この橋は、おおむかしの慶長けいちょう七年に始めてけられて、そののち十たびばかり作り変えられ、今のは明治四十四年に落成したものである。大正十二年の震災しんさいのときは、橋のらんかんにかざられてある青銅のりゅうつばさが、ほのおに包まれてまっかに焼けた。

47

私の幼時に愛した木版の東海道五十三次道中双六すごろくでは、ここがりだしになっていて、幾人いくにんものやっこのそれぞれ長いやりを持ってこの橋のうえを歩いている画が、のどかにかかれてあった。もとはこんなぐあいに繁華はんかであったのであろうが、いまは、たいへんさびれてしまった。魚河岸うおがし築地つきじへうつってからは、いっそう名前もすたれて、げんざいは、たいていの東京名所絵葉書から取除かれている。

48

ことし、十二月下旬の或るきりのふかい夜に、この橋のたもとで異人の女の子がたくさんの乞食こじきの群からひとり離れてたたずんでいた。花を売っていたのは此の女の子である。

49

三日ほどまえから、黄昏たそがれどきになると一束の花を持ってここへ電車でやって来て、東京市の丸い紋章もんしょうにじゃれついている青銅の唐獅子からじしの下で、三四時間ぐらいだまって立っているのである。

50

日本のひとは、おちぶれた異人を見ると、きっと白系の露西亜ロシヤ人にきめてしまうにくい習性を持っている。いま、この濃霧のうむのなかで手袋のやぶれを気にしながら花束を持って立っている小さい子供を見ても、おおかたの日本のひとは、ああロシヤがいる、と楽な気持でつぶやくにちがいない。しかも、チエホフを読んだことのある青年ならば、父は退職の陸軍二等大尉たいい、母は傲慢ごうまんな貴族、とうっとりと独断しながら、すこし歩をゆるめるであろう。また、ドストエーフスキイをのぞきはじめた学生ならば、おや、ネルリ! と声を出してさけんで、あわてて外套がいとうえりきたてるかも知れない。けれども、それだけのことであって、そのうえ女の子にいてのふかい探索たんさくをして見ようとは思わない。

51

しかし、誰かひとりが考える。なぜ、日本橋をえらぶのか。こんな、人通りのすくないほの暗い橋のうえで、花を売ろうなどというのは、よくないことなのに、――なぜ?

52

その不審ふしんには、簡単ではあるがすこぶるロマンチックな解答を与えるのである。それは、彼女の親たちの日本橋に対する幻影げんえいに由来している。ニホンでいちばんにぎやかな良い橋はニホンバシにちがいない、という彼等のおだやかな判断に他ならぬ。

53

女の子の日本橋でのあきないは非常に少なかった。第一日目には、赤い花が一本売れた。お客は踊子おどりこである。踊子は、ゆるく開きかけている赤いつぼみを選んだ。 「くだろうね。」

54

と、乱暴な聞きかたをした。

55

女の子は、はっきり答えた。 「咲キマス。」

56

二日目には、いどれの若い紳士しんしが、一本買った。このお客は酔っていながら、うれい顔をしていた。 「どれでもいい。」

57

女の子は、きのうの売れのこりのその花束から、白い蕾をえらんでやったのである。紳士はぬすむように、こっそり受け取った。

58

あきないはそれだけであった。三目目は、即ちきょうである。つめたい霧のなかに永いこと立ちつづけていたが、誰もふりむいて呉れなかった。

59

橋のむこう側にいる男の乞食こじきが、松葉づえつきながら、電車みちをこえてこっちへ来た。女の子に縄張なわばりのことで言いがかりをつけたのだった。女の子は三度もお辞儀じぎをした。松葉杖の乞食は、まっくろい口鬚くちひげみしめながら思案したのである。 「きょう切りだぞ。」

60

とひくく言って、またきりのなかへ吸いこまれていった。

61

女の子は、間もなく帰り仕度じたくをはじめた。花束をゆすぶって見た。花屋から屑花くずばなはらいさげてもらって、こうして売りに出てから、もう三日もっているのであるから花はいい加減にしおれていた。重そうにうなだれた花が、ゆすぶられる度毎たびごとに、みんなあたまをふるわせた。

62

それをそっと小わきにかかえ、ちかくの支那蕎麦しなそばの屋台へ、寒そうにかたをすぼめながらはいって行った。

63

三晩つづけてここで雲呑わんたんを食べるのである。そこのあるじは、支那のひとであって、女の子を一人並の客として取扱とりあつかった。彼女にはそれがうれしかったのである。

64

あるじは、雲呑の皮を巻きながらたずねた。 「売レマシタカ。」

65

目をまるくして答えた。 「イイエ。……カエリマス。」

66

この言葉が、あるじの胸を打った。帰国するのだ。きっとそうだ、と美しく禿げた頭を二三度かるくった。自分のふるさとを思いつつかまから雲呑の実をすくっていた。 「コレ、チガイマス。」

67

あるじから受け取った雲呑の黄色いはちのぞいて、女の子が当惑とうわくそうにつぶやいた。 「カマイマセン。チャシュウワンタン。ワタシノゴチソウデス。」

68

あるじは固くなって言った。

69

雲呑は十銭であるが、叉焼雲呑ちゃしゅうわんたんは二十銭なのである。

70

女の子はしばらくもじもじしていたが、やがて、雲呑の小鉢を下へ置き、ひじのなかの花束からおおきいつぼみのついた草花を一本引きいて、差しだした。くれてやるというのである。

71

彼女がその屋台を出て、電車の停留場へ行く途中とちゅう、しなびかかった悪い花を三人のひとに手渡したことをちくちく後悔こうかいしだした。突然とつぜん、道ばたにしゃがみんだ。胸に十字を切って、わけの判らぬ言葉でもってはげしいおいのりをはじめたのである。

72

おしまいに日本語を二言ささやいた。 「クヨウニ。咲クヨウニ。」

73

安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。

74

春ちかきや?

75

どうせ死ぬのだ。ねむるようなよいロマンスを一編だけ書いてみたい。男がそう祈願きがんしはじめたのは、彼の生涯しょうがいのうちでおそらくは一番うっとうしい時期に於いてであった。男は、あれこれと思いをめぐらし、ついにギリシャの女詩人、サフォに黄金の矢を放った。あわれ、そのかぐわしき才色を今に語りがれているサフォこそ、この男のもやもやした胸をときめかす唯一ゆいいつの女性であったのである。

76

男は、サフォにいての一二冊の書物をひらき、つぎのようなことがらを知らされた。

77

けれどもサフォは美人でなかった。色が黒く歯が出ていた。ファオンと呼ぶ美しい青年に死ぬほどれた。ファオンには詩が判らなかった。恋の身投をするならば、よし死にきれずとも、そのこがれた胸のおもいが消えうせるという迷信めいしんを信じ、リュウカディアのみさきから怒涛どとうめがけて身をおどらせた。

78

生活。

79

よい仕事をしたあとで

80

一杯いっぱいのお茶をすする

81

お茶のあぶくに

82

きれいな私の顔が

83

いくつもいくつも

84

うつっているのさ

85

どうにか、なる。




使用したテキストファイル
使用権フリー作品集シリーズ
太宰治全作品集 1
  制作・販売:マイクロ テクノロジー株式会社
変更箇所
  ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
  行間処理:行間180%
  段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
        :段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
        :段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年2月