武藏野

山田美妙



武藏野むさしの   上

この武藏野むさしの時代物語じだいものがたりゆゑ、まだれいいが、そのなか人物じんぶつ言葉ことばをば一種いつしゆていいた。このふう言葉ことば慶長けいちやうごろ俗語ぞくご足利あしかがごろ俗語ぞくごとをまぜぜたものゆゑ大概たいがいその時代じだいには相應そうおうしてるだらう。

1

あゝいま東京とうけい、むかしの武藏野むさしのいまきりたてられぬほどにぎはしさ、むかしせきてられぬほどのひろさ。いまなかちやう遊客うかれを睨付にらみつけられるからすむかし海邊うみばた四五丁しごちやう漁師れうしまちでわづかに活計くらしてゝた。いまやなぎはし美人びじんおがまれるつきむかしは「るべきやまもなし」、ごく素寒貧すかんぴんであッた。じついま百萬ひやくまんあおひとぐさじつむかしえておくまん生草なまくさきた荒川あらかはからみなみ玉川たまがはまで、うそ一面いちめんあを舞臺ぶたいで、くさ樂屋がくやむし下方したかたばな招引まねぎにつれられてよりきやくきつねか、鹿しかか、またうさぎか、うまばかり。このやうところにもみだれとて是非ぜひもなく、此頃このころいくさがあッたとえ、其處此處そここゝにはくされた、るも情無なさけな死骸しがい數多かずおほッてるが、戰國せんごく常習ならひ、それをはうむッてやる和尚おしやうもなく、たゞ處々ところどころにばかり、退陣たいじんときにでもつまれたかとえる死骸しがいつか出來できて、それにはわづかくさつちまたやぶれてだらけになッてじんまくなどがかかッてる。そのほかはすべてあまざらしでとりけものはれるのだらう、あし千切ちぎれてたり、また記標しるしられたか、くびさへもいのがおほい。本當ほんたうこれ人々ひとびとにもなつかしいおやもあらう、可愛かあいらしい妻子つまこもあらう、したしいまじはりのとももあらう、まかせ主君しゆくんもあらう、それであッてこのありさまやいばくしにつんざかれ、矢玉やだまあめくだかれていきおにとなッてしまッた口惜くちをしさはどれほどだらうか。んでもだれにもまつられず……故郷こきやうではかげぜんをすゑてッてひともあらうに……「ふるさと今宵こよいばかりのいのちともらでやひとわれをまつらむ」……つゆそこまつむしもろともむなしくうらみむせんでる。それならそれがきてうち榮華えいぐわをしてたか。なかなか左樣さうばかりでも戰國せんごくだものを。武士ぶし例外れいぐわいだが。たゞ百姓ひやくしやう商人あきうどなど鋤鍬すきくは帳面ちやうめんほかはあまりッたこといものが「サァいくさだ」とあつめられてはおや兄弟きやうだいにはなみだみづさかづきいとまごひ。「しかたがい。これせがれ死人しにんくびでもッて胡麻化ごまくわして功名こうめうしろ」とこしゆみ親父おやぢみづはならしてぐんりやく皆傳かいでんすれば、「あぶなかッたらひとうしろかくれてなるたけはやにげるがいゝよ」とかぶとめてくれる母親はゝおやなみだかみぜて忠告ちうこくする。てもみゝそこのこるやうになつかしいこゑおくとどまるほどにしたしいかほをば「左樣さやうならば」の一言ひとことて、見捨みすて、さて陣鉦ぢんがね太鼓たいこてられて修羅しゆらちまた出掛でかければ、山奧やまおくあをごけしとねとなッたり、河岸かし砂利じやりふすまとなッたり、そのうちに……てきが……そら、太鼓たいこが……右左みぎひだり大將たいしやう下知げぢが……そこでいのちくなッて、あと野原のはらでこのありさまだ。ときにはさぞもがいたらう,さぞぬまいとをくひしばッたらう。ながれてくさいろへてる。たましひまた身體からだからどころへてる。かれたきずぐちからはうらめしさうに臟腑ざうふして、そのうへにはてきるゐこがねづくりうすがねよろひをつけたはへ將軍しやうぐん陣取じんどッてる。はやかはいたたまいけなかにはうじ大將たいしやうせいぞろへいきほひよくくのは野分のわけ横風よこかぜ……變則へんそくにほひぶくろ……血腥ちなまぐさい。

2

はや下甫ななつさがりだらう、はこ山端やまのは近寄ちかよッて儀式ぎしきどほり茜色あかねいろ光線くわうせんはきはじめるとすゑすこしづ ゝ薄樺うすかばくまくはへて、遠山とほやまも、どくでもんだか段々だんだんむらさきになり、はらはてには夕暮ゆふぐれ蒸發じやうはつしきりにとほみづをこしらへてる。ころあき其處此處そここゝ我儘わがまゝはえすでみどり上衣うはぎがれて、さむいか、かぜふるへてると、たびがへり椋鳥むくどりなぐさめがほにもましッてさへづッてる。ところ大層たいそう急足いそぎあし西にしはうから歩行あるいるのはわづか二人ふたり武者むしやで、いづれも旅行りよかうていだ。

3

一人ひとり五十ごじふ前後ぜんごだらう、鬼髯おにひげ徒黨とたうんで左右さいうたちかれ、たまかなつぼうちぐるわにたてこもり、まゆはちもんぢんり、くちびるおほ土堤どてあつきづいたてい、それに身長みのたけやぐら眞似まねして筋骨すぢぼねあれうまから利足りそくッて鹽梅あんばい、どうしても時世じせい恰好かツかう人物じんぶつ自然淘汰しぜんとほたあみをば第一だいいちけていきのこ逸物いちもつえた。その打扮いでたちはどんなだか。いたのはあさこん濃茶こいちやはいッた具足ぐそくおどしもよほどふるびてえるが、ところどころにのこッて血痕ちのあと持主もちぬしいくされたのを證據しやうこてゝる。かぶとくてらんぱつわらくくられ、きず幾許いくらもあるいろ業物わざものこし反返そりかへッてる。かう見馴みなれぬかうだが、じつじやうぎくがれてるのだ。このていかんがへればどうしてもこのをとこ軍事ぐんじれたひとちがひい。

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今一人いまひとり十八じふはッわか武者むしやえたけれど鋼鐵はがね厚兜あつかぶと大概たいがいかほかくしてるので十分じふぶんにはわからない。しかしいろ淺黒あさぐろいのとくち力身りきみのあるところでざッとしてればこれきッとした面體めんていものおもはれる身長みのたけひどおほきくもいのに、具足ぐそく非常ひじやう太胴ふとどうゆゑ、なんとなく横幅よこはゞ釣合つりあひわるくふとえる。具足ぐそくおどしこいあゐ魚目うなめ如何いかにもかたさうだし、そしてどう上縁うはべりはなれ山路やまみち■單あつさりかこまれ、そのなかにはざゝのくづしがたれてある。こしもの大小だいせうともに中々なかなか見事みごと製作つくりで、つばには、だれさくか、活々いきいきとしたはちひきほどぼりになッてる。ふるいながら具足ぐそく大刀たちもこのとほり上等じやうとうところるとこのひと雜兵ざふひやうではいだらう。

5

此頃このごろのならひとてこの二人ふたり歩行あるうちにも四邊あたりこゝろくば樣子やうす中々なかなか泰平たいへいまれたひと想像さうざうされないほどであッて、茅萱ちがやおときつねこゑみゝそばたてるのはおろかなこと、すこしでもひとんだやうなあとえるくさあひだなどをば輕々かろがろしく歩行あるかない。きたうさぎせば伏勢ふせぜいでもるかとかたなかり、んだうさぎみちにあればてき謀計はかりごとでもあるかとうでがとりしばられる。そのころはまだ純粹じゆんすゐ武藏野むさしので、奧州あうしう街道かいだうわづか隅田川すみだがわへん沿ふてあッたので、中々なかなか通常つうじやうもの只今ただいま九段くだんあたりの内地ないちあしふみんだひとかッたが、そのすこまへ戰爭せんさうときにはこのたかへもぢんられたとえて、いまこの二人ふたりそのへんかッて見回みまわすと千切ちぎれたまく兵粮ひやうらうつつみ死骸しがいとも遠近あちこち飛散とびちッてる。このてい旅人たびびとくびかたむけたが、やがてとしッたはうしづかまくげてもんどころをよくるとこれじつちがひ足利あしかがものなのでおもはずも雀躍こをどりした、
なされ。これ足利あしかがぢやうもんぢや。はて心地こゝちよいわ」。とはれてわかいのも點頭うなづいて、
左樣さうぢやむご有樣ありさまでおじやるわ。あの先年せんねんおほ合戰かつせんあとでおじやらうが、あととりおさめるひとくて……」。
女々めゝしいこと。なんでおじやる。おもひしても二方ふたかた新田につた義宗よしむね義興よしおき
おんなみ、さぞな高氏たかうぢづらもぶるいをしたらうぞ。あの石濱いしはまおひめられたときいたう見苦みぐるしくあッてぢや」。
「ほゝのしそのときいくさなされたか。みゝよりな……かたりなされよ。」
「かたりまをさうぞ。たゞし物語ものがたりまぎれておくれては面目めんもくなからう翌日あすごろいづれさだめて鎌倉かまくらへいでましなさらうに ……おくれては……」。
「それも左樣さうぢや,左樣さうでおじやる。さらば物語ものがたりのちされよ。かくこのはいぐんていればいとゞこゝろひきつわ。」
ひきつわ、ひきつわ、いとようひきつわのしこれから見參げんざんして毎度まいど手柄てがらをあらはしなされよ」。
これからはまた新田にッたちからみやがたいきほひすでおじやろ。くすのき北畠きたばたけえたはしいが、また二方ふたかたすぐれておじやるから……」。
うれしいぞや。はやたかうぢづらのくびりかけて元弘げんかうむかしかへしたや」。
「それははんでものこと如何いかばかりぞそのときうれしさは」。

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これでわかッたこの二人ふたり新田にツたがただと。そして先年せんねん尊氏たかうぢ石濱いしはまおひめられたともひ、また今日けふはや鎌倉かまくら是等これら二人ふたりかッてくとふのでると、二人ふたりとも間違まちがひ新田にツた義興よしおきものだらう。應答わうたううちにはいづれも武者むしや氣質かたぎ凜々りゝしいところえてたがくらべはせてるとどほしてもわかいのはとしッたのよりまだいくさにもれないのでなまぐさうすいやうだ。

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それから二人ふたりいまうしふちあたりから半藏はんざうほりあたりをみなみむかッてあるいていツたが、そのころはまだ、このへん一面いちめん高臺たかだいで、はるかに野原のはら見通みとほせるところから二人ふたりはなし大抵たいてい四方よも景色けしきからおこッてる。としッた武者むしや北東きたひがしえるかたそぎをゆびさしてわかいのにむかひ、
まことひろいではおじやらぬか 。何處いづくてもはらばかりぢや。のしなどはまだりなさるまいが、それ那處あすこのかたそぎ、なうあれがきこゆる明神みやうじんぢや。その、また、北東きたひがしには濱成はまなりたちの觀世音くわんぜおんがあるが、此處こゝからはくさえぬわ」。
浮評うはさきこえる御社みやしろはあのことでおじやるか。ればいたちひさなものぢや」。
「あのそばぢや、おれが、たれやらんたくましき、てき大將たいしやう衝入つきいッて騎馬きば三人さんにんうちッたのは。その大將たいしやうめ、はるか對方むかふ栗毛くりげ逸物いちもつッてひかへてあつたが、おれはたらきこゝろにくゝおもひつらう、『あの武士さむらひれとかなきりこゑてゝをッた」。
「はゝゝゝ、さぞ御感ぎよくわんりなされたらう、いくさおわッて。きずをばひなされたか」。
しよひたがいづれも薄手うすでであッた。とてもあのやうらんぐんなかではきずであらうものはおじやらぬ。勿論もちろんはらたたかふのぢやから、てき味方みかたそのとき大抵たいてい騎馬きばであッた。が味方みかた手綱たづなにはおほ殿との義貞よしさだ)がおふせられたまゝかなぐさりぬひまれてあッたので手綱たづなてき切離きりはなされる掛念けねんかッた。そのとき大將たいしやう義興よしおき
打扮いでたち目覺めざましいものでおじやッたぞ」。
いち大將たいしやう義宗よしむね)もおじやッたらう」。
「おじやッた。このかたもおなじやう打扮いでたちではおじやッたが、具足ぐそくおどしちとかッたゆゑ、大將たいしやうほど目立めだちなさらなかッた」。

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おりから草木くさきはげしくッて野分のわきかぜいてた。野原のはらきふかぜ……それは中々なかなか想像さうざうほかで、くさくきえだすな一途いつしよにさながらとりぶやうに幾萬いくまんとなくッた。そこではなしもたちまち途切とぎれた。途切とぎれたか、途切とぎれなかッたか、かぜおとまれて、わからないが、まづたしか途切とぎれたらしい。このあひだ應答おうとほ有樣ありさまいてまたつらつらかんがへればとしッたはう中々なかなか經驗けいけんほこていッて、わかいのはすこしつゝしみぶかやうえた。左樣さうでしやう、讀者どくしや諸君しよくん

9

そのうち名殘なごりくほとんどくれかッてくもいろ薄暗うすぐらく、野末のずゑ段々だんだんかすんで仕舞しまころへんくも富士ふじすそこしかけた。はらひろさ、そらおほきさ、かぜつよさ、くさたかさ、いづれもおそろしいほどいかめしくて、人家じんか何處どこすこしもえず、時々ときどきははるか對方むかふはうせてうまかげがちらつくばかり、夕暮ゆふぐれさみしさは段々だんだんのうんでる。「宿やどるところもおじやらぬなう」。「今宵こよひ野宿のじゆくするばかりぢや」。「いそがうぞ」。「いそぎやれ」。これだけの應答おうたう幾度いくど試驗しけんけた。
うまはしるわ。とらへてらうわ 。のしこのみなさらぬか」。
「それ面白おもしろや。らうぞや。すはや這方こなたちかづくよ」。

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二人ふたりうまらうとおもッて、ちかづくむれをよくればこれうまむれではくて、大變たいへんだ、てき足利あしかが騎馬きば武者むしやだ。
「はッし、ぬかッた、かなかッた。うまぢや……てきぢや……てきうまぢや」。「てき多勢たぜいぢや、世良せらどの」。「味方みかた無勢ぶせいぢや、秩父ちちぶどの」。「さても……」「おもはぬ……」てきはまぢかく近寄ちかよッた。
うごくな、落武者おちむしやらぬか、新田にツた義興よしおき昨日きのふ矢口やぐちころされてぢや」。
「なに、きみが」。
今更いまさらッたか、覺悟かくごせよ」。

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あとッたつるぎあめが。くさもらッた、あか繪具えのぐさみしさうに生出うまれで新月しんげつかげ。くやしさうに夕風ゆふかぜ


ちう

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山里やまざとふゆぞさみしさまさりける、人目ひとめくさもかれぬとおもへば」。あき山里やまざととてそのとほり、よひながらすごいほどにさびしい。衣服きものがれたのでやせひじこぶてゝかきこずえには冷笑顏あざわらひがほつきかり、あをしろくさへわたッた地面ぢめんにはえだかげ破隙われめつくる。はるかにおおかみ凄味すごみ遠吠とほぼえ打込うちこむと谷間たにま山彦やまびこがすかさずそれを送返おくりかへし,のぞむかぎりは狹霧さぎり朦朧もうろうたちめてほんの特許とくきよ木下こしたやみから照射ともしかげしさうにらし、そして山氣さんき山颪やまおろし合方あひかたとなッて意地いぢわるくひとはだんでる。さみしさすごさこればかりでもくて、まがりくねッたさも惡徒あくとらしいぼく洞穴うろにはふくろがあのこはらしい兩眼りやうがんつきにらみながら宿鳥ねとり引裂ひきさいて生血なまちをぽたぽた ……

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崖下がけしたにある一構ひとかまへ第宅やしき郷士がうし住處すみかえ、よほどふるびてはるが、骨太ほねふと粧飾かざりすくなく、夕顏ゆふがほ干物ひもの衣服きものとした小柴こしばがきがその周圍まはりいてる。西にしむき一室ひとま、そのまへ植込うゑこみで、色々いろいろがきまりなく、勝手かつてしげッてるが、その一室ひとま此處こゝ家族かぞくつねだらう、いま其處そこには二人ふたり婦人ふじんが……

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けれどまず第一だいいちひとまるのは夜目よめにも鮮明あざやかわかやいでえる一人ひとりで、はずとれた妙齡としごろ處女をとめ燈火ともしび下等かとう密蝋みつらうつくられた一里いちり一寸いつすん松明たいまつちひさいのだから四邊あたりどころか、燈火ともしび中心ちうしんとして半徑はんけいしやくほどへだゝッたところには一切いつさいやみゆきわたッてるが、しかし容貌かほだち水際みづぎはだッてるだけに十分じふぶんわかひとえる。年頃としごろはたしかにれないがはなくち權衡つりあひがまだよくしまッてないところかんがへればひどけてもないだらう。そのくせ坐丈すわりぜい中々なかなかあッて、そして(少女をとめ手弱たよわず)うでくび大層たいそうふとく、そのうへひと眼光めざしが……脹目縁はれまぶちッてながら……、なんへば、すごい……でもない……やさしくない。たゞにくえてあごにやはらかいだんたせ、まゆ美事みごと自然しぜんかほたせたのでやゝどころるやうにえる。そのすこまへまでは白菊しらぎくすりはくにした上衣うはぎたが、いまはそれをいでたゞがまうす綿わたいてえるくず衣服きものばかりでる。

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これ對合むかひあッてるのは四十しじふ前後ぜんご老女らうぢよで、これ着物きものくずだがかきそめふるぼけたので、うしたのか砥粉とのこまみれてる。かほかたち、それは老若らうにやくちがひこそはあるが、ほとほと まへ婦人ふじんうりふたつで……ちとけいそつ判斷はんだんだが、だからこの二人ふたり多分たぶん母子おやこだらう。

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二人ふたりともなにやらかぬ顏色かほいろ今迄いままで談話はなし途切とぎれたやうなていであッたが、少焉しばらくして老女らうぢよきツ思付おもひついたていそば匕首あひくち取上とりあげ、「忍藻おしも和女おことものおもひ道理ことわりぢやが……このはゝとていたうこゝろにはかるが……さりとて、こやそのやうに、忍藻おしも太息といきくやうでは、いきのみいてるやうでは武士ものゝふ……まことよ、世良せら三郎さぶらう刀禰とね内君うちぎみには……けよ、このはゝ言葉ことばを,よ、このはゝきぬを。和女おことはよもわすれはまい和女おことにはまことおやおれにはまことをつとのあの民部みんぶ刀禰とね這回こたびきみいくさくははッて天晴あつぱれ元弘げんかうむかしかへ忠義ちゆうぎうちらうとて、世良せら刀禰とねもろとも門出かどでしたときおれは、こや忍藻おしもおれなにして何言なにいふたぞ。おれづからほんとぎとぎげた南部なんぶてつ矢根やのね五十ごじふすじ各自おのおの廿にじふすじなう門出かどでいわひ差出さしだして、忍藻おしもけよ−−『二方ふたかたうち誰方どなたでもまへやぐらてき引受ひきうけなさるならこの矢根やのねはなあぶらいて、かぶと金具かなぐ目欲めぼしいを附居つけをるを打止うちとめなされよ。また殿しんがりてきむかひなさるなら鹿毛かげか、あしか、つきか、栗毛くりげか、うまふとたくましきにつた大將たいしやう打取うちとりなされよ。婦人おなご甲斐かひなさ、それよ忠義ちうぎこゝろざしばかりでおじやるわ」。とこのまなこから張切はりきれうづるなみだおさへて……おゝおれいまいてはぬぞ、忍藻おしも……おれ武士ものゝふつまあだにをつとはげまし、むこいたぞ。そを和女おこと忍藻おしもておじやッたらうぞなう武士ものゝふつまのこゝろばえはほどうてはならぬわ。さればこそ今日きやうまでもやすまず、をつとむことはいへにはらぬが、おれ矢根やのね日々ひゞとぎまして、おなじ忠義ちうぎ刀禰とねたちにあたふるのぢや。かうきぬ砥粉とのこまみれても中々なかなかにうれしいぞィ、すれば」。
「まことよ。おほせ道理ことはりにおじやるわらはとてなど……」。
こゝろからならこのはゝもうれしいわ。よ、なう、この匕首あひくちを。門出かどでとき世良せら刀禰とね和女おことのこして再會さいくわい記念かたみされたらうよ。それをたらよしない、女々めゝしいこゝろは、刀禰とねたいしてされまい和女おこととて一亙ひとわたり武藝ぶげいをもならふたのに、ちかくは伊賀局いがのつぼねなんどを龜鑑かがみとなされよ。ひとうわさには色々いろいろ詐僞いつわりもまじはるものぢや。輕々かるかるしくければのちゆることもあらうぞ」。
言切いひきつてはゝへん待皃まちがほ忍藻おしもかほ見詰みつめるので忍藻おしも仕方しかたなささうに、挨拶あいさつしたが、それもわづか一言ひとことだ。
「さもうず」。
はゝ覺束おぼつかない挨拶あいさつだとおもふやうなかほつきをしてたが流石さすがなほひてとも言難いひかね、やがてやゝかたぶいたつきて、
けた。さらばおれこれから看經かんきんせうぞ。和女おことおもひのまにまにいねよ」。

17

忍藻おしもがうなづいてれいたのではゝもそれからつて縁側えんがはづたひおく一間ひとまへやうやうッた。あと忍藻おしもはたゞ一人ひとりッてはゝうしろかげながめてたが、しばらくして、こらへこらへた溜息ためいきせき一度いちどれた。

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はなしあひだだが一寸ちよツとこゝ忍藻おしも性質せいしつ身上みのうへやゝ詳細つまびらかべられなくてはならない。じつ忍藻おしもはこの老女らうぢよじツで、父親ちゝおや秩父ちゝぶ民部みんぶとて前回ぜんくわい武藏野むさしの旅行りよかうして旅人たびびとうちとしつたはうだ。そして旅人たびびとわかはうはすなはち世良せら三郎さぶらうで、母親はゝおやはなしでも大抵たいていわかるが、忍藻おしもにはすなはちをツとだ。

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この三郎さぶらう父親ちゝおや新田にツた義貞よしさだうまくちとり藤島ふぢしま合戰かツせんとき主君しゆくんとともに戰死せんしをして仕舞しまひ、あとにはそのとき二歳ふたつになる孤子みなしご三郎さぶらうのこつてたので民部みんぶもそれを不愍ふびんおもひ、引取ひきとつてそだてるうち二年にねんのち忍藻おしもまれた。ところ三郎さぶらう成長せいちやうするにしたがつて武術ぶじゆつにもけてて、中々なかなかどころのある若者わかものとなつたので養父母やうふぼおほきによろこび、そこでそれをつひむすめむこにした。

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そのとき三郎さぶらう十九じふく忍藻おしもじふしちであつた。いまからればあまりな早婚さうこんだけれど、むかしそのやうなことにはすこしもかまはなかつた。

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それで若夫婦わかふうふなかよくくらしてたところが、不圖ふときけ新田にツた義興よしおき足利あしかがからばれて鎌倉かまくらるとのうはさがあるので血氣けツきさかり三郎さぶらういへ引籠ひきこもつていくさはなし素聞すぎゝにしてられず、しうと民部みんぶ南朝なんてうへはこゝろかたむけてることゆゑ、なんなく相談さうだんとゝのつてそれから二人ふたり一途いツしよ義興よしおきくははらうとて出立しゆつたつし、つひ武藏野むさしの不思議ふしぎ危難きなんつたのだ。その危難きなんにあつたこと精密せいみつではないが、薄々うすうす忍藻おしもにもきこえたので、さァそれが忍藻おしも心配しんぱいたねになり、母親はゝおやをつかまへて鬱出ふさぎだすので其處そこまへのとほり母親はゝおやもそれをさとしてはげましてた。

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門前もんぜん小僧こざうならはぬきやうむ」。鍛冶屋かぢやよめ次第しだいてつ産地さんちる。三郎さぶらう武術ぶじゆつほねるありさまを朝夕あさゆふるのみか、亂世らんせいつねとて大抵たいていもの武藝ぶげいおさめる常習ならはしになつてるので忍藻おしも自然しぜん太刀たち薙刀なぎなたことしてると、したがつて擧動きよどう幾分いくぶん雄々をゝしくなつた。手首てくびふといのや眼光めざしのするどいのはまつたくそのためだらう。けれどいまあからさまにその性質せいしつはうなら、なるほど忍藻おしもはかなり武藝ぶげいたつして、一度いちどなどはしにかつてくまいけどりにしたとて毎度まいど自慢じまんたから、こゝろ十分じふぶん猛々たけたけしいかとふにまつた左樣さうでもない。その雄々をゝしくえるところはただ時々ときどき擧動こなし言葉ことば有樣ありさまにあつたばかりで、その婦人ふじん固有こいう性質せいしつは(ことこゝろ教育けういくのない婦人ふじん固有こいう性質せいしつは)あとつてはない、たしかにくなつてはない。

23

はゝ立去たちさつたあと忍藻おしもれい匕首あひくちげて拔離ぬきはなし、しばらくはこほりひかり瞻詰みつめてきつとした風情ふぜいであつたが、またそのしたからすぐ溜息ためいきた。
匕首あひくち、この匕首あひくち……さきにも母上はゝうへおふせられたごとくあの刀禰とね記念かたみぢやが……さてもこれればいとゞなほ……そも刀禰とねたちは鎌倉かまくらまで行着ゆきつかれたか、無難ぶなんに。いた武藝ぶげいけておじやるからおもるも女々めゝしけれど……こゝろかるは先程さきほど人々ひとびと浮評うはさよ。せまむねにはもちねて母上はゝうへいひづれば、あれほどに心強こゝろづようおじやるよ。看經かんきんときるわ、この分難わきがた最中もなかに、何事なにごとぞ、こゝろのどけく。そもこのをつとのみの御身おみうへではくて現在げんざい母上はゝうへをつとさへもおなじさまでおじやるのに……さてさても。武士ものゝふつま箇程かほどうてはとおふせられてもこのにはいかでかいかでか。新田にツたきみ足利あしかがはかられて矢口やぐちとやらんでころされてそのもの一人ひとりのこらず……あゝむねぐるしい浮評うはさぢやわ。三郎さぶらう刀禰とねは、うよ、父上ちゝうへ其處そこのがれなされたか。門出かどでときこの匕首あひくちこのくだされて『なう忍藻おしも、おことゝおれとは一方ひとかたならぬえにしで……やがておれ功名かうみやうしてかへらう何時いつぞとはようれぬが、和女おこと並々なみなみ婦人をんなたちえてこゝろざまも女々めゝしうおじやらぬからよしないものおもひばなさるまい。そのときまでの記章かたみにはおれ祕藏ひざうのこの匕首あひくち(これにはおれ精神たましひもこもるわ)匕首あひくちのこせば和女おことこれ煩惱ぼんなうきづなをばなう……なみだは無益むやくぞ』、と日頃ひごろからこのわれながら雄々をゝしくしてるに、今日けふばかりは如何いかにしてむねたちさわぐか。別離わかれとき御言葉おことばみゝにとまつて……ぬきはなせばこのすごわざもの……發矢はつし、なみだのかほうつるわ。このなみだ、あゝらこのこゝろはまだ左程さほどよわうはなるまいに……なみだばかりがよわうて……昨夜ゆふべこはゆめは……あゝおもればいとどなほむねは……むねわきつわ。矢口やぐちとや、矢口やぐち何處いづくぞ。つばささへあらば箇程かほどには……」。
思入おもひいつてはこらへかねてそぞろなみだをもよほした。無論むろん荒誕くわうたんことしんずるひとだからゆめけるのも無理むりではい。おもへばおもふほどかんがへとほくへはしつて、それでなくても中々なかなかつよ想像力さうざうりよく一入ひとしほ跋扈ばつこきわめて判斷力はんだんりよくをもいた。はやくこゝでそのねつさへひくくされるならべつなんのこともないが、中々なかなか通常つうぢやうひとにはそのやう自由じいうなことはたやすく出來できない。不思議ふしぎさ、忍藻おしもなかには三郎さぶらうおもかげ第一だいいちにあらはれてつぎ父親ちゝおや姿すがたがあらはれてる。あをざめた姿すがたがあらはれてる。みた姿すがたがあらはれてる。垣根かきね吹込ふきこやまおろし、それも三郎さぶらうたちのこゑきこえる。ボーンなうゑんかね、それも無常むじやうきざしかとおもはれる。

24

ひとられて、ものおもひしづんでることをさとられまいとおもつて、それから忍藻おしも手近てぢかにある古今集こきんしふつていゝ加減かげんところひらき、それへむかつてをばまずに、いよいよむねなかものおもひむしをやしなつた。
「『だいらず……躬恒みつね……貫之つらゆき……つかはしける……をんなのもとへ……天津あまつかりがね……』。おゝわれらずんだか。それにつけても未練みれんらしいかはらぬが、門出かどでなされたときから今日けふまでははや七日なぬかぢやに、七日目なぬかめにかうむねがさわぐとは……打出うちだせば愚痴ぐちめいたとはれ……おゝかりよ。かりてなげいたといふはなしまことに……かりかりつばさあつて……なう。」

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だが贔負びいきで、なほ幾分いくぶんか、内心ないしん内心ないしんには(このやうな獨語どくごうちでも)「まさかころされはまい」の推察すゐさつむしいききてる。それだのに涙腺るゐせん無理むりもんけさせられてあつみづせきをかよはせた。

26

このまゝでやゝ少焉しばらくあひだ忍藻おしもまつた無言むごん支配しはいされてたが、そのうち破裂はれつした、つぎ一聲ひとこゑが。
武藝ぶげいはそのため」。
その途端とたん燈火ともしびふつえてあとへはやみゆきわたり、もえさしたあとざら暫時しばらく一人ひとり晃々 きらきら


27

よる根城ねじろわたした。竹藪たけやぶふせぜいッてむらすずめはあらたにぐん開初ひらきはじねや隙間すきまから斫込きりこんであかつきひかり次第しだい四方あたりやみ追退おひのけ、遠山とほやまかどにはあかねまくがわたり、遠近をちこち溪間たにまからはあさぐも狼烟のろし立昇たちのぼる。「よるははやあけたよ。忍藻おしもはとくにおきつらうに、まだこゑをもださぬは 」。いぶかりながらとこをはなれて忍藻おしもはゝ身繕みづくろひし、手早てばやくちそゝいてかほをあらひ、黄楊つげ小櫛をぐしでしばらくかみをくしけづり、それから部屋へやすみにかゝッてたけづゝなかかららう取出とりだしてあぶり、しきりにそれを髮毛かみのけりながら。
忍藻おしもいざはやうよ。らうけたぞや。和女おことらずか」。
けれど一言ひとこと返辭へんじい。
忍藻おしもよ、おしもよ、いぎたなや。あき夜長よながに……こや忍藻おしも莞爾につこりわらッてくちうち、「昨夜ゆふべいたいくさのことにむねなやませてていぢやに、さても此處こゝぞまだ兒女わらはぢや。いまはかほどまで熟睡うまゐして、さばれ、いざ呼起よびおこさう」。

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忍藻おしも部屋へやふすまけてはゝははッとおどろいた。承塵なげしにあッた薙刀なぎなたも、とこにあツた鎖帷子くさりかたびらも、無論むろん三郎さぶらうれた匕首あひくち四邊あたりにはかげい。

「すはやおれがぬかッたよ。つねよりものるならひ……如何いかにあやしいていであッたが、さてもおれこゝろきながらこゝろせなんだおろかさよ。慰言なぐさめごとかせたがなほなほおもひわびて脱出ぬけいでたよ。あゝら由々ゆゝしや、由々ゆゝしいことぢや。」

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こゝろみづ沸立にえたッた。それ朝餉あさがれひかまどあとあとひに庖廚くりや炊婢みづしめ。サァすきッたまゝたづねに飛出とびだはたけしもべいへなか大騷動おほさうどう不動明王ふどうみやうわうまへ燈明あかしき、たちまち祈祷きたうこゑおこる。をゝしくみえたが流石さすが婦人をんなはゝ今更いまさら途方とはうにくれた。「なまじひにこゝろせぬていでなぐさめたのがおれ脱落ぬかりよ。さてもあのまゝ鎌倉かまくらまでしはふて出行いでゆいたか。いかに武藝ぶげいをひとわたりは心得こゝろえたとて……この血腥ちなまぐさなかに……たゞのをんな一人ひとりで……たゞの少女をとめ一人ひとりで……をもいとはず一人ひとりで……」。

30

おもへばにくいやうで、可哀かあいさうなやうで、またかなしいやうで、くやしいやうで、今日けふはまたはゝ昨夜ゆふべ忍藻おしもになり、とりこゑ忍藻おしもこゑだれかほ忍藻おしもかほだ。忍藻おしも部屋へやはいッてれば忍藻おしもがするやうだし、忍藻おしもばこをとめれば忍藻おしもそばるやうだ。「むねさわぐに何事なにごとぞ。はや大聖威怒王だいしやうゐぬわう御手おんてにたよりていのらうに……發矢はツしいのらうとこゝろをばすかしてもなほすかし甲斐がひもなく、こゝろはいとゞれにれて忍藻おしもことおもすよ」。こゝろひとものでない。はゝこゝろはゝのもの。それでせいすることが出來できない。をねむッておちけ、一心いつしん陀羅尼經だらにきやうまうとしても(くちうへにばかりこゑるが)、なうなかにはかんじがい。「あらず。あらず、どうあらず、じやうあらず、しやくあらず、びやくあらず……」その忍藻おしもる。

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ひとかほさへそばえればはゝはそれと相談さうだんしたくなる。それと相談さうだんしたとて先方せんぱうかみでもなければ陰陽師おんやうしでもく、つまりなにもわからぬとはッてながらなほそれでもそのひとひざはせてわが身上みのうへ判斷はんだんしたくなる。それでまたれい身贔負みびひき内心ないしん内心ないしん内心ないしんに「多分たぶん無難ぶなんであらうぞ」とおもひながらへんなもので、またそれをくちにはさない。たゞ其處そこ先方せんぱうこたへ自身じしんかんがへれば「じつ左樣さう」とはしんじぬながら不完全ふくわんぜんにもそれでわづか妄想まうさうをすかしてる。

32

にいぢらしいもの幾許いくらもあるが、しうたん玉子たまごほどいぢらしいものい。すでしうたんことがきまればいくらかしうたん區域くゐき出來できるが、まだ正眞しやうしんしうたん立起たちおこらぬそのまへに、いまにそれがおこるだらうと想像さうざうするほどいやむなぐるしいものはない。このやうときにはなみだなどもあながちるともきまッてず、ときには自身じしん想像さうざうでわざとなみだをもよほしながら(けつしてこゝろでそれをこのむのではないが)なほなみだることをしうたんたねとして色々いろいろこゝろをくるしめることがる。

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だからはゝ不動明王ふどうみやうわうにらめくらで、經文きやうもん一句いつく妄想まうそう一段いちだん經文きやうもん妄想まうそうとがミドローシアンをあらそッてる。ところそとからおとづれたのは居殘ゐのこッてた(このはゝ言葉ことばりていへば)懶惰者なまけもの不忠ふちうもの下男げなんだ。
だれやらん見知みしらぬ武士ものゝふが、たゞ一人ひとり從者ずさをもつれず、此家このやまをすことあるとてておじやる。いかに呼入よびいさふらふか」。
武士ものゝふとや。打揃いでたちは」。
道服だうふく一腰ひとこしざし。むくつけい暴男あらをとこで……戰爭いくさつらうふて……」。
くもまはしい。この最中もなかなにとてひといとまが……」。

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一度ひとたび言放いひはなしてたが、思直おもひなおせばをつとむこ身上みのうへにかゝるのでふたゝび言葉ことばあらためて、
「さばれ、いなよびれよ。すこしくはうこともあれば」。

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かしこまつて下男しもべつてくと、入代いりかはつてはいつてたのは三十前後ぜんご武士ぶしだ。
御目おんめにかゝるはいまがはじめて。これ大内おほうち平太へいたとてもと北畠きたばたけものぢや。秩父ちゝぶ刀禰とねとはかねてより陣中ぢんちうでしたしうした甲斐かひに、まをしのこされたことがあつて……」。
まをしのこされた」の一言ひとことはゝむねにはくぎであつた、
「おゝ如何いか新田にツたきみでたう鎌倉かまくらりなされたか」。
「まだ、さて傳聞つたへききなさらぬか。堯寛たかひろにあざむかれなされて、あへなくもそこ藻屑もくずと……矢口やぐちで」。
「それ、さらばまことでおじやるか。それいつはりではおじやらぬか」。
なにを……など詐僞いつはりでおじやらうぞ」。

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よもやとおもかためたことがまつたちがツてしまつたことゆゑ、今更いまさらはゝ仰天げうてんしたが、流石さすがにもはや新田にツたことよりはをつとむこ身上みのうへ心配しんぱいたねになッてた。
「さてそのとき民部みんぶたちは」。
「そのこと、まことそのことにおじやるは。おれこれから鎌倉かまくらかうぞと馳行はせゆいたみち武藏野むさしのなかほどでれば秩父ちゝぶ刀禰とねたち二方ふたかたは……」。
「さて秩父ちゝぶたち二人ふたりは」。
「はしなくも……」。
「もどかはしや。いざ、いざ、いざ」。
「はしなくもてきさぐられて左樣さうぢや、そのまゝ斫斃きりたふされて……」。
「こはそゞろ、……斫斃きりたふされて……發矢はつしそのまゝ斫斃きりたふされて……」。
「そのおどろき道理ことわりでおじやる。おれ最初はじめ左樣さうともらず『なにやらんくさなかうめいてもののあるはくままれた鹿しかぢやらうか』といてたら、おどろいたわ、それが二方ふたかたでおじやッたわ」。

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はゝははやそのあといてられなくなッた。いままではしばらくこらへてたが、もはやつゝむに包切つゝみきれずたちまち其處そこして、平太へいたがいふ物語ものがたり聞入きゝいれるていい。如何いかにも昨夜ゆふべ忍藻おしも教訓けうくんしてところなどは天晴あつぱれ豪氣がうきなやうにえたが、これとてそのでもければいしでもい。今朝けさ忍藻おしもなくなッた心配しんぱい矢先やさきへこの凶音きよういんつたはッたのには流石さすがこゝろみだされてしまッた。いまそのくちから愚癡ぐちばかりが出立しゆつたつする。
「ちえぬし ……ぬしたちを……あゝ忍藻おしもこゝろくるしめたも、むしむしらせたか。大聖我怒王だいしやういぬわうも、ちえィ日頃ひごろ信心しんじんを……おのれ……こはこは平太へいた刀禰とね、などそのとき馳付はせついてすけ助太刀すけだちしてはたもらんだぞ」。

38

うらみがましくひながら、なほすぐその言葉ことばしたから、いぢらしい、でさしまねいでなみだすゝり、
きなされ。あゝなん不運ふうんぞや。をつとむこ死果しにはてたに……こや平太へいた刀禰とねきなされ、むす…むすめの忍藻おしももまた……忍藻おしももまた平太へいた刀禰とね……忍藻おしもはまたたばかり……昨夜ゆふべ……さつしなされよ、平太へいた刀禰とね」。
昨夜ゆふべ、そも如何いかされた」。

39

はゝ十分じふぶんくちけなくなッたので仕方しかたなく手眞似てまね仔細しさい告知つげしらせた。告知つげしらせると平太へいたかほはたちまちにいろかはッた。
「さらばあのくさり帷子かたびらの……」。
云掛いひかけたがはッとおもッて言葉ことばめた。けれど這方こなたきゝとがめた。
和主おのしはそも如何いかにして忍藻おしも鎖帷子くさりかたびらを……」。
鎖帷子くさりかたびらとはなんでおじやる」。
なんでおじやるとは平太へいた刀禰とね、むすめ、忍藻おしも打扮いでたちぢや。いまそのくちからおふせられた」。
平太へいたいま包兼つゝみかね、
「あゝすべい。いたはしいけれど、さらば仔細しさいまをさうぞなげきえだふるがいたはしさにつゝまうとはつとめたれど……なにかくさう、ひめ御前ごぜくさり帷子かたびらつけなされたまゝ、薙刀なぎなたちなされたまゝ……はゝ御前ごぜかならずつよなげきなされな……けものはれてころされつらうはぎあたり噛切かみきられてきた山間やまあひたふれておじやッた」。

40

はゝ見張みはッたまゝであッた。平太へいたはふたゝび言葉ことばいだ。「おれ此處こゝみちぢや、はからずいまのを見留みとめたのは。おもへば不思議ふしぎえんでおじやるが、そのときにはひめ御前ごぜとはつゆらず……いたはしいことにはッたぞや、僅少わづかあひだ三人みたりまで」。

41

はゝはなほ見張みはッたまゝだ。くちびるものひたげにうごいてたが、それから言葉ことばひとッもない。

をりからかどにはどやどやとひとおと
忍藻御おしもごくまはれてよ。」

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ついでながら此頃このころ神田かんだ明神みやうじん芝崎しばざきむらといッたむらにあッてそのむらいま駿河臺するがだいひがし降口おりくちへんであッた。それゆゑ二人ふたり武士ぶし九段くだんからながめてもすぐそのやしろあたまえた。もしこのときその位置いち只今ただいまやうであッたならけつしてえるわけい。


をはり




【このファイルについて】
標題:武藏野
著者:山田美妙
本文:「夏木立」
    明治21年8月20日 出版

○漢字は可能な限り原文の字体を用いた。ただし、表記できないものについては「■」で示し、ルビをふっておいた。
○ふりがなは、原文通り総ルビとした。
○本文・ふりがなの仮名づかいは、底本通りとした。
○原文の段落冒頭一字下げは、一行下げに変更し、段落番号を追加した。
○繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」を原文通りそのまゝ用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。
○白ゴマ点は、通常の読点に変えた。

入力:里実福太朗
ファイル作成:里実工房
公開:2003年3月14日