緒言
言文一致は文明の証標と或る人も言つた通り是ほど宜い事は無いと言ふ処から近頃に至つては我国の文に関し、些しは焦慮する人も出て来たは実に忝い事だ。然しながら何を言ふにも習慣といふ大敵があるので一旦新奇の俗体に改めると、ヤレ語気が卑しいのヤレ風韵に乏いのと変に皮相に惑溺した人が喧ましく言つて出てくる。それ故に皆猶予していまだに俗体の規律を穿ち、それを専用した者もなし。殊に世話物の小説に至つては其詞のみ辛うじて俗体になつて居るもののその地はやはり雅文体の「ナリ」「ケリ」「ベシ」などを用ゐ、地と詞とをして抵牾させるとは実に見苦しい事だ。何しても之をは改めなくてはならぬ。が、それが容易で無い。容易で無い故言文一致は迚も日本の今日に望む事はできないと筆を投げた人もある。それもまた気が短い。なるほど雅文体には俗文体の及ばない様な処も有るが、また俗文体だとて塩梅さへ巧に為れば、中々雅文体に劣る所も無く、而も自然に規律も有つて言ふに言はれぬ妙味も有る。此小説の文などをば、稍此辺に注意して書いたもので、一口に言へば円朝子の人情噺の筆記に修飾を加へた様なもの。是亦随分耳慣れぬ風ゆゑ、小言を言ふ人の有るは知れた事。然しながら小生とて此体を造創めるに於ては可なり苦辛をも為たもので、まんざら定律立てぬでもなく、定律に従はぬでも無い。それをば此緒言で言尽くせる者では無い故、此処には全くそれを省いた。たゞその些斗り細かい事は小生が作つた小説贋金剛石の序に在る
■このファイルについて
標題:風琴調一節
著者:美妙斎主人
本文:「以良都女」 第1号 明治20年7月9日発行(復刻版)
表記:原文の表記を尊重するが、コンピュータで扱える文字に限りがあること、また読みやすさを考慮して、以下の方針を採用する。
○漢字は現行の字体にかえた。
○本文の仮名づかいは、原文通りとした。
○原文で使われている繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」をそのまま用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。
ルビ処理:タグ使用。
行間処理:180%
入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:2003年9月9日