素描三題・他七編
芥川龍之介
塵労
軽井沢で
都会で
仙人
耳目記
素描三題
凶
鵠沼雑記
芥川龍之介
1
或春の午後であつた。私は知人の田崎に面会する為に彼が勤めてゐる出版書肆の狭い応接室の椅子に倚つてゐた。
「やあ、珍しいな。」
2
間もなく田崎は忙しさうに、万年筆を耳に挟んだ儘、如何はしい背広姿を現した。
「ちと君に頼みたい事があつてね、――実は二三日保養旁、修善寺か湯河原へ小説を書きに行きたいんだが、……」
3
私は早速用談に取りかかつた。近々私の小説集が、この書肆から出版される。その印税の前借が出来るやうに、一つ骨を折つて見てはくれまいか。――これがその用談の要点であつた。
「そりや出来ない事もないが、――しかし温泉へ行くなぞは贅沢だな。僕はまだ臍の緒切つて以来、旅行らしい旅行はした事がない。」
4
田崎は「朝日」へ火をつけると、その生活に疲れた顔へ、無邪気な羨望の色を漲らせた。
「何処へでも旅行すれば好いぢやないか。君なぞは独身なんだし。」
「所が貧乏暇なしでね。」
5
私はこの旧友の前に、聊か私の結城の着物を恥ぢたいやうな心もちになつた。
「だが君も随分長い間、この店に勤めてゐるぢやないか。一体今は何をしてゐるんだ。」
「僕か。」
6
田崎は「朝日」の灰を落しながら、始めて得意さうな返事をした。
「僕は今旅行案内の編纂をしてゐるんだ。まづ今までに類のない、大規模な旅行案内を拵へて見ようと思つてね。」
芥川龍之介
7
黒馬に風景が映つてゐる。
×
8
朝のパンを石竹の花と一しよに食はう。
×
9
この一群の天使たちは蓄音機のレコオドを翼にしてゐる。
×
10
町はづれに栗の木が一本。その下にインクがこぼれてゐる。
×
11
青い山をひつ掻いて見給へ。石鹸が幾つもころげ出すだらう。
×
12
英字新聞には黄瓜を包め。
×
13
誰かあのホテルに蜂蜜を塗つてゐる。
×
14
M夫人――舌の上に蝶が眠つてゐる。
×
15
Fさん――額の毛が乞食をしてゐる。
×
16
Oさん――あの口髭は駝鳥の羽根だらう。
×
17
詩人S・Mの言葉――芒の穂は毛皮だね。
×
18
或牧師の顔――臍!
×
19
レエスやナプキンの中へずり落ちる道。
×
20
碓氷山上の月、――月にもかすかに苔が生えてゐる。
×
21
H老夫人の死、――霧は仏蘭西の幽霊に似てゐる。
×
22
馬蝿は水星にも群つて行つた。
×
23
ハムモツクを額に感じるうるささ。
×
24
雷は胡椒よりも辛い。
×
「巨人の椅子」と云う岩のある山、――瞬かない顔が一つ見える。
×
25
あの家は桃色の歯齦をしてゐる。
×
26
羊の肉には羊歯の葉を添へ給へ。
×
27
さやうなら。手風琴の町、さようなら、僕の抒情詩時代。
芥川龍之介
――或は千九百十六年の東京――
一
28
風に靡いたマツチの炎ほど無気味にも美しい青いろはない。
二
29
如何に都会を愛するか?――過去の多い女を愛するやうに。
三
30
雪の降つた公園の枯芝は何よりも砂糖漬にそつくりである。
四
31
僕に中世紀を思ひ出させるのは厳めしい赤煉瓦の監獄である。若し看守さへゐなければ、馬に乗つたジアン・ダアクの飛び出すのに遇つても驚かないかも知れない。
五
32
或女給の言葉。――いやだわ。今夜はナイホク[#「ナイホク」に傍点]なんですもの。
33
註。ナイホク[#「ナイホク」に傍点]はナイフだのフオオクだのを洗ふ番に当ることである。
六
34
並み木に多いのは篠懸である。橡も三角楓も極めて少ない。しかし勿論派出所の巡査はこの木の古典的趣味を知らずにゐる。
七
35
令嬢に近い芸者が一人、僕の五六歩前に立ち止まると、いきなり挙手の礼をした。僕はちよつと狼狽した。が、後ろを振り返つたら、同じ年頃の芸者が一人、やはりちやんと挙手の礼をしてゐた。
八
36
最も僕を憂鬱にするもの。――カアキイ色に塗つた煙突。電車の通らない線路の錆び。屋上庭園に飼はれてゐる猿。……
九
37
僕は午前一時頃或町裏を通りかかつた。すると泥だらけの土工が二人、瓦斯か何かの工事をしてゐた。狭い路は泥の山だつた。のみならずその又泥の山の上にはカンテラの火が一つ靡いてゐた。僕はこのカンテラの為にそこを通ることも困難だつた。すると若い土工が一人、穴の中から半身を露したまま、カンテラを側へのけてくれた。僕は小声に「ありがたう」と言つた。が、何か僕自身を憐みたい気もちもない訣ではなかつた。
十
38
夜半の隅田川は何度見ても、詩人S・Mの言葉を越えることは出来ない。――「羊羹のやうに流れてゐる。」
十一
「××さん、遊びませう」と云う子供の声、――あれは音の高低を示せば、××San[#「San」30度位斜めに上がる] Asobi-ma show[#「show」30度位斜めに上がる]である。あの音はいつまで残つてゐるかしら。
十二
39
火事はどこか祭礼に似てゐる。
十三
40
東京の冬は何よりも漬け菜の茎の色に現れてゐる。殊に場末の町々では。
十四
41
何かものを考へるのに善いのはカツフエの一番隅の卓子、それから孤独を感じるのに善いのは人通りの多い往来のまん中、最後に静かさを味ふのに善いのは開幕中の劇場の廊下、……
芥川龍之介
42
この「仙人」は琵琶湖に近いO町の裁判官を勤めてゐた。彼の道楽は何よりも先に古い瓢箪を集めることだつた。従つて彼の借りてゐた家には二階の戸棚の中は勿論、柱や鴨居に打つた釘にも瓢箪が幾つもぶら下つてゐた。
43
三年ばかりたつた後、この「仙人」はO町からH市へ転任することになつた。家具家財を運ぶのは勿論彼には何でもなかつた。が、彼是二百余りの瓢箪を運ぶことだけはどうすることも出来なかつた。
「汽車に積んでも、馬車に積んでも、無事には着かないのに違ひない。」
44
この仙人はいろいろ考へた揚句、とうとう瓢箪を皆括り合はせ、それを琵琶湖の上へ浮かせて舟の代りにすることにした。天気は丁度晴れ渡つた上、幸ひ風も吹かなかつた。彼はかういふ瓢箪舟に乗り、彼自身棹さをを使ひながら、静かに湖の上を渡つて行つた。
45
昔の仙人は誰も皆不老不死の道に達してゐる。しかしこの「仙人」だけは世間並みにだんだん年をとり、最後に胃癌ゐがんになつてしまつた。何でも死ぬ前夜には細り切つた両手をあげ、「あしたあたりはお目出度になるだらう。万歳!」と言つたと云ふことである。しかし彼の遺言状ゆゐごんじやうは生死を超越しない俗人よりも更に綿密だつたと云ふことである。尤も彼の遺族たちはこの「仙人」の遺言状を一々忠実には守らなかつたらしい。のみならず彼の瓢箪を目当てに彼の南画を習つてゐた年少の才子もない訣わけではなかつた。従つて彼の愛してゐた彼是かれこれ二百余りの瓢箪は彼の一周忌をすまないうちにいつかどこかへ流れ出してしまつた。
芥川龍之介
×
46
僕等の性格は不思議にも大抵たいてい頸くびすぢの線に現はれてゐる。この線の鈍にぶいものは敏感ではない。
×
47
それから又僕等の性格は声にも現れてゐる。声の堅いものは必ず強い。
×
48
筍たけのこ、海苔のり、蕎麦そば、――かう云うものを猫の食ふことは僕には驚嘆する外ほかはなかつた。
×
49
或狂信者のポルトレエ――彼は皮膚に光沢くわうたくを持つてゐる。それから熱心に話す時はいつも片眼をつぶり、銃でも狙ねらふやうにしないことはない。
×
50
僕は話に熱中する度に左の眉まゆだけ挙げる人と話した。ああいふ眉は多いものかしら。
×
51
僕は教育なり趣味なりの大抵たいてい同程度と思ふ人々に何枚かの女の写真を見せ、一番美人と思ふのを選んで貰つた。が、二十五人中同じ女を美人と言つたのはたつた二人ゐただけだつた。即ち女の美醜びしうを定きめるのさへ百分の四以上を超こえないらしい。しかもこれは前に言つたやうに教育なり趣味なりの程度の似よつた人びとの間あひだだけである。
×
52
或果物問屋くだものとんやの娘の話。――川に西瓜すゐくわが一つ浮いてゐると思つたら、土左衛門どざゑもんの頭だつたのです。
×
53
僕は肥ふとつた人の手を見ると、なぜか海豹あざらしの鰭ひれを思ひ出してゐる。
×
54
僕は女の人生の戦利品を三つ記憶してゐる。
55
一つは長女に後うしろを向けて次男に乳をのませてゐる女親。
56
一つは或女給の胸に下さがつたいろいろの学校のメダルの一ふさ。
57
一つは或玄人上くろうとあがりの細君さいくんの必ず客の前へ抱だいて来る赤児。
昭和二年四月
芥川龍之介
一 お宗そうさん
58
お宗そうさんは髪の毛の薄いためにどこへも縁えんづかない覚悟をしてゐた。が、髪の毛の薄いことはそれ自身お宗さんには愉快ではなかつた。お宗さんは地肌の透すいた頭へいろいろの毛生けはえ薬をなすつたりした。
「どれも広告ほどのことはないんですよ。」
59
かういふお宗さんも声だけは善かつた。そこで賃仕事の片手間かたてまに一中節いつちうぶしの稽古けいこをし、もし上達するものとすれば師匠ししやうになるのも善いと思ひ出した。しかし一中節はむづかしかつた。のみならず酒癖さけくせの悪い師匠は、時々お宗さんをつかまへては小言こごと以上の小言を言つたりした。
「お前なんどは肥こへたご桶をけを叩いて甚句じんくでもうたつてお出いでなさりや善いいのに。」
60
師匠は酒の醒さめてゐる時には決してお宗さんにも粗略ではなかつた。しかし一度言はれた小言はお宗さんをひがませずには措おかなかつた。「どうせあたしは檀那衆だんなしゆうのやうによくする訣わけには行いかないんだから。」――お宗さんは時々兄さんにもそんな愚痴ぐちなどをこぼしてゐた。
「曾我そがの五郎と十郎とは一体どつちが兄さんです?」
61
四十を越したお宗さんは「形見かたみおくり」を習つてゐるうちに真面目まじめにかういふことを尋ねたりした。この返事には誰も当惑たうわくした。誰も? ――いや「誰も」ではない。やつと小学校へはひつた僕はすぐに「十郎が兄さんですよ」といひ、反かへつてみんなに笑はれたのを羞はづかしがらずにはゐられなかつた。
「何しろああいふお師匠さんぢやね。」
62
一中節いつちうぶしの師匠ししやうになることはとうとうお宗そうさんには出来なかつた。お宗さんはあの震災のために家も何も焼かれたとかいふことだつた。のみならず一時は頭の具合ぐあひも妙になつたとかいふことだつた。僕はお宗さんの髪の毛も何か頭の病気のために薄いのではないかと思つてゐる。お宗さんの使つた毛生え薬は何も売薬ばいやくばかりではない。お宗さんはいつか蝙蝠かうもりの生き血を一面に頭に塗りつけてゐた。
「鼠の子の生き血も善よいといふんですけれども。」
63
お宗さんは円まるい目をくるくるさせながら、きよとんとしてこんなことも言つたものだつた。
二 裏畠
64
それはKさんの家の後うしろにある二百坪ばかりの畠はたけだつた。Kさんはそこに野菜のほかにもポンポン・ダリアを作つてゐた。その畠を塞ふさいでゐるのは一日に五、六度汽車の通る一間いつけんばかりの堤つつみだつた。
65
或夏も暮れかかつた午後、Kさんはこの畠へ出、もう花もまれになつたポンポン・ダリアに鋏はさみを入れてゐた。すると汽車は堤の上をどつと一息ひといきに通りすぎながら、何度も鋭い非常警笛を鳴らした。同時に何か黒いものが一つ畠の隅へころげ落ちた。Kさんはそちらを見る拍子ひやうしに「又庭鳥にはとりがやられたな」と思つた。それは実際黒い羽根はねに青い光沢くわうたくを持つてゐるミノルカ種しゆの庭鳥にそつくりだつた。のみならず何か※冠とさからしいものもちらりと見えたのに違ひなかつた。
66
しかし庭鳥と思つたのはKさんにはほんの一瞬間だつた。Kさんはそこに佇たたずんだまま、あつけにとられずにはゐられなかつた。その畠へころげこんだものは実は今汽車に轢ひかれた二十四五の男の頭だつた。
三 武さん
67
武たけさんは二十八歳の時に何かにすがりたい慾望を感じ、この慾望を生じた原因は特にここに言はずともよい。当時名高い小説家だつたK先生を尋ねることにした。が、K先生はどう思つたか、武さんを玄関の中へ入れずに格子かうし戸越しにかう言ふのだつた。
「御用向きは何ですか?」
68
武さんはそこに佇たたずんだまま、一部始終いちぶしじゆうをK先生に話した。
「その問題を解決するのはわたしの任ではありません。Tさんのところへお出でなさい。」
69
T先生は基督キリスト教的色彩を帯びた、やはり名高い小説家だつた。武さんは早速さつそくその日のうちにT先生を訪問した。T先生は玄関へ顔を出すと、「わたしがTです。ではさやうなら」と言つたぎり、さつさと奥へ引きこまうとした。武さんは慌あわててT先生を呼びとめ、もう一度あらゆる事情を話した。
「さあ、それはむづかしい。……どうです、Uさんのところへ行つて見ては?」
70
武さんはやつと三度目にU先生に辿たどり着いた。U先生は小説家ではない。名高い基督キリスト教的思想家だつた。武さんはこのU先生により、次第に信仰へはひつて行つた。同時に又次第に現世げんせには珍らしい生活へはひつて行つた。
71
それは唯はた目には石鹸せつけんや歯磨はみがきを売る行商ぎやうしやうだつた。しかし武さんは飯めしさへ食へれば、滅多めつたに荷を背負せおつて出かけたことはなかつた。その代りにトルストイを読んだり、蕪村ぶそん句集講義を読んだり、就中なかんづく聖書を筆写したりした。武さんの筆写した新旧約聖書は何千枚かにのぼつてゐるであらう。兎とに角かく武さんは昔の坊さんの法華経ほけきやうなどを筆写したやうに勇猛に聖書を筆写したのである。
72
或夏の近づいた月夜、武たけさんは荷物を背負せおつたまま、ぶらぶら行商ぎやうしやうから帰つて来た。すると家の近くへ来た時、何か柔やはらかいものを踏みつぶした。それは月の光に透かして見ると、一匹の蟇ひきがへるに違ひなかつた。武さんは「俺おれは悪いことをした」と思つた。それから家へ帰つて来ると、寝床の前に跪ひざまづき、「神様、どうかあの蟇ひきがへるをお助け下さい」と十分ほど熱心に祈祷きたうをした。武さんは立ち小便をする時にも草木くさきのない所にしたことはない。尤もつともその為に一本の若木の枯れてしまつたことは確かである。
73
武さんを翌朝起したのはいつも早い牛乳配達だつた。牛乳配達は武さんの顔を見ると、紫がかつた壜びんをさし出しながら、晴れやかに武さんに話しかけた。
「今あすこを通つて来ると、踏みつぶされた蟇ひきがへるが一匹向うの草の中へはひつて行ゆきましたよ。蟇がへるなどといふやつは強いものですね。」
74
武さんは牛乳配達の帰つた後あと、早速さつそく感謝の祈祷をした。――これは武さんの直話ぢきわである。僕は現世にもかういふ奇蹟きせきの行はれるといふことを語りたいのではない。唯現世にもかういふ人のゐるといふことを語りたいのである。僕の考へは武さんの考へとは、――僕にこの話をした武さんの考へとは或は反対になるであらう。しかし僕は不幸にも武さんのやうに信仰にはひつてゐない。従つて考への喰ひ違ふのはやむを得ないことと思つてゐる。
昭和二・五・六
芥川龍之介
75
大正十二年の冬?、僕はどこからかタクシイに乗り、本郷ほんがう通りを一高の横から藍染橋あゐそめばしへ下くだらうとしてゐた。あの通りは甚だ街燈の少い、いつも真暗まつくらな往来わうらいである。そこにやはり自動車が一台、僕のタクシイの前を走つてゐた。僕は巻煙草を啣くはへながら、勿論その車に気もとめなかつた。しかしだんだん近寄つて見ると、――僕のタクシイのへツド・ライトがぼんやりその車を照らしたのを見ると、それは金色きんいろの唐艸からくさをつけた、葬式に使ふ自動車だつた。
76
大正十三年の夏、僕は室生犀星むろふさいせいと軽井沢かるゐざはの小みちを歩いてゐた。山砂やまずなもしつとりと湿気を含んだ、如何いかにももの静かな夕暮だつた。僕は室生と話しながら、ふと僕等の頭の上を眺めた。頭の上には澄み渡つた空に黒ぐろとアカシヤが枝を張つてゐた。のみならずその又枝の間あひだに人の脚あしが二本ぶら下つてゐた。僕は「あつ」と言つて走り出した。室生も亦また僕のあとから「どうした? どうした?」と言つて追ひかけて来た。僕はちよつと羞はづかしかつたから、何なんとか言つて護摩化ごまかしてしまつた。
77
大正十四年の夏、僕は菊池寛きくちひろし、久米正雄くめまさを、植村宋一うゑむらそういち、中山太陽堂なかやまたいやうだう社長などと築地つきぢの待合まちあひに食事をしてゐた。僕は床柱とこばしらの前に坐り、僕の右には久米正雄、僕の左には菊池寛、――と云ふ順序に坐つてゐたのである。そのうちに僕は何かの拍子ひやうしに餉台ちやぶだいの上の麦酒罎ビイルびんを眺めた。するとその麦酒罎には人の顔が一つ映うつつてゐた。それは僕の顔にそつくりだつた。しかし何も麦酒罎は僕の顔を映してゐた訣わけではない。その証拠には実在の僕は目を開いてゐたのにも関かかはらず、幻の僕は目をつぶつた上、稍仰向ややあふむいてゐたのである。僕は傍らにゐた芸者を顧み、「妙な顔が映うつつてゐる」と言つた。芸者は始は常談じやうだんにしてゐた。けれども僕の座に坐るが早いか、「あら、ほんたうに見えるわ」と言つた。菊池や久米も替かはる替がはる僕の座に来て坐つて見ては、「うん、見えるね」などと言ひ合つていた。それは久米の発見によれば、麦酒ビイル罎の向うに置いてある杯洗はいせんや何かの反射だつた。しかし僕は何なんとなしに凶きようを感ぜずにはゐられなかつた。
78
大正十五年の正月十日、僕はやはりタクシイに乗り、本郷ほんがう通りを一高の横から藍染橋あゐそめばしへ下くだらうとしてゐた。するとあの唐艸からくさをつけた、葬式に使ふ自動車が一台、もう一度僕のタクシイの前にぼんやりと後ろを現し出した。僕はまだその時までは前に挙げた幾つかの現象を聯絡れんらくのあるものとは思はなかつた。しかしこの自動車を見た時、――殊にその中の棺を見た時、何ものか僕に冥々めいめいの裡うちに或警告を与へてゐる、――そんなことをはつきり感じたのだつた。
大正十五年四月十三日鵠沼くげぬまにて浄書 〔遺稿〕
芥川龍之介
79
僕は鵠沼くげぬまの東屋あづまやの二階にぢつと仰向あふむけに寝ころんでゐた。その又僕の枕もとには妻つまと伯母をばとが差向ひに庭の向うの海を見てゐた。僕は目をつぶつたまま、「今に雨がふるぞ」と言つた。妻や伯母をばはとり合はなかつた。殊に妻は「このお天気に」と言つた。しかし二分とたたないうちに珍らしい大雨たいうになつてしまつた。
×
80
僕は全然人かげのない松の中の路みちを散歩してゐた。僕の前には白犬が一匹、尻を振り振り歩いて行つた。僕はその犬の睾丸かうぐわんを見、薄赤い色に冷たさを感じた。犬はその路の曲り角かどへ来ると、急に僕をふり返つた。それから確かににやりと笑つた。
×
81
僕は路ばたの砂の中に雨蛙あまがへるが一匹もがいてゐるのを見つけた。その時あいつは自動車が来たら、どうするつもりだらうと考へた。しかしそこは自動車などのはひる筈のない小みちだつた。しかし僕は不安になり、路ばたに茂つた草の中へ杖の先で雨蛙をはね飛ばした。
×
82
僕は風向かざむきに従つて一様いちやうに曲つた松の中に白い洋館のあるのを見つけた。すると洋館も歪ゆがんでゐた。僕は僕の目のせゐだと思つた。しかし何度見直しても、やはり洋館は歪ゆがんでゐた。これは不気味ぶきみでならなかつた。
×
83
僕は風呂ふろへはひりに行つた。彼是かれこれ午後の十一時だつた。風呂場の流しには青年が一人ひとり、手拭てぬぐひを使はずに顔を洗つてゐた。それは毛を抜いた※にはとりのやうに痩やせ衰へた青年だつた。僕は急に不快になり、僕の部屋へ引返した。すると僕の部屋の中に腹巻が一つぬいであつた。僕は驚いて帯をといて見たら、やはり僕の腹巻だつた。以上東屋あづまやにゐるうち
×
84
僕は夢を見てゐるうちはふだんの通りの僕である。ゆうべ七月十九日は佐佐木茂索ささきもさく君と馬車に乗つて歩きながら、麦藁帽むぎわらばうをかぶつた馭者ぎよしやに北京ペキンの物価などを尋ねてゐた。しかしはつきり目がさめてから二十分ばかりたつうちにいつか憂鬱になつてしまふ。唯灰色の天幕テントの裂さけ目から明るい風景が見えるやうに時々ふだんの心もちになる。どうも僕は頭からじりじり参つて来るのらしい。
×
85
僕はやはり散歩してゐるうちに白い水着を着た子供に遇あつた。子供は小さい竹の皮を兎のやうに耳につけてゐた。僕は五六間離れてゐるうちから、その鋭い竹の皮の先が妙に恐しくてならなかつた。その恐怖は子供とすれ違つた後のちも、暫しばらくの間あひだはつづいてゐた。
×
86
僕はぼんやり煙草を吸ひながら、不快なことばかり考へてゐた。僕の前の次の間まにはここへ来て雇やとつた女中が一人ひとり、こちらへは背中を見せたまま、おむつを畳んでゐるらしかつた。僕はふと「そのおむつには毛虫がたかつてゐるぞ」と言つた。どうしてそんなことを言つたかは僕自身にもわからなかつた。すると女中は頓狂とんきやうな調子で「あら、ほんたうにたかつてゐる」と言つた。
×
87
僕はバタの罐くわんをあけながら、軽井沢かるゐざはの夏を思ひ出した。その拍子ひやうしに頸くびすぢがちくりとした。僕は驚いてふり返つた。すると軽井沢に沢山たくさんゐる馬蝿うまばへが一匹飛んで行つた。それもこのあたりの馬蝿ではない。丁度ちようど軽井沢の馬蝿のやうに緑色の目をした馬蝿だつた。
×
88
僕はこの頃空の曇つた、風の強い日ほど恐しいものはない。あたりの風景は敵意を持つてぢりぢり僕に迫るやうな気がする。その癖前に恐しかつた犬や神鳴かみなりは何なんともない。僕はをととひ七月十八日も二三匹の犬が吠ほえ立てる中を歩いて行つた。しかし松風が高まり出すと、昼でも頭から蒲団ふとんをかぶるか、妻のゐる次の間まへ避難してしまふ。
×
89
僕はひとり散歩してゐるうちに歯医者の札ふだを出した家を見つけた。が、二三日たつた後のち、妻とそこを通つて見ると、そんな家は見えなかつた。僕は「確かにあつた」と言ひ、妻は「確かになかつた」と言つた。それから妻の母に尋ねて見た。するとやはり「ありません」と言つた。しかし僕はどうしても、確かにあつたと思つてゐる。その札は齒と本字を書き、イシヤと片仮名かたかなを書いてあつたから、珍らしいだけでも見違へではない。以上家を借りてから
一五・七・二〇〔遺稿〕
底本:「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971昭和46年6月5日初版第1刷発行
1971昭和46年10月5日初版第5刷発行
入力校正:j.utiyama
ファイル作成:野口英司
1999年2月15日公開
2000年8月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫http://www.aozora.gr.jp/で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字JIS外字が使われている。
※冠とさか ※にはとり
|
第3水準1-93-66
|
■上記ファイルを、里実文庫が次のように変更しました。
変更箇所
ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
行間処理:行間180%
段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
:段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
:段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成13年11月