芥川龍之介



     一

1

宇治うじ大納言隆国だいなごんたかくに「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あのまつふじの花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれて、かえって暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部わらんべたちにあおいででも貰おうか。
「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部わらんべたちもその大団扇おおうちわを忘れずに後からかついで参れ。
「やあ、皆のもの、予が隆国たかくにじゃ。大肌ぬぎの無礼はゆるしてくれい。
「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並に双紙そうしを一つ綴ろうと思い立ったが、つらつら独り考えて見れば、生憎あいにく予はこれと云うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだ面倒な趣向などを凝らすのも、予のような怠けものには、何より億劫千万おっくうせんばんじゃ。ついては今日から往来のその方どもに、今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、それを双紙に編みなそうと思う。さすれば内裡だいり内外うちそとばかりうろついてる予などには、思いもよらぬ逸事いつじ奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望をかなえてくれる訳には行くまいか。
「何、叶えてくれる? それは重畳ちょうじょう、では早速一同の話を順々にこれで聞くと致そう。
「こりゃ童部わらんべたち、一座へ風が通うように、その大団扇であおいでくれい。それで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師いもじ陶器造すえものつくりも遠慮は入らぬ。二人ともずっとこの机のほとりへ参れ。鮓売すしうりの女も日が近くば、桶はそのえんの隅へ置いたがいぞ。わ法師も金鼓ごんくはずしたらどうじゃ。そこな侍も山伏もたかむしろを敷いたろうな。
「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造すえものつくりおきなから、何なりとも話してくれい。」

     二

2

おきな「これは、これは、御叮嚀な御挨拶ごあいさつで、下賤げせんわたくしどもの申し上げます話を、一々双紙へ書いてやろうと仰有おっしゃいます――そればかりでも、私の身にとりまして、どのくらい恐多いかわかりません。が、御辞退申しましてはかえって御意ぎょいさからう道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖たわいもない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。
「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業恵印くろうどとくごうえいんと申しまして、途方とほうもなく鼻の大きい法師ほうしが一人居りました。しかもその鼻の先が、まるで蜂にでも刺されたかと思うくらい、年が年中恐しくまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢名あだなをつけまして、鼻蔵はなくら――と申しますのは、元来大鼻の蔵人得業くろうどとくごうと呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人はなくろうどと申しはやしました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、うたわれるようになったのでございます。現に私も一両度、その頃奈良の興福寺こうふくじの寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻蔵とでもそしられそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻てんぐばなでございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師えいんほうしが、ある夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢さるさわの池のほとりへ参りまして、あの采女柳うねめやなぎの前のつつみへ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印えいんは実の所、猿沢の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。ましてその竜が三月三日に天上てんじょうすると申す事は、全く口から出まかせの法螺ほらなのでございます。いや、どちらかと申しましたら、天上しないと申す方がまだ確かだったのでございましょう。ではどうしてそんな入らざる真似を致したかと申しますと、恵印は日頃から奈良の僧俗が何かにつけて自分の鼻を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がうまく一番かついだ挙句あげく、さんざん笑い返してやろうと、こう云う魂胆こんたん悪戯いたずらにとりかかったのでございます。御前ごぜんなどが御聞きになりましたら、さぞ笑止しょうしな事と思召しましょうが、何分今は昔の御話で、その頃はかような悪戯を致しますものが、とかくどこにもあり勝ちでございました。
「さてあくる日、第一にこの建札を見つけましたのは、毎朝興福寺の如来様にょらいさまを拝みに参ります婆さんで、これが珠数じゅずをかけた手に竹杖をせっせとつき立てながら、まだもやのかかっている池のほとりへ来かかりますと、昨日きのうまでなかった建札が、采女柳の下に立って居ります。はて法会ほうえの建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うから偏衫へんさんを着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼んで読んで貰いますと、何しろ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』で、――誰でもこれには驚いたでございましょう。その婆さんも呆気あっけにとられて、曲った腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、からのある学者がまゆの上にこぶが出来て、かゆうてたまらなんだ事があるが、ある日一天にわかに掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降りそそいだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂けて、中から一匹の黒竜が雲を捲いて一文字に昇天したと云う話もござる。瘤の中にさえ竜が居たなら、ましてこれほどの池の底には、何十匹となく蛟竜こうりゅう毒蛇がわだかまって居ようも知れぬ道理ことわりじゃ。』と、説法したそうでございます。何しろ出家に妄語もうごはないと日頃から思いこんだ婆さんの事でございますから、これを聞いてきもを消しますまい事か、『成程そう承りますれば、どうやらあの辺の水の色が怪しいように見えますわいな。』で、まだ三月三日にもなりませんのに、法師を独り後に残して、あえぎ喘ぎ念仏を申しながら、竹杖をつくもまだるこしそうに急いで逃げてしまいました。後で人目がございませんでしたら、腹を抱えたかったのはこの法師で――これはそうでございましょう。実はあの発頭人ほっとうにん得業恵印とくごうえいん諢名あだな鼻蔵はなくらが、もう昨夜ゆうべ建てた高札こうさつにひっかかった鳥がありそうだくらいな、はなはだ怪しからん量見で、容子ようすを見ながら、池のほとりを、歩いて居ったのでございますから。が、婆さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、とも下人げにんに荷を負わせた虫の垂衣たれぎぬの女が一人、市女笠いちめがさの下から建札を読んで居るのでございます。そこで恵印は大事をとって、一生懸命笑を噛み殺しながら、自分も建札の前に立って一応読むようなふりをすると、あの大鼻の赤鼻をさも不思議そうに鳴らして見せて、それからのそのそ興福寺こうふくじの方へ引返して参りました。
「すると興福寺の南大門なんだいもんの前で、思いがけなく顔を合せましたのは、同じ坊に住んで居った恵門えもんと申す法師でございます。それが恵印えいんに出会いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊ごぼうには珍しい早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知れませぬて。聞けばあの猿沢の池から三月三日には、竜が天上するとか申すではござらぬか。』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は疑わしそうに、じろりと恵印の顔をめましたが、すぐに喉を鳴らしながらせせら笑って、『御坊は善い夢を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す夢は吉兆じゃとか聞いた事がござる。』と、はちひらいた頭をそびやかせたまま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさて、縁無き衆生しゅじょうし難しじゃ。』と、つぶやいた声でも聞えたのでございましょう。麻緒あさお足駄あしだ歯をよじって憎々にくにくしげにふり返りますと、まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜が天上すると申す、しかとした証拠がござるかな。』と問いつめるのでございます。そこで恵印はわざと悠々と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまして、『愚僧の申す事が疑わしければ、あの采女柳うねめやなぎの前にある高札こうさつを読まれたがよろしゅうござろう。』と、見下みくだすように答えました。これにはさすがに片意地な恵門も、少しはほこさきを挫かれたのか、まぶしそうなまたたきを一つすると、『ははあ、そのような高札こうさつが建ちましたか。』と気のない声で云い捨てながら、またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢の開いた頭を傾けて、何やら考えて行くらしいのでございます。その後姿を見送った鼻蔵人はなくろうど可笑おかしさは、大抵御推察が参りましょう。恵印えいんはどうやら赤鼻の奥がむずがゆいような心もちがして、しかつめらしく南大門なんだいもんの石段を上って行く中にも、思わず吹き出さずには居られませんでした。
「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札は、これほどのき目がございましたから、まして一日二日と経って見ますと、奈良の町中どこへ行っても、この猿沢さるさわの池の竜のうわさが出ない所はございません。元より中には『あの建札も誰かの悪戯いたずらであろう。』など申すものもございましたが、折から京では神泉苑しんせんえんの竜が天上致したなどと申す評判もございましたので、そう云うものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかも知れないぐらいな気にはなって居ったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日かすが御社おやしろに仕えて居りますある禰宜ねぎの一人娘で、とって九つになりますのが、そののち十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算つもりだから、どうか安心していてくれい。』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢枕ゆめまくらに立ったのだと、たちまちまたそれが町中のおお評判になったではございませんか。こうなると話にも尾鰭おひれがついて、やれあすこの稚児ちごにも竜がいて歌を詠んだの、やれここの巫女かんなぎにも竜が現れて託宣たくせんをしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。いや、首までは出しも致しますまいが、その中に竜の正体を、のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りました。これは毎朝川魚をいちへ売りに出ます老爺おやじで、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳うねめやなぎ枝垂しだれたあたり、建札のあるつつみの下に漫々と湛えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうすあかるく見えたそうでございます。何分にも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜神りゅうじんの御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震どうぶるいをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、かすように、池を窺いました。するとそのほのあかるい水の底に、黒金くろがねの鎖を巻いたような何とも知れない怪しい物が、じっとわだかまって居りましたが、たちまち人音ひとおとに驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池のおもて水脈みおが立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失せてしまったそうでございます。が、これを見ました老爺おやじは、やがて総身そうしんに汗をかいて、荷を下した所へ来て見ますと、いつの間にか鯉鮒こいふな合せて二十もいた商売物あきないものがなくなっていたそうでございますから、『大方劫おおかたこうを経たかわおそにでもだまされたのであろう。』などとわらうものもございました。けれども中には『竜王が鎮護遊ばすあの池に獺のもう筈もないから、それはきっと竜王が魚鱗うろくずの命を御憫おあわれみになって、御自分のいらっしゃる池の中へ御召し寄せなすったのに相違ない。』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。
「こちらは鼻蔵はなくら恵印法師えいんほうしで、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札が大評判になるにつけ、内々ないないあの大鼻をうごめかしては、にやにや笑って居りましたが、やがてその三月三日も四五日の中に迫って参りますと、驚いた事には摂津せっつの国桜井さくらいにいる叔母の尼が、是非その竜の昇天を見物したいと申すので、遠い路をはるばると上って参ったではございませんか。これには恵印も当惑して、おどすやら、すかすやら、いろいろ手を尽して桜井へ帰って貰おうと致しましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、竜王りゅうおうの御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。』と、剛情にも腰を据えて、甥の申す事などには耳を借そうとも致しません。と申してあの建札は自分が悪戯いたずらに建てたのだとも、今更白状する訳には参りませんから、恵印もとうとうを折って、三月三日まではその叔母の世話を引き受けたばかりでなく、当日は一しょに竜神りゅうじんの天上する所を見に行くと云う約束までもさせられました。さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和やまとの国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉いずみの国、河内かわちの国を始めとして、事によると播磨はりまの国、山城やましろの国、近江おうみの国、丹波たんばの国のあたりまでも、もうこの噂が一円いちえんにひろまっているのでございましょう。つまり奈良の老若ろうにゃくをかつごうと思ってした悪戯が、思いもよらず四方よもの国々で何万人とも知れない人間をだます事になってしまったのでございます。恵印はそう思いますと、可笑おかしいよりは何となく空恐しい気が先に立って、朝夕あさゆう叔母の尼の案内がてら、つれ立って奈良の寺々を見物して歩いて居ります間も、とんと検非違使けびいしの眼をぬすんで、身を隠している罪人のようなうしろめたい思いがして居りました。が、時々往来のものの話などで、あの建札へこの頃は香花こうげ手向たむけてあると云う噂を聞く事でもございますと、やはり気味の悪い一方では、ひとかど大手柄でも建てたような嬉しい気が致すのでございます。
「その内に追い追い日数ひかずが経って、とうとう竜の天上する三月三日になってしまいました。そこで恵印は約束の手前、今更ほかに致し方もございませんから、渋々叔母の尼のともをして、猿沢さるさわの池が一目に見えるあの興福寺こうふくじ南大門なんだいもんの石段の上へ参りました。丁度その日は空もほがらかに晴れ渡って、門の風鐸ふうたくを鳴らすほどの風さえ吹く気色けしきはございませんでしたが、それでも今日きょうと云う今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及ばず、河内、和泉、摂津、播磨、山城、近江、丹波の国々からも押し寄せて参ったのでございましょう。石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路おおじのはてのはてまで、ありとあらゆる烏帽子えぼしの波をざわめかせて居るのでございます。と思うとそのところどころには、青糸毛あおいとげだの、赤糸毛あかいとげだの、あるいはまた栴檀庇せんだんびさしだのの数寄すきを凝らした牛車ぎっしゃが、のっしりとあたりの人波を抑えて、屋形やかたに打った金銀の金具かなぐを折からうららかな春の日ざしに、まばゆくきらめかせて居りました。そのほか、日傘ひがさをかざすもの、平張ひらばりを空に張り渡すもの、あるいはまた仰々ぎょうぎょうしく桟敷さじきを路に連ねるもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加茂かもの祭でも渡りそうな景色でございます。これを見た恵印法師えいんほうしはまさかあの建札を立てたばかりで、これほどの大騒ぎが始まろうとは夢にも思わずに居りましたから、さも呆れ返ったように叔母の尼の方をふり向きますと、『いやはや、飛んでもない人出でござるな。』と情けない声で申したきり、さすがに今日は大鼻を鳴らすだけの元気も出ないと見えて、そのまま南大門なんだいもんの柱の根がたへ意気地いくじなくうずくまってしまいました。
「けれども元より叔母の尼には、恵印のそんな腹の底が呑みこめる訳もございませんから、こちらは頭巾ずきんもずり落ちるほど一生懸命首を延ばして、あちらこちらを見渡しながら、成程竜神の御棲おすまいになる池の景色は格別だの、これほどの人出がした上からは、きっと竜神も御姿を御現わしなさるだろうのと、何かと恵印をつかまえては話しかけるのでございます。そこでこちらも柱の根がたに坐ってばかりは居られませんので、嫌々腰をもたげて見ますと、ここにも揉烏帽子もみえぼし侍烏帽子さむらいえぼし人山ひとやまを築いて居りましたが、その中に交ってあの恵門法師えもんほうしも、相不変あいかわらず鉢の開いた頭を一きわ高く聳やかせながら、の目もふらず池の方を眺めて居るではございませんか。恵印は急に今までの情けない気もちも忘れてしまって、ただこの男さえかついでやったと云う可笑おかしさに独りくすぐられながら、『御坊ごぼう』と一つ声をかけて、それから『御坊も竜の天上を御覧かな。』とからかうように申しましたが、恵門は横柄おうへいにふりかえると、思いのほか真面目な顔で、『さようでござる。御同様大分だいぶ待ち遠い思いをしますな。』と、例のげじげじ眉も動かさずに答えるのでございます。これはちと薬が利きすぎた――と思うと、浮いた声も自然に出なくなってしまいましたから、恵印はまた元の通り世にも心細そうな顔をして、ぼんやり人の海の向うにある猿沢さるさわの池を見下しました。が、池はもうぬるんだらしい底光りのする水のおもてに、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色けしきもございません。殊にそのまわりの何里四方が、隙き間もなく見物の人数にんずうずまってでもいるせいか、今日は池の広さが日頃より一層狭く見えるようで、第一ここに竜が居ると云うそれがそもそも途方とほうもない嘘のような気が致すのでございます。
「が、一時一時いっときいっときと時の移って行くのも知らないように、見物は皆片唾かたずを飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえて居るのでございましょう。門の下の人の海はますます広がって行くばかりで、しばらくする内には牛車ぎっしゃかずも、所によっては車の軸が互に押し合いへし合うほど、多くなって参りました。それを見た恵印の情けなさは、大概前からの行きがかりでも、御推察が参るでございましょう。が、ここに妙な事が起ったと申しますのは、どう云うものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始はどちらかと申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した事でございます。恵印は元よりあの高札こうさつを打った当人でございますから、そんな莫迦ばかげた気のすることはありそうもないものでございますが、目の下で寄せつ返しつしている烏帽子えぼしの波を見て居りますと、どうもそんな大変が起りそうな気が致してなりません。これは見物の人数の心もちがいつとなく鼻蔵はなくらにも乗り移ったのでございましょうか。それともあの建札を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思うと、何となく気がとがめるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれればいと念じ出したのでございましょうか。その辺の事情はともかくも、あの高札の文句を書いたものは自分だと重々じゅうじゅう承知しながら、それでも恵印は次第次第に情けない気もちが薄くなって、自分も叔母の尼と同じように飽かず池のおもてを眺め始めました。また成程なるほどそう云う気が起りでも致しませんでしたら、昇る気づかいのない竜を待って、いかに不承不承ふしょうぶしょうとは申すものの、南大門なんだいもんの下に小一日こいちにちも立って居る訳には参りますまい。
「けれども猿沢の池は前の通り、さざなみも立てずに春の日ざしを照り返して居るばかりでございます。空もやはりほがらかに晴れ渡って、こぶしほどの雲の影さえ漂って居る容子ようすはございません。が、見物は相不変あいかわらず、日傘の陰にも、平張ひらばりの下にも、あるいはまた桟敷さじきの欄干のうしろにも、簇々ぞくぞくと重なり重なって、朝からひるへ、午からゆうべへ日影が移るのも忘れたように、竜王が姿を現すのを今か今かと待って居りました。
「すると恵印えいんがそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙のような一すじの雲が中空なかぞらにたなびいたと思いますと、見る間にそれが大きくなって、今までのどかに晴れていた空が、にわかにうす暗く変りました。その途端とたんに一陣の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面に無数の波をえがきましたが、さすがに覚悟はしていながら慌てまどった見物が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾けてまっ白にどっと雨が降り出したではございませんか。のみならず神鳴かみなりも急に凄じく鳴りはためいて、絶えず稲妻いなずまおさのように飛びちがうのでございます。それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色こんじきの爪をひらめかせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧もうろうとして映りました。が、それはまたたく暇で、あとはただ風雨の中に、池をめぐった桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上るまでもございますまい。
「さてその内に豪雨ごううもやんで、青空が雲間くもまに見え出しますと、恵印は鼻の大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見廻しました。一体今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高札を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気も致して参ります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考えるほど益不審ますますふしんでたまりません。そこでかたわらの柱の下に死んだようになって坐っていた叔母の尼をき起しますと、妙にてれた容子ようすも隠しきれないで、『竜を御覧ごろうじられたかな。』と臆病らしく尋ねました。すると叔母は大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐ろしそうにうなずくばかりでございましたが、やがてまた震え声で、『見たともの、見たともの、金色こんじきの爪ばかり閃かいた、一面にまっ黒な竜神りゅうじんじゃろが。』と答えるのでございます。して見ますと竜を見たのは、何も鼻蔵人はなくろうど得業恵印とくごうえいんの眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せた老若男女ろうにゃくなんにょは、大抵皆雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申す事でございました。
「その後恵印は何かの拍子ひょうしに、実はあの建札は自分の悪戯いたずらだったと申す事を白状してしまいましたが、恵門を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。これで一体あの建札の悪戯は図星ずぼしあたったのでございましょうか。それともまとを外れたのでございましょうか。鼻蔵はなくらの、鼻蔵人はなくろうどの、大鼻の蔵人得業くろうどとくごうの恵印法師に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………」

     三

3

宇治大納言隆国うじだいなごんたかくに「なるほどこれは面妖めんような話じゃ。昔はあの猿沢池さるさわのいけにも、竜がんで居ったと見えるな。何、昔もいたかどうか分らぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あるまい。昔はあめが下の人間も皆しんから水底みなそこには竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地あめつちあいだ飛行ひぎょうして、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。が、予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚あんぎゃの法師の番じゃな。
「何、その方の物語は、いけ禅智内供ぜんちないぐとか申す鼻の長い法師の事じゃ? これはまた鼻蔵の後だけに、一段と面白かろう。では早速話してくれい。――」      
大正八年四月



底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1986昭和61年12月1日第1刷発行
   1996平成8年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971昭和46年3月〜11月に刊行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
ファイル作成:野口英司
1998年12月8日公開
1999年8月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字JIS外字が使われている。

歯を※よじって

第4水準2-12-93



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