浅草公園

  ――或シナリオ――

             芥川龍之介



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浅草あさくさ仁王門におうもんの中にった、火のともらない大提灯おおじょうちん。提灯は次第に上へあがり、雑沓ざっとうした仲店なかみせを見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。門の前に飛びかう無数のはと

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雷門かみなりもんから縦に見た仲店。正面にはるかに仁王門が見える。樹木は皆枯れ木ばかり。

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仲店の片側かたがわ外套がいとうを着た男が一人ひとり、十二三歳の少年と一しょにぶらぶら仲店を歩いている。少年は父親の手を離れ、時々玩具屋おもちゃやの前に立ち止まったりする。父親は勿論こう云う少年を時々叱ったりしないことはない。が、まれには彼自身も少年のいることを忘れたように帽子屋ぼうしやの飾り窓などを眺めている。

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こう云う親子の上半身じょうはんしん。父親はいかにも田舎者いなかものらしい、無精髭ぶしょうひげを伸ばした男。少年は可愛かわいいと云うよりもむしろ可憐な顔をしている。彼等のうしろには雑沓した仲店。彼等はこちらへ歩いて来る。

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斜めに見たある玩具屋おもちゃやの店。少年はこの店の前にたたずんだまま、綱をのぼったりりたりする玩具の猿を眺めている。玩具屋の店の中には誰も見えない。少年の姿は膝の上まで。

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綱を上ったり下りたりしている猿。猿は燕尾服えんびふくの尾を垂れた上、シルク・ハットを仰向あおむけにかぶっている。この綱や猿の後ろは深い暗のあるばかり。

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この玩具屋のある仲店の片側。猿を見ていた少年は急に父親のいないことに気がつき、きょろきょろあたりを見まわしはじめる。それから向うに何か見つけ、その方へ一散いっさんに走ってく。

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父親らしい男の後ろ姿。ただしこれも膝の上まで。少年はこの男に追いすがり、しっかりと外套の袖をとらえる。驚いてふり返った男の顔は生憎あいにく田舎者いなかものらしい父親ではない。綺麗きれい口髭くちひげの手入れをした、都会人らしい紳士である。少年の顔に往来する失望や当惑に満ちた表情。紳士は少年を残したまま、さっさと向うへ行ってしまう。少年は遠い雷門かみなりもんを後ろにぼんやり一人佇んでいる。

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もう一度父親らしい後ろ姿。ただし今度は上半身じょうはんしん。少年はこの男に追いついて恐る恐るその顔を見上げる。彼等の向うには仁王門におうもん

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この男の前を向いた顔。彼は、マスクに口をおおった、人間よりも、動物に近い顔をしている。何か悪意の感ぜられる微笑びしょう

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仲店の片側。少年はこの男を見送ったまま、途方とほうに暮れたように佇んでいる。父親の姿はどちらを眺めても、生憎あいにく目にははいらないらしい。少年はちょっと考えたのちあてどもなしに歩きはじめる。いずれも洋装をした少女が二人、彼をふり返ったのも知らないように。

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目金めがね屋の店の飾り窓。近眼鏡きんがんきょう遠眼鏡えんがんきょう双眼鏡そうがんきょう廓大鏡かくだいきょう顕微鏡けんびきょう塵除ちりよ目金めがねなどの並んだ中に西洋人の人形にんぎょうの首が一つ、目金をかけて頬笑ほほえんでいる。その窓の前にたたずんだ少年の後姿うしろすがた。ただしななめに後ろから見た上半身。人形の首はおのずから人間の首に変ってしまう。のみならずこう少年に話しかける。――

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「目金を買っておかけなさい。お父さんを見付みつけるには目金をかけるのに限りますからね。」
「僕の目は病気ではないよ。」

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斜めに見た造花屋ぞうかやの飾り窓。造花は皆竹籠だの、瀬戸物の鉢だのの中に開いている。中でも一番大きいのは左にある鬼百合おにゆりの花。飾り窓の板硝子ガラスは少年の上半身を映しはじめる。何か幽霊のようにぼんやりと。

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飾り窓の板硝子越しに造花を隔てた少年の上半身。少年は板硝子に手を当てている。そのうちに息の当るせいか、顔だけぼんやりと曇ってしまう。

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飾り窓の中の鬼百合の花。ただし後ろは暗である。鬼百合の花の下に垂れているつぼみもいつか次第に開きはじめる。

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「わたしの美しさを御覧なさい。」
「だってお前は造花じゃないか?」

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かどから見た煙草屋の飾り窓。巻煙草のかん、葉巻の箱、パイプなどの並んだ中に斜めにふだが一枚懸っている。この札に書いてあるのは、――「煙草の煙は天国の門です。」おもむろにパイプから立ちのぼる煙。

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煙の満ち充ちた飾り窓の正面しょうめん。少年はこの右にたたずんでいる。ただしこれも膝の上まで。煙の中にはぼんやりと城が三つ浮かびはじめる。城は Three Castles の商標を立体にしたものに近い。

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それ等の城の一つ。この城の門には兵卒が一人銃を持って佇んでいる。そのまた鉄格子てつごうしの門の向うには棕櫚しゅろが何本もそよいでいる。

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この城の門の上。そこには横にいつのにかこう云う文句が浮かび始める。――
「この門に入るものは英雄となるべし。」

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こちらへ歩いて来る少年の姿。前の煙草屋の飾り窓は斜めに少年の後ろに立っている。少年はちょっとふり返って見たのち、さっさとまた歩いて行ってしまう。

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がねだけ見える鐘楼しゅろうの内部。撞木しゅもくは誰かの手に綱を引かれ、おもむろに鐘を鳴らしはじめる。一度、二度、三度、――鐘楼の外は松の木ばかり。

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斜めに見た射撃屋しゃげきやの店。まとは後ろに巻煙草の箱を積み、前に博多人形はかたにんぎょうを並べている。手前に並んだ空気銃の一列。人形の一つはドレッスをつけ、扇を持った西洋人の女である。少年はずこの店にはいり、空気銃を一つとり上げて全然無分別むふんべつまとねらう。射撃屋の店には誰もいない。少年の姿は膝の上まで。

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西洋人の女の人形。人形は静かに扇をひろげ、すっかり顔を隠してしまう。それからこの人形にあたるコルクの弾丸たま。人形は勿論仰向あおむけに倒れる。人形の後ろにも暗のあるばかり。

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前の射撃屋の店。少年はまた空気銃をとり上げ、今度は熱心にまとを狙う。三発、四発、五発、――しかし的は一つも落ちない。少年はぶ銀貨を出し、店の外へ行ってしまう。

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始めはただ薄暗い中に四角いものの見えるばかり。その中にこの四角いものは突然電燈をともしたと見え、横にこう云う字を浮かびあがらせる。――上に「公園六区ろっく」下に「夜警詰所やけいつめしょ」。上のは黒い中に白、下のは黒い中に赤である。

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劇場の裏の上部。火のともった窓が一つ見える。まっすぐ雨樋あまどいをおろした壁にはいろいろのポスタアのがれたあと

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この劇場の裏の下部かぶ。少年はそこにたたずんだまま、しばらくはどちらへもこうとしない。それから高い窓を見上げる。が、窓には誰も見えない。ただたくましいブルテリアが一匹、少年の足もとを通って行く。少年のにおいいで見ながら。

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同じ劇場の裏の上部。火のともった窓には踊り子が一人現れ、冷淡に目の下の往来を眺める。この姿は勿論もちろん逆光線のために顔などははっきりとわからない。が、いつか少年に似た、可憐かれんな顔を現してしまう。踊り子は静かに窓をあけ、小さい花束はなたばを下に投げる。

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往来に立った少年の足もと。小さい花束が一つ落ちて来る。少年の手はこれを拾う。花束は往来を離れるが早いか、いつかいばらの束に変っている。

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黒い一枚の掲示板けいじばん。掲示板は「北の風、晴」と云う字をチョオクに現している。が、それはぼんやりとなり、「南の風強かるべし。雨模様」と云う字に変ってしまう。

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ななめに見た標札屋ひょうさつや露店ろてん天幕てんとの下に並んだ見本は徳川家康とくがわいえやす二宮尊徳にのみやそんとく渡辺崋山わたなべかざん近藤勇こんどういさみ近松門左衛門ちかまつもんざえもんなどの名を並べている。こう云う名前もいつのにか有り来りの名前に変ってしまう。のみならずそれ等の標札の向うにかすかに浮んで来る南瓜畠かぼちゃばたけ……

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池の向うに並んだ何軒かの映画館。池には勿論電燈の影が幾つともなしに映っている。池の左に立った少年の上半身じょうはんしん。少年の帽は咄嗟とっさあいだに風のために池へ飛んでしまう。少年はいろいろあせったのち、こちらを向いて歩きはじめる。ほとんど絶望に近い表情。

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カッフェの飾り窓。砂糖の塔、生菓子なまがし麦藁むぎわらのパイプを入れた曹達水ソオダすいのコップなどの向うに人かげが幾つも動いている。少年はこの飾り窓の前へ通りかかり、飾り窓の左に足を止めてしまう。少年の姿は膝の上まで。

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このカッフェの外部。夫婦らしい中年の男女なんにょが二人硝子ガラス戸の中へはいって行く。女はマントルを着た子供をいている。そのうちにカッフェはおのずからまわり、コック部屋の裏を現わしてしまう。コック部屋の裏には煙突えんとつが一本。そこにはまた労働者が二人せっせとシャベルを動かしている。カンテラを一つともしたまま。……

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テエブルの前の子供椅子いすの上に上半身を見せた前の子供。子供はにこにこ笑いながら、首を振ったり手を挙げたりしている。子供の後ろには何も見えない。そこへいつか薔薇ばらの花が一つずつ静かに落ちはじめる。

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斜めに見える自動計算器。計算器の前には手が二つしきりなしに動いている。勿論女の手に違いない。それから絶えず開かれる抽斗ひきだし。抽斗の中はぜにばかりである。

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前のカッフェの飾り窓。少年の姿も変りはない。しばらくののち、少年はおもむろに振り返り、足早あしばやにこちらへ歩いて来る。が、顔ばかりになった時、ちょっと立ちどまって何かを見る。多少驚きに近い表情。

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人だかりのまん中に立った商人あきゅうど。彼は呉服ごふくものをひろげた中に立ち、一本の帯をふりながら、熱心に人だかりに呼びかけている。

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彼の手に持った一本の帯。帯は前後左右に振られながら、片はしを二三尺現している。帯の模様は廓大かくだいした雪片せっぺん。雪片は次第にまわりながら、くるくる帯の外へも落ちはじめる。

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メリヤス屋の露店ろてん。シャツやズボン下をった下にばあさんが一人行火あんかに当っている。婆さんの前にもメリヤス類。毛糸の編みものもまじっていないことはない。行火のすそには黒猫が一匹時々前足をめている。

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行火の裾に坐っている黒猫。左に少年の下半身かはんしんも見える。黒猫も始めは変りはない。しかしいつか頭の上に流蘇ふさの長いトルコ帽をかぶっている。

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「坊ちゃん、スウェエタアを一つお買いなさい。」
「僕は帽子さえ買えないんだよ。」

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メリヤス屋の露店を後ろにした、疲れたらしい少年の上半身じょうはんしん。少年は涙を流しはじめる。が、やっと気をとり直し、高い空を見上げながら、もう一度こちらへ歩きはじめる。

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かすかに星のかがやいた夕空。そこへ大きい顔が一つおのずからぼんやりと浮かんで来る。顔は少年の父親らしい。愛情はこもっているものの、何か無限にもの悲しい表情。しかしこの顔もしばらくののち、霧のようにどこかへ消えてしまう。

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たてに見た往来。少年はこちらへうしろを見せたまま、この往来を歩いてく。往来は余り人通りはない。少年の後ろから歩いて行く男。この男はちょっと振り返り、マスクをかけた顔を見せる。少年は一度も後ろを見ない。

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斜めに見た格子戸こうしど造りの家の外部。家の前には人力車じんりきしゃが三台後ろ向きに止まっている。人通りはやはり沢山ない。角隠つのかくしをつけた花嫁はなよめが一人、何人かの人々と一しょに格子戸を出、静かに前の人力車に乗る。人力車は三台とも人を乗せると、花嫁を先に走って行く。そのあとから少年の後ろ姿。格子戸の家の前に立った人々は勿論少年に目もやらない。

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「XYZ会社特製品、迷い子、文芸的映画」と書いた長方形の板。これもこの板を前後にしたサンドウィッチ・マンに変ってしまう。サンドウィッチ・マンは年をとっているものの、どこか仲店なかみせを歩いていた、都会人らしい紳士に似ている。後ろは前よりも人通りは多い、いろいろの店の並んだ往来。少年はそこを通りかかり、サンドウィッチ・マンのくばっている広告を一枚貰って行く。

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縦に見た前の往来。松葉杖をついた癈兵はいへいが一人ゆっくりと向うへ歩いてく。癈兵はいつか駝鳥だちょうに変っている。が、しばらく歩いて行くうちにまた癈兵になってしまう。横町よこちょうかどにはポストが一つ。

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「急げ。急げ。いつ何時なんどき死ぬかも知れない。」

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往来のかどに立っているポスト。ポストはいつか透明になり、無数の手紙の折り重なった円筒の内部を現して見せる。が、見る見る前のようにただのポストに変ってしまう。ポストの後ろには暗のあるばかり。

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斜めに見た芸者屋町げいしゃやまち。お座敷へ出る芸者が二人ふたりある御神燈ごしんとうのともった格子戸こうしどを出、静かにこちらへ歩いて来る。どちらもなんの表情も見せない。二人の芸者の通りすぎたのち、向うへ歩いてく少年の姿。少年はちょっとふり返って見る。前よりもさらに寂しい表情。少年はだんだん小さくなって行く。そこへ向うに立っていた、の低い声色遣こわいろつかいが一人ひとりやはりこちらへ歩いて来る。彼ののあたりへ近づいたのを見ると、どこか少年に似ていないことはない。

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大きい針金はりがねのまわりにぐるりと何本もぶら下げたかもじ[#「かもじ」に傍点]。かもじ[#「かもじ」に傍点]の中には「すき毛入り前髪まえがみ立て」と書いたふだも下っている。これ等のかもじ[#「かもじ」に傍点]はいつのにか理髪店の棒に変ってしまう。棒の後ろにも暗のあるばかり。

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理髪店の外部。大きい窓硝子ガラスの向うには男女なんにょが何人も動いている。少年はそこへ通りかかり、ちょっと内部をのぞいて見る。

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頭をっている男の横顔。これもしばらくたった後、大きい針金のにぶら下げた何本かのかもじ[#「かもじ」に傍点]に変ってしまう。かもじ[#「かもじ」に傍点]の中に下ったふだが一枚。札には今度は「入れ毛」と書いてある。

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セセッション風に出来上った病院。少年はこちらから歩み寄り、石の階段を登ってく、しかし戸の中へはいったと思うと、すぐにまた階段をくだって来る。少年の左へ行ったのち、病院は静かにこちらへ近づき、とうとう玄関だけになってしまう。その硝子戸ガラスどを押しあけて外へ出て来る看護婦かんごふが一人。看護婦は玄関にたたずんだまま、何か遠いものを眺めている。

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膝の上に組んだ看護婦の両手。前になった左の手には婚約の指環が一つはまっている。が、指環はおのずから急に下へ落ちてしまう。

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わずかに空を残したコンクリイトの塀。これもおのずから透明とうめいになり、鉄格子てつごうしの中にむらがった何匹かの猿を現して見せる。それからまた塀全体はあやつ人形にんぎょうの舞台に変ってしまう。舞台はとにかく西洋じみた室内。そこに西洋人の人形が一つずあたりをうかがっている。覆面ふくめんをかけているのを見ると、この室へ忍びこんだ盗人ぬすびとらしい。室の隅には金庫が一つ。

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金庫をこじあけている西洋人の人形。ただしこの人形の手足についた、細い糸も何本かははっきりと見える。……

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斜めに見た前のコンクリイトの塀。塀はもう何も現していない。そこを通りすぎる少年の影。そのあとから今度は背むしの影。

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前から斜めに見おろした往来。往来の上には落ち葉が一枚風に吹かれてまわっている。そこへまた舞いさがって来る前よりも小さい落葉が一枚。最後に雑誌の広告らしい紙も一枚ひるがえって来る。紙は生憎あいにく引きかれているらしい。が、はっきりと見えるのは「生活、正月号」と云う初号活字である。

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大きい常磐木ときわぎの下にあるベンチ。木々の向うに見えているのは前の池の一部らしい。少年はそこへ歩み寄り、がっかりしたように腰をかける。それから涙をぬぐいはじめる。すると前の背むしが一人やはりベンチへ来て腰をかける。時々風にれるうしろの常磐木。少年はふと背むしを見つめる。が、背むしはふり返りもしない。のみならずふところから焼き芋を出し、がつがつしているように食いはじめる。

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焼きいもを食っている背むしの顔。

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前の常磐木ときわぎのかげにあるベンチ。背むしはやはり焼き芋を食っている。少年はやっと立ち上り、頭を垂れてどこかへ歩いてく。

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斜めに上から見おろしたベンチ。板を透かしたベンチの上には蟇口がまぐちが一つ残っている。すると誰かの手が一つそっとその蟇口をとり上げてしまう。

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前の常磐木のかげにあるベンチ。ただし今度は斜めになっている。ベンチの上には背むしが一人蟇口の中をしらべている。そのうちにいつか背むしの左右に背むしが何人も現れはじめ、とうとうしまいにはベンチの上は背むしばかりになってしまう。しかも彼等は同じようにそれぞれ皆熱心に蟇口の中を検べている。互に何か話し合いながら。

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写真屋の飾り窓。男女なんにょの写真が何枚もそれぞれ額縁がくぶちにはいってかかっている。が、それ等の男女の顔もいつか老人に変ってしまう。しかしその中にたった一枚、フロック・コオトに勲章をつけた、顋髭あごひげのある老人の半身だけは変らない。ただその顔はいつのにか前の背むしの顔になっている。

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横から見た観音堂かんのんどう。少年はその下を歩いてく。観音堂の上には三日月みかづきが一つ。

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観音堂の正面の一部。ただしとびらはしまっている。その前に礼拝らいはいしている何人かの人々。少年はそこへ歩みより、こちらへ後ろを見せたまま、ちょっと観音堂を仰いで見る。それから突然こちらを向き、さっさと斜めに歩いて行ってしまう。

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斜めに上から見おろした、大きい長方形の手水鉢ちょうずばち柄杓ひしゃくが何本も浮かんだ水にはかげもちらちら映っている。そこへまた映って来る、憔悴しょうすいし切った少年の顔。

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大きい石燈籠いしどうろうの下部。少年はそこに腰をおろし、両手に顔を隠して泣きはじめる。

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前の石燈籠の下部の後ろ。男が一人たたずんだまま、何かに耳を傾けている。

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この男の上半身。もっとも顔だけはこちらを向いていない。が、静かに振り返ったのを見ると、マスクをかけた前の男である。のみならずその顔もしばらくののち、少年の父親に変ってしまう。

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前の石燈籠の上部。石燈籠は柱を残したまま、おのずからほのおになって燃え上ってしまう。炎の下火したびになったのち、そこに開き始める菊の花が一輪。菊の花は石燈籠の笠よりも大きい。

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前の石燈籠の下部。少年は前と変りはない。そこへ帽を目深まぶかにかぶった巡査じゅんさが一人歩みより、少年の肩へ手をかける。少年は驚いて立ち上り、何か巡査と話をする。それから巡査に手を引かれたまま、静かに向うへ歩いてく。

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前の石燈籠の下部の後ろ。今度はもう誰もいない。

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前の仁王門におうもん大提灯おおじょうちん。大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店なかみせを見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消えせない。
昭和二年三月十四日



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987昭和62年3月24日第1刷発行
   1993平成5年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971昭和46年3月〜11月に刊行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
ファイル作成:野口英司
1998年4月20日公開
1999年7月24日修正
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