言いつけられた時刻に、時刻がきたと注意しても、先方がその注意を無にする以上は、向をむいてうん[#「うん」に傍点]さえ発せざる以上は、その曲は夫にあって、妻にあらずと論定したる細君は、遅くなっても知りませんよと云う姿勢で箒とはたき[#「はたき」に傍点]を担いで書斎の方へ行ってしまった。やがてぱたぱた書斎中を叩き散らす音がするのは例によって例のごとき掃除を始めたのである。一体掃除の目的は運動のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ吾輩の関知するところでないから、知らん顔をしていれば差し支えないようなものの、ここの細君の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと云わざるを得ない。何が無意義であるかと云うと、この細君は単に掃除のために掃除をしているからである。はたき[#「はたき」に傍点]を一通り障子へかけて、箒を一応畳の上へ滑らせる。それで掃除は完成した者と解釈している。掃除の源因及び結果に至っては微塵の責任だに背負っておらん。かるが故に奇麗な所は毎日奇麗だが、ごみ[#「ごみ」に傍点]のある所、ほこり[#「ほこり」に傍点]の積っている所はいつでもごみ[#「ごみ」に傍点]が溜ってほこり[#「ほこり」に傍点]が積っている。告朔の※[#「饋」の「貴」の代わりに「氣」、411-7]羊と云う故事もある事だから、これでもやらんよりはましかも知れない。しかしやっても別段主人のためにはならない。ならないところを毎日毎日御苦労にもやるところが細君のえらいところである。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくって頑として結びつけられているにもかかわらず、掃除の実に至っては、妻君がいまだ生れざる以前のごとく、はたき[#「はたき」に傍点]と箒が発明せられざる昔のごとく、毫も挙っておらん。思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろう。 吾輩は主人と違って、元来が早起の方だから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちのものさえ膳に向わぬさきから、猫の身分をもって朝めしに有りつける訳のものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁の香が鮑貝の中から、うまそうに立ち上っておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。はかない事を、はかないと知りながら頼みにするときは、ただその頼みだけを頭の中に描いて、動かずに落ちついている方が得策であるが、さてそうは行かぬ者で、心の願と実際が、合うか合わぬか是非とも試験して見たくなる。試験して見れば必ず失望するにきまってる事ですら、最後の失望を自ら事実の上に受取るまでは承知出来んものである。吾輩はたまらなくなって台所へ這出した。まずへっつい[#「へっつい」に傍点]の影にある鮑貝の中を覗いて見ると案に違わず、夕べ舐め尽したまま、闃然として、怪しき光が引窓を洩る初秋の日影にかがやいている。御三はすでに炊き立の飯を、御櫃に移して、今や七輪にかけた鍋の中をかきまぜつつある。釜の周囲には沸き上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾条となくこびりついて、あるものは吉野紙を貼りつけたごとくに見える。もう飯も汁も出来ているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば自分の望通りにならなくったって元々で損は行かないのだから、思い切って朝飯の催促をしてやろう、いくら居候の身分だってひもじいに変りはない。と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨ずるがごとく泣いて見た。御三はいっこう顧みる景色がない。生れついてのお多角だから人情に疎いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起させるのが、こっちの手際である。今度はにゃごにゃごとやって見た。その泣き声は吾ながら悲壮の音を帯びて天涯の遊子をして断腸の思あらしむるに足ると信ずる。御三は恬として顧みない。この女は聾なのかも知れない。聾では下女が勤まる訳がないが、ことによると猫の声だけには聾なのだろう。世の中には色盲というのがあって、当人は完全な視力を具えているつもりでも、医者から云わせると片輪だそうだが、この御三は声盲なのだろう。声盲だって片輪に違いない。片輪のくせにいやに横風なものだ。夜中なぞでも、いくらこっちが用があるから開けてくれろと云っても決して開けてくれた事がない。たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれない。夏だって夜露は毒だ。いわんや霜においてをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛いかとうてい想像が出来るものではない。この間しめ出しを食った時なぞは野良犬の襲撃を蒙って、すでに危うく見えたところを、ようやくの事で物置の家根へかけ上って、終夜顫えつづけた事さえある。これ等は皆御三の不人情から胚胎した不都合である。こんなものを相手にして鳴いて見せたって、感応のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除けて、中から堅炭の四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。それからその長い奴を七輪の角でぽんぽんと敲いたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉で真黒くなった。少々は汁の中へも這入ったらしい。御三はそんな事に頓着する女ではない。直ちにくだけたる三個の炭を鍋の尻から七輪の中へ押し込んだ。とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。仕方がないから悄然と茶の間の方へ引きかえそうとして風呂場の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁昌している。 顔を洗うと云ったところで、上の二人が幼稚園の生徒で、三番目は姉の尻についてさえ行かれないくらい小さいのだから、正式に顔が洗えて、器用に御化粧が出来るはずがない。一番小さいのがバケツの中から濡れ雑巾を引きずり出してしきりに顔中撫で廻わしている。雑巾で顔を洗うのは定めし心持ちがわるかろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわ[#「おもちろいわ」に傍点]と云う子だからこのくらいの事はあっても驚ろくに足らん。ことによると八木独仙君より悟っているかも知れない。さすがに長女は長女だけに、姉をもって自ら任じているから、うがい茶碗をからからかんと抛出して「坊やちゃん、それは雑巾よ」と雑巾をとりにかかる。坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の云う事なんか聞きそうにしない。「いやーよ、ばぶ」と云いながら雑巾を引っ張り返した。このばぶ[#「ばぶ」に傍点]なる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪を起した時に折々ご使用になるばかりだ。雑巾はこの時姉の手と、坊やちゃんの手で左右に引っ張られるから、水を含んだ真中からぽたぽた雫が垂れて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するが膝のあたりがしたたか濡れる。坊やはこれでも元禄を着ているのである。元禄とは何の事だとだんだん聞いて見ると、中形の模様なら何でも元禄だそうだ。一体だれに教わって来たものか分らない。「坊やちゃん、元禄が濡れるから御よしなさい、ね」と姉が洒落れた事を云う。その癖この姉はついこの間まで元禄と双六とを間違えていた物識りである。 元禄で思い出したからついでに喋舌ってしまうが、この子供の言葉ちがいをやる事は夥しいもので、折々人を馬鹿にしたような間違を云ってる。火事で茸が飛んで来たり、御茶の味噌の女学校へ行ったり、恵比寿、台所と並べたり、或る時などは「わたしゃ藁店の子じゃないわ」と云うから、よくよく聞き糺して見ると裏店と藁店を混同していたりする。主人はこんな間違を聞くたびに笑っているが、自分が学校へ出て英語を教える時などは、これよりも滑稽な誤謬を真面目になって、生徒に聞かせるのだろう。 坊やは――当人は坊やとは云わない。いつでも坊ば[#「坊ば」に傍点]と云う――元禄が濡れたのを見て「元どこ[#「どこ」に傍点]がべたい[#「べたい」に傍点]」と云って泣き出した。元禄が冷たくては大変だから、御三が台所から飛び出して来て、雑巾を取上げて着物を拭いてやる。この騒動中比較的静かであったのは、次女のすん子嬢である。すん子嬢は向うむきになって棚の上からころがり落ちた、お白粉の瓶をあけて、しきりに御化粧を施している。第一に突っ込んだ指をもって鼻の頭をキューと撫でたから竪に一本白い筋が通って、鼻のありかがいささか分明になって来た。次に塗りつけた指を転じて頬の上を摩擦したから、そこへもってきて、これまた白いかたまりが出来上った。これだけ装飾がととのったところへ、下女がはいって来て坊ばの着物を拭いたついでに、すん子の顔もふいてしまった。すん子は少々不満の体に見えた。 吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来てもう起きたかとひそかに様子をうかがって見ると、主人の頭がどこにも見えない。その代り十文半の甲の高い足が、夜具の裾から一本食み出している。頭が出ていては起こされる時に迷惑だと思って、かくもぐり込んだのであろう。亀の子のような男である。ところへ書斎の掃除をしてしまった妻君がまた箒とはたき[#「はたき」に傍点]を担いでやってくる。最前のように襖の入口から 八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほど癇癪が起ったと見えて、たちまちがばと布団の上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表皮のむけるほど、頭中引き掻き廻す。一ヵ月も溜っているフケは遠慮なく、頸筋やら、寝巻の襟へ飛んでくる。非常な壮観である。髯はどうだと見るとこれはまた驚ろくべく、ぴん然とおっ立っている。持主が怒っているのに髯だけ落ちついていてはすまないとでも心得たものか、一本一本に癇癪を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢をもって突進している。これとてもなかなかの見物である。昨日は鏡の手前もある事だから、おとなしく独乙皇帝陛下の真似をして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあった者ではない、直ちに本来の面目に帰って思い思いの出で立に戻るのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭うがごとく奇麗に消え去って、生れついての野猪的本領が直ちに全面を暴露し来るのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、始めて日本の広い事がわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へ端書を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。 この時主人は、昨日紹介した混沌たる太古の眼を精一杯に見張って、向うの戸棚をきっと見た。これは高さ一間を横に仕切って上下共各二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布団の裾とすれすれの距離にあるから、起き直った主人が眼をあきさえすれば、天然自然ここに視線がむくように出来ている。見ると模様を置いた紙がところどころ破れて妙な腸があからさまに見える。腸にはいろいろなのがある。あるものは活版摺で、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人はこの腸を見ると同時に、何がかいてあるか読みたくなった。今までは車屋のかみさんでも捕えて、鼻づらを松の木へこすりつけてやろうくらいにまで怒っていた主人が、突然この反古紙を読んで見たくなるのは不思議のようであるが、こう云う陽性の癇癪持ちには珍らしくない事だ。小供が泣くときに最中の一つもあてがえばすぐ笑うと一般である。主人が昔し去る所の御寺に下宿していた時、襖一と重を隔てて尼が五六人いた。尼などと云うものは元来意地のわるい女のうちでもっとも意地のわるいものであるが、この尼が主人の性質を見抜いたものと見えて自炊の鍋をたたきながら、今泣いた烏がもう笑った、今泣いた烏がもう笑ったと拍子を取って歌ったそうだ、主人が尼が大嫌になったのはこの時からだと云うが、尼は嫌にせよ全くそれに違ない。主人は泣いたり、笑ったり、嬉しがったり、悲しがったり人一倍もする代りにいずれも長く続いた事がない。よく云えば執着がなくて、心機がむやみに転ずるのだろうが、これを俗語に翻訳してやさしく云えば奥行のない、薄っ片の、鼻っ張だけ強いだだっ子である。すでにだだっ子である以上は、喧嘩をする勢で、むっくと刎ね起きた主人が急に気をかえて袋戸の腸を読みにかかるのももっともと云わねばなるまい。第一に眼にとまったのが伊藤博文の逆か立ちである。上を見ると明治十一年九月廿八日とある。韓国統監もこの時代から御布令の尻尾を追っ懸けてあるいていたと見える。大将この時分は何をしていたんだろうと、読めそうにないところを無理によむと大蔵卿とある。なるほどえらいものだ、いくら逆か立ちしても大蔵卿である。少し左の方を見ると今度は大蔵卿横になって昼寝をしている。もっともだ。逆か立ちではそう長く続く気遣はない。下の方に大きな木板で汝は[#「汝は」に傍点]と二字だけ見える、あとが見たいがあいにく露出しておらん。次の行には早く[#「早く」に傍点]の二字だけ出ている。こいつも読みたいがそれぎれで手掛りがない。もし主人が警視庁の探偵であったら、人のものでも構わずに引っぺがすかも知れない。探偵と云うものには高等な教育を受けたものがないから事実を挙げるためには何でもする。あれは始末に行かないものだ。願くばもう少し遠慮をしてもらいたい。遠慮をしなければ事実は決して挙げさせない事にしたらよかろう。聞くところによると彼等は羅織虚構をもって良民を罪に陥れる事さえあるそうだ。良民が金を出して雇っておく者が、雇主を罪にするなどときてはこれまた立派な気狂である。次に眼を転じて真中を見ると真中には大分県が宙返りをしている。伊藤博文でさえ逆か立ちをするくらいだから、大分県が宙返りをするのは当然である。主人はここまで読んで来て、双方へ握り拳をこしらえて、これを高く天井に向けて突きあげた。あくびの用意である。 このあくびがまた鯨の遠吠のようにすこぶる変調を極めた者であったが、それが一段落を告げると、主人はのそのそと着物をきかえて顔を洗いに風呂場へ出掛けて行った。待ちかねた細君はいきなり布団をまくって夜着を畳んで、例の通り掃除をはじめる。掃除が例の通りであるごとく、主人の顔の洗い方も十年一日のごとく例の通りである。先日紹介をしたごとく依然としてがーがー、げーげーを持続している。やがて頭を分け終って、西洋手拭を肩へかけて、茶の間へ出御になると、超然として長火鉢の横に座を占めた。長火鉢と云うと欅の如輪木か、銅の総落しで、洗髪の姉御が立膝で、長煙管を黒柿の縁へ叩きつける様を想見する諸君もないとも限らないが、わが苦沙弥先生の長火鉢に至っては決して、そんな意気なものではない、何で造ったものか素人には見当のつかんくらい古雅なものである。長火鉢は拭き込んでてらてら光るところが身上なのだが、この代物は欅か桜か桐か元来不明瞭な上に、ほとんど布巾をかけた事がないのだから陰気で引き立たざる事夥しい。こんなものをどこから買って来たかと云うと、決して買った覚はない。そんなら貰ったかと聞くと、誰もくれた人はないそうだ。しからば盗んだのかと糺して見ると、何だかその辺が曖昧である。昔し親類に隠居がおって、その隠居が死んだ時、当分留守番を頼まれた事がある。ところがその後一戸を構えて、隠居所を引き払う際に、そこで自分のもののように使っていた火鉢を何の気もなく、つい持って来てしまったのだそうだ。少々たちが悪いようだ。考えるとたちが悪いようだがこんな事は世間に往々ある事だと思う。銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委托した代理人のようなものだ。ところが委任された権力を笠に着て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについて何らの喙を容るる理由がないものだなどと狂ってくる。こんな人が世の中に充満している以上は長火鉢事件をもって主人に泥棒根性があると断定する訳には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。 長火鉢の傍に陣取って、食卓を前に控えたる主人の三面には、先刻雑巾で顔を洗った坊ば[#「坊ば」に傍点]と御茶の味噌[#「味噌」に傍点]の学校へ行くとん[#「とん」に傍点]子と、お白粉罎に指を突き込んだすん[#「すん」に傍点]子が、すでに勢揃をして朝飯を食っている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南蛮鉄の刀の鍔のような輪廓を有している。すん子も妹だけに多少姉の面影を存して琉球塗の朱盆くらいな資格はある。ただ坊ば[#「坊ば」に傍点]に至っては独り異彩を放って、面長に出来上っている。但し竪に長いのなら世間にその例もすくなくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化し易くったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考える事がある。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長の速かなる事は禅寺の筍が若竹に変化する勢で大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後ろから追手にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空漠なる主人でもこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。女である以上はどうにか片付けなくてはならんくらいも承知している。承知しているだけで片付ける手腕のない事も自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。人間の定義を云うとほかに何にもない。ただ入らざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。 さすがに子供はえらい。これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽しそうにご飯をたべる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪い奴を無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽しているのである。その因って来るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶で癒せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。 坊ばは隣りから分捕った偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威を擅にしている。使いこなせない者をむやみに使おうとするのだから、勢暴威を逞しくせざるを得ない。坊ばはまず箸の根元を二本いっしょに握ったままうんと茶碗の底へ突込んだ。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、その上に味噌汁が一面に漲っている。箸の力が茶碗へ伝わるやいなや、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいな事で辟易する訳がない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎ね上げた。同時に小さな口を縁まで持って行って、刎ね上げられた米粒を這入るだけ口の中へ受納した。打ち洩らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬っぺたと顋とへ、やっと掛声をして飛びついた。飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算の限りでない。随分無分別な飯の食い方である。吾輩は謹んで有名なる金田君及び天下の勢力家に忠告する。公等の他をあつかう事、坊ばの茶碗と箸をあつかうがごとくんば、公等の口へ飛び込む米粒は極めて僅少のものである。必然の勢をもって飛び込むにあらず、戸迷をして飛び込むのである。どうか御再考を煩わしたい。世故にたけた敏腕家にも似合しからぬ事だ。 姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪されて、不相応に小さな奴をもってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、一杯にもった積りでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。したがって頻繁に御はちの方へ手が出る。もう四膳かえて、今度は五杯目である。とん子は御はちの蓋をあけて大きなしゃもじ[#「しゃもじ」に傍点]を取り上げて、しばらく眺めていた。これは食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものと見えて、焦げのなさそうなところを見計って一掬いしゃもじの上へ乗せたまでは無難であったが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入りきらん飯は塊まったまま畳の上へ転がり出した。とん子は驚ろく景色もなく、こぼれた飯を鄭寧に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんな御はちの中へ入れてしまった。少しきたないようだ。 坊ばが一大活躍を試みて箸を刎ね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそい了った時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、大変よ、顔が御ぜん粒だらけよ」と云いながら、早速坊ばの顔の掃除にとりかかる。第一に鼻のあたまに寄寓していたのを取払う。取払って捨てると思のほか、すぐ自分の口のなかへ入れてしまったのには驚ろいた。それから頬っぺたにかかる。ここには大分群をなして数にしたら、両方を合せて約二十粒もあったろう。姉は丹念に一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔中にある奴を一つ残らず食ってしまった。この時ただ今まではおとなしく沢庵をかじっていたすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋のくずれたのをしゃくい出して、勢よく口の内へ抛り込んだ。諸君も御承知であろうが、汁にした薩摩芋の熱したのほど口中にこたえる者はない。大人ですら注意しないと火傷をしたような心持ちがする。ましてすん子のごとき、薩摩芋に経験の乏しい者は無論狼狽する訳である。すん子はワッと云いながら口中の芋を食卓の上へ吐き出した。その二三片がどう云う拍子か、坊ばの前まですべって来て、ちょうどいい加減な距離でとまる。坊ばは固より薩摩芋が大好きである。大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで来たのだから、早速箸を抛り出して、手攫みにしてむしゃむしゃ食ってしまった。 先刻からこの体たらくを目撃していた主人は、一言も云わずに、専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んで、この時はすでに楊枝を使っている最中であった。主人は娘の教育に関して絶体的放任主義を執るつもりと見える。今に三人が海老茶式部か鼠式部かになって、三人とも申し合せたように情夫をこしらえて出奔しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。働きのない事だ。しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。中学などの少年輩までが見様見真似に、こうしなくては幅が利かないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々と履行して未来の紳士だと思っている。これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびに撲ってやりたくなる。こんなものが一人でも殖えれば国家はそれだけ衰える訳である。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。情ない事だ。こんなごろつき手に比べると主人などは遥かに上等な人間と云わなくてはならん。意気地のないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口才でないところが上等なのである。 かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝食を済ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。格子をあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。あの遊廓のある吉原の近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々滑稽であった。 主人が珍らしく車で玄関から出掛けたあとで、妻君は例のごとく食事を済ませて「さあ学校へおいで。遅くなりますよ」と催促すると、小供は平気なもので「あら、でも今日は御休みよ」と支度をする景色がない。「御休みなもんですか、早くなさい」と叱るように言って聞かせると「それでも昨日、先生が御休だって、おっしゃってよ」と姉はなかなか動じない。妻君もここに至って多少変に思ったものか、戸棚から暦を出して繰り返して見ると、赤い字でちゃんと御祭日と出ている。主人は祭日とも知らずに学校へ欠勤届を出したのだろう。細君も知らずに郵便箱へ抛り込んだのだろう。ただし迷亭に至っては実際知らなかったのか、知って知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。この発明におやと驚ろいた妻君はそれじゃ、みんなでおとなしく御遊びなさいと平生の通り針箱を出して仕事に取りかかる。 その後三十分間は家内平穏、別段吾輩の材料になるような事件も起らなかったが、突然妙な人が御客に来た。十七八の女学生である。踵のまがった靴を履いて、紫色の袴を引きずって、髪を算盤珠のようにふくらまして勝手口から案内も乞わずに上って来た。これは主人の姪である。学校の生徒だそうだが、折々日曜にやって来て、よく叔父さんと喧嘩をして帰って行く雪江とか云う奇麗な名のお嬢さんである。もっとも顔は名前ほどでもない、ちょっと表へ出て一二町あるけば必ず逢える人相である。 いい迷惑ね」 それじゃ、そんなに怖い事はないわね。けれども地蔵様は動かないんですって、平気でいるんですとさ。それで法螺吹は大変怒って、巡査の服を脱いで、付け髯を紙屑籠へ抛り込んで、今度は大金持ちの服装をして出て来たそうです。今の世で云うと岩崎男爵のような顔をするんですとさ。おかしいわね」 御金があって、いざって時に力になって、いいじゃありませんか」 雪江さんと叔母さんは結婚事件について何か弁論を逞しくしていると、さっきから、分らないなりに謹聴しているとん[#「とん」に傍点]子が突然口を開いて「わたしも御嫁に行きたいな」と云いだした。この無鉄砲な希望には、さすが青春の気に満ちて、大に同情を寄すべき雪江さんもちょっと毒気を抜かれた体であったが、細君の方は比較的平気に構えて「どこへ行きたいの」と笑ながら聞いて見た。 細君と雪江さんはこの名答を得て、あまりの事に問い返す勇気もなく、どっと笑い崩れた時に、次女のすん子が姉さんに向ってかような相談を持ちかけた。 わたしも大すき。いっしょに招魂社へ御嫁に行きましょう。ね? いや? いやなら好いわ。わたし一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ」 ところへ車の音ががらがらと門前に留ったと思ったら、たちまち威勢のいい御帰りと云う声がした。主人は日本堤分署から戻ったと見える。車夫が差出す大きな風呂敷包を下女に受け取らして、主人は悠然と茶の間へ這入って来る。「やあ、来たね」と雪江さんに挨拶しながら、例の有名なる長火鉢の傍へ、ぽかりと手に携えた徳利様のものを抛り出した。徳利様と云うのは純然たる徳利では無論ない、と云って花活けとも思われない、ただ一種異様の陶器であるから、やむを得ずしばらくかように申したのである。 それが? あんまりよかあないわ? 油壺なんか何で持っていらっしったの?」 まあ」 雪江さんは言ここに至って感に堪えざるもののごとく、潸然として一掬の涙を紫の袴の上に落した。主人は茫乎として、その涙がいかなる心理作用に起因するかを研究するもののごとく、袴の上と、俯つ向いた雪江さんの顔を見つめていた。ところへ御三が台所から赤い手を敷居越に揃えて「お客さまがいらっしゃいました」と云う。「誰が来たんだ」と主人が聞くと「学校の生徒さんでございます」と御三は雪江さんの泣顔を横目に睨めながら答えた。主人は客間へ出て行く。吾輩も種取り兼人間研究のため、主人に尾して忍びやかに椽へ廻った。人間を研究するには何か波瀾がある時を択ばないと一向結果が出て来ない。平生は大方の人が大方の人であるから、見ても聞いても張合のないくらい平凡である。しかしいざとなるとこの平凡が急に霊妙なる神秘的作用のためにむくむくと持ち上がって奇なもの、変なもの、妙なもの、異なもの、一と口に云えば吾輩猫共から見てすこぶる後学になるような事件が至るところに横風にあらわれてくる。雪江さんの紅涙のごときはまさしくその現象の一つである。かくのごとく不可思議、不可測の心を有している雪江さんも、細君と話をしているうちはさほどとも思わなかったが、主人が帰ってきて油壺を抛り出すやいなや、たちまち死竜に蒸汽喞筒を注ぎかけたるごとく、勃然としてその深奥にして窺知すべからざる、巧妙なる、美妙なる、奇妙なる、霊妙なる、麗質を、惜気もなく発揚し了った。しかしてその麗質は天下の女性に共通なる麗質である。ただ惜しい事には容易にあらわれて来ない。否あらわれる事は二六時中間断なくあらわれているが、かくのごとく顕著に灼然炳乎として遠慮なくはあらわれて来ない。幸にして主人のように吾輩の毛をややともすると逆さに撫でたがる旋毛曲りの奇特家がおったから、かかる狂言も拝見が出来たのであろう。主人のあとさえついてあるけば、どこへ行っても舞台の役者は吾知らず動くに相違ない。面白い男を旦那様に戴いて、短かい猫の命のうちにも、大分多くの経験が出来る。ありがたい事だ。今度のお客は何者であろう。 見ると年頃は十七八、雪江さんと追っつ、返っつの書生である。大きな頭を地の隙いて見えるほど刈り込んで団子っ鼻を顔の真中にかためて、座敷の隅の方に控えている。別にこれと云う特徴もないが頭蓋骨だけはすこぶる大きい。青坊主に刈ってさえ、ああ大きく見えるのだから、主人のように長く延ばしたら定めし人目を惹く事だろう。こんな顔にかぎって学問はあまり出来ない者だとは、かねてより主人の持説である。事実はそうかも知れないがちょっと見るとナポレオンのようですこぶる偉観である。着物は通例の書生のごとく、薩摩絣か、久留米がすりかまた伊予絣か分らないが、ともかくも絣と名づけられたる袷を袖短かに着こなして、下には襯衣も襦袢もないようだ。素袷や素足は意気なものだそうだが、この男のはなはだむさ苦しい感じを与える。ことに畳の上に泥棒のような親指を歴然と三つまで印しているのは全く素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちゃんと坐って、さも窮屈そうに畏しこまっている。一体かしこまるべきものがおとなしく控えるのは別段気にするにも及ばんが、毬栗頭のつんつるてんの乱暴者が恐縮しているところは何となく不調和なものだ。途中で先生に逢ってさえ礼をしないのを自慢にするくらいの連中が、たとい三十分でも人並に坐るのは苦しいに違ない。ところを生れ得て恭謙の君子、盛徳の長者であるかのごとく構えるのだから、当人の苦しいにかかわらず傍から見ると大分おかしいのである。教場もしくは運動場であんなに騒々しいものが、どうしてかように自己を箝束する力を具えているかと思うと、憐れにもあるが滑稽でもある。こうやって一人ずつ相対になると、いかに愚※[#「馬へん」に「矣」、452-14]なる主人といえども生徒に対して幾分かの重みがあるように思われる。主人も定めし得意であろう。塵積って山をなすと云うから、微々たる一生徒も多勢が聚合すると侮るべからざる団体となって、排斥運動やストライキをしでかすかも知れない。これはちょうど臆病者が酒を飲んで大胆になるような現象であろう。衆を頼んで騒ぎ出すのは、人の気に酔っ払った結果、正気を取り落したるものと認めて差支えあるまい。それでなければかように恐れ入ると云わんよりむしろ悄然として、自ら襖に押し付けられているくらいな薩摩絣が、いかに老朽だと云って、苟めにも先生と名のつく主人を軽蔑しようがない。馬鹿に出来る訳がない。 主人は座布団を押しやりながら、「さあお敷き」と云ったが毬栗先生はかたくなったまま「へえ」と云って動かない。鼻の先に剥げかかった更紗の座布団が「御乗んなさい」とも何とも云わずに着席している後ろに、生きた大頭がつくねんと着席しているのは妙なものだ。布団は乗るための布団で見詰めるために細君が勧工場から仕入れて来たのではない。布団にして敷かれずんば、布団はまさしくその名誉を毀損せられたるもので、これを勧めたる主人もまた幾分か顔が立たない事になる。主人の顔を潰してまで、布団と睨めくらをしている毬栗君は決して布団その物が嫌なのではない。実を云うと、正式に坐った事は祖父さんの法事の時のほかは生れてから滅多にないので、先っきからすでにしびれ[#「しびれ」に傍点]が切れかかって少々足の先は困難を訴えているのである。それにもかかわらず敷かない。布団が手持無沙汰に控えているにもかかわらず敷かない。主人がさあお敷きと云うのに敷かない。厄介な毬栗坊主だ。このくらい遠慮するなら多人数集まった時もう少し遠慮すればいいのに、学校でもう少し遠慮すればいいのに、下宿屋でもう少し遠慮すればいいのに。すまじきところへ気兼をして、すべき時には謙遜しない、否大に狼藉を働らく。たちの悪るい毬栗坊主だ。 ところへ後ろの襖をすうと開けて、雪江さんが一碗の茶を恭しく坊主に供した。平生なら、そらサヴェジ・チーが出たと冷やかすのだが、主人一人に対してすら痛み入っている上へ、妙齢の女性が学校で覚え立ての小笠原流で、乙に気取った手つきをして茶碗を突きつけたのだから、坊主は大に苦悶の体に見える。雪江さんは襖をしめる時に後ろからにやにやと笑った。して見ると女は同年輩でもなかなかえらいものだ。坊主に比すれば遥かに度胸が据わっている。ことに先刻の無念にはらはらと流した一滴の紅涙のあとだから、このにやにやがさらに目立って見えた。 雪江さんの引き込んだあとは、双方無言のまま、しばらくの間は辛防していたが、これでは業をするようなものだと気がついた主人はようやく口を開いた。 古井何とかだね。名は」 誰に?」 吾輩が面白いというと、何がそんなに面白いと聞く人があるかも知れない。聞くのはもっともだ。人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である。己を知る事が出来さえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。その時は吾輩もこんないたずらを書くのは気の毒だからすぐさまやめてしまうつもりである。しかし自分で自分の鼻の高さが分らないと同じように、自己の何物かはなかなか見当がつき悪くいと見えて、平生から軽蔑している猫に向ってさえかような質問をかけるのであろう。人間は生意気なようでもやはり、どこか抜けている。万物の霊だなどとどこへでも万物の霊を担いであるくかと思うと、これしきの事実が理解出来ない。しかも恬として平然たるに至ってはちと一※[#「據」の「手へん」の代わりに「口へん」、461-2]を催したくなる。彼は万物の霊を背中へ担いで、おれの鼻はどこにあるか教えてくれ、教えてくれと騒ぎ立てている。それなら万物の霊を辞職するかと思うと、どう致して死んでも放しそうにしない。このくらい公然と矛盾をして平気でいられれば愛嬌になる。愛嬌になる代りには馬鹿をもって甘じなくてはならん。 吾輩がこの際武右衛門君と、主人と、細君及雪江嬢を面白がるのは、単に外部の事件が鉢合せをして、その鉢合せが波動を乙なところに伝えるからではない。実はその鉢合の反響が人間の心に個々別々の音色を起すからである。第一主人はこの事件に対してむしろ冷淡である。武右衛門君のおやじさんがいかにやかましくって、おっかさんがいかに君を継子あつかいにしようとも、あんまり驚ろかない。驚ろくはずがない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大に趣が違う。千人近くの生徒がみんな退校になったら、教師も衣食の途に窮するかも知れないが、古井武右衛門君一人の運命がどう変化しようと、主人の朝夕にはほとんど関係がない。関係の薄いところには同情も自から薄い訳である。見ず知らずの人のために眉をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決して自然の傾向ではない。人間がそんなに情深い、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくい。ただ世の中に生れて来た賦税として、時々交際のために涙を流して見たり、気の毒な顔を作って見せたりするばかりである。云わばごまかし性表情で、実を云うと大分骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやるものを芸術的良心の強い人と云って、これは世間から大変珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る。この点において主人はむしろ拙な部類に属すると云ってよろしい。拙だから珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隠すところもなく発表している。彼が武右衛門君に対して「そうさな」を繰り返しているのでも這裏の消息はよく分る。諸君は冷淡だからと云って、けっして主人のような善人を嫌ってはいけない。冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうと力めないのは正直な人である。もし諸君がかかる際に冷淡以上を望んだら、それこそ人間を買い被ったと云わなければならない。正直ですら払底な世にそれ以上を予期するのは、馬琴の小説から志乃や小文吾が抜けだして、向う三軒両隣へ八犬伝が引き越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまずこのくらいにして、次には茶の間で笑ってる女連に取りかかるが、これは主人の冷淡を一歩向へ跨いで、滑稽の領分に躍り込んで嬉しがっている。この女連には武右衛門君が頭痛に病んでいる艶書事件が、仏陀の福音のごとくありがたく思われる。理由はないただありがたい。強いて解剖すれば武右衛門君が困るのがありがたいのである。諸君女に向って聞いて御覧、「あなたは人が困るのを面白がって笑いますか」と。聞かれた人はこの問を呈出した者を馬鹿と云うだろう、馬鹿と云わなければ、わざとこんな問をかけて淑女の品性を侮辱したと云うだろう。侮辱したと思うのは事実かも知れないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これから私の品性を侮辱するような事を自分でしてお目にかけますから、何とか云っちゃいやよと断わるのと一般である。僕は泥棒をする。しかしけっして不道徳と云ってはならん。もし不道徳だなどと云えば僕の顔へ泥を塗ったものである。僕を侮辱したものである。と主張するようなものだ。女はなかなか利口だ、考えに筋道が立っている。いやしくも人間に生れる以上は踏んだり、蹴たり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必用であるのみならず、唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に、大きな声で笑われるのを快よく思わなくてはならない。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと交際は出来ない。武右衛門先生もちょっとしたはずみから、とんだ間違をして大に恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってるものを蔭で笑うのは失敬だとくらいは思うかも知れないが、それは年が行かない稚気というもので、人が失礼をした時に怒るのを気が小さいと先方では名づけるそうだから、そう云われるのがいやならおとなしくするがよろしい。最後に武右衛門君の心行きをちょっと紹介する。君は心配の権化である。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功名心をもって充満せるがごとく、まさに心配をもってはちきれんとしている。時々その団子っ鼻がぴくぴく動くのは心配が顔面神経に伝って、反射作用のごとく無意識に活動するのである。彼は大きな鉄砲丸を飲み下したごとく、腹の中にいかんともすべからざる塊まりを抱いて、この両三日処置に窮している。その切なさの余り、別に分別の出所もないから監督と名のつく先生のところへ出向いたら、どうか助けてくれるだろうと思って、いやな人の家へ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生学校で主人にからかったり、同級生を煽動して、主人を困らしたりした事はまるで忘れている。いかにからかおうとも困らせようとも監督と名のつく以上は心配してくれるに相違ないと信じているらしい。随分単純なものだ。監督は主人が好んでなった役ではない。校長の命によってやむを得ずいただいている、云わば迷亭の叔父さんの山高帽子の種類である。ただ名前である。ただ名前だけではどうする事も出来ない。名前がいざと云う場合に役に立つなら雪江さんは名前だけで見合が出来る訳だ。武右衛門君はただに我儘なるのみならず、他人は己れに向って必ず親切でなくてはならんと云う、人間を買い被った仮定から出立している。笑われるなどとは思も寄らなかったろう。武右衛門君は監督の家へ来て、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼はこの真理のために将来ますます本当の人間になるだろう。人の心配には冷淡になるだろう、人の困る時には大きな声で笑うだろう。かくのごとくにして天下は未来の武右衛門君をもって充たされるであろう。金田君及び金田令夫人をもって充たされるであろう。吾輩は切に武右衛門君のために瞬時も早く自覚して真人間になられん事を希望するのである。しからずんばいかに心配するとも、いかに後悔するとも、いかに善に移るの心が切実なりとも、とうてい金田君のごとき成功は得られんのである。いな社会は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであろう。文明中学の退校どころではない。 かように考えて面白いなと思っていると、格子ががらがらとあいて、玄関の障子の蔭から顔が半分ぬうと出た。 主人は武右衛門君に「そうさな」を繰り返していたところへ、先生と玄関から呼ばれたので、誰だろうとそっちを見ると半分ほど筋違に障子から食み出している顔はまさしく寒月君である。「おい、御這入り」と云ったぎり坐っている。 寒月君はとうてい遠方では談判不調と思ったものか、靴を脱いでのそのそ上がって来た。例のごとく鼠色の、尻につぎの中ったずぼんを穿いているが、これは時代のため、もしくは尻の重いために破れたのではない、本人の弁解によると近頃自転車の稽古を始めて局部に比較的多くの摩擦を与えるからである。未来の細君をもって矚目された本人へ文をつけた恋の仇とは夢にも知らず、「やあ」と云って武右衛門君に軽く会釈をして椽側へ近い所へ座をしめた。 この時まで黙然として虎の話を羨ましそうに聞いていた武右衛門君は主人の「そうさな」で再び自分の身の上を思い出したと見えて、「先生、僕は心配なんですが、どうしたらいいでしょう」とまた聞き返す。寒月君は不審な顔をしてこの大きな頭を見た。吾輩は思う仔細あってちょっと失敬して茶の間へ廻る。 茶の間では細君がくすくす笑いながら、京焼の安茶碗に番茶を浪々と注いで、アンチモニーの茶托の上へ載せて、 寒月君はそれとも知らず座敷で妙な事を話している。 この様子ではいつまで嘆願をしていても、とうてい見込がないと思い切った武右衛門君は突然かの偉大なる頭蓋骨を畳の上に圧しつけて、無言の裡に暗に訣別の意を表した。主人は「帰るかい」と云った。武右衛門君は悄然として薩摩下駄を引きずって門を出た。可愛想に。打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。元を糺せば金田令嬢のハイカラと生意気から起った事だ。もし武右衛門君が死んだら、幽霊になって令嬢を取り殺してやるがいい。あんなものが世界から一人や二人消えてなくなったって、男子はすこしも困らない。寒月君はもっと令嬢らしいのを貰うがいい。 なあに好い加減な事を云って訳してやった」 あの大頭がですか。近頃の書生はなかなかえらいもんですね。どうも驚ろいた」
十
「あなた、もう七時ですよ」と襖越しに細君が声を掛けた。主人は眼がさめているのだか、寝ているのだか、向うむきになったぎり返事もしない。返事をしないのはこの男の癖である。ぜひ何とか口を切らなければならない時はうん[#「うん」に傍点]と云う。このうん[#「うん」に傍点]も容易な事では出てこない。人間も返事がうるさくなるくらい無精になると、どことなく趣があるが、こんな人に限って女に好かれた試しがない。現在連れ添う細君ですら、あまり珍重しておらんようだから、その他は推して知るべしと云っても大した間違はなかろう。親兄弟に見離され、あかの他人の傾城に、可愛がらりょうはずがない、とある以上は、細君にさえ持てない主人が、世間一般の淑女に気に入るはずがない。何も異性間に不人望な主人をこの際ことさらに暴露する必要もないのだが、本人において存外な考え違をして、全く年廻りのせいで細君に好かれないのだなどと理窟をつけていると、迷の種であるから、自覚の一助にもなろうかと親切心からちょっと申し添えるまでである。
「まだお起きにならないのですか」と声をかけたまま、しばらく立って、首の出ない夜具を見つめていた。今度も返事がない。細君は入口から二歩ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承わる。この時主人はすでに目が覚めている。覚めているから、細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立て籠ったのである。首さえ出さなければ、見逃してくれる事もあろうかと、詰まらない事を頼みにして寝ていたところ、なかなか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少くとも一間の間隔があったから、まず安心と腹のうちで思っていると、とんと突いた箒が何でも三尺くらいの距離に追っていたにはちょっと驚ろいた。のみならず第二の「まだなんですか、あなた」が距離においても音量においても前よりも倍以上の勢を以て夜具のなかまで聞えたから、こいつは駄目だと覚悟をして、小さな声でうん[#「うん」に傍点]と返事をした。
「九時までにいらっしゃるのでしょう。早くなさらないと間に合いませんよ」
「そんなに言わなくても今起きる」と夜着の袖口から答えたのは奇観である。妻君はいつでもこの手を食って、起きるかと思って安心していると、また寝込まれつけているから、油断は出来ないと「さあお起きなさい」とせめ立てる。起きると云うのに、なお起きろと責めるのは気に食わんものだ。主人のごとき我儘者にはなお気に食わん。ここにおいてか主人は今まで頭から被っていた夜着を一度に跳ねのけた。見ると大きな眼を二つとも開いている。
「何だ騒々しい。起きると云えば起きるのだ」
「起きるとおっしゃってもお起きなさらんじゃありませんか」
「誰がいつ、そんな嘘をついた」
「いつでもですわ」
「馬鹿を云え」
「どっちが馬鹿だか分りゃしない」と妻君ぷんとして箒を突いて枕元に立っているところは勇ましかった。この時裏の車屋の子供、八っちゃんが急に大きな声をしてワーと泣き出す。八っちゃんは主人が怒り出しさえすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人が怒るたんびに八っちゃんを泣かして小遣になるかも知れんが、八っちゃんこそいい迷惑だ。こんな御袋を持ったが最後朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならない。少しはこの辺の事情を察して主人も少々怒るのを差し控えてやったら、八っちゃんの寿命が少しは延びるだろうに、いくら金田君から頼まれたって、こんな愚な事をするのは、天道公平君よりもはげしくおいでになっている方だと鑑定してもよかろう。怒るたんびに泣かせられるだけなら、まだ余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを傭って今戸焼をきめ込むたびに、八っちゃんは泣かねばならんのである。主人が怒るか怒らぬか、まだ判然しないうちから、必ず怒るべきものと予想して、早手廻しに八っちゃんは泣いているのである。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手数は掛らない、ちょっと八っちゃんに剣突を食わせれば何の苦もなく、主人の横っ面を張った訳になる。昔し西洋で犯罪者を所刑にする時に、本人が国境外に逃亡して、捕えられん時は、偶像をつくって人間の代りに火あぶり[#「あぶり」に傍点]にしたと云うが、彼等のうちにも西洋の故事に通暁する軍師があると見えて、うまい計略を授けたものである。落雲館と云い、八っちゃんの御袋と云い、腕のきかぬ主人にとっては定めし苦手であろう。そのほか苦手はいろいろある。あるいは町内中ことごとく苦手かも知れんが、ただいまは関係がないから、だんだん成し崩しに紹介致す事にする。
「叔母さん今日は」と茶の間へつかつか這入って来て、針箱の横へ尻をおろした。
「おや、よく早くから……」
「今日は大祭日ですから、朝のうちにちょっと上がろうと思って、八時半頃から家を出て急いで来たの」
「そう、何か用があるの?」
「いいえ、ただあんまり御無沙汰をしたから、ちょっと上がったの」
「ちょっとでなくっていいから、緩くり遊んでいらっしゃい。今に叔父さんが帰って来ますから」
「叔父さんは、もう、どこへかいらしったの。珍らしいのね」
「ええ今日はね、妙な所へ行ったのよ。……警察へ行ったの、妙でしょう」
「あら、何で?」
「この春這入った泥棒がつらまったんだって」
「それで引き合に出されるの?
「なあに品物が戻るのよ。取られたものが出たから取りに来いって、昨日巡査がわざわざ来たもんですから」
「おや、そう、それでなくっちゃ、こんなに早く叔父さんが出掛ける事はないわね。いつもなら今時分はまだ寝ていらっしゃるんだわ」
「叔父さんほど、寝坊はないんですから……そうして起こすとぷんぷん怒るのよ。今朝なんかも七時までに是非おこせと云うから、起こしたんでしょう。すると夜具の中へ潜って返事もしないんですもの。こっちは心配だから二度目にまたおこすと、夜着の袖から何か云うのよ。本当にあきれ返ってしまうの」
「なぜそんなに眠いんでしょう。きっと神経衰弱なんでしょう」
「何ですか」
「本当にむやみに怒る方ね。あれでよく学校が勤まるのね」
「なに学校じゃおとなしいんですって」
「じゃなお悪るいわ。まるで蒟蒻閻魔ね」
「なぜ?」
「なぜでも蒟蒻閻魔なの。だって蒟蒻閻魔のようじゃありませんか」
「ただ怒るばかりじゃないのよ。人が右と云えば左、左と云えば右で、何でも人の言う通りにした事がない、――そりゃ強情ですよ」
「天探女でしょう。叔父さんはあれが道楽なのよ。だから何かさせようと思ったら、うら[#「うら」に傍点]を云うと、こっちの思い通りになるのよ。こないだ蝙蝠傘を買ってもらう時にも、いらない、いらないって、わざと云ったら、いらない事があるものかって、すぐ買って下すったの」
「ホホホホ旨いのね。わたしもこれからそうしよう」
「そうなさいよ。それでなくっちゃ損だわ」
「こないだ保険会社の人が来て、是非御這入んなさいって、勧めているんでしょう、――いろいろ訳を言って、こう云う利益があるの、ああ云う利益があるのって、何でも一時間も話をしたんですが、どうしても這入らないの。うちだって貯蓄はなし、こうして小供は三人もあるし、せめて保険へでも這入ってくれるとよっぽど心丈夫なんですけれども、そんな事は少しも構わないんですもの」
「そうね、もしもの事があると不安心だわね」と十七八の娘に似合しからん世帯染みたことを云う。
「その談判を蔭で聞いていると、本当に面白いのよ。なるほど保険の必要も認めないではない。必要なものだから会社も存在しているのだろう。しかし死なない以上は保険に這入る必要はないじゃないかって強情を張っているんです」
「叔父さんが?」
「ええ、すると会社の男が、それは死ななければ無論保険会社はいりません。しかし人間の命と云うものは丈夫なようで脆いもので、知らないうちに、いつ危険が逼っているか分りませんと云うとね、叔父さんは、大丈夫僕は死なない事に決心をしているって、まあ無法な事を云うんですよ」
「決心したって、死ぬわねえ。わたしなんか是非及第するつもりだったけれども、とうとう落第してしまったわ」
「保険社員もそう云うのよ。寿命は自分の自由にはなりません。決心で長が生きが出来るものなら、誰も死ぬものはございませんって」
「保険会社の方が至当ですわ」
「至当でしょう。それがわからないの。いえ決して死なない。誓って死なないって威張るの」
「妙ね」
「妙ですとも、大妙ですわ。保険の掛金を出すくらいなら銀行へ貯金する方が遥かにましだってすまし切っているんですよ」
「貯金があるの?」
「あるもんですか。自分が死んだあとなんか、ちっとも構う考なんかないんですよ」
「本当に心配ね。なぜ、あんななんでしょう、ここへいらっしゃる方だって、叔父さんのようなのは一人もいないわね」
「いるものですか。無類ですよ」
「ちっと鈴木さんにでも頼んで意見でもして貰うといいんですよ。ああ云う穏やかな人だとよっぽど楽ですがねえ」
「ところが鈴木さんは、うちじゃ評判がわるいのよ」
「みんな逆なのね。それじゃ、あの方がいいでしょう――ほらあの落ちついてる――」
「八木さん?」
「ええ」
「八木さんには大分閉口しているんですがね。昨日迷亭さんが来て悪口をいったものだから、思ったほど利かないかも知れない」
「だっていいじゃありませんか。あんな風に鷹揚に落ちついていれば、――こないだ学校で演説をなすったわ」
「八木さんが?」
「ええ」
「八木さんは雪江さんの学校の先生なの」
「いいえ、先生じゃないけども、淑徳婦人会のときに招待して、演説をして頂いたの」
「面白かって?」
「そうね、そんなに面白くもなかったわ。だけども、あの先生が、あんな長い顔なんでしょう。そうして天神様のような髯を生やしているもんだから、みんな感心して聞いていてよ」
「御話しって、どんな御話なの?」と妻君が聞きかけていると椽側の方から、雪江さんの話し声をききつけて、三人の子供がどたばた茶の間へ乱入して来た。今までは竹垣の外の空地へ出て遊んでいたものであろう。
「あら雪江さんが来た」と二人の姉さんは嬉しそうに大きな声を出す。妻君は「そんなに騒がないで、みんな静かにして御坐わりなさい。雪江さんが今面白い話をなさるところだから」と仕事を隅へ片付ける。
「雪江さん何の御話し、わたし御話しが大好き」と云ったのはとん子で「やっぱりかちかち[#「かちかち」に傍点]山の御話し?」と聞いたのはすん子である。「坊ばも御はなち」と云い出した三女は姉と姉の間から膝を前の方に出す。ただしこれは御話を承わると云うのではない、坊ばもまた御話を仕ると云う意味である。「あら、また坊ばちゃんの話だ」と姉さんが笑うと、妻君は「坊ばはあとでなさい。雪江さんの御話がすんでから」と賺かして見る。坊ばはなかなか聞きそうにない。「いやーよ、ばぶ」と大きな声を出す。「おお、よしよし坊ばちゃんからなさい。何と云うの?」と雪江さんは謙遜した。
「あのね。坊たん、坊たん、どこ行くのって」
「面白いのね。それから?」
「わたちは田圃へ稲刈いに」
「そう、よく知ってる事」
「御前がくうと邪魔になる」
「あら、くう[#「くう」に傍点]とじゃないわ、くる[#「くる」に傍点]とだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相変らず「ばぶ」と一喝して直ちに姉を辟易させる。しかし中途で口を出されたものだから、続きを忘れてしまって、あとが出て来ない。「坊ばちゃん、それぎりなの?」と雪江さんが聞く。
「あのね。あとでおならは御免だよ。ぷう、ぷうぷうって」
「ホホホホ、いやだ事、誰にそんな事を、教わったの?」
「御三に」
「わるい御三ね、そんな事を教えて」と妻君は苦笑をしていたが「さあ今度は雪江さんの番だ。坊やはおとなしく聞いているのですよ」と云うと、さすがの暴君も納得したと見えて、それぎり当分の間は沈黙した。
「八木先生の演説はこんなのよ」と雪江さんがとうとう口を切った。「昔ある辻の真中に大きな石地蔵があったんですってね。ところがそこがあいにく馬や車が通る大変賑やかな場所だもんだから邪魔になって仕様がないんでね、町内のものが大勢寄って、相談をして、どうしてこの石地蔵を隅の方へ片づけたらよかろうって考えたんですって」
「そりゃ本当にあった話なの?」
「どうですか、そんな事は何ともおっしゃらなくってよ。――でみんながいろいろ相談をしたら、その町内で一番強い男が、そりゃ訳はありません、わたしがきっと片づけて見せますって、一人でその辻へ行って、両肌を抜いで汗を流して引っ張ったけれども、どうしても動かないんですって」
「よっぽど重い石地蔵なのね」
「ええ、それでその男が疲れてしまって、うちへ帰って寝てしまったから、町内のものはまた相談をしたんですね。すると今度は町内で一番利口な男が、私に任せて御覧なさい、一番やって見ますからって、重箱のなかへ牡丹餅を一杯入れて、地蔵の前へ来て、『ここまでおいで』と云いながら牡丹餅を見せびらかしたんだって、地蔵だって食意地が張ってるから牡丹餅で釣れるだろうと思ったら、少しも動かないんだって。利口な男はこれではいけないと思ってね。今度は瓢箪へお酒を入れて、その瓢箪を片手へぶら下げて、片手へ猪口を持ってまた地蔵さんの前へ来て、さあ飲みたくはないかね、飲みたければここまでおいでと三時間ばかり、からかって見たがやはり動かないんですって」
「雪江さん、地蔵様は御腹が減らないの」ととん子がきくと「牡丹餅が食べたいな」とすん子が云った。
「利口な人は二度共しくじったから、その次には贋札を沢山こしらえて、さあ欲しいだろう、欲しければ取りにおいでと札を出したり引っ込ましたりしたがこれもまるで益に立たないんですって。よっぽど頑固な地蔵様なのよ」
「そうね。すこし叔父さんに似ているわ」
「ええまるで叔父さんよ、しまいに利口な人も愛想をつかしてやめてしまったんですとさ。それでそのあとからね、大きな法螺を吹く人が出て、私ならきっと片づけて見せますからご安心なさいとさも容易い事のように受合ったそうです」
「その法螺を吹く人は何をしたんです」
「それが面白いのよ。最初にはね巡査の服をきて、付け髯をして、地蔵様の前へきて、こらこら、動かんとその方のためにならんぞ、警察で棄てておかんぞと威張って見せたんですとさ。今の世に警察の仮声なんか使ったって誰も聞きゃしないわね」
「本当ね、それで地蔵様は動いたの?」
「動くもんですか、叔父さんですもの」
「でも叔父さんは警察には大変恐れ入っているのよ」
「あらそう、あんな顔をして?
「岩崎のような顔ってどんな顔なの?」
「ただ大きな顔をするんでしょう。そうして何もしないで、また何も云わないで地蔵の周りを、大きな巻煙草をふかしながら歩行いているんですとさ」
「それが何になるの?」
「地蔵様を煙に捲くんです」
「まるで噺し家の洒落のようね。首尾よく煙に捲いたの?」
「駄目ですわ、相手が石ですもの。ごまかしもたいていにすればいいのに、今度は殿下さまに化けて来たんだって。馬鹿ね」
「へえ、その時分にも殿下さまがあるの?」
「有るんでしょう。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿下様に化けたんだって、恐れ多い事だが化けて来たって――第一不敬じゃありませんか、法螺吹きの分際で」
「殿下って、どの殿下さまなの」
「どの殿下さまですか、どの殿下さまだって不敬ですわ」
「そうね」
「殿下さまでも利かないでしょう。法螺吹きもしようがないから、とても私の手際では、あの地蔵はどうする事も出来ませんと降参をしたそうです」
「いい気味ね」
「ええ、ついでに懲役にやればいいのに。――でも町内のものは大層気を揉んで、また相談を開いたんですが、もう誰も引き受けるものがないんで弱ったそうです」
「それでおしまい?」
「まだあるのよ。一番しまいに車屋とゴロツキを大勢雇って、地蔵様の周りをわいわい騒いであるいたんです。ただ地蔵様をいじめて、いたたまれないようにすればいいと云って、夜昼交替で騒ぐんだって」
「御苦労様ですこと」
「それでも取り合わないんですとさ。地蔵様の方も随分強情ね」
「それから、どうして?」ととん[#「とん」に傍点]子が熱心に聞く。
「それからね、いくら毎日毎日騒いでも験が見えないので、大分みんなが厭になって来たんですが、車夫やゴロツキは幾日でも日当になる事だから喜んで騒いでいましたとさ」
「雪江さん、日当ってなに?」とすん[#「すん」に傍点]子が質問をする。
「日当と云うのはね、御金の事なの」
「御金をもらって何にするの?」
「御金を貰ってね。……ホホホホいやなすん[#「すん」に傍点]子さんだ。――それで叔母さん、毎日毎晩から[#「から」に傍点]騒ぎをしていますとね。その時町内に馬鹿竹と云って、何も知らない、誰も相手にしない馬鹿がいたんですってね。その馬鹿がこの騒ぎを見て御前方は何でそんなに騒ぐんだ、何年かかっても地蔵一つ動かす事が出来ないのか、可哀想なものだ、と云ったそうですって――」
「馬鹿の癖にえらいのね」
「なかなかえらい馬鹿なのよ。みんなが馬鹿竹の云う事を聞いて、物はためしだ、どうせ駄目だろうが、まあ竹にやらして見ようじゃないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騒ぎをしないでまあ静かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄然と地蔵様の前へ出て来ました」
「雪江さん飄然[#「飄然」に傍点]て、馬鹿竹のお友達?」ととん子が肝心なところで奇問を放ったので、細君と雪江さんはどっと笑い出した。
「いいえお友達じゃないのよ」
「じゃ、なに?」
「飄然と云うのはね。――云いようがないわ」
「飄然て、云いようがないの?」
「そうじゃないのよ、飄然と云うのはね――」
「ええ」
「そら多々良三平さんを知ってるでしょう」
「ええ、山の芋をくれてよ」
「あの多々良さん見たようなを云うのよ」
「多々良さんは飄然なの?」
「ええ、まあそうよ。――それで馬鹿竹が地蔵様の前へ来て懐手をして、地蔵様、町内のものが、あなたに動いてくれと云うから動いてやんなさいと云ったら、地蔵様はたちまちそうか、そんなら早くそう云えばいいのに、とのこのこ動き出したそうです」
「妙な地蔵様ね」
「それからが演説よ」
「まだあるの?」
「ええ、それから八木先生がね、今日は御婦人の会でありますが、私がかような御話をわざわざ致したのは少々考があるので、こう申すと失礼かも知れませんが、婦人というものはとかく物をするのに正面から近道を通って行かないで、かえって遠方から廻りくどい手段をとる弊がある。もっともこれは御婦人に限った事でない。明治の代は男子といえども、文明の弊を受けて多少女性的になっているから、よくいらざる手数と労力を費やして、これが本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解しているものが多いようだが、これ等は開化の業に束縛された畸形児である。別に論ずるに及ばん。ただ御婦人に在ってはなるべくただいま申した昔話を御記憶になって、いざと云う場合にはどうか馬鹿竹のような正直な了見で物事を処理していただきたい。あなた方が馬鹿竹になれば夫婦の間、嫁姑の間に起る忌わしき葛藤の三分一はたしかに減ぜられるに相違ない。人間は魂胆があればあるほど、その魂胆が祟って不幸の源をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、全くこの魂胆があり過ぎるからである。どうか馬鹿竹になって下さい、と云う演説なの」
「へえ、それで雪江さんは馬鹿竹になる気なの」
「やだわ、馬鹿竹だなんて。そんなものになりたくはないわ。金田の富子さんなんぞは失敬だって大変怒ってよ」
「金田の富子さんて、あの向横町の?」
「ええ、あのハイカラさんよ」
「あの人も雪江さんの学校へ行くの?」
「いいえ、ただ婦人会だから傍聴に来たの。本当にハイカラね。どうも驚ろいちまうわ」
「でも大変いい器量だって云うじゃありませんか」
「並ですわ。御自慢ほどじゃありませんよ。あんなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわ」
「それじゃ雪江さんなんぞはそのかたのように御化粧をすれば金田さんの倍くらい美しくなるでしょう」
「あらいやだ。よくってよ。知らないわ。だけど、あの方は全くつくり過ぎるのね。なんぼ御金があったって――」
「つくり過ぎても御金のある方がいいじゃありませんか」
「それもそうだけれども――あの方こそ、少し馬鹿竹になった方がいいでしょう。無暗に威張るんですもの。この間もなんとか云う詩人が新体詩集を捧げたって、みんなに吹聴しているんですもの」
「東風さんでしょう」
「あら、あの方が捧げたの、よっぽど物数奇ね」
「でも東風さんは大変真面目なんですよ。自分じゃ、あんな事をするのが当前だとまで思ってるんですもの」
「そんな人があるから、いけないんですよ。――それからまだ面白い事があるの。此間だれか、あの方の所へ艶書を送ったものがあるんだって」
「おや、いやらしい。誰なの、そんな事をしたのは」
「誰だかわからないんだって」
「名前はないの?」
「名前はちゃんと書いてあるんだけれども聞いた事もない人だって、そうしてそれが長い長い一間ばかりもある手紙でね。いろいろな妙な事がかいてあるんですとさ。私があなたを恋っているのは、ちょうど宗教家が神にあこがれているようなものだの、あなたのためならば祭壇に供える小羊となって屠られるのが無上の名誉であるの、心臓の形ちが三角で、三角の中心にキューピッドの矢が立って、吹き矢なら大当りであるの……」
「そりゃ真面目なの?」
「真面目なんですとさ。現にわたしの御友達のうちでその手紙を見たものが三人あるんですもの」
「いやな人ね、そんなものを見せびらかして。あの方は寒月さんのとこへ御嫁に行くつもりなんだから、そんな事が世間へ知れちゃ困るでしょうにね」
「困るどころですか大得意よ。こんだ寒月さんが来たら、知らして上げたらいいでしょう。寒月さんはまるで御存じないんでしょう」
「どうですか、あの方は学校へ行って球ばかり磨いていらっしゃるから、大方知らないでしょう」
「寒月さんは本当にあの方を御貰になる気なんでしょうかね。御気の毒だわね」
「なぜ?
「叔母さんは、じきに金、金って品がわるいのね。金より愛の方が大事じゃありませんか。愛がなければ夫婦の関係は成立しやしないわ」
「そう、それじゃ雪江さんは、どんなところへ御嫁に行くの?」
「そんな事知るもんですか、別に何もないんですもの」
「わたしねえ、本当はね、招魂社へ御嫁に行きたいんだけれども、水道橋を渡るのがいやだから、どうしようかと思ってるの」
「御ねえ様も招魂社がすき?
「坊ばも行くの」とついには坊ばさんまでが招魂社へ嫁に行く事になった。かように三人が顔を揃えて招魂社へ嫁に行けたら、主人もさぞ楽であろう。
「妙な徳利ね、そんなものを警察から貰っていらしったの」と雪江さんが、倒れた奴を起しながら叔父さんに聞いて見る。叔父さんは、雪江さんの顔を見ながら、「どうだ、いい恰好だろう」と自慢する。
「いい恰好なの?
「油壺なものか。そんな趣味のない事を云うから困る」
「じゃ、なあに?」
「花活さ」
「花活にしちゃ、口が小いさ過ぎて、いやに胴が張ってるわ」
「そこが面白いんだ。御前も無風流だな。まるで叔母さんと択ぶところなしだ。困ったものだな」と独りで油壺を取り上げて、障子の方へ向けて眺めている。
「どうせ無風流ですわ。油壺を警察から貰ってくるような真似は出来ないわ。ねえ叔母さん」叔母さんはそれどころではない、風呂敷包を解いて皿眼になって、盗難品を検べている。「おや驚ろいた。泥棒も進歩したのね。みんな、解いて洗い張をしてあるわ。ねえちょいと、あなた」
「誰が警察から油壺を貰ってくるものか。待ってるのが退屈だから、あすこいらを散歩しているうちに堀り出して来たんだ。御前なんぞには分るまいがそれでも珍品だよ」
「珍品過ぎるわ。一体叔父さんはどこを散歩したの」
「どこって日本堤界隈さ。吉原へも這入って見た。なかなか盛な所だ。あの鉄の門を観た事があるかい。ないだろう」
「だれが見るもんですか。吉原なんて賤業婦のいる所へ行く因縁がありませんわ。叔父さんは教師の身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。本当に驚ろいてしまうわ。ねえ叔母さん、叔母さん」
「ええ、そうね。どうも品数が足りないようだ事。これでみんな戻ったんでしょうか」
「戻らんのは山の芋ばかりさ。元来九時に出頭しろと云いながら十一時まで待たせる法があるものか、これだから日本の警察はいかん」
「日本の警察がいけないって、吉原を散歩しちゃなおいけないわ。そんな事が知れると免職になってよ。ねえ叔母さん」
「ええ、なるでしょう。あなた、私の帯の片側がないんです。何だか足りないと思ったら」
「帯の片側くらいあきらめるさ。こっちは三時間も待たされて、大切の時間を半日潰してしまった」と日本服に着代えて平気に火鉢へもたれて油壺を眺めている。細君も仕方がないと諦めて、戻った品をそのまま戸棚へしまい込んで座に帰る。
「叔母さん、この油壺が珍品ですとさ。きたないじゃありませんか」
「それを吉原で買っていらしったの?
「何がまあ[#「まあ」に傍点]だ。分りもしない癖に」
「それでもそんな壺なら吉原へ行かなくっても、どこにだってあるじゃありませんか」
「ところがないんだよ。滅多に有る品ではないんだよ」
「叔父さんは随分石地蔵ね」
「また小供の癖に生意気を云う。どうもこの頃の女学生は口が悪るくっていかん。ちと女大学でも読むがいい」
「叔父さんは保険が嫌でしょう。女学生と保険とどっちが嫌なの?」
「保険は嫌ではない。あれは必要なものだ。未来の考のあるものは、誰でも這入る。女学生は無用の長物だ」
「無用の長物でもいい事よ。保険へ這入ってもいない癖に」
「来月から這入るつもりだ」
「きっと?」
「きっとだとも」
「およしなさいよ、保険なんか。それよりかその懸金で何か買った方がいいわ。ねえ、叔母さん」叔母さんはにやにや笑っている。主人は真面目になって
「お前などは百も二百も生きる気だから、そんな呑気な事を云うのだが、もう少し理性が発達して見ろ、保険の必要を感ずるに至るのは当前だ。ぜひ来月から這入るんだ」
「そう、それじゃ仕方がない。だけどこないだのように蝙蝠傘を買って下さる御金があるなら、保険に這入る方がましかも知れないわ。ひとがいりません、いりませんと云うのを無理に買って下さるんですもの」
「そんなにいらなかったのか?」
「ええ、蝙蝠傘なんか欲しかないわ」
「そんなら還すがいい。ちょうど[#「ちょうど」に傍点]とん子が欲しがってるから、あれをこっちへ廻してやろう。今日持って来たか」
「あら、そりゃ、あんまりだわ。だって苛いじゃありませんか、せっかく買って下すっておきながら、還せなんて」
「いらないと云うから、還せと云うのさ。ちっとも苛くはない」
「いらない事はいらないんですけれども、苛いわ」
「分らん事を言う奴だな。いらないと云うから還せと云うのに苛い事があるものか」
「だって」
「だって、どうしたんだ」
「だって苛いわ」
「愚だな、同じ事ばかり繰り返している」
「叔父さんだって同じ事ばかり繰り返しているじゃありませんか」
「御前が繰り返すから仕方がないさ。現にいらないと云ったじゃないか」
「そりゃ云いましたわ。いらない事はいらないんですけれども、還すのは厭ですもの」
「驚ろいたな。没分暁で強情なんだから仕方がない。御前の学校じゃ論理学を教えないのか」
「よくってよ、どうせ無教育なんですから、何とでもおっしゃい。人のものを還せだなんて、他人だってそんな不人情な事は云やしない。ちっと馬鹿竹の真似でもなさい」
「何の真似をしろ?」
「ちと正直に淡泊になさいと云うんです」
「お前は愚物の癖にやに強情だよ。それだから落第するんだ」
「落第したって叔父さんに学資は出して貰やしないわ」
「君は何とか云ったけな」
「古井……」
「古井?
「古井武右衛門」
「古井武右衛門――なるほど、だいぶ長い名だな。今の名じゃない、昔の名だ。四年生だったね」
「いいえ」
「三年生か?」
「いいえ、二年生です」
「甲の組かね」
「乙です」
「乙なら、わたしの監督だね。そうか」と主人は感心している。実はこの大頭は入学の当時から、主人の眼についているんだから、決して忘れるどころではない。のみならず、時々は夢に見るくらい感銘した頭である。しかし呑気な主人はこの頭とこの古風な姓名とを連結して、その連結したものをまた二年乙組に連結する事が出来なかったのである。だからこの夢に見るほど感心した頭が自分の監督組の生徒であると聞いて、思わずそうか[#「そうか」に傍点]と心の裏で手を拍ったのである。しかしこの大きな頭の、古い名の、しかも自分の監督する生徒が何のために今頃やって来たのか頓と推諒出来ない。元来不人望な主人の事だから、学校の生徒などは正月だろうが暮だろうがほとんど寄りついた事がない。寄りついたのは古井武右衛門君をもって嚆矢とするくらいな珍客であるが、その来訪の主意がわからんには主人も大に閉口しているらしい。こんな面白くない人の家へただ遊びにくる訳もなかろうし、また辞職勧告ならもう少し昂然と構え込みそうだし、と云って武右衛門君などが一身上の用事相談があるはずがないし、どっちから、どう考えても主人には分らない。武右衛門君の様子を見るとあるいは本人自身にすら何で、ここまで参ったのか判然しないかも知れない。仕方がないから主人からとうとう表向に聞き出した。
「君遊びに来たのか」
「そうじゃないんです」
「それじゃ用事かね」
「ええ」
「学校の事かい」
「ええ、少し御話ししようと思って……」
「うむ。どんな事かね。さあ話したまえ」と云うと武右衛門君下を向いたぎり何にも言わない。元来武右衛門君は中学の二年生にしてはよく弁ずる方で、頭の大きい割に脳力は発達しておらんが、喋舌る事においては乙組中鏘々たるものである。現にせんだってコロンバスの日本訳を教えろと云って大に主人を困らしたはまさにこの武右衛門君である。その鏘々たる先生が、最前から吃の御姫様のようにもじもじしているのは、何か云わくのある事でなくてはならん。単に遠慮のみとはとうてい受け取られない。主人も少々不審に思った。
「話す事があるなら、早く話したらいいじゃないか」
「少し話しにくい事で……」
「話しにくい?」と云いながら主人は武右衛門君の顔を見たが、先方は依然として俯向になってるから、何事とも鑑定が出来ない。やむを得ず、少し語勢を変えて「いいさ。何でも話すがいい。ほかに誰も聞いていやしない。わたしも他言はしないから」と穏やかにつけ加えた。
「話してもいいでしょうか?」と武右衛門君はまだ迷っている。
「いいだろう」と主人は勝手な判断をする。
「では話しますが」といいかけて、毬栗頭をむくりと持ち上げて主人の方をちょっとまぼしそうに見た。その眼は三角である。主人は頬をふくらまして朝日の煙を吹き出しながらちょっと横を向いた。
「実はその……困った事になっちまって……」
「何が?」
「何がって、はなはだ困るもんですから、来たんです」
「だからさ、何が困るんだよ」
「そんな事をする考はなかったんですけれども、浜田が借せ借せと云うもんですから……」
「浜田と云うのは浜田平助かい」
「ええ」
「浜田に下宿料でも借したのかい」
「何そんなものを借したんじゃありません」
「じゃ何を借したんだい」
「名前を借したんです」
「浜田が君の名前を借りて何をしたんだい」
「艶書を送ったんです」
「何を送った?」
「だから、名前は廃して、投函役になると云ったんです」
「何だか要領を得んじゃないか。一体誰が何をしたんだい」
「艶書を送ったんです」
「艶書を送った?
「だから、話しにくいと云うんです」
「じゃ君が、どこかの女に艶書を送ったのか」
「いいえ、僕じゃないんです」
「浜田が送ったのかい」
「浜田でもないんです」
「じゃ誰が送ったんだい」
「誰だか分らないんです」
「ちっとも要領を得ないな。では誰も送らんのかい」
「名前だけは僕の名なんです」
「名前だけは君の名だって、何の事だかちっとも分らんじゃないか。もっと条理を立てて話すがいい。元来その艶書を受けた当人はだれか」
「金田って向横丁にいる女です」
「あの金田という実業家か」
「ええ」
「で、名前だけ借したとは何の事だい」
「あすこの娘がハイカラで生意気だから艶書を送ったんです。――浜田が名前がなくちゃいけないって云いますから、君の名前をかけって云ったら、僕のじゃつまらない。古井武右衛門の方がいいって――それで、とうとう僕の名を借してしまったんです」
「で、君はあすこの娘を知ってるのか。交際でもあるのか」
「交際も何もありゃしません。顔なんか見た事もありません」
「乱暴だな。顔も知らない人に艶書をやるなんて、まあどう云う了見で、そんな事をしたんだい」
「ただみんながあいつは生意気で威張ってるて云うから、からかってやったんです」
「ますます乱暴だな。じゃ君の名を公然とかいて送ったんだな」
「ええ、文章は浜田が書いたんです。僕が名前を借して遠藤が夜あすこのうちまで行って投函して来たんです」
「じゃ三人で共同してやったんだね」
「ええ、ですけれども、あとから考えると、もしあらわれて退学にでもなると大変だと思って、非常に心配して二三日は寝られないんで、何だか茫やりしてしまいました」
「そりゃまた飛んでもない馬鹿をしたもんだ。それで文明中学二年生古井武右衛門とでもかいたのかい」
「いいえ、学校の名なんか書きゃしません」
「学校の名を書かないだけまあよかった。これで学校の名が出て見るがいい。それこそ文明中学の名誉に関する」
「どうでしょう退校になるでしょうか」
「そうさな」
「先生、僕のおやじさんは大変やかましい人で、それにお母さんが継母ですから、もし退校にでもなろうもんなら、僕あ困っちまうです。本当に退校になるでしょうか」
「だから滅多な真似をしないがいい」
「する気でもなかったんですが、ついやってしまったんです。退校にならないように出来ないでしょうか」と武右衛門君は泣き出しそうな声をしてしきりに哀願に及んでいる。襖の蔭では最前から細君と雪江さんがくすくす笑っている。主人は飽くまでももったいぶって「そうさな」を繰り返している。なかなか面白い。
「先生」
「御客ですか」と寒月君はやはり顔半分で聞き返している。
「なに構わん、まあ御上がり」
「実はちょっと先生を誘いに来たんですがね」
「どこへ行くんだい。また赤坂かい。あの方面はもう御免だ。せんだっては無闇にあるかせられて、足が棒のようになった」
「今日は大丈夫です。久し振りに出ませんか」
「どこへ出るんだい。まあ御上がり」
「上野へ行って虎の鳴き声を聞こうと思うんです」
「つまらんじゃないか、それよりちょっと御上り」
「虎の鳴き声を聞いたって詰らないじゃないか」
「ええ、今じゃいけません、これから方々散歩して夜十一時頃になって、上野へ行くんです」
「へえ」
「すると公園内の老木は森々として物凄いでしょう」
「そうさな、昼間より少しは淋しいだろう」
「それで何でもなるべく樹の茂った、昼でも人の通らない所を択ってあるいていると、いつの間にか紅塵万丈の都会に住んでる気はなくなって、山の中へ迷い込んだような心持ちになるに相違ないです」
「そんな心持ちになってどうするんだい」
「そんな心持ちになって、しばらく佇んでいるとたちまち動物園のうちで、虎が鳴くんです」
「そう旨く鳴くかい」
「大丈夫鳴きます。あの鳴き声は昼でも理科大学へ聞えるくらいなんですから、深夜闃寂として、四望人なく、鬼気肌に逼って、魑魅鼻を衝く際に……」
「魑魅鼻を衝くとは何の事だい」
「そんな事を云うじゃありませんか、怖い時に」
「そうかな。あんまり聞かないようだが。それで」
「それで虎が上野の老杉の葉をことごとく振い落すような勢で鳴くでしょう。物凄いでさあ」
「そりゃ物凄いだろう」
「どうです冒険に出掛けませんか。きっと愉快だろうと思うんです。どうしても虎の鳴き声は夜なかに聞かなくっちゃ、聞いたとはいわれないだろうと思うんです」
「そうさな」と主人は武右衛門君の哀願に冷淡であるごとく、寒月君の探検にも冷淡である。
「雪江さん、憚りさま、これを出して来て下さい」
「わたし、いやよ」
「どうして」と細君は少々驚ろいた体で笑いをはたと留める。
「どうしてでも」と雪江さんはやにすました顔を即席にこしらえて、傍にあった読売新聞の上にのしかかるように眼を落した。細君はもう一応協商を始める。
「あら妙な人ね。寒月さんですよ。構やしないわ」
「でも、わたし、いやなんですもの」と読売新聞の上から眼を放さない。こんな時に一字も読めるものではないが、読んでいないなどとあばかれたらまた泣き出すだろう。
「ちっとも恥かしい事はないじゃありませんか」と今度は細君笑いながら、わざと茶碗を読売新聞の上へ押しやる。雪江さんは「あら人の悪るい」と新聞を茶碗の下から、抜こうとする拍子に茶托に引きかかって、番茶は遠慮なく新聞の上から畳の目へ流れ込む。「それ御覧なさい」と細君が云うと、雪江さんは「あら大変だ」と台所へ馳け出して行った。雑巾でも持ってくる了見だろう。吾輩にはこの狂言がちょっと面白かった。
「先生障子を張り易えましたね。誰が張ったんです」
「女が張ったんだ。よく張れているだろう」
「ええなかなかうまい。あの時々おいでになる御嬢さんが御張りになったんですか」
「うんあれも手伝ったのさ。このくらい障子が張れれば嫁に行く資格はあると云って威張ってるぜ」
「へえ、なるほど」と云いながら寒月君障子を見つめている。
「こっちの方は平ですが、右の端は紙が余って波が出来ていますね」
「あすこが張りたてのところで、もっとも経験の乏しい時に出来上ったところさ」
「なるほど、少し御手際が落ちますね。あの表面は超絶的曲線でとうてい普通のファンクションではあらわせないです」と、理学者だけにむずかしい事を云うと、主人は
「そうさね」と好い加減な挨拶をした。
「先生ありゃ生徒ですか」
「うん」
「大変大きな頭ですね。学問は出来ますか」
「頭の割には出来ないがね、時々妙な質問をするよ。こないだコロンバスを訳して下さいって大に弱った」
「全く頭が大き過ぎますからそんな余計な質問をするんでしょう。先生何とおっしゃいました」
「ええ?
「それでも訳す事は訳したんですか、こりゃえらい」
「小供は何でも訳してやらないと信用せんからね」
「先生もなかなか政治家になりましたね。しかし今の様子では、何だか非常に元気がなくって、先生を困らせるようには見えないじゃありませんか」
「今日は少し弱ってるんだよ。馬鹿な奴だよ」
「どうしたんです。何だかちょっと見たばかりで非常に可哀想になりました。全体どうしたんです」
「なに愚な事さ。金田の娘に艶書を送ったんだ」
「え?
「君も心配だろうが……」
「何ちっとも心配じゃありません。かえって面白いです。いくら、艶書が降り込んだって大丈夫です」
「そう君が安心していれば構わないが……」
「構わんですとも私はいっこう構いません。しかしあの大頭が艶書をかいたと云うには、少し驚ろきますね」
「それがさ。冗談にしたんだよ。あの娘がハイカラで生意気だから、からかってやろうって、三人が共同して……」
「三人が一本の手紙を金田の令嬢にやったんですか。ますます奇談ですね。一人前の西洋料理を三人で食うようなものじゃありませんか」
「ところが手分けがあるんだ。一人が文章をかく、一人が投函する、一人が名前を借す。で今来たのが名前を借した奴なんだがね。これが一番愚だね。しかも金田の娘の顔も見た事がないって云うんだぜ。どうしてそんな無茶な事が出来たものだろう」
「そりゃ、近来の大出来ですよ。傑作ですね。どうもあの大頭が、女に文をやるなんて面白いじゃありませんか」
「飛んだ間違にならあね」
「なになったって構やしません、相手が金田ですもの」
「だって君が貰うかも知れない人だぜ」
「貰うかも知れないから構わないんです。なあに、金田なんか、構やしません」
「君は構わなくっても……」
「なに金田だって構やしません、大丈夫です」
「それならそれでいいとして、当人があとになって、急に良心に責められて、恐ろしくなったものだから、大に恐縮して僕のうちへ相談に来たんだ」
「へえ、それであんなに悄々としているんですか、気の小さい子と見えますね。先生何とか云っておやんなすったんでしょう」
「本人は退校になるでしょうかって、それを一番心配しているのさ」
「何で退校になるんです」
「そんな悪るい、不道徳な事をしたから」
「何、不道徳と云うほどでもありませんやね。構やしません。金田じゃ名誉に思ってきっと吹聴していますよ」
「まさか」
「とにかく可愛想ですよ。そんな事をするのがわるいとしても、あんなに心配させちゃ、若い男を一人殺してしまいますよ。ありゃ頭は大きいが人相はそんなにわるくありません。鼻なんかぴくぴくさせて可愛いです」
「君も大分迷亭見たように呑気な事を云うね」
「何、これが時代思潮です、先生はあまり昔し風だから、何でもむずかしく解釈なさるんです」
「しかし愚じゃないか、知りもしないところへ、いたずらに艶書を送るなんて、まるで常識をかいてるじゃないか」
「いたずらは、たいがい常識をかいていまさあ。救っておやんなさい。功徳になりますよ。あの容子じゃ華厳の滝へ出掛けますよ」
「そうだな」
「そうなさい。もっと大きな、もっと分別のある大僧共がそれどころじゃない、わるいいたずらをして知らん面をしていますよ。あんな子を退校させるくらいなら、そんな奴らを片っ端から放逐でもしなくっちゃ不公平でさあ」
「それもそうだね」
「それでどうです上野へ虎の鳴き声をききに行くのは」
「虎かい」
「ええ、聞きに行きましょう。実は二三日中にちょっと帰国しなければならない事が出来ましたから、当分どこへも御伴は出来ませんから、今日は是非いっしょに散歩をしようと思って来たんです」
「そうか帰るのかい、用事でもあるのかい」
「ええちょっと用事が出来たんです。――ともかくも出ようじゃありませんか」
「そう。それじゃ出ようか」
「さあ行きましょう。今日は私が晩餐を奢りますから、――それから運動をして上野へ行くとちょうど好い刻限です」としきりに促がすものだから、主人もその気になって、いっしょに出掛けて行った。あとでは細君と雪江さんが遠慮のない声でげらげらけらけらからからと笑っていた。
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(例)吾輩《わがはい》は猫である
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(例)へっつい[#「へっつい」に傍点]
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底本:「夏目漱石全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月に刊行
入力:柴田卓治
校正:渡部峰子(一)、おのしげひこ(二、五)、田尻幹二(三)、高橋真也(四、七、八、十、十一)、しず(六)、瀬戸さえ子(九)
1999年9月17日公開
2001年1月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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2001年1月29日変更
変更内容:テキストファイルをHTMLファイルに変換、形式段落ごとに空白行を1行追加、ルビの表示
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